第906話 猫ちゃんの正体

 ノルンの部屋でミーアとの甘いひとときを堪能した後、ノルンにお礼を言ってからミーアを連れて彼女の部屋を出る。


 すると、廊下に見覚えのある人物が立っており、こちらに気がついて近づいてくる。


「カレンさん? どうしたの?」


「あ、レイ君。無事だったのね、良かった……」


「え、無事?」


 妙な事を言うカレンさんに疑問を感じていると、カレンさんは猫のミーアに厳しい視線を向ける。


 まるで魔物を見るような目で睨みつけるカレンさんに、ミーアも反射的に警戒心を剥き出して「シャー」と唸りながら威嚇を始める。


「レイ君、その猫、もしかしたら魔物が化けてるかもしれない」

「へ?」


 魔物?


 カレンさんの思いも寄らない台詞に僕は間の抜けた声を上げていると、彼女は真剣な眼差しでミーアを睨みつけながら言った。


「さっき、私が能力透視を使おうとしたらその子走り出したじゃない。正体がバレると思って逃げ出した可能性が大いにあるわ」


「いや、カレンさんが突然魔法使おうとしたから驚いて逃げただけじゃないかな」


「他にも根拠はあるわ。レイ君の話だと、この子神出鬼没でいきなり現れるんでしょ?

 しかも他の人に気配を悟られずにレイ君だけに姿を現して、レイ君でも気が付かないうちに姿を晦ませる……魔王ならまだしも、勇者のレイ君を謀るほどの猫なんて考えられない。

 おそらく何らかの魔法や技能を行使してるのよ。もしかしたら魔王軍の残党かもしれないわ!(キリッ)」


 ドヤ顔しながら腰に手を当てているカレンさん。カレンさんはきっと真面目に考えて言ってるんだろうけど、何だろうか……この上なく的外れな事言ってる気がする……。


「うーーん……それは考えて全然考えてなかったけど……」


「でしょ?」


「でもこの子、僕に対して全然攻撃とかしてこないよ? たまに機嫌が悪い事あるけど、しばらく遊んであげると機嫌が良くなってすごく甘えてくるし」


「油断を誘ってるだけかもしれないじゃない。レイ君が完全に油断しきって隙を見せた瞬間、正体を現して毒牙を剥けてくるかもしれないわ」


「僕、この子と一緒にお昼寝したりお風呂入ったりもしてるし……」


「お、お風呂……羨ましい……じゃなくて!」


 カレンさんが表情をクルクル変えながら狼狽えていると、ミーアは落ち着いた様子で僕に何かを訴える。そしてそのままトコトコと廊下を歩き出す。


「ミーア?」


「ほら見て、レイ君。あの猫はきっと私たちを罠に誘うつもりよ。やっぱり油断できないわ」


「カレンさん、なんか変な物でも食べたの?」


「私は正常よ。至って正常、確かに……今、レイ君に冷静な口調で諭されて自信が無くなってきてるけど、私の冒険者としての勘が言ってるのよ。その猫は何かを隠してるって!」


「そうかな……」


 カレンさんの言葉に首を傾げながら、僕とカレンさんはミーアの後を追う。


 彼女の推測を信じるわけじゃないが、確かにミーアの事については引っかかる所はあった。


 普段何処に隠れているのか分からないが、僕は部屋に籠って勉強の疲れを感じ始めるとタイミングよく現れるし、まるで僕の言葉が理解しているかのような行動をとった事もある。


