第938話 悪戯
カレンの誤解を解くのに五分程時間を要した。
そして、ようやくまともに会話が出来るようになった。
「それでカレンさん。リーサさんに本当の事を言わないの?」
「本当のこと?」
「その……リーサさんがカレンさんの本当のお母さんって話だよ。……記憶、戻ってるんだよね?」
僕がそう質問すると、カレンさんが物凄い驚いた顔をする。
「私とリーサの関係の事。知ってたの……?」
「ティータイムの時、カレンさんが口にしてたよ? 『私とリーサは本当の親子なのに』って」
僕がそう言うとカレンさんは自分の口を抑えて「しまった」と口にする。
「声出したつもりは無かったんだけど……」
「口の動きで大体推測したんだよ」
「えっ」
カレンさんが口をパクパクと動かしながら声を上げている。
どうやら僕がそのような事にまで気が付くとは思っていなかったらしい。
「ずっと前に王立図書館で読んだ本に、そんな描写があったから」
「ああ……なるほど」
カレンさんが納得して頷いた。ちなみに『誰でも出来る読唇術』というタイトルだった。
エミリアやレベッカがよく僕の顔を見ただけで考えていることを見透かされた経験があるので悔しくて自分もやり返してやろうと思ったのだ。
といっても全て口の動きで理解したわけじゃない。元々知ってたから、カレンさんが途中まで言い掛けた言葉と口の動きで何となく脳内補完出来たに過ぎない。
知らなければ多分何を口にしたのか判断は出来なかっただろう。
「そっか……知られちゃったか……」
「やっぱり、今のご両親に気を遣ってるから……?」
「それは当然よ。お義父様とお義母様には幼少の頃に拾われて、以降ずっと私の事を大切にしてくれたもの。……ただ、勿論それだけが理由じゃないのだけどね」
カレンさんはそう言って静まり返ってしまう。
「……」
僕はカレンさんが語らない『理由』を自分なりに推測して質問をぶつけてみる。
「……言っても信じてもらえないから?」
「……それもあるわ」
「それ以外の理由というと……」
「信じてもらえないくらいならまだいいわよ。問題は拒絶された時」
「拒絶?」
「そう。拒絶されて嫌われたりしたら嫌でしょう?」
「………」
リーサさんがカレンさんを嫌いになるなんてことはまずあり得ない。
カレンさんが自分の娘だった頃の記憶が無くても、カレンさんのお世話係のメイドさんとしてずっと二人は仲良く接していたのだ。
家族としての記憶があやふやになっていたとしても、二人には十年以上かけて再び紡いだ絆がある。
少なくとも彼女なら「もう、カレンお嬢様ったら。そのような冗談を仰られてリーサを揶揄わないでください」と笑顔で微笑んでくれると思う。
「……」
……だけど、もしそうならなかったら?
カレンさんはその最悪な事態を想像して怖くなってしまったのではないだろうか?
