第996話 最後の問い

 数日後。あれからフローネがまた現れないか警戒していたレイ達だったが、その後特に何も起こらず平和な日々を過ごしていた。


 長老様の家にお世話になっているレイの仲間達は、皆が分担して村の警備を行ってレイとレベッカが安心して日々を過ごせるように努めていた。


 何も起こらない平和な日々。

 それは彼らが努力して世界に平和をもたらした結果だ。

 この幸せを決して手放してはならない。


 そんな思いを胸に、レイ達は日々を過ごしていたのだが……。


「……フローネ様に会いに行きましょう」


 レイの姉、ベルフラウはレイとレベッカを含めた皆の前でそう言った。


「レイくんも私も平穏を望んでいるわ。これ以上神様とか魔王とかそんな非日常の人達と関わってしまうといずれその平穏すら失うかもしれない。ならきっぱりと断って、これ以上私達に関わらないようお願いしましょう」


 ベルフラウは今回の件で責任を感じていた。自分の過去の行いが原因で最愛の人であるレイに矛先が向くとは想像していなかったのだ。


「……お願いするのは良いけど、フローネが何処に居るのか分かってるの?」


「それは……」


 ノルンの言葉に、ベルフラウは口を噤んでしまう。

 居場所が分からない相手にどうやって会うつもりなのだろう。

 レイ達はそう思っていたのだが……。


 だが、ベルフラウは思いもしない方法を皆に提示する。


「……方法はあるわ。私の残った神力を全部使って天界に居るはずフローネ様に呼びかけるの。

 それをすれば私は完全に女神としての権能が使えなくなって皆ほど戦えなくなるけど、このまま受動的に待ち続けてるよりはマシだと思う。

 何より次にフローネ様が現れた時に、私達が身動きが取れない状況でレイくんを強引に連れ去られたら手立てが無くなる。それだけは絶対にダメよ」


「姉さん……」


「レイくん。貴方の事は絶対に私が守る。たとえこの身が犠牲になったとしても。私はあなたと家族になるために女神の座を捨てて人間になったのだから」


 ベルフラウはそう決意を胸にして皆に言った。


「でも、フローネ様が私の説得に応じてくれるかは分からない。出来る限りの事はしてみるけど、それでも駄目なら皆に力を貸してほしいの」


「当然でございます、ベルフラウ様。わたくし達の大切な人であるレイ様を渡したりしません」


 ベルフラウの言葉にレベッカが即答する。


「もし向こうか攻撃して来たら返り討ちにしてやりましょう。上位神だがなんだか知りませんが、魔王たちを悉く返り討ちにしてきた私達の敵じゃありませんよ」


 エミリアも頼もしい言葉でベルフラウを元気づける。


「そうね……相手が神様だってのがちょっと引っかかるけど、私達が負けるわけないわ。勿論、話し合いで解決出来ればそれが一番だけどね?」


 カレンもまたエミリアの言葉に同意して、ベルフラウに微笑む。


「皆……」


 自分のワガママの為に戦ってくれる仲間に感謝して、ベルフラウは皆に頭を下げる。


「……ありがとう」


 その日の夜。


 ベルフラウは一人、村の外れにある丘で天界に居るフローネに呼びかける準備をしていた。


「(……私の残りの神力を全て使っても届くかどうか分からないけど……それでも何もしないよりはいい)」


 彼女は自身の魔力を高めて天に向かって祈りを捧げる。


「……フローネ様。私の祈りが届いていますか、ベルフラウです。身勝手にも女神の座を捨てた愚かな身ではありますが、今一度貴女と話をさせてはいただけないでしょうか」


 ベルフラウがそう言うと、彼女を中心に魔力が風の渦のように巻き上がり始める。


「う……っ!」


 彼女は自身の体内にある神力を限界まで引き出す。フローネに自分の声が届くように。


「……始まったわね」

「……うん」


 ベルフラウが天界へとの交信を行っていた時、彼女の集中力を乱さないように仲間達が近くに待機して彼女を見守っていた。


「ノルン、姉さんのやろうとしてる方法で本当に呼び出せるの?」


 レイはこの中で最も神と接点のあるノルンに質問をする。するとノルンは少しだけ不安気な表情を見せつつもレイに答える。


「神というのは縁を大事にする存在でね。多数の人間が神に祈ることで縁を辿り神に声を届ける事が出来る。今、彼女がやってるのはそれと同じ。

 元々、彼女とフローネという女神は縁が出来ていたし、ベルフラウの纏う神力を使えば、本来なら数百~数千の人間の祈りが必要でも省略してフローネと交信することは可能なはずよ」


「そうなんだ……」


 レイは神界の事は分からないので、ノルンの話を素直に受け入れる。


「……ただ、彼女の祈りが届いたとしても、それにフローネが応じるかは別の話ね。あちらがこちらの事情など介さずに、交信を無視すれば彼女の祈りは全て無駄になってしまう」


