第一章

第2話 春の雲①

 文化祭も終わった一〇月の下旬。高校入学から約半年、特に大きな事件も起きず、俺は極めて一般的で普通の高校生活を送っていた。

 そう、稲妻が落ちるまでは。


 その稲妻から三夜明けた月曜日、こずえは学校に現れなかった。まあこんなこともあるかと思い、その日の俺は気にしないでいた。


 しかし、こずえが一度も学校に来ないまま金曜日を迎えた日には、さすがに気になってきた。やっぱり、断られたことがショックだったのだろうか。


 でも、付き合えるわけないのでどうしようもない。あれが、最も彼女の人間性を尊重した断りかただったと思っている。

 頭の良い彼女ならきっと納得してくれる。そう信じるしかない。俺はこずえの机を見ながらため息をついた。


「どうしたの?」


 そこに現れたのは、都築つづき勇美いさみという、長居高校での数少ない友人だった。


「ちょっとな。帰るか」

「うん」


 勇美は男をとりこにしそうな笑みを浮かべる。こいつはこう見えても男である。

 ベビーフェイスで背も男にしては低い。性格も朗らかな優男で、趣味はお菓子作りという、男らしさのひとかけらもない、いわゆる男女おとこおんなというやつである。間違いなく変人だ。


 しかし、別に世の中にはこんな男がいたっていいだろう。変人の中では群を抜いて無害である勇美は、高校で初めて仲良くなった友人だった。


「おーい! あたしを置いていく気かー!?」


 すぐに出ていこうとする俺たちの足を止めたのは、加東かとうゆうだ。こいつも俺の友人である。一応。


「お前は帰る方向が違うだろ」

「まだ帰らないでいいじゃん。腹減ったしモック行こうぜ」

「いたっ」


 優は肩を組む形からヘッドロックするように勇美の首に腕を回す。こいつはこれでも女である。

 ひょろりと背が高く細身のスタイルが、男女問わず周りの視線を引き付けてやまない。女のショートカットはよっぽどの美形じゃなければ似合わないと思っているが、優はそのハードルを難なくクリアしている。


 そんな美女なのだが、女性的な魅力が一切ないのは、その粗暴でガサツな性格によるものである。

 男よりも女を好み、セクハラは当たり前で、どこぞの偉い社長よりもその犯行は大胆不敵。きっといつかお縄にかかることだろう。間違いなく変人だった。


 有害ではあるが、こんな性格だからこそ、俺にとって気の置けない友人となっている。

 もちろん、女として意識したこともないし、今後する予定も全くなかった。


「モックねえ。まあ別にいいけど」

「決まりな。勇美もいいだろ?」

「うん。虎太が行くなら」

「はあ? あたしと二人じゃ嫌ってのか?」

「いや、そんなことは……」

「嫌に決まってるだろ。さっさと行くぞ」


 この「お前らの性別逆じゃないか?」と思ってしまう二人が、俺が高校生活において意図せず仕掛けた『変人ホイホイ』に引っかかったやつらである。

 まったく、俺の誘引力は計り知れない。我ながら悲劇的に感心していた。


 三人で教室を出る。モックの新作でも試してみるか、などと考えながら歩いていくと、一人の女生徒に呼び止められた。


「君、ちょっといい?」

「あん? お、八神ちゃんじゃん」


 優の獲物を見つけたような下品な声で、俺も振りかえった。そこにいたのは八神愛守だった。俺の目を見ている辺り、彼女が話しかけたのは俺らしい。


「俺か。なんだ?」

「ちょっと話があるんだけど大丈夫?」


 八神のお伺いを受け、俺は勇美のほうを見る。勇美は無言で口元を緩めながらうなづいた。


「あたしには何も訊かないの?」

「悪いな。後で助けに行くから」

「おい、どういう意味だよ」


 優を無視し、俺は勇美に手を振る。この二人の場合、気を遣うべきは勇美であり、身の危険を感じるのも勇美である。その辺り、普通の男女とは逆だと考えている。

 優と勇美を二人で行動させるのは、とんでもないエロオヤジと大人しい女子高生を一緒にするくらい罪深いことだ。急いでやらねば。


 俺は八神と並んで廊下を少し歩く。周りに人がいなくなると、ようやく八神は要件を切り出した。


「こずえちゃん、今週一度も来てないよね?」


 そのことだろうと思っていた。俺は首肯する。


「フラれたショックで学校に来られないんじゃない? ほら、だから付き合ったらよかったのに」

「そうしたら通報してたんだろう? まあ、どのみち付き合うなんて無理だ。仮に先週の件が原因だとしても、乗り越えてもらわなきゃどうしようもない」


 八神が冗談半分で言っているのはわかっているが、俺はバッサリと否定する。付き合っていたほうがよかった、などという結論は存在しない。

 そもそも、好かれたきっかけもわからない。たかが一〇歳女児だし、恋に恋していただけの可能性も高い。


 学校の先生に告白するようなかわいらしいもの。本来、涙を流すほどのことじゃないはずなのだ。


「こずえちゃんが来ないと物足りないんだよ。ねえ、先生に休んでる理由を訊きに行かない?」

「風邪とでも言われるだけじゃないか?」

「風邪ならお見舞いに行こうよ。君が行けば喜ぶよ、きっと」

「あれがショックだったのなら、むしろ会いたくないと思うぞ。あの子の立場ならそう思わないか?」

「そうかなー?」


 八神は上目遣いで口をとがらせる。それは、普通の男子高校生ならイチコロで惚れてしまいそうな破壊力を誇る。この俺ですら、多少ドキッとしてしまう。


 光を真正面から受けているように輝く美少女。こんな彼女がいれば、高校生活は、きっと一〇年先も忘れられないくらい華やかなものとなるだろう。

 それは理想的な青春だ。


 しかし、変人ホイホイ歴約一六年の俺から見て、こいつはなるべく関わりたくないタイプだった。

 こういった、事件やスキャンダルを好み、何かとアクティブで人を引っ張り回すようなやつは、特別な出来事を呼び込むがリスクも大きい。俺の中学時代は、そうして振り回されて終わったのだ。


 高校での俺は、厄介事には手を出さず、普通の高校生として卒業したい。誰かと付き合うとしても、特別なことなんて何もない、普通の女がいい。俺は、普通の高校生活と普通の青春を望んでいるのだ。


 八神もこずえも、普通とはかけ離れた存在だ。俺は八神に背を向ける。


「そうに決まっている。俺にできるのは、なるべく関わらないようにすることだけだ」

「えー。そんな、もったいない」

「とにかく、俺は友人を待たせている。先生に尋ねるなら、お前ひとりで行ってくれ」


 俺は来た道を戻っていく。少し冷たいかもしれないが、この学校での俺のスタンスはこうなのだ。


「ちょっと君ー!?」


 そんな俺を、アクティブ美少女八神が呼び止める。俺は立ち止まるが、振り向かないでいた。


「君、名前なんていうの?」

「……俺は沢渡虎太だ」

「虎太くんね。覚えとく」


 顔を見なくても、八神がにっこりとほほ笑んでいるのがわかった。

 しかし、モテる女というのは、男子をいきなり下の名前で呼んだりするものなのか。

 これは恐ろしい。俺程度の童貞では簡単に従属させられそうだ。やっぱり、関わらないでいるべきなのだろう。


「それじゃあ」

「うん。またねー」


 俺は後方に向けて手を振りながら、勇美の救出へ向かった。

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