第866話 夜の二人
「やっ! はっ! たぁーっ!!」
アカメが屋根の上でこれまでの自身の行いに後悔しているとは知らず、ルナは夜の街の上空で魔法の練習を行っていた。
魔王を討伐して世界が平和になった後も、魔法の力はこの世界で生きるには必要不可欠だ。この世界には科学技術というのもは存在せず、全ての技術は基本魔法という技術に集約されている。その為、魔法を扱えるかどうかで人生は大きく左右されると言っても過言では無い。
ならばこそ、その魔法の才を活かすべきとエミリアにアドバイスを受けたルナは、彼女の教え通りに練習を欠かさないようにしていた。
「集中してたら随分と時間が経っちゃった……今日はこれで良いかな……?」
現在の時刻は深夜。人通りも少なくなり、既に深夜を回っていることに気付いたルナは練習を中断して宿に戻ることにした。
宿に戻ると、自分達が寝泊まりしている宿の屋根の上に誰かが座っていた。
「んー? ……サクライくん……?」
遠目だからその人物が誰だかすぐに分からなかったが、近づいてみるとその人物がアカメであることに気付く。ルナは飛行魔法で屋根の上まで浮遊して彼女の元まで移動する。
「月が綺麗だね、アカメちゃん」
二人きりで話をするのは初めてだったが、ルナは明るい声で彼女に声を掛ける。するとボーっと夜空を眺めていたアカメは緩慢な動作で反応してルナの方を振り向く。
「……確か、ルナだったか。こんな時間に何をしている?」
「私は魔法の練習だよ? アカメちゃんこそこんな時間にどうしたの? 眠れない?」
「……少し、考え事をしていた……」
「……そうなんだね。……隣、座ってもいい?」
「……」
アカメはその言葉には答えず、少しだけ自身の身体を横にズラす。
ルナはアカメの隣に座り、お互い月を見上げる。
「……アカメちゃん、少しだけ私の話を聞いてくれる?」
「……」
「……あのね、アカメちゃんは私と似てる気がするの」
「……どういう意味?」
ルナがそう言うと、今まで反応が鈍かったアカメが返事を返す。
「私も、元々はアカメちゃんと同じ世界で過ごしてたの。それで、色々あってこっちの世界に転生したの」
「……転生、ということは……」
「うん……一度死んでるの。アカメちゃんとはまた境遇が違うだろうけどね」
「……それが私と似ているという事?」
「それもあるんだけど……」
「……ふん」
ルナの言葉に、アカメは鼻で笑う。
「……お前が私と同じく別の世界の住人ということは理解した。 だけど、それで似ているというのは的外れ」
「……アカメちゃん」
「……話はそれで終わり? ……私はもう行く」
そう言ってアカメは立ち上がり、空に飛び立とうとする。しかし、ルナは立ち去ろうとするアカメの手首を優しく摑んだ。
「待って」
「……何?」
「私の話はまだ終わってないよ?」
「……離して」
「……離さない」
「……いい加減にして。……どうせ私が可哀想だから同情のつもりで言ってるのだろうけど、何の苦労もして無さそうなお前と一緒にされるのは不快でしかない」
「……何の苦労も……してない……」
ルナはアカメの言葉にピタリと動作を止めて、顔を俯かせる。
「……っ」
そして、ルナの様子がおかしいことに気付いたアカメも思わず言葉を止める。
「……確かに、私はアカメちゃんみたいに無理矢理家族と引き剥がされたわけじゃないよ。この世界に来た切っ掛けだって、私が弱いから逃げ出した結果だもん……」
「……そう思うなら私に構わないで」
「だけどね……私も、苦労だって、挫折だって、沢山あったんだよ……アカメちゃんだけじゃない」
「……知ったような口を」
「分かるもん。だって、アカメちゃん。サクライくんと出会うまでの私とそっくりなんだもん」
「……っ」
アカメは彼女の手を払いのけて彼女を睨みつける。
「……私ね、今はこんな普通の女の子だけど、少し前まで人間の姿をしてなかったんだよ」
「一体何の話を……」
「……この世界に転生してきた時、私、人間じゃなくて、化け物の姿だったの」
「……化け物?」
「……そう。この世界では『竜』って種族らしいんだけど、転生したばかりの頃は何も分からなかった。