「そんな……! あれほどベルフラウ様が一生懸命になさっているのに……!」


 ノルンの言葉にレベッカが抗議の声を上げる。


「落ち着いてレベッカ。僕も同じ気持ちだけど、今は姉さんを信じて待とう」


 レイはレベッカを落ち着かせようと彼女を宥める。そしてベルフラウの祈りの様子を見守るのだった。


 それから一時間後……。


「―――見て、上空に光が」


 ノルンの言葉にレイ達はベルフラウが祈りを捧げている方向に視線を向ける。


 するとそこには……。


「光? 確かに空に光の筋みたいなのが見えるけど、ここからじゃ角度が悪くて何が起こってるのか分からないわ」


 カレンの言った通り、レイ達にも空に漂う薄い光のラインのような物しか見えない。


 おそらく何かが起ってるのは事実なのだろうが、フローネ様が現れたかどうかはもう少し近づいてみないと分からないだろう。


「ちょっと近づいてみますか?」


「私が竜に変身すればすぐに行けるけど……」


 エミリアとルナはレイにそう提案する。

 しかし、レイはすぐに動こうとは思わなかった。


「(姉さんは出来る限り説得してみると言ってた。今、僕達が隠れていることがバレてしまったら否応なしに説得が失敗してしまう可能性がある。姉さんの気持ちを無駄にしないためにも、ここは……)」


 レイは自分達の存在を勘付かれないように、行動を起こすことにした。


「ここは隠れながら近づこう。もし姉さんの身に何かあっても助けられるように……」


 フローネがベルフラウに手出しすることはないと思いたい。


 レイはそう信じているが、現状では彼女がベルフラウに敵対しないとは言い切れない。


 だから、レイはベルフラウの事が心配だった。


「じゃあ、ちっちゃいドラゴンに変身するからこっそり行こうか?」


「お願いできるかな、ルナ」


「はいはーい、待っててね。……むむむ……<竜化>」


 ルナが呪文を詠唱すると、彼女の体が光に包まれると徐々に輪郭が大きくなっていき小型ドラゴンの姿へと変わる。


『どう? サクライくん?』


「うん、これなら……ただ全員運ぶのは無理そうだね。レベッカとカレンさんとノルンはルナの背中に乗って。僕とアカメとエミリアは飛行魔法を使って行こう」


「了解です」


「ん……」


 エミリアはレイの言葉に素直に頷き、アカメは端的に首を動かして自前の翼で空に浮かびあがる。そうしてレイ達は、フローネに気配を悟られないように近づいていくのだった。


 一方、ベルフラウの方は――


「フローネ様……」


 ベルフラウの必死の祈りが届いたのだろうか。


 ベルフラウの前にはフローネが地面から数メートル離れた場所に現れた。


 だが、フローネはベルフラウの呼びかけに答えることなく、冷ややかなで彼女を見下ろしている。


 以前に会った時はそんな雰囲気を感じさせなかったが、やはり自分が身勝手に女神を辞めた事を怒っているのだろうか。


 ベルフラウは未熟だったころに彼女に散々叱られた事を思い出して若干萎縮していた。


「貴女に呼び出されるなんてね……私はこれでも忙しいのだけど、何の用かしら」


「……お怒りはごもっともです、フローネ様。身勝手な願いで貴女を失望させた私の事を怒っているんのですよね」


「……」


 フローネはベルフラウに何を言われても無言だった。


「ですが、今一度私を聞いてください! 私は女神の座から降りて何もかも無くした今、彼だけが私の全てなんです……!

 だから……私から彼を取り上げないでください……彼を……人間のままでいさせてください……!」


 ベルフラウは頭を下げて必死に懇願する。それは彼女にとって全てを犠牲にしてでも守りたいものだった。今の彼女は仮に自分の命を代償としてもレイを助けたいと思っているだろう。


 その熱意と覚悟を感じ取ったのか、フローネはようやく口を開いた。


「……ベルフラウ」

「!……はい」


 名前を呼ばれたベルフラウはゆっくりと頭を上げて前を向く。


「確かに、私は貴女が突然女神を辞めて彼と一緒に地上に残ると聞いて憤慨した。

 あの星……貴女が命を賭して救った星を眺めて、私は貴女のその信念と覚悟を見込んで神として生まれ変わらせた。

 貴女ならば女神としても一人前に役目を果たすだろう……そう確信して貴女を手塩にかけて育てたつもり……だった」


 ”だった”という過去形の言葉を聞いて、ベルフラウは更に表情を曇らせて顔をもたげる。


「……本当に……ごめんなさい……」


「謝罪はもう口にしなくていいわ。私が貴女に期待を賭けすぎたのも理由かもしれない。思えば、貴女は私の助手としての仕事をしている最中、殆ど笑う事が無くなっていた。

 貴女が居なくなってから、ようやくその事に気付いたのよ。馬鹿よね……貴女よりも数千年長く生きているというのに、そんな事すら気付けないなんて……」


 フローネは自嘲気味にベルフラウに言う。


「そんな事はありません……! 私は貴女から沢山の事を学びました! 神としての在り方も、人を愛すことだって……!