 今まで疑った事は無いが、もしかしたら不思議な力を持っている生き物なのかもしれない。


「だけど、カレンさん」


「何?」


「仮にミーアが本当の猫じゃなくても、あの子は悪い子じゃないよ」


「どうして言い切れるの?」


「あの子からは、皆が僕に向けてくれるような愛情を感じてるから」


「愛情って……そんな……」


 カレンさんはそう言いながら顔を赤らめて足を止める。同時に、前を歩くミーアも足を止めてこちらを振り向いた。


「随分前にカレンさんに言わなかったっけ。僕、元居た世界ではずっと家に引き籠ってて、いつも両親に迷惑を掛けてたんだ」


「えーっと、随分前にそんな話してたわね。その時にレイ君の世界の話を色々訊いた気がするわ」


「うん。でも、僕のお母さんとお父さんはいつも優しかった。その優しさはカレンさんを含めた皆からも伝わってくるし……ミーアからも伝わってくる」


「そうなの?」


 カレンさんは半信半疑な様子で僕の顔を覗きこむ。


「だから、この子は絶対に敵にならないよ。カレンさんが心配するような事は何も無い」


「そ、そうは言ってもね……」


 カレンさんはそう言って不安そうにミーアを睨む。僕はミーアに近付いてそのモフモフの身体を撫で回す。


「みゃっ」


「仮にミーアが実は別の生き物で、理由があって姿を変えてたとしても受け入れるよ。……もし中身が滅茶苦茶グロデスクな生き物だったら流石に引くけど……」


「みゃ……みゃー……」


「こんな風に抱っこしても……って、あれ」


 そんな風に言いながら僕がミーアを抱き上げようとすると、何故かミーアはスルリと僕の腕をすり抜けてあっという間に廊下の奥に去っていってしまった。


「あー、逃げちゃった……つまんない話しちゃったせいかな……」


「……レイ君の話を聞いて、やっぱり私の思い過ごしだったのかもしれないわ」


 カレンさんはそう言いながら僕に頭を下げる。


「冷静に考えたら猫が魔王軍のスパイとか考えるなんてどうかしてた……あの猫から妙な感じがしたからつい……ごめんなさい」


「気にしないで大丈夫だよ。別に怒ってないし真に受けたわけでもないから。じゃあ、僕はもう行くね。あの子を連れてきた犯人を捜している途中だったから」


「ええ、私も部屋に戻るわ」


「おやすみなさい」


 僕はそう言ってカレンさんと別れると、ミーアを追って足早に歩き始めた。すると……。


「みゃあー」


 ミーアの声がして僕は振り返る。すると、こちらをジッと見つめていたミーアと視線が合う。ミーアはそのまま僕に後ろを向いてゆっくりと歩きだした。


 そして、ミーアが向かった先は……エミリアの部屋のドアの前だった。


「みゃっ、みゃっ!」


 ミーアはドアを開けたいのか、小さな身体を目一杯使いながらドアを前足でトントンと叩く。僕は慌ててそのドアに近づいてドアノブを回すと、やはりカギが掛かっておらずすんなりと開いた。


「ミーア、この部屋に入りたいの?」

「みゃ」


 僕の質問を肯定する様に、ミーアは短く鳴き声を発して部屋の中に入って奥に向かっていく。僕は周りに誰も居ない事を確認してからミーアの後を追って、内側からドアを閉めた。


 ミーアはエミリアのベッドまで移動してその上に飛び乗る。すると―――


「え」


 突然、ミーアの身体から煙が噴き出して、ボワンと人影が現れた。


 そしてその姿は―――


「……え」


 その姿は、特徴的なとんがり帽子を被り、黒髪黒目で細身の端麗な容姿の美少女……エミリアその人だった。


「え、エミリア!?」

「……あ、その……はい……なんというか……」


 エミリアは気まずそうにもぞもぞしながら消えそうな声で喋り始める。


「さ、最初はその……レイが寂しそうにしてたので、軽い冗談のつもりで猫に変身してイタズラするつもりだったんですが、正体を明かすタイミングを逃しちゃって……その……ごめんなさい!!」


「」

 エミリアの突然のカミングアウトに思考がフリーズした。


 そして暫くフリーズしてから気を取り直した僕は、申し訳なさそうに頭を下げるエミリアに近づいて、軽くデコピンをした。


「っう……!」


 エミリアは軽い痛みに声を上げながらおでこを抑えて蹲る。


「だ、大丈夫?」

「痛い……」


 僕は彼女の額に手を当てて<応急処置>ファーストエイドの魔法を発動させる。そして、彼女の痛みが引いてきた所で魔法を止めて彼女の額から手を放す。


「これでエミリアが僕を騙していたことはチャラってことで……」


「お、怒ってないんですか?」


 エミリアは若干涙目になりながら上目遣いでそう僕に問う。


「ミーアの正体がエミリアって事には衝撃を受けたけど……実際の所、ミーアを遊んでた時はずっと癒して貰えてたし、怒ってはいないよ」


「じゃ、じゃあ何でデコピンしたんですか?」


「もう少し早く教えてくれれば良かったのになっていう八つ当たり。謝罪してくれたし、これ以上何か言うつもりはないよ」


「ほっ……そうですか……。さっきはカレンに疑われそうになって、もう限界かなーと思って、このまま正体を隠したままフェードアウトしようか迷ってたんですが……」


「なんでそうしなかったの?」


「レイが『ミーアが何か理由があって姿を変えてたとしても受け入れる』って言ってくれたので、正直に打ち明けようかと……」


「あー……なるほど」


「幻滅しました?」


 不安そうな顔になるエミリアに僕は安心させるように笑いながら口を開く。


「ぜんぜん。むしろ嬉しかったよ」

「え」


 そんな僕の発言に彼女は動揺の表情を見せる。


「ミーアが僕に懐いてくれてたのは、エミリアが僕に向けてくれた好意だって分かったから」


「っ!!」


 僕の言葉を受けたエミリアの顔が一瞬で真っ赤になる。


「あ、いや……その……」


「ミーア?」


「みゃっ?」


 ・・・・・・・・。


「(はっ!!)」


 エミリアは僕にミーアを呼ばれたことで、ミーアの鳴き声で返事を返してしまったようだが、すぐに正気を取り戻す。


 そしてエミリアは僕の満面の笑みを見て更に赤面してしまう。


「ごめん、ちょっとしたイタズラよ」


「~~~!! 騙して悪かったとは思ってますけど、流石に酷いですよ!!」


「あははっ……でもエミリアの猫の鳴き声かわいかったよ」


「っっ!! もう知りません!!」


 そう言って怒ったエミリアはツンツンした態度で、僕に背中を向けてしまった。


 そんな彼女の様子を見て僕は「ゴメンね、ミーア」と呟いた。


 しかし、次の瞬間にエミリアは、


「みゃん?」


 ……と、再びミーアの鳴き声を発した。


「……」「……」


 どうやら、今まで猫として過ごしたせいで、彼女は猫の名前を呼ばれると反射的に「ミーア」の鳴き声が出る癖が付いたようだ。


「エミリア……」


「……レイのバカ」


 そんなやり取りをしながら、僕とエミリアは笑い合うのだった。

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