第872話 浮気するレイくん①

 アカメが王都で暮らすようになってから、早いものでもう三週間ほど経つ。


 最初の方は、アカメは以前までの自分の行いを気にして、仲間達との交流すら避けていたようだったが、時間経つごとに少しずつ打ち解けていった。彼女が僕の妹ということで、仲間達が彼女が輪に入れるように気遣ってくれていたのは勿論だが、特にルナはアカメによく話しかけてくれていた。


「アカメちゃん、今日は一緒にお買い物に行かない?」


「行く」


「やった! それじゃあ準備して行こっか!」 


 ルナは嬉しそうにそう笑い、アカメは表情を緩めて二階に上がっていく。


「あの二人、随分と仲が良さそうですね」


「だね」


 エミリアの呟きに同意して頷く。


「ふむ、ルナ様はお優しい方でございますから、人の暮らしに不慣れなアカメ様を気遣っておられるのでしょう。アカメ様もルナ様を信頼されているようですし、とても喜ばしいです」


「そうだね。アカメも以前よりも表情が豊かになった気がするし、良い傾向だと思う」


 僕はレベッカの言葉にそう言って頷く。以前のアカメは僕以外の仲間と会話する時は、少し間を置いて返事をして少し素っ気ない態度ばかりだった。


 行動する時も、仲間と話す時も、大体僕が近くに居ないと彼女は動こうとしなかった。自分の部屋が用意されても丸一日僕の部屋に入り浸って、たまに夜も僕のベッドに潜り込んできたりもした。だが今は前よりも積極的に会話に参加出来ているように見えるし、外出の時も以前と比較して堂々としている。


 敵だった頃の彼女は、仲間達が語る内容によると、冷酷で底が見えない強さと、底知れぬ殺意を兼ね備えた敵だったらしい。


 少なくとも僕の前では、敵だった頃でもそんな殺意を向けられた覚えがない、だから言い過ぎではないかと思うのだが、今は余計にそんな風には思えなかった。


 ご飯の時間になるとそわそわし始めて、姉さんの「ご飯の時間ですよー」という声が聞こえると、さも自分は興味がないとばかりな表情をしつつ、「お兄ちゃん、あの女が何か言ってるけど……一緒に下に行く?」と、一緒に食事に行こうと促してくる。そしてご飯が遅れると露骨に機嫌が悪くなって、僕相手でもやたら言葉数が少なくなる。


 ……ともかく、今のアカメは以前と比べても明らかに表情が柔らかくなっている。


 姉さんに話しかけられた時だけ一瞬顔を顰めることもあるが、それでも姉さんがお菓子を用意してあげると大人しく言う事を聞くようになる。もはや猫や犬ではないだろうか。


 アカメが言うには「最近、あの女(姉さん)に餌付けされている気がする」という疑念を持っている。


 安心してほしい、アカメ。

 それは「気がする」じゃなくて、完全に餌付けされてるよ。


 ……ともあれ、それもあってアカメの姉さんに対しての敵意やわだかまりもほぼ消え失せたようだ。


 ちなみに、今姉さんは夕食の買い出しの為に外出しており、ここには居ない。


「(アカメが皆とここまで打ち解けられたのは、ルナのお陰なんだろうな……)」


 他の皆も彼女が僕達の輪に入れるように気を遣ってくれているが、特にルナには感謝している。


 おそらく、あの日の夜に二人が交わした会話が、アカメが彼女を信頼する様になった大きな理由なのだろう。僕を除けば、アカメはルナとの会話の回数が一番多く、昨日は雑談室で夜遅くまで話をしていたようだ。


 え、何故そんな事を知ってるかだって?だって、僕の妹だよ?


 そんなこんなで、最初は僕にべったりだったアカメも、今では普通に仲間達とも話をする回数が増えて以前より手が掛からなくなった。最近だと僕のベッドに潜り込む回数も極端に減って、大人しく自分の部屋で寝ることも多い。