そして、カレンさんは本当の気持ちを伝えられなくなってしまった。
「……カレンさん。これは僕が勝手に思い込んでる事だけど……」
「?」
「……ティータイムの時、カレンさんは自分の悩みを誰かに聞いてほしくて、わざと僕の前であんな風に口にしたんじゃないかな?」
「……っ」
僕の質問に、カレンさんは痛いところを突かれたかのような表情をして固まった。
「ごめんなさい……」
そして暫くしてからカレンさんが口を開く。
「……誰にも言えなくて、でも誰かに聞いて貰わないと不安だったのよ……そうしないと、私の思い出した記憶がただの都合のいい願望じゃないかと考えてしまうから……」
「……」
カレンさんはそう言って窓から空を見上げる。だけどその目は空を見てはいなかった。
彼女は空を眺めながらかつての記憶の再確認しているのだろう。その記憶が本当に正しいものなのか、それともただの自己願望なのか、彼女自身もあやふやなのだ。
「私が思い出した記憶ってのも本当に断片的でね……。
今とは全然違う場所で、若い姿のリーサと……若い男性……多分、私の本当のお父さんね。……幼い私が二人に我儘を言って困らせたり、遊んでもらったりとか……その程度の記憶しかないのよ。
でも、それでも私は二人が本当の両親だと確信してるの……証拠なんて何もないけど……それでも、本当の記憶だと思う」
「……そこまで確信してるのなら……」
「……でも、例えそれが本当だとしても、記憶喪失の彼女に伝わるかどうかは分からないでしょ? 記憶喪失の人に言って無理に思い出させようとして体調を崩すこともあるらしいし……」
「……」
カレンさんの言葉に僕は反論出来ない。
カレンさんの言う通り、記憶喪失は精神疾患の症例。完全な回復をしない状況では信憑性のある情報も害を為す事もあるかもしれないのだ。
そういう話を昔テレビで聞いたことがある。真実かどうかは分からないが無い話ではない。
「ただね、私も諦めてるわけじゃないのよ」
それまで沈んだ表情と声だったカレンさんはだったが、この台詞を口にした時だけは明るい声だった。
「それって?」
「記憶喪失って、何かのきっかけで突然思い出すことがあるってお医者さんに聞いたことがあるのよ。事実、私だってそうだったし……。きっとリーサにだってある筈なのよ」
「……そうだね」
「そうでしょ。だから私は、いつかその日がくるまで、今まで通りの記憶を持った今の私のままでリーサと接するつもりよ」
そう語るカレンさんは笑顔の表情だった。
自然な笑みではなく、彼女努めてそういう表情を作っているのは、普段から彼女と接している自分には分かってしまう。
しかし、決して絶望しているわけでもなく諦めているわけではない。
それが何年後になるかは分からないけど、それでもいつかはリーサさんに本当の自分の記憶を共有したい。そんな確固たる意志が彼女にはある。
「(……どうやら、余計なお世話だったみたいだ)」
カレンさんとリーサさんの関係をなんとか修復したいと思っていたけど、カレンさんはとっくに覚悟は出来ていたのだ。
だとするなら、僕がこれ以上お節介をする話じゃない。
僕に出来ることがあるとすれば、二人の友人として何かあった時は支えてあげる事だろう。
彼女達の関係が壊れないようにいつも見守って、もし危うくなったら颯爽と現れて解決してあげるのだ。
自分にそれが出来るかどうかは置いといて……いや、必ず助けになってあげないといけない。
きっとそれが、このデリケートな話に深く関わろうとした僕の責務なのだと思う。
そう結論を出して僕は席を立ち、カレンさんに微笑んだ。
「カレンさん、教えてくれてありがとう」
僕が笑顔で感謝の言葉を告げると、彼女は朗らかな表情で口を開いた。
「こっちこそ聞いてくれてありがとね」
そう言いカレンさんはニコリと微笑むのだった。その表情に悲しみや失意は無い。彼女はいつか訪れる幸福な未来を確信しているのだ。
それが分かっただけでもカレンさんと話をする価値があった。
そして、僕は部屋の入口まで移動し、カレンさんに別れを告げて部屋を出ようとするのだが―――
「……ね、カレンさん。それならちょっとした冗談くらいなら問題ないよね?」
「え?」
……せめて、このくらいなら大丈夫だろう。そう思い、僕はほんの悪戯心でカレンさんにそう囁くのだった。
―――それから1時間後の夕食の時。
「ねえ、リーサおかーさん。この料理美味しいから御代わりもらってもいい?」
「うふふ、なんですかカレンお嬢様。私がお母さんみたいに世話を焼くからって子供になってどうするんですか~? もう、そんな甘える歳でもないでしょうに~」
「むぅ……私はまだまだ女の子なのよ……まだまだリーサに甘えたいわ」
先程の会話がまるで無かったかのように振る舞うカレンさんと、そのカレンさんの冗談に楽しそうに付き合うリーサさんの姿があった。
カレンさん囁いた
「二人とも、楽しそうねぇ」
「……ああしてると、本当の親子みたいで和みますね」
一緒に食事をしていた姉さんとエミリアは、仲睦まじい二人を見て和んでいた。
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