死んだときの記憶も曖昧で、声を出そうとしても獣の唸り声のような声しか出ないし、身体が妙に重くて二足歩行で立ち上がることも出来なかった」
「……」
「状況が全然分からなくて、怖くて、辛くて、喉がカラカラで、泣きそうな気持だったけど、ならせめて誰かに助けを求めようと、重い身体を動かして人を探してたの。でも……」
『ば、化け物っっっ!!!!』
『く、来るな……!! オラの息子たちには手を出させねぇぞ!!!』
[『おい、若い男達を連れて来い!! 』
『醜い化け物め……!! こうなったら、殺される前に殺してやるぞっ!!!』
『おおっ!!!』
「……皆、私の事を人間扱いしてくれなかった。皆は私を見て恐怖に顔を引きつらせて、武器を持って私を脅してくるの」
「………っ」
「……私は、ただ助けてほしかっただけなのに……。化け物って呼ばれて……武器を持った沢山の男の人達に追い回されて……」
「……もう、やめて……」
「止めて、助けて、ごめんなさい……心の中ではそう何度も叫んだのに、何故か全然声が出なくて……恐怖で泣き叫ぼうと思った……その時、気付いたの……。
私の手が……トカゲみたいに鱗で覆われてて、まるで鋭利な刃物のような鋭い爪が生えていたことに……」
「……」
「私は、その時悟った。……私は、人間じゃなくなったんだって」
ルナはそこで俯いていた顔を上げて、アカメの方を見つめる。その瞳に涙を溜めて。
「……自分が人間じゃなくなった気付いた私は、今まで動かなかった身体が突然動くようになった。
自分に尻尾があることに気付いた私は、後ろから襲いかかってきた男の人達を尻尾で払って、背伸びをするように身体を動かしたら、自分が翼があることを知って……私は、空を自由に飛べるようになった」
「……」
「……空を飛べるように私は、人と接触するのを避けて山で静かに暮らしてた。でも、それでも自分は人間の心があると思って、いつか人と分かり合えるかもしれないと、時々人の住む人里の様子を見に行ってたの。だけど、ある日……」
……ある日、その人里に火の手が上がっていた。
何かが良からぬことが起きていると確信した彼女は、村の人達を救助する為に、自分が化け物の姿だと知りながら救援に向かうことにした。
自分には翼があり、人間よりもずっと力もある。
もし、火の手に取り囲まれた人達が居たら、自身の背に乗せて助けることが出来るはず。
もし、誰かが瓦礫に埋もれていたら、自身の爪や尻尾で瓦礫を退かせて助けることが出来るかもしれない。
そうして人を助ければ、自分が敵じゃないと理解してくれるかもしれない。
私を受け入れてくれるかもしれない。
自分の都合の良い考えだと分かっていながらも、そう願って彼女は人里に降りた。
そこで彼女が見た光景は、瓦礫に埋もれる人々と、血に塗れた人の沢山の死体……。
「……っ、それは……」
「……そこ人里で何があったのか、私は知らない。……多分、野生の動物か……魔物の被害に遭ったんだと思う。だけど、初めて見る人の死体の山を見て、私は怖くて何も考えられなくなった。その時に背後から気配を感じたの」
「……気配?」
「……人の子供だった。その子は頭から血を流して、涙を流して、歯を食いしばって、私を血走った眼で睨みながらこう言ったの……」
『化け物……よくもオラの父ちゃんと母ちゃんを………!! 殺しやる……!!』
「……っ」
ルナの独白を聞いて、アカメは目の前の彼女が、自分と似た絶望の淵に立たされていた事を悟る。
「……その子の言葉を聞いて、私は何も考えられなくなった。そして、人を助けるなんて目的も理由も忘れて、その場から逃げ出した。……それ以降、私はどんどん人の心が壊れていったの」
そして、彼女は完全に正気を失った。
人間を襲うことはしなかったものの、人間の心が竜の肉体に支配されてしまったことで、野生の動物や魔物を平然と襲うようになり、その惨状を人に目撃されたことで、新種の魔物として冒険者ギルドに討伐命令が下る事となった。
その依頼を受けた人物こそ、当時のサクラとカレンの二人だった。
ルナはその事を覚えていないのだが、正気を失った彼女は、当時のサクラとカレンの力を以ってしても苦戦するほどの圧倒的な強さだったという。
