第796話 決戦前夜

 そして、魔王討伐に向かう前日の夜――――


【視点:レイ】


「……ふぅ、今日はこの辺にしとこうかな」


 僕は机に広げていた教本とノートを閉じて、机に置いてあるランプの灯を消して立ち上がる。そして部屋を出て二階の階段を降りていって宿の主人にお願いして、温かいコーヒーとケーキを用意してもらって、それらをトレイに乗せてから歩いて談話室へと向かう。


 すると、談話室の灯りが付いており、僕は扉をノックしてから部屋の中に入る。


 中に居たのは姉さんとノルンの二人で、二人は談話室のソファーに座って、机の上に沢山のお菓子と温かい紅茶を並べてゆったり寛いでいた。


 魔道具によって部屋の中の温度を常に適温に保たれており、過ごしやすい空間となっていた。


「あら、レイくん」


「お疲れ様、今日も遅くまで勉強頑張ってるの?」


 僕が入ってきた事に気付いたのか、二人が僕に声を掛けてくる。


「うん、でも今日は早めに切り上げようかなって」


 僕はそう言ってコーヒーとケーキが乗ったトレイを机に置いてから、二人が座ってるソファーの反対側に腰掛ける。


「今日は静かな夜だったから勉強に集中出来たよ」


「外、雪が降ってるみたいだからね。外で遊ぶ子供達や、屋台を出してる人達が居なくて静かだったわ」


「こんな寒い日は家に籠ってゆっくりしてるのが一番よ」


 姉さんの話にノルンは眠そうな顔でそんな事を言う。


「ノルンはいつも部屋でゆっくりしてるじゃん」


「今日はそうでもないわ、部屋に家具屋の業者が来てのんびりできなかったもの」


「あ、前に出掛けた時のアレ、今日だったんだね」


 アレとは、以前に僕とノルンが二人で出掛けて買い物した時に、自分達じゃ運べないから後でお店の人が運び込むって話の事だ。時間が経っていた為すっかり忘れていたが、今日だったらしい。


「私もしばらく時間が経っていたせいで頼んだこと忘れていたわ。こんな雪の降る寒い日に御苦労な事よ」


 ノルンはそう言いながら可愛らしく口を開けて欠伸をする。


「……二人とも、明日はいよいよ決戦の日だっていうのにいつも通りね」


 姉さんは苦笑いしながら僕とノルンを交互に見る。


「まぁ今更準備らしい準備って何もないからね。自分の能力も把握も済んだし、装備の手入れも昨日の内に終わってるし」


「直前になって慌てても仕方ないわ。もうなるようにしかならないもの」


 僕とノルンがそう答えると姉さんは「それもそうね」と微笑む。


「エミリア達は?」


 僕はここには居ない彼女達の事を姉さんに質問する。


「エミリアちゃんとルナちゃんは、二人で瞑想メディテーションの特訓ですって。精神集中して明日、万全の状態で魔法を使えるように仕上げておくって言ってたわ」


「二人とも、真面目ね……」


「まぁ、力を発揮できずに魔王に勝てなかったら本末転倒だからね……今の僕達が言えたことじゃないけど」


 僕とノルンは彼女達が頑張っている様子を思い浮かべてそんな事を言い合う。


「レベッカはどうしてるんだろ?」


「今、執筆してる小説をキリの良い所まで進めておきたいって言って部屋に籠ってるわ。夜更かししない様に言ってあるのだけど、大丈夫かしら?」


「小説……あの子、そんなものを書いてるのね……」


「ノルンは知らなかったんだっけ。割と前から書き溜めてて今でも暇な時に続きを書いてるみたいだよ」


「知らなかったわ。ちなみに、どんな内容を書いてるのか知ってる?」


「えと、恋愛小説……かな。前に読ませてもらった時はそんな感じの内容だったと思う」


 僕がそう答えると、ノルンは細い目を少しだけ見開いて言った。


「恋愛小説……あの子にそんな趣味があったなんて……」


「レベッカちゃんの年齢ならそういうのに興味が出たっておかしくないと思うの。ただ、その内容がね……」


 姉さんはそこまで言って言葉を詰まらせる。


「? どんな内容なの?」


 ノルンは首を傾げて姉さんに聞く。


「えと、なんというか……その……」


 姉さんは僕の方をチラリと見る。


「……明らかに、レベッカちゃん自身とレイくんをモデルにした話なのよね……」


「え、そうなの?」


 ノルンが驚いて僕の方を見る。僕も自分がモデルであることは薄々気付いていたので、正直恥ずかしいのだが……。


「……ま、まぁたまたま似てただけって可能性もあるけど」


「レベッカちゃんの小説はお姉ちゃんも読ませてもらってるけど、冒頭の部分の内容が『遠い北の国からやってきた少女が、自分より少し年上の優しい少年と運命的な出会いをして、その後一緒に行動を共にして一夜を過ごす』……って内容なのだけど、モロにレイくんとレベッカちゃんが初めて出会った日の話と酷似してるのよ」


