第9話 八神愛守③

「あの」


 こずえがもじもじしながら俺に言う。


「どうした?」

「沢渡さんも入部されるんですよね?」

「いや、俺はしない」

「………………え?」


 こずえは長い沈黙のあと、無表情で首を横に傾けた。


「俺は写真に興味がない」

「いや、それはこずえちゃんもそうでしょう」

「俺はこずえちゃんには八神が必要だと思ってここに連れてきただけだ。俺に入部するなんて選択肢、最初からない」

「ええ……」


 八神は呆れた顔で俺をにらむ。こんな表情をするやつだったのか。ツッコミには無縁の全ボケタイプだと勝手に思っていた。


「……言ってました」


 こずえがボソッと言う。口をへの字に曲げているその表情は、少し怒っているようだ。


「な、なにをだ?」

「沢渡さんも、現状に不満があるとおっしゃってました」

「まあそうだが、中学時代のようなことはもう嫌だとも言っていたはずだ」

「そうなるとは限らないと思います!」


 こずえを変人八神と引き合わせることで、俺はお役ごめんのつもりだった。しかし、こずえはそうは考えていなかったらしい。


 普通に考えて、告白した相手と一緒の部活なんて嫌じゃないだろうか。

 子どもながらに強い精神力があると考えるべきか、子どもだから平気だと考えるべきか。どのみち、俺には理解できそうになかった。


「その辺りは、お前の求めてるものと微妙に違うんだ」

「でも――」


 カメラの撮影音で、こずえの苦情が止まる。見ると、八神がこずえの顔にカメラを向けていた。


「あ、つい。怒っている顔もかわいくて、ね」


 八神は悪びれずに笑う。俺としては助かった。


「まあまあ、虎太くんも今は保留くらいにしておいてよ。現状だとただの丸投げだし、こずえちゃんからすると捨てられた子猫のような気分だよ。こずえちゃんが同好会になじむかどうか、見守る責任はあるんじゃない?」


 八神が俺の方にカメラを向けながら言う。手で隠そうとしたが、別に撮る気がないことを察し、すぐに下ろした。


「……まあ、そうだな」

「こずえちゃんは、いっぱいアプローチして虎太くんを同好会に引きずりこもうね」

「あ、アプローチ……」


 こずえが顔を真っ赤にする。ここまでわかりやすい反応をするのなら、八神が告白を目撃していたことがバレるなんて考えなくてよさそうだ。


「そのために、まずはこずえちゃん自身がカメラに興味を持とうよ。今から軽く撮りに行ってみない?」

「え? あ、そうですね……」


 八神はカメラへの引き込みかたが上手かった。こずえが俺のほうを見る。


「行ってきたらどうだ?」

「沢渡さんは?」

「俺はいい。でも、ちゃんと待ってるよ」

「そ、それなら」


 俺が帰らないことに安心するこずえ。まったく、俺は保護者じゃないんだが。


「じゃあ撮り方を教えてあげるね!」


 八神が見るからにテンションを上げる。そうして、こずえにカメラのレクチャーを始めた。


「ピントを合わせるには――」

「はい」


 こうなると、俺は暇である。スマホでも見ていようかと思ったが、そういえば、見たいものがあった。


「八神」

「なーに?」

「これらはお前の撮った写真だよな? 見てみたいんだが」

「見てもあんまりおもしろくないよ。その辺のはならいいけど」


 八神はそう言って、部室の扉側に積んである山を指さした。


「じゃあ、私たちはちょっと出てくるね」

「ああ」

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 俺が言うと、こずえが顔を赤くした。敏感すぎていったい何に反応してのものなのか、いまいちわからない。

