第873話 浮気するレイくん②

 次の日の夜。


 レイが再び勉強に勤しんでいると、部屋の中に小さな影が現れる。


「ん? あれ、君は……」


 レイが机から視線を上げると、そこには昨日の猫がちょこんと座っていた。その猫は、まるで「また来たよ」と言わんばかりに尻尾をゆらゆらと揺らしている。


「キミ、また来てくれたんだね~」


 その愛らしい外見に思わず頬が緩んだレイは、掛けていた眼鏡を外して猫の頭を優しく撫でる。今外した眼鏡を机に戻し、参考書とノートを本棚に仕舞うと、猫を抱え上げて膝の上に乗せた。


「ごめんね~、今は勉強中で構ってあげられないんだよ」


「みゃあぁ?」


 レイがそういうと、猫は不思議そうに首を傾げる。レイが猫の耳元を指でくすぐるように撫でると、その猫は目を閉じて「みゃみゃぁ~」と少し迷惑そうな声をだす。


「あはは、ごめんね~。キミももっと構ってほしいよねぇ」


 猫はゴロゴロと喉を鳴らしながらレイに甘えてくる。彼はその猫の仕草が可愛くて仕方がなかった。


「ところでキミ、何処から入ってきたの? 部屋の窓から?」


「みゃ?」


「ね、もしキミに他の主人が居ないのなら、僕達と一緒にここで暮らさない? 他の皆も優しい子ばかりだし、外でご飯を食べるよりここに居た方がずっと美味しいものを用意してあげられるよ?」


「みゅ~?」


「えっと、猫って何が好物なんだっけ……? 猫缶とかチュールとか……。あれ、この世界に猫缶やチュールってあるのかな? ……困ったぞ……姉さん、猫が好きなもの知ってるかなぁ……?」


 レイがそんな事を考えていると、膝の上に乗っていた猫が突然モゾモゾと動き出す。


「みゃっ!」


 猫の前足が僕の肩を掴むように伸ばされ、そのまま猫の顔が僕の顔に近付いてくる。そして、偶然にも猫の口元と僕の唇が一瞬触れてしまう。


「わっ、何するのさ……! あはは……イタズラっ子だなぁ、この子は……」


 女の子相手ならともかく、猫にキスされてもなぁ……。僕はそう思いながら猫に唇を舐められた部分を舌で舐めながら、猫を両手で抱きしめる。


「そうだ、皆にキミを紹介しないとね」


 僕は猫を片手で抱っこして立ち上がり、自室の扉を開けて外に出る。しかし猫がスルリと僕の手からすり抜けて、廊下を素早く走り去ってそのまま階段を駆け下りてしまった。


「あ、待ってよ……!」


 僕は慌てて猫を追いかけるが、猫の俊敏さには流石に敵わずに僕は遅れて一階へ降りていった。


 ◆◇◆


「……おや?」


 その時、一階のロビーを歩いていたレベッカは、階段を駆け下りてきた猫と偶然に遭遇してしまう。 


「みゃ~っ!!」


「……これは、可愛らしいねこ様でございますね……。ですが、何故、二階から降りてこられたのでしょうか……?」


 レベッカは疑問に思いながらも、その猫を近づいていく。しかし、近づいてくるレベッカを見た猫は足を止めて何故か後退ってしまう。


 そこに追いかけてきたレイが猫の身体を後ろから持ち上げた。


「ほら、暴れないの~」


「みゃっ!?」


 猫はレイに持ち上げられて驚いたのか、ジタバタと暴れるが、レイが腕の中で抱きしめて頭を撫でると少し大人しくなる。


「ふふふ、レイ様に随分と懐いておられるのですね」


「あ、レベッカ。もしかしてこの子を捕まえてくれたの?」


「いえ、偶然ここに居ただけなのですが……しかし、レイ様がねこ様を飼っていらっしゃるとは知りませんでした」


「いや、飼ってるわけじゃないんだ。何処かから迷い込んで入ってきたと思うんだけど……」


「そうでございましたか。随分と懐いておられるのでてっきりレイ様がわたくしどもに内緒で密かに匿っておられたのかと……」


 レベッカはそう言いながらレイに近付き、レイが抱えている猫の頭を撫でる。


「……んみゃー」


「しかし、とても愛らしいねこ様でございますね……くりくりの大きなおめめがキュートでございます」


「うん、しかもこの子可愛いだけじゃなくてすっごい甘えん坊なんだよ? 宿主さんに話して許可さえもらえれば、ここに住まわせてもらおうかなって思ってるんだ」


「ふむ……このねこ様の名前は決まっておられるのですか?」


「いや、まだだけど……」


「そうでございますか……しかし、このねこ様……どこかで感じた事のある気配が……」


「??」


 レベッカが何故か猫をじっと見ながらブツブツと独り言を呟いているので、レイは不思議そうにレベッカを見つめる。


「あ……いえ、何でもございません」


「……そっか? あ、そうだ。レベッカはこの子の名前は何が良いと思う?」


「ふむ、レイ様はどのような名を考えておられるのですか?」


「僕? ……うーん、何となく女の子っぽい気がするから、それっぽい名前が良いかなぁ……ミーアとかウーサとか?」


「女の子なのですか?」


「あはは、違うかもだけどね。さっき、この子、僕にキスしてきたからそうなのかなってさ」


「…………ふむ?」

「……」


 何故か猫はレベッカの視線から逃れるようにレイの胸元に顔を埋めて黙ってしまう。


「あれ、どうしたの?」


「……ふむ、レイ様。わたくし、そのねこ様の名前を思い付いてしまいました」


「そうなの?」


「はい。……『ねこエミリアさま』という名前で如何でしょうか?」


「んみゃ!?」


 レイの腕に抱きかかえられた猫は、その名前を聞いてビクリと反応する。だが、その事に気付かなかったレイはレベッカの思い付いた名前を聞いて笑う。


「あはは、それじゃあ人の方のエミリアと名前が被っちゃうよ」


「ふふふ、わたくしとしたことが忘れておりました」


「あはははは」


「ふふ……」


「……みゃー」


 レイとレベッカが楽しそうに会話している様子を猫はどこか疲れた様子で見ていた。そしてしばらく話をしていると、また猫がスルッとレイの腕からすり抜けて宿の外に逃げてしまった。


「あー! また逃げちゃったよ……」


「まぁまぁレイ様。もしかしたらエミリア様……じゃなくて、ねこ様にも事情があるのかもしれませんし、ここはしばし様子を見ましょう」


「事情? 猫に?」


「はい。例えば……………魔法の効果時間が切れてしまったとか」


「魔法?」


「いえ、こちらの独り言でございます。それではレイ様、わたくしも用事が出来ましたのでそろそろ戻らせて頂きますね」


「あ、うん」


 レイが返事をすると、レベッカは何故か自室の方ではなく、猫が逃げた外へとそそくさと走り出していった。


「……なんだったんだろう?」


 レベッカの行動に疑問を持ったレイは、首を傾げながら部屋に戻る。

 そして、その夜。彼が寝るまで猫が戻ってくる事はなかった。

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