 改めて内容を語られると何とも言えない気恥ずかしさが込み上げてくる。


「……一夜を過ごすって……レイ、貴方、レベッカとそんな事をしたの?」


「いやいやいや、ノルンが想像するような話じゃないからね! レベッカが宿に泊まるだけのお金が無かったから、僕が気を利かせて一緒の部屋に泊まっただけの話だよ。何も無かったんだから!」


「そう……」


 ノルンは疑わし気にジト目で僕を見てくる。


「ほ、本当だよ?」


「……別に疑ってないわよ。ロマンティックところがあるのね、と思っただけよ」


 ノルンはそう言いながら僕から目を逸らして皿に置かれていた小さなパンを口に放り込む。


「……あはは」


 僕は苦笑いしながらコーヒーを一口含む。……少し苦い。


 そうして、レベッカの小説の話をしていると、廊下から人の足音が聞こえてきた。少しすると扉が開き、そこからレベッカが入ってきた。


「おや、皆様。こちらに居たのですか?」


 レベッカはそう言いながら笑みを浮かべて、僕の隣に座る。


「レベッカちゃん、小説のキリは付いたの?」


「はい、少々この後の展開に迷っておりましたが、どうにか落としどころを発見いたしました」


「そう、ならよかったわ」


「レベッカも何か飲む?」


「いえ、わたくしはここで少し休憩した後、すぐに就寝するつもりですので……」


 そう言いながらレベッカは僕の肩に自身の小さな頭を預けて目を瞑る。


「お疲れ様、レベッカ」


「……ありがとうございます、レイ様。魔王討伐が終わったら、またわたくしの小説をお見せしますので、感想をお願いしても宜しいでしょうか?」


「構わないけど、僕はあんまり気の利いた感想やアドバイスは言えないよ?」


「いえ、出来ればレイ様に一番に読んで頂きたいのでございます」


「そういう事なら全然かまわないよ」


「ありがとうございます。それでは、少しだけ……」


 レベッカは僕に寄り掛かりながら数分もしないうちに寝息を立てて眠り始めた。


「……寝ちゃったわね」


「そうだね……ここなら温かいから風邪を引くことはないと思うし、少ししたら僕が部屋に連れてくよ」


 僕は、肩に掛かる重さを心地よく感じながらコーヒーを飲む。


「(魔王討伐が終わったら……か)」


 皆、明日は恐ろしい魔物の王との戦いが待っているというのに、誰もそれに怖がっている様子は無さそうだ。


 一度戦って勝利を収めているのもあって、決して敵わない相手じゃないと考えているからだろうか。


「……」


 ……それとも、僕の事をそれだけ信頼してくれているからだろうか。


「……レイくん、大丈夫よ。私達だっているんだから」


 僕の表情を見て察してくれたのだろう。姉さんが笑いながら言ってくれる。


「うん……わかってる」


 僕が弱気な考えをしてはいけない。

 皆が僕を信じてくれているからこそ弱音を吐いたりしないんだ。

 だから、僕は皆の期待に応えられる様に頑張らないといけない。


「でも、もしレイが本当に駄目な時はお姉ちゃんが助けてあげるから安心して」


「うん……その時はお願いするよ、姉さん」


 僕の言葉を聞いた姉さんは笑顔で頷いた。


「……私も、微力ながら力を貸してあげるわ。その為にも私は国を離れてここに居るんだから」


「……ありがと、ノルン」


 ノルンと姉さんの言葉に励まされて、僕は心に宿る不安を振り払う。


「まだ、時間的には少し早いけど……僕達、そろそろ部屋に戻るね……レベッカ」


 僕は飲み干したコーヒーカップを机の上に置いて立ち上がる。


「うん、おやすみ、レイくん」


「……また明日ね、レイ」


 二人の挨拶を背に受けて、僕は席を立つとレベッカを起こして一緒に部屋を出る。そして微睡みの中にいるレベッカをベッドまで送り届けてから自分の部屋に戻って就寝したのだった。

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