 何にしても、かわいいものである。八神は、ずっとこずえの表情を見て楽しんでいるようだったが、今はその気持ちがよくわかる。


 二人が出ていくと、俺は封筒の写真に手をつけた。八神が指定した山の一番上の封筒を手に取ると、指紋がつかないように、慎重に写真を取り出した。


 その封筒の中身は、花の写真ばかりだった。きっと、長居公園の植物園で撮影されたものだろう。花にピントが合い、後方がぼかされている。


 八神の持っていたカメラは一眼レフではなかったが、レンズの厚みはそこそこのものだった。普通のデジカメと一眼レフの中間くらいのものだろう。それでも、こんなにプロっぽい写真が撮れるものなのか。


 構図は良い意味で普通だ。八神のことだから、もっと変わった撮り方をしているのだと思い込んでいたが、ここにあるものはプロっぽい、正統派な写真ばかりだった。


 ざっと見てから、封筒を山に戻す。そして、今度は八神が許可しなかったほうの山に手を出した。多分、こっちにこずえの写真があると思ったのだ。


 俺も勝手に撮影された被害者だ。だから、俺は悪びれることなく写真を取り出す。そこには、やはりこずえが写っていた。


 休み時間、机に向かってノートをまとめている姿だ。真剣ではないが、だらだらとやっているようにも見えない。

 色々知っているからか、俺には、こずえがただ時間を消費するためだけにそうしているように見えた。


 数枚めくってみると、見たかった写真があった。屋上の稲妻、こと告白シーンである。


 盗撮とはいえ、あまり距離が離れていなかったため、こずえの表情がはっきり見える。

 あの時目の当たりにした、まっすぐな顔。頬を赤く染める彼女は、被写体としての魅力に溢れていた。


 ちゃんとした形で撮影したなら、もっと魅力的に撮れるのだろうか。八神の熱意を思えば、花よりも良い写真が生まれるに違いない。俺はそれを見たいと思った。


 まあ、これからそういうこともあるかもしれない。写真同好会に居れば、いつかは見られるだろう。そう思えば、ちょっとは居てやってもいいかと考えるものだ。


 おっと、これでは俺が写真に興味があるみたいじゃないか。俺はただ、本気の写真が見たかっただけで、写真より、変人八神の実力に興味があるだけなのだ。


 この封筒の中身は、全てこずえの写っている写真だった。まったく、これではストーカーである。だから見られたくなかったのだろう。


 まさか、この封筒の山すべてがこずえだったりするのだろうか。それはさすがに引くレベルだが、飛び級の天才少女なんて天然記念物みたいなものだし、気持ちはわからないでもない。


 この熱の入りようは、まさに変人。俺の思っていたとおり、八神はこずえに青春を経験させてくれる存在になることだろう。


 俺は山の上に封筒を戻す。もう一つくらい見てやろうかと物色していると、山の横にあるテープカッターの底がおかしいことに気づいた。持ち上げてみると、そこにも封筒が一つあった。


 隠していたのだろうか。これもこずえなのかと、俺は考えなしに封筒の中身を出した。


「――うわっ!」


 思わず声が出た。一瞬見えたのは刺激的なものだったのだ。

 見てもいいのかと迷いつつも、俺は、なるべく顔の部分だけを見るよう気をつけながら、先頭の写真を取り出した。


 その写真の主役はこずえだった。でも、さっきまでとは毛色が違う。

 写真の面積の半分ほどが黒くなり、中心が歪んだ円になっている。その円の中にこずえがいる。そのこずえは……下着姿だった。


 おそらく、穴を開けた鞄か何かにカメラを入れ、そこから撮影されたものだろう。

 これは、盗撮である。しかも、犯罪として立件されてもおかしくないレベルのものだった。


 軽くペラペラと写真の束をめくると、その端の部分はすべて真っ黒だった。つまり、この束はすべて盗撮写真なのだ。


 俺は封筒を戻し、再びその上にテープカッターを置いた。

 冷静になるように努めながら、今の状況を振り返る。俺がこずえをここに連れてきて、八神と二人きりにさせた。


 とんでもないことをしてしまったのかもしれない。今この瞬間、俺の平穏な日々は崩れ去ったのだった。

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