第760話 エミリア、動きます
次の日の朝―――
「朝……か……」
僕は小鳥の囀りで目を覚ました。昨日、ノルンに言われたことを考えていたのだけど、いつの間にか眠ってしまったらしい。
「起きないと……よっと……」
僕はベッドから身を起こしてパジャマを脱いで普段着に着替える。そして、部屋の鏡で身なりを多少整えてから部屋を出る。
部屋を出るとすぐに三階の階段から誰かが降りてくる。ルナだった。昨日、風邪で寝込んでたようだけど、もう一人で起きてこれる程度には回復したらしい。
「ルナ、おはよう」
「あ……サクライくん……おはよぉ……」
ルナはまだおぼつかない足取りで階段を下りると、こちらに歩いてくる。
「まだ本調子じゃないみたいだね。起きて大丈夫なの……?」
「うん……体温もだいぶ下がったと思うから……」
ルナはそう話すが、僕から見るとまだほんのり顔が赤いように思える。
「……ちょっとオデコ貸して」
「えっ」
僕は彼女の前髪を少しズラして、彼女の後頭部を手で押さえて、そのまま僕のオデコと彼女のオデコをくっつけて目を瞑る。
「――っ!!」
今、ルナの肩がビクンと動いた気がするけど……彼女のオデコから彼女の体温が伝わってくる。
「(並みの体温だ……少し温かいけど……)」
「……サクライくん……あの……その……」
ルナはか細い声でそう言うと、オデコをくっつけたまま目を瞑ってる僕にもじもじと身を寄せる。
「……?」「あぅ……」
僕が目を開けると、オデコをくっつけたままの彼女の顔が目の前あり、目と目が合った。
「あ、……ご、ゴメン!」
彼女との距離感を間違えてしまった事に気付いた僕は、すぐに離れて謝る。ルナは先程よりも顔を赤らめていた。
「だ、大丈夫……ちょっとドキッとしただけで……それで……どうだった……?」
ルナにそう質問されて、僕は率直な感想を述べる。
「ルナが可愛かった……じゃなくて! ……熱はだいぶ下がったみたいね……。まだほんのり身体が温かいから今日は外出はしない方が良いかも……」
最初に本音が出てしまったが、僕は即座に誤魔化すように本来の目的だった彼女の体温の話にすり替える。
「かわいい……あぅ……」
「そ、そこはスルーして……つい言葉に出ちゃっただけだから……」
「う、うん……分かった……」
「……おはよう」
僕とルナがそんなやり取りをしていると、階段の方から声が聞こえてきた。その声の主は三階の階段から降りてくるノルンだった。相変わらず眠そうに目を細めている。
「ノルンちゃん」
「ノルン、おはよう」
僕とルナはノルンの方を向いて彼女と挨拶を交わす。
「二人ともおはよう。ルナ、起き上がれるようになったのね。良かったわ」
「うん、ありがとー。心配かけてゴメンね……」
「……気にしないで。それよりも早く一階に行きましょう……レイ、彼女をちゃんとエスコートしてあげてね」
「勿論。……ルナ、ふらついてるみたいだし手を繋ごう」
そう言って僕は手を差し出す。
「う、うん……」
ルナは少し恥ずかしそうに僕の手を握る。そんな様子にノルンがクスっと笑う。
「さ、行きましょ……足元に気を付けてね」
そう言ってルナは一足早く階段を降りていった。僕は後ろのルナをサポートしつつゆっくりと階段を降りて彼女を先導する。
下に降りてロビーを抜けて食堂に向かうと、既に朝食が用意されていた。先に向かったノルン以外にも、他の仲間達も全員揃っている。
僕達二人がテーブルに向かうと姉さんが声を掛けてくる。
「あら、おはよう二人とも。ルナちゃん、もう平気なの?」
「ちょっと身体がダルいけど大丈夫です……昨日はお騒がせしました……ベルフラウさん、昨日は色々ありがとうございます」
ルナはそう言って皆にお礼と謝罪を言う。
「ルナちゃん、お風呂入りたいでしょ? この後、宿のご主人さんにお風呂沸かしてもらうわね」
「ありがとうございますぅ……昨日の夜中に汗いっぱいかいちゃって……」
「ふふ、それは仕方ないわ。女の子ですもの……さ、遠慮しないで食べて食べて」
「いただきますぅ……」
ルナは嬉しそうに朝食を摂り始める。他の皆もそんなルナの様子を微笑ましそうに眺めつつ自分達も食事を開始する。
ただ、気になったのがエミリアだ。
時々食事の手を止めて下を俯いている様子だ。
「エミリア、どうかしたの?」
「え? ……あ、えっと……何でもないです」
僕が声を掛けるとそう言って僕に笑顔を見せて食事を再開する。
「……?」
いつものエミリアらしからぬ態度だ。
特に怒ってるというわけでもなさそうだけど……。
その間、ルナは時間を掛けて食事を続けてようやく食べ終えた。
「……ふぅ、ご馳走さまです」
ルナは食事を全部平らげて手を合わせる。
「ふふ、お粗末様。……これでなんとか体調も良くなりそうね」
姉さんが安堵したようにそう話す。すると、宿の主人さんが部屋に入ってくる。
「ベルフラウさん、浴場の準備が整いましたよ」
「ありがとうございます。それじゃあ、ルナちゃん。私と一緒にお風呂に入りましょうか」
「え、一緒に……?」
「一人だとまだ危なっかしそうだしね。皆、ルナちゃんを連れていってくるわね」
そう言って姉さんはルナを浴場に連れていった。
◆◆◆
「あの様子なら、ルナ様はもう大丈夫そうでございますね」
レベッカはホッとした様子で胸を撫でおろす。
「さて、私はもう行くわね」
ノルンはそう言って立ち上がる。そして僕の方を向いて、「レイ、早速だけど」と何か言い掛けようとした。
だが、その時。
「……あの、レイ!」
今までレベッカの隣でお茶を飲んでいたエミリアが急に語気を強めて僕の名前を呼んだ。
「……ど、どうしたの?」
普段のクールな彼女と違って妙に興奮した様子だ。さっきも様子が変だったし、何かあったのだろうか……?