 自分でも理解しているんです。私は彼を理由にして、自分の責務から逃れようとしたと……。だけど、今の私は……っ!」


「ベルフラウ……」


 フローネはベルフラウに近づき彼女の頬に手を当てる。すると、その手が光り輝いた。


「えっ……?」


「……今の貴女の想いに嘘偽りはないと信じる。だから、私も真摯に応える」


 フローネはそう言って手を下げると光も消えてなくなる。


「これで残った神力も完全に消えて貴女は正真正銘の人間になったわ。神として停滞していた時も人間と同じように動き出す……これ以上、神の責務に悩む必要はない……」


「フローネ様……ですが、彼は……」


「……貴女が彼と共に時間を過ごしたいという気持ちは理解出来た。……本当の事を言うわね。私もあなた達の絆を引き裂いて、彼を強引に神に仕立て上げるのは乗り気じゃないの」


「……で、では……フローネ様……!」


「……でも、それは私の感情としての話。

 貴女も分かっているでしょう、神としての責務がどれだけ重いか。その責務に耐えられる人間を選定することは、未来をどれほど左右するか。

 貴女が神の責務の重みに押しつぶされて摩耗していったように、私もいずれそうなる……。それまでに、私は正しい神となるべき人間を選定しないといけないの」


「……それが、レイくん……だと?」


「……ええ。今のところ彼がもっとも適任だと思う。

 神に必要なのは、自身の感情を抑えて自分を犠牲にしてでも他人の事を理解できる人。そしていざというときの合理的な判断を行える人。そしてそれを自分の中に圧し留めても壊れることが無い人。

 勿論、今の彼に至らない部分は沢山あるけど、それはこれから少しずつ育ててあげればいい。貴女の時のように急ぐことはない。……私の心の寿命が尽きるまで焦らずにゆっくりとね」


 フローネはレイに対しての評価をベルフラウに話す。


「……でも、もし彼が神になる事を望まなかったら? 彼の意思を尊重しないのですか?」


「……そうね。今一度、彼に聞いてみましょうか」


 フローネはそう言うと、ベルフラウから離れる。


 そして、フローネはベルフラウから視線を外して通る声で言った。


「聞いているのでしょう、桜井鈴くん。貴方の言葉、もう一度聞かせてくれない?」


「……」


 ベルフラウはフローネの言葉を聞いて、彼女の視線の先に視線を移す。そこにはレイの姿があった。レイだけではない。彼女を心配して付いてきた仲間達全員の姿があった。


「レイくん……それに皆……」


「姉さん、ありがとう。凄く頑張って説得してくれたのをずっと聞いてたよ」


「……ごめん、それでも私……」


 ……自分では説得しきれなかった。と、ベルフラウは心の中で思った。


「分かってる、ありがとう姉さん……。姉さんは凄く頑張った。だから……今度は僕達が頑張る番」


 レイはそう言ってベルフラウの隣に歩いてくる。そして、彼と並び立つように仲間達もベルフラウの隣に並んだ。


「……こんにちは、フローネ様」


「ええ……こんにちは、桜井鈴くん。

 ……本当はこんなことじゃなくてもっと楽しい話をしたいのだけど……単刀直入にもう一度訊くわね。

 ……私と一緒に、天界で神様にならない? ……これが最後の質問よ」


 フローネはレイに最後の質問を投げかけた。


「……」


 レイは目を閉じて考える。

 そして……彼はゆっくりと目を開いて、フローネに答えた。


「……僕は神様になるつもりはありません」


「……そう。うん……やっぱり答えは変わらないわよね……」


 フローネの顔に驚きは一切無い。初めからレイの答えは予想出来ていた。


 フローネは目を瞑って自身の考えを纏める。そして、フローネは次元転移を使用してエミリアから奪ったとんがり帽子を取り出す。


「あ、それは!」

「返すわ、この帽子」


 フローネはそう言いながらエミリアに向かって彼女のとんがり帽子を投げ渡す。エミリアは慌ててその帽子を追いかけて自身の杖で引っ掛け、拾い上げて自分の頭に被り直す。


「突然、何のつもりですか?」


 彼女の突然の行動にエミリアは怪訝な表情を浮かべて睨みつける。


 フローネは彼女の質問に答えずに、目を瞑り意識を埋没させる。


「(……主神様……申し訳ありません……)」


 フローネは心の中で自身の仕える存在に謝罪する。だが、それは自分の任務が遂行出来なかったことへの謝罪では無かった。


 次の瞬間―――


「――<次元転移>」


 フローネがそう口にした瞬間、フローネを含めたここに居る全員の姿が瞬時に搔き消えた。

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