「(うん、とても喜ばしい事……なんだけどね……)」


 ……正直に言おう。僕としては、少し寂しさを感じている。


 以前のようにべったり甘えてほしいとまでは言わないが、彼女が僕に頼ってくれると、実の兄として凄く嬉しかった。


 だから、僕は彼女が仲間達とすぐに打ち解けられなかったとしても、それはそれで僕の傍に居てくれるし、今はそれでもいいかなと思っていた。


 ゆっくり見守ってあげようと考えていたのだが、まさか短期間でここまで仲良くなってしまうとは。


「レイ、もしかして寂しいの?」


 突然ノルンに、自分の心が読まれたような言葉を投げかけられて、僕は慌てて首を横に振る。


「そ、そんな事無いよ。最近アカメが僕の傍に居ることも減ったけど、その分アカメが他の皆と仲良くするのは良い傾向だし、外出の時は必ず僕に声を掛けてくれてたのに、最近だとあんまり僕に声を掛けてくれなくなったけど、特に気にしてなんかいないよ? ルナもアカメに良くしてくれてるし、何より皆と仲良くなったのは良い事だし。うん」


 僕の言葉に仲間達の視線が集まった気がするが、僕は必死に首を振って否定する。


「……」


 すると仲間達は僕を見て優しい笑みを浮かべ、ノルンも「うん、分かってるわ。大丈夫、寂しいなら私たちが構ってあげるわ」と僕の頭を撫でてくれる。


 僕としては「違う、そうじゃないんだ」といいたいのだが、この空気だと言っても100%信じてもらえない。


 というかノルンの幼い外見でそんなことされると、年下に甘えている大人という世間体で考えたらとても情けない構図だ。嫌ではないのだが、決して、嫌ではないのだが……。


 その後、皆の無駄に優しい視線に耐え切れず、僕は逃げるように自室に戻ることした。


 ◆◇◆


 部屋に戻った僕は、とりあえず机に向かって勉強を始めていた。


 学校の先生になるには、教員の資格を取らなければならない。今の僕ではまだまだ知識も勉強量も足りないためすぐに先生になれないのは理解してる。


 だけど、魔法学校の子供達の明るい笑顔を思い出すと、どうしても今の現状で妥協したくはなかった。


 そうして1時間ほど勉強に熱中していると……。


「みー……」

「……ん?」


 何処からともなく、動物の鳴き声が聞こえてくる。

 はて、この宿の中でペットを飼っている仲間は居なかったはずなのだが……?


「みゃあ……」


 再び動物の鳴き声が聞こえてきた。この可愛らしい鳴き声は……?


 ―――コツン。


 部屋の扉から何か物音が聞こえた。もしかして、声の主だろうか?


 僕は眼鏡を外してそれを机の引き出しに仕舞う。そして椅子から立ち上がって扉を開けて外の様子を確認してみる。すると、扉の下の方から毛玉のような何かがするっと部屋に入り込んできた。