僕に何か言おうとしていたノルンも、エミリアに遮られたせいか、後ろで黙り込んでしまった。
「……エミリア様、ファイトでございます!」
「……はい!」
レベッカがガッツポーズを取ってエミリアを応援する。彼女の応援にエミリアは力強く答える。
な、なんだ……今から一体何が始まるんだ……?
「も、もしよければ、この後、一緒に何処かに出掛けませんか!!」
エミリアは先程の語気の強さとは打って変わって、顔を赤らめて急に緊張した様子でそう話す。
「えと、どこかって……?」
「ここでは言えませんが……二人だけで行きたい場所があって……その……」
「(……もしかして)」
エミリアは僕をデートに誘おうとしているのだろうか。
普段と違って妙に緊張した様子だし心なしか顔も赤い。付き合い始めてから彼女の方から誘ってくれたのは初めてだ。正直な感想を言えばとても嬉しい。
嬉しいのだが……。
「(昨日、ノルンと買い物の約束しちゃったよ!)」
僕はそう思いながらノルンの方にチラリを視線を向ける。ノルンは僕の視線に気が付いたのかこちらを向いた。
「どうしたの、レイ。私の顔に何か付いてる?」
「い、いや……」
そうじゃなくて!いや、でも確かにノルンと買い物の約束をしている以上、彼女を放り出してエミリアとデートに行くわけにはいかない。
でも、ノルンとの約束も大事だけど……エミリアの誘いを断るのも……。
「レイ! 返事を!」
僕が返事に詰まっていると、業を煮やした様子のエミリアが催促してくる。
「……ゴメン。今日は先約が――」「レイ!!」
僕がそう答えようとすると、ノルンが突然後ろから僕の名前を呼んで僕の声を遮る。
「……ノルン?」
「……」
ノルンはさっきと変わって真剣な表情で首を横に振る。
「(……断るな、ってこと?)」
そんなノルンと僕のやり取りを目の当たりにして、エミリアは動揺し始める。
「どうしたんですかノルン……?」
「……何でもないの。レイ、誘いに乗ってあげたら?」
ノルンはそう言って僕を促す。……だけど、約束が……。
「……」
エミリアは先程とは打って変わって、不安そうな表情で僕を見ている。
「(エミリア……)」
そんな様子を見かねた僕は心の中でとある決断をして、改めてエミリアに返事をする。
「……分かった――」
僕がそう答えると同時に、エミリアは表情を明るくし、見守っていたレベッカは安心した表情を浮かべた。だが、後ろのノルンから僅かな落胆の感情が雰囲気で伝わってくる。
しかし、僕の返事はまだ途中だ。
「――けど、午前中は用事があるんだ。午後からでいいかな……?」
「!」
「は、はい! 大丈夫です……!!」
僕がそう答えると、エミリアは満面の笑みで頷く。
彼女のそんな様子を見て、僕は少し安心した。
「それでは、午後から楽しみにしてます!! ……これで願いが叶うかも……」
「……え?」
今、エミリア、最後に何か言ったような……。
「何でもないです……じゃあ、私は準備して待ってますね!」
「うん」
僕が返事をすると、エミリアは彼女に似つかわしくないハイテンションな様子で出ていった。彼女の腕には、分厚い本が抱えられていた。
「……はぁ、ビックリした……」
エミリアが去った後、力が抜けて僕は椅子にもたれ掛かる。するとノルンが再び席に着いて、ジメッっとした表情でこちらを見つめて言った。
「レイ、私の事なんて良かったのに……」
「そういうわけにはいかないよ。今回はノルンが先だったんだから……」
エミリアとは特に何も約束はしていなかった。
対してノルンは昨日の内に約束を済ませている。おそらくエミリアはデートに誘ってくれたんだけど、僕はノルンを昨日買い物に誘った。
自分が誘った約束を反故にして他の優先するわけにはいかない。それは、騎士としても人としてもあるまじき行為だ。
だが、ノルンが僕に声を掛けてくれたお陰で早計な判断をせずに済んだ。エミリアが僕を誘ってくれた事はすごく嬉しかったし、エミリアなりに勇気を出して僕を誘ってくれたのだ。
なら今はノルンを優先して、エミリアには時間を遅らせて貰おう。と、僕は頭の中でそう考えたのだ。これでエミリアが怒ったら謝るつもりでいたが、あの様子だとその結末は避けられたようだ。
エミリアを見守っていたと思われるレベッカが、少し困惑した様子で手を挙げる。
「あ、あの……レイ様。もしや、ノルン様と何か大事なお約束をされていのでございますか……?」