それでも数度彼女達に追い回されて消耗したルナは、彼女達から逃げるために別の大陸へ飛び立った。
だが、結果的にそれが彼女の運命を好転させることになる。
彼女が別の大陸に飛び立って数日、彼女がその身を休めていると上空に光る何かを発見する。
それに興味を持った彼女は、野生の本能のままにその光の元へ飛んでいった。
……そこで、とある人物との再会を果たすことになる。
「……その時に、アカメのお兄さん……サクライくんとこの世界で再会できたの」
「っ!!」
「それまで、私の意識は殆ど表面に出せなかったんだけど、サクライくんの姿を見た瞬間だけ、私の意識が戻った。……だけど、その時の私は人間の言葉を話すことも出来なくて、サクライくんも化け物の姿をしていた私が私だと気付くわけも無かった。私は自分の意識が遠のいてサクライくん達を襲ってしまう前に、彼の傍を立ち去るしかなかった」
それでも、彼との出会いが彼女を徐々に正気に戻させる切っ掛けとなる。
それからおよそ数ヶ月後、とある山で身を隠していた彼女は、魔王軍の幹部、魔軍将サタン・クラウンに襲われてしまい、どうにか撃退したものの重症を負ってしまった。
だが同時期にサタン・クラウンを追っていたレイ達と彼女はここで三度目の再会を果たし、レイによってその身を救われることになった。
「……私も、サクライくんのお陰で救われたの。アカメちゃんと同じだね」
「……辛い目に遭っていたんだな」
「うん……。だから、これで私の昔話はおしまい」
「……」
ルナの話を最後まで聞いたアカメは、少しだけ彼女との距離を詰めて隣に座った。
「……知ったような口を聞いたのは、私の方だった。……ごめんなさい、ルナ」
アカメはルナに謝罪の言葉を口にすると同時に、初めてルナの事を名前で呼んだ。
「アカメちゃん……」
ルナも、アカメが自分の名前を呼んでくれたことに驚いて、彼女に顔を向ける。
「ね、アカメちゃん。サクライくんに一緒に暮らそうと言われた時、本当は嬉しかったんでしょ?」
「……否定はしない」
「でも、アカメちゃんは、今は人間じゃないから彼と一緒にこの人の街で暮らせることは出来ないって考えてる」
「……肯定する」
「……でも、元々化け物だった私だって、こうして人間の姿に戻れたんだよ? きっと、アカメちゃんだって元の姿に戻れる方法はきっとあるはずだよ」
ルナはそう言いながらアカメの手を取る。
「だから、私たちの傍から居なくならないで。サクライくんが私を救ってくれたように、きっと今度はサクライくんがアカメちゃんを救ってくれる」
「お兄ちゃんが……」
「そう。だから信じよう……? 私たちの大好きなサクライくんを」
「……だ、大好きって……」
ルナにそう言われて、アカメは若干顔を赤らめる。
「だってアカメちゃん。サクライくんの事、好きなんでしょ?」
「……肯定、だけど……私と、彼は……その、実の兄妹だから……」
「あはは、そうだったね……。でも、アカメちゃんの彼に対しての想いは、きっと私が彼に対しての想いと似てると思うな」
「……ルナも、彼の事が?」
「うん、この世で一番好きな人だよ」
ルナはそう言いながら立ち上がると、彼女に微笑んだ。月をバックに浮かべるルナの笑みは、アカメにとってとても美しいと感じた。
「だからお願い。その想いを大事にして……?」
「……分かった」
アカメもその場で立ち上がり、ルナの手を取る。
「……あなたの事、誤解してた。今までの非礼を許してほしい、ルナ」
「ううん、これからはよろしくね、アカメちゃん」
そして、ルナも彼女の手を取り、固い握手を交わした。
◆
彼女達が屋根の上でお互いの想いを打ち明けていた時……。
「……ルナ……アカメ……」
レイは自室の窓を開けて、彼女達の話を静かに聞いていた。
アカメは彼が寝ていると思っていたのだが、実はレイは浅い眠りで、彼女が窓を開けて空に飛び立った時には目を覚ましていたのだ。
二人の話を見守っていた彼は、彼女達の話を聞いてとある考えに至った。
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