第757話 ノルンの昔話
【視点:レイ】
……体が温かい……なんかふわふわして気持ちいい……。
「……イ」
……ううん、なんか声が聞こえる……。
「……レイ、起きなさい……お風呂で寝たらダメよ」
「……うぅ……?」
「レイ、起きて」
誰かに身体を揺すられて目が覚める。ふと、目を開けると視界には幼い少女が目の前に立っていた。
「……ノルン?」
少し熱っぽい身体とボンヤリした頭で目の前の少女を見つめると、その少女はノルンだった。
「あ、やっと目覚めたわね……。お風呂で寝たらのぼせちゃうわよ……」
ノルンは若干呆れたような声色で、僕にそう言った。
「……え、お風呂……え……?」
ノルンにそう言われて僕は周囲を見回す。そこは、温かいお湯が満たされた石造りのお風呂だった。僕はその中に浸かっていた。
「……あれ? なんで僕、お風呂に……」
「知らないわよ……私もさっき目覚めたばかりでお風呂に来たら、あなたが寝ていたのだもの……」
そう言うノルンは身体にバスタオルを巻いていた。
「……あ、そっか。僕、姉さんにお風呂に入って来いって言われて……そのまま気持ちよくなって寝ちゃったんだ……」
「やれやれ……子供みたいね……まぁ、可愛らしいものだけど……」
ノルンはそう言いながら、僕の隣まで移動してからゆっくりと浴槽の中にその身を浸していった。そして、僕の隣ではらりとバスタオルを剥ぎ取ってタオルを畳んで頭の上に乗せる。
「ちょっ!?」
僕は驚きと恥ずかしさでノルンから距離を取って彼女から目を背ける。
「……大げさね、私は別に気にしないのだけど」
「僕が気にするよっ!!」
いくらノルンの姿が幼い女の子の外見だとしても、流石に裸の状態になられると正常では居られなくなってしまう。
「……というか、レイは私に見られるのは良いの?」
「え?」
「アナタも裸じゃない。私は目隠ししてないから普通に色々見えちゃってるわよ?」
そう言われて僕は目を開けて視線を落として自分の体を見る。裸だった。しかもタオルがいつの間にか剥がれて生まれたままの状態だった。
「み、見ないでよっ!!」
僕は主に下半身を手で覆いながら叫ぶ。
「普通、それ逆じゃない……?」
ノルンも全裸だというのに、いつも通り目を細めて真顔で言う。
彼女は以前もキス寸前の距離で見つめ合っても頬を赤らめすらしなかったし、天然というと違うかもしれないが変わってる所がある。
「と、とにかく! 早くタオルを巻いて!」
「はいはい……」
そんなやりとりをしながら、僕とノルンはお互いに身体にバスタオルを巻いて湯船に浸かる。最初、僕の方は彼女に対して遠慮して直視しないようにしてたのだが、余りにも彼女が堂々していたので僕もあまり意識しない様にすることにした。
「ノルンはさ、僕とこんな姿で話していても全然照れたりしないよね……。もしかして、僕、男として認識されてない……?」
もしそうなら男としての尊厳があーだこーだで僕泣きたいんだけど……。
「そういうわけじゃないわよ。確かに男だって判別しづらい顔立ちだけど」
そう言いながらノルンは僕の湯船の中の下腹部に視線を移す。僕は咄嗟に手で股間のガードをした。
「ただ、私は少し長く生きてるから……そういう方面の感情が疎くなっちゃってるのかもね……。あなたが男として魅力がないとかそういう事じゃないから安心しなさい……」
「なら良かった。ノルンは大樹として生活し始めて千年経ってるんだよね」
「そうね。昔は毎日お湯に身体を浸す文化なんて無かったけど、現代は色々と様変わりしたわ……」
ノルンはそう言って浴槽に浸かった両腕を縁に乗せて、天井を仰ぎ見る。