 何だ?と思うより先に、僕の足元にモフモフとした何か柔らかいものがすり寄ってくる。


 足元に視線を移すと灰と白色のモフモフとした猫が僕の膝辺りに身体を擦りつけていた。外見的にはノルウェージャンフォレストキャットという種にちょっと似ている。


「みゃああ……」


 その大きめな猫がこちらをクリクリとした黒い目で見つめながら、甘えたような鳴き声をあげている。


 ……か、可愛い。


 あまりこの世界で猫に触れた事は無かったが、その愛らしさは異世界でも健在らしい。


 しかし、うちのパーティの誰かが猫を飼っているという話は聞いたことが無い。つまり、この猫は外から入り込んできたと言う事になるのだが……。


 僕はしゃがんで足元の猫を持ち上げて腕の中で抱きしめる。


「んー、何処から入ってきたの?」


「みゃあぁ……」


「はは……猫に聞いても分かるわけないよねー」


 僕は猫に質問した自分に笑ってしまい、そのまま猫を自分のベッドの上に乗せた。


 猫は白い靴下のような前足をピンと揃えて、こちらをジッと見る。


 あまりにも可愛らしいので、僕も猫の隣に座って、フワフワの猫の背中を摩る。


「みゃ~」


「かわいい……」


 本当にモフモフで触り心地が最高だ。つい猫に魅了されて夢中になってしまい、猫をそのまま抱きしめてしまう。


「んー……最近、勉強や仕事が忙しくて、皆と話す機会も少なくなってるから寂しかったんだよね……。ちょっと癒された……」


 思わずそのまま猫のお腹に自分の顔を当てて頬ずりする。モフモフが気持ちいい……。


 僕が猫のお腹に顔を埋めてグリグリと顔を当てて悦に浸っていると、猫も気持ちが良かったのか、尻尾をパタパタと左右にゆっくり振っている。


「でもこの子、本当に何処から入ってきたんだろう……エミリア辺りが使い魔として飼ってるのかな?」


「……」


 この世界の魔法使いが使い魔を操ってる場面など一度も見たことは無いが、創作などでは猫は魔女の使いとして登場するシーンがよく描かれている。


 この子ももしかしたらそうじゃないか、と一瞬考えが過るのだが……。


「ま、いっか。可愛いから何でもいいや……」


「……みゃ」


 僕は猫を抱きしめた状態で、ベッドに横たわる。


 僕がベッドに寝転がっても逃げない所を見ると、随分と人に慣れている子のようだ。


 ふあぁ……この子を見ていると眠くなってくるなぁ……。


 この猫を胸に乗せたまま寝てしまおうかとウトウトしていると、突然胸が軽くなった。


 目を開けると、猫が窓枠にちょこんと乗っかっていた。


 そして、猫が頭を窓に突き出すと、閉まっていた筈の窓が開いて、そのまま猫は外に飛び出してしまう。


「あ、待って……!」


 僕は慌てて飛び出していった猫を追いかけるように窓の下を覗きこむ。


 僕の部屋の窓の下には一階の屋根が飛び出ているので、猫はそれを伝って下に降りるのだろう。


 しかし、僕が覗きこんだ時には猫の姿はもう無かった。


「……あー、逃げちゃった……。もうちょっと一緒に居てほしかったんだけどなぁ……」


 もし野良猫だったら、いっそ家族としてこの宿に迎え入れたいと思ってしまうくらいに、僕はあの猫の事が気に入ってしまっていた。


 ふと、窓の下を覗きこんでみると、先ほどは気付かなかったのだが、どういうわけか疲れたように項垂れた様子のエミリアが外で立っていた。


「エミリア?」

「―――っ!」


 窓下に居る彼女に声を掛けてみると、エミリアはびくりと肩を揺らして、ゆっくりとこちらを振り返る。


「そんなところでどうしたの?」


「え、あ……その……ちょっと外の空気を吸いたくて……」


「……? あ、そうだ。エミリア、ちょっと大き目な可愛い猫を見なかった? いつの間にか宿に入り込んでたから僕が保護してたんだけど、窓から逃げちゃったんだよねぇ」


 僕がそう質問すると、何故かエミリアは焦った様子で、「い、いえ! 見てません!」と大袈裟に首を横に振った。


 その勢いに僕は少し驚いてしまうが、「そっか、ありがと」と言って僕は窓を閉じた。


「ふぅ……でも、おっかしいなぁ……窓はちゃんと鍵を掛けてたつもりだったんだけど……」


 まさかあの猫が人間みたいに窓の鍵を外して出ていくわけもないだろう。誰もあの猫が宿に入っていた事にも気付いていなかっただろうし、不思議な事もあるものだ。


 僕は頭をひねって猫の事を考えながら勉強へと戻った。


 ◆◇◆


 一方、宿の外に立っていたエミリアはというと。


「……はぁ、ギリギリ間に合いましたね……」


 エミリアは胸を撫で下ろしながらそんな事を呟いていた。

 そして、彼女はポケットに仕舞っていた小さなステッキを取り出して頭の上でクルクルと回して言葉を発する。


<変化>フォームチェンジ


 すると、彼女の姿がみるみると小さくなっていき、先ほどレイが可愛がっていた猫と全く同じ姿に変わってしまった。


「(魔法の中でも超高難易度の変身魔法、”変化”……ようやく使えるようになったのは良いのですが、変身していられる時間が短すぎて扱いが難しいです……)」


 そんな事を考えながら、猫の姿になったエミリアは夜の街をトテトテと歩いていき、宿から離れていく。しかし数分後には変身魔法が解けてしまって、再び元の姿に戻ってしまう。


「うーん、一日に何度も変身は無理かも……いや、魔法効率を良くすればある程度延長は可能かな……?」


 アカメに構ってもらえなくなって少し落ち込んでいたレイを見かねて、変身魔法のお試しを兼ねてレイを癒してあげようと思ったエミリアは、猫の姿になって彼に甘えていた。


 予想通り、彼は元気になったので安心していたのだが、効果時間が予想よりも短くて魔法が切れる寸前で慌てて部屋から飛び出したのだった。


 そして、着地した直後にエミリアの変身が解除され、そのタイミングでレイに声を掛けられたというわけである。


「(もうちょっと一緒に居たかったんですけど……)」


 若干面倒臭い性格のエミリアは、素直になれない自分にやきもきしながらも、レイに魔法を使って癒してあげられた事に満足して宿へと戻っていった。

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