「……まぁ」
「……そういうことになるわね」
レベッカの質問に対して僕とノルンは、気まずい雰囲気でそう答える。
「……な、成る程……レイ様、申し訳ありません。わたくし、余計な事をエミリア様に言ってしまったようでございます」
「どういうこと?」
僕がそう質問すると、レベッカは少ししゅんとした様子で言った。
「……実は、昨日、二階の廊下を通りがかった所、エミリア様が部屋で独り言をブツブツ言っているところに遭遇しまして。……どうやらレイ様をデートにお誘いするための口上を考えていたようで……」
「あー……」
「一体、どういう口上を考えていたのか、逆に気になるわ……」
「密かに耳を澄ませて窺っていたところ、……あまりもトンチンカンな口上だったもので、つい口出しをしてしまいまして……。
『レイ様ならば、誠心誠意気持ちを伝えればきっと上手くいく』とそうアドバイスをしてしまいまして……まさか、レイ様とノルン様が既にデートのお約束されていたとは露とも思わず……申し訳ございません……」
……なるほど、エミリアにしては妙に直球の誘いだったのはそういう事だったのか。っていうか断らなくて良かった……!!
もし、レベッカにアドバイスを受けて尚、僕が誘いを断ったら、今度はエミリアがショックで寝込むんじゃないだろうか。
「いや、そんな事ないよ。むしろありがとうレベッカ」
というか、エミリアが僕をデートに誘うために頑張ろうとしてくれていたのは、正直意外だった。
彼女の口上を聞いてみたい気がしたが、その場合、もしかしたら僕に伝わらず成立しなかったかもしれない。それは、エミリアにとって屈辱だっただろう。
レベッカのお陰でエミリアとデート出来たと考えれば、彼女に何の非もないどころか僕がお礼を言わないといけない。
「いえ、わたくしは当然の事をしたまででございます。……まさか、あのエミリア様があそこまで悩んでいたとは思いませんでしたので……」
「……そうね」
レベッカの言葉にノルンが同意する。昨日の様子からそこまで悩んでいたとは見えなかったんだけど……。
「……ともあれ、レイ様がエミリア様の誘いを受け入れて下さって安心しました。レイ様、エミリア様をお願いしますね」
「それは、勿論だけど……レベッカは良いの?」
レベッカの気持ちは既に知っている。本当の所、僕が他の誰かとこうしているのは不愉快じゃないだろうか……?
「いえ、わたくしはレイ様を独り占めしたいわけではございませんので……」
「レベッカ……良い子ね、貴女……」
ノルンは彼女を見てそう呟いた。
「それよりも、ノルン様。レイ様と早くお出かけなさらなくてよろしいのですか?」
「……そうね、レイを借りていけるのは午前中だけだものね……」
いや、借りるって……。僕はノルンの物じゃないんだけど……。
「じゃあ、僕達は今から出掛けてくるよ」
「ルナ達はまだ戻ってきてないけど、ごめんなさいね」
「ええ、お楽しみくださいまし」
僕とノルンはレベッカに見送られて宿を後にする。
そして、宿を出た瞬間――
「あ、レイ君、今日は居てくれたのね!!」
――いきなり声を掛けられてしまった。
「(この声、もしかして……)」
僕はそれが誰の声かすぐに分かった。そして、その弾んだ明るい声で次に何を言われるか、この瞬間だけ未来予知の能力を得た。
すると、予想通り、青髪の美しい女性……カレンさんが、普段よりも一段と明るい笑顔で、普段よりも気合いの入った衣装を身に纏ってやってきた。
「ね、レイ君、今から私とデートしましょ♪」
「………」
「………」
……な、なんという間の悪さ……!
よりにもよって、ノルンとデートの約束をした後に、エミリアだけじゃなくてカレンさんにも誘われてしまうなんて……。
「あ、……あれ、なんで二人とも、そんな固まってるの……? もしかして、私……何かやっちゃった……?」
カレンさんは僕達の表情を見て、笑顔で固まってしまう。
……正直、滅茶苦茶残念な気持ちでいっぱいなんだけど……流石に、カレンさんの誘いを断るしかなかった。
その後、僕は10分程の時間を要して、カレンさんに誠心誠意謝罪して誘いを断り、カレンさんはガッカリした様子で帰ったのだった……。
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