「前に行った魔法都市にも驚いたわ。地上の一部を削り取って地面ごと都市を空に浮かべるなんてね……。
魔法技術だけじゃなくて魔道具の技術も私が人間だった頃と比べて全然違う。昔は、熱や冷気を起こす魔法具すら大発明の時代だったのに、世の中は随分と変わったわ……」
そういう話を聞くと、この世界も昔は僕らの世界みたいに文明が進んでいた時代があったのだということが分かる。
「ノルンはやっぱり昔の人なんだね」
「その言い方は女性に失礼よ、レイ。これでも人間の頃の私はまだ三十手前だったのよ……今はこんな外見だけどね……」
ノルンは僕の言葉を嗜めながら、変わってしまった自分の外見を眺める。
「そのセレナさんに貰った身体、もしかして不便だったりするの?」
「そんな事は無いわよ。視点が低かったり幼児扱いされたりするのは不満だけどね。代わりに外に出て散歩してるだけで街の人が親切にしてくれたり、食べ物をくれたりしてくれて便利よ」
ノルンは今の自分の容姿を気に入っているらしい。その幼くて可愛らしい容姿を最大限に利用しているのは、中身が大人のノルンらしいかもしれない。
「……それは良かったね」
「まぁ、たまーに私に変な視線向けてくる人も居るけどね……。前に、眠くなってベンチでうとうとしてたら、レンズの付いた変な魔道具を私に向けて息を荒くしてた男性も居たし……」
「え!?」
ノルンは表情を変えないまま、とんでもない事を言った。
「そ、それって大丈夫なの……?」
「大丈夫よ。私は簡単な暗示を掛ける魔法も使えるの。とりあえずその人には魔道具を騎士団の詰め所に持って待機するように指示しておいたわ」
警察に痴漢の証拠を自ら持っていく変質者みたいなムーブだ。その人は今頃どうしてるんだろう……。
「だから、仮にレイが寝ている私に何かしようとしてもアウトだから気を付けてね」
「何もしないから……」
「ふーん、そう……」
ノルンも僕の対応に特に何を言うわけでもなく、湯船の中で足をバシャバシャと遊ばせてお湯を僕の顔に飛ばして遊んでいる。
あの、いくらバスタオル巻いててもそんなに足を動かしたら色々見えちゃいそうなんですけど、ノルンさん。
「あら、レイってばどうしたの? 私から視線を逸らして赤くなって……何を見て興奮しちゃってるのかしら……ふふふ……」
「お、お風呂に入ってて顔が赤くなってるだけだから……!」
いくらノルンの容姿が子供だとしても未経験な僕にはまだ刺激が強すぎる。……何が未経験なのかは詮索しないでほしい。
すると、ノルンは少し穏やかな表情で言った。
「……レイの反応、弟みたいね」
「弟?」
「ええ、私には昔弟が居たのよ……随分昔……」
ノルンは遠い昔を懐かしむように、そう口にした。
「昔はお風呂に毎日入る習慣は無かったけど、代わりに水浴びして身を清めることが多かったのよ。私は巫女でもあったから神託を受ける前日から裸になって泉に身を浸して、周囲に危険がないように、家族に見守られながら身を清めたわ」
「え、人に見られながら……?」
「家族よ。別に裸を見られても平気でしょう?」
「い、いや、そうだけど……お母さんとか?」
「母は戦えないから、いつも付き添ってくれるのは弟だったわ」
「……お、弟に見守られて……?」
「ええ」
「は、裸のノルンが泉で身を清めてるのを?」
「ええ」
「……そ、それは確かに恥ずかしいね……」
「そうなの?」
ノルンはそう言って首をかしげる。どうやら彼女の中では当たり前の習慣だったらしい。もしかして、ノルンが僕との距離感が妙に近かったり、こんなシチュエーションで全然顔を赤らめたりしないのは、彼女にとってそれが普通だったから……?
