第14話 名前で呼んで⑤

 噴水跡地を抜け、スタジアムと競技場の間の周回コースに出る。ここから、俺とこずえは先ほどと同じ横道を抜けることになる。


「あ、二人はここで曲がるんだね。こずえちゃん、虎太くん、じゃあねー」

「さようなら。また明日です」

「うん。また明日ねー」


 二人が手を振り合っている。俺も軽く手を上げてやる。

 八神が去ると、こずえと二人きりになった。うるさいのが消えてホッとする。こずえは静かだから、一緒にいても苦にならないのだ。


「沢渡さん」

「どうした?」


 返事をしたときには、何気ない質問が来るのかと思った。しかし、こずえを見ると、少し怒ったような顔をしていたのだ、思わず立ち止まった。


「沢渡さんって、愛守さんと仲が良いんですね」

「あれが仲良く見えるか?」

「見えました。……ずっと二人で盛り上がっていらっしゃいましたし」


 そう言うと、こずえは口を尖らせた。八神が見れば悶え苦しみそうな表情だ。


「俺は怒っていたつもりだが」

「加東さんとも仲良いですよね。よく一緒にいらっしゃいますし」

「あれは呪いの装備みたいなものだと思うけど」

「お互い下の名前で呼んでいますし、距離も近くて……男女の友人としては、親しすぎるように思いました」


 これはまさか……嫉妬なのか?

 こずえが俺に好意を持っていたのは知っているが、俺の人間関係にここまで過敏になるのか。交際してるわけではないというのに。


「俺は優を女だと思ってないだけだ」


 勝手にそう思わせておけばいいものを、俺はこずえに言い訳じみた言い方をしてしまう。なんとなく、勢いに押されたのである。


「加東さん、とてもスタイルの良い美人さんです。無理があります」


 そんな評価、俺はとっくの昔に捨てている。あれは美人の皮を被った、ただの変態である。


「性格の問題だ。俺は変人を女と認識する気はない。ほら、行くぞ」


 立ち止まってまでする話ではなかった。俺はとっととこの話題を終わらせるために、歩を進めた。


 後ろからこずえが来ていることを横目で確認しながら、俺は彼女の歩幅に合わせて歩く。まさか、こんな苦情が来るとは思わなかった。


 しかし、お前には関係ないだろう、と切り捨てることもできなかった。こっちのほうが正論だが、彼女の好意を知った上で写真同好会に引き入れ、そこに友人を突っ込んだのはこの俺である。

 なんとなく、悪い気がしたのだ。


 何を考えているのか、こずえは真剣な顔で、俺の足元辺りを見ながら歩いている。俺たちはそのまま、反対側の周回コースまで到着した。

 そのまま道を進み、ようやく公園を出ようかというところで、こずえはようやく口を開いた。


「虎太さん……」


 振り向くと、一瞬こずえと目が合ったが、すぐに逸らされてしまった。


「その……皆さん下の名前で呼んでいらっしゃいますし、私もそう呼んでいいでしょうか?」


 顔を赤くしながら言う。まったく、怒っていたかと思ったら、かわいいことを考えていたもんだ。


「好きにしろ」

「はい。それで……私のことも、こずえと呼んでくださいませんか?」


 上目遣いでそう言う。こっちが本題か。


「さっきの八神との会話で引っ掛かっていたのか?」

「そう……ですが、私自身も虎太さんに呼び捨てで呼んでもらいたいです」


 こずえは怯まずに、まっすぐ俺の目を見る。


「俺だけそう呼ぶのは浮くだろう?」

「……わ、私と虎太さんの仲なら大丈夫だと思います」

「…………」


 とんでもないことを言う。俺はこずえのことを、照れ屋の少女だと思っていた。

 それ自体は間違っていないのだが、こいつはそのくせに、やたら度胸があるのである。


 いや、そういう一面は、以前から垣間見えていた。照れながらもしっかり気持ちを伝えてくるし、そもそも俺に告白してきた時点でそうだった。

 礼儀正しさの影に隠れているが、こいつは結構なやつなのだ。


「その、私にとって、長居高校で最も親しい人は虎太さんなんです。ですので――」

「ああもう、わかった。もう帰るぞ、こずえ」

「――は、はい!」


 薄暗くても、顔が赤くなったのがわかった。まったく、困った子だ。


 こずえのマンションの前の信号で、こずえはこちらを向いた。ここで解散である。


「今日も楽しかったです。ありがとうございました」


 ペコリと頭を垂れる。こいつは丁寧過ぎる。


「俺たちは同級生で、ただ一緒に活動しているだけだ。お礼を言われる理由なんてな

い」

「いえ……また、お友達が増えましたし」


 そう言ってほほ笑む。今日、こずえは優とも勇美とも話していた。狙ってやったわけではないが、友達だと思えたなら良かった。


「そうか。まあ、勇美は良いやつだが、優には気をつけろよ」

「気をつけろって――あ」


 こずえは途中で言葉を切った。何かを見つけたらしい。俺もつられてそちらを見ると、そこには若い女性が立っていた。


 歳は俺より少し上くらいだろうか。首もとまでの短めの髪、大きな目と小柄な体格。飾り気のない服装で、ロングスカートにスニーカーを履いている。

 美少女だ。そんなことを考えながら、俺はボケっと女性に見とれていた。


「お母さん」

「……え?」

「こずえ。このかたは?」


 母親……だと。俺は信じられなくて、あいさつをすることすら忘れていた。

 教育ママという噂のあったこずえの母親が、こんな若い女性だったとは。

 姉ならまだわかるが、この人がこずえを産んだなんて……。俺は信じられない気持ちで、二人のやり取りを見ていた。


「同級生です」

「そうですか。いつもこずえがお世話になっております」


 こずえの母は娘と同じように、しっかりと頭を下げた。


「……いえ」


 制服を着せると高校生にも中学生にもなれそうな、この美少女がこずえの母。まだ信じられない。

 そのキリッとした表情から、大人っぽさを感じないわけではない。顔の幼さにしては、かなりクールだ。こずえと丁寧語で話している姿を見て、なんとなく家庭環境も見えてくる。この人は、しつけの厳しいタイプの母親なのだ。


 その見た目とのギャップもあってか、俺は今まで味わったことないほど緊張していた。

 そんな俺の反応に、こずえ母は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたものの、すぐにまた無表情になる。


「……それでは、さようなら。こずえ、行きますよ」

「はい。虎太さん、また明日」

「あ、ああ。また明日な」


 二人が信号を渡っていく。顔もそうだが、後ろ姿だけでも、二人の血縁関係は疑いようがない。それでも、俺は不思議な気持ちになりながら、横断歩道を渡り切るまで二人を見送った。

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