「弟もレイと同じように、裸の私から視線を逸らしていたわ。困った子よね……私に万一が無いように護衛として一緒に居るはずなのに、あの子がちゃんと見張っててくれないと意味ないじゃない。
水浴びが終わった後、弟はすぐに身体を拭くタオルを持ってきてくれるんだけど、すぐにどっかいっちゃうのよ。だから、水浴びの帰りはいつも馬車の中で弟に説教してたわ。”私をちゃんと見ていなさい”って」
「う、うん……」
僕はノルンの話を聞き入って、その弟さんに少し同情していた。家族とはいえ大人の女性の水浴びのシーンを見続けるのは恥ずかしいよね。
「その弟さんって何歳くらいだったの?」
「最後の水浴びの時は、16,17歳くらいね……今のあなたとそんな変わらないわ」
「ノルンは?」
「その時は………26くらい……ちょっと覚えてないかも」
ノルンは少し考えるような仕草をしてから、そう答えた。
「その、こういうこと聞くと姉さん辺りに怒られちゃいそうだけど……その時のノルンってどんな感じだったの?」
「どんなって?」
「外見とか性格とか……周りにどう思われていたとか……」
「うーん……まぁ、子供の容姿でないのは確かよ。巫女として、日頃から身なりはきっちりしなさいと教え込まれていたから見た目はそれなりに綺麗にしていたと思うけど、弟が私の容姿をどう思ってたかは分からないわ」
「じゃあ、他の人は?」
「……そうねぇ……神事に向かう際は、男女問わず、みんな私に注目していた気がするわ。……それ以外の時だと、そもそも外に出る機会が殆ど無くてね……。巫女は神にその身を捧げる必要があるから同性はともかく、家族以外の異性と交流すること自体禁じられていたのよ……」
ノルンはそこで言葉を区切って、また話し始めた。
「だから、恋とか愛とか私は経験がないのよね……。
……その話を弟に何度かしたことがあるわ。私が今の立場でなければ、恋愛をしてみたかった。外の世界で色々な経験をして学びたかった。
きっと、外の世界はこんな争いだらけの国よりずっと素敵なんでしょうねって。弟は私に『もし姉上が嫌なら、俺が姉上を外の世界へ連れ出してあげる』って言ってくれてたけど……」
ノルンはそこまで語って遠い目をして天井を見上げる。
「でもあの子は戦争で死んでしまった……その事を聞いた時、私はショックで数日間食事が喉に通らなかったわ……あの子の照れた顔も、揶揄った時の怒った顔も、二度と見れないんだって……そう思うと……」
「……ごめん、ノルン。こんな辛い話をさせてしまって……」
「……貴方が謝る必要はないわ。あの子は、兵士として国の為に戦う事を名誉なことだといつも言っていた。あの子は敵国の将軍を討ち取って、
それでも弟は必死に戦って……見事な最期だったと、生き残った兵士達は誰もが口を揃えて言っていたわ」
ノルンはそこまで話してため息を吐いた。
「ノルン……」
僕は彼女の名前を呼んで、それ以上何も言えなかった。僕が今何を言ったところで、きっと気休めにしかならないだろう。
ノルンは続ける。
「私が後悔したのは一つだけ……弟の最期を見届けられなかった事よ……。最期にね、弟は私に遺言を残してくれたの。『姉上を外の世界に出してあげられなくてごめん』って……」
弟の遺言を語るノルンの目は、涙に濡れていた。
「その言葉を聞いた瞬間、私は後悔したわ。こんな死に方をさせたくないからって弟の提案を素直に受けてあげなかった事をね……」
ノルンは涙を手で拭う。僕はそんな彼女を見て、胸が締め付けられる思いがした。
「……弟の提案を受けてあげたら結末は違ったのかもしれない。弟と私が役目を放り出して、外の世界に飛び出していれば……。
……だけど、そんなのは”もしも”の話。あの時の後悔を悔やんで仮に別の選択をしたとしても、必ず良い結果を迎えるとは限らない。
もしかしたら、国を飛び出した罰として、弟は酷い罰を受けさせられて、私は一生幽閉されて、弟と二度と会えなくなる可能性だってあり得た。……そうでも思わないと耐えられなかったのよ……」
「………」
……彼女のその悲し気な表情を見て、僕は思った。
「(……弟さん、きっとノルンの事が好きだったんだ)」
ノルンに外の世界に出ようと提案したのは、彼自身がノルンと結ばれたかったから。そして、戦いの中で必死で戦ったのは……最後まで、彼女を守りたかったから……。
「……ノルン」
僕は、いつの間にか彼女を抱きしめていた。
「……レイ、どうしたの?」
相変わらず彼女は特に照れた様子なく、不思議そうに僕を見つめる。
「……慰めにしかならないと思うけど、せめて僕が弟さんの代わりになるよ……」
「……馬鹿ね」
ノルンはそう言うと、僕を抱き返した。
「……ありがとう、レイ。……なら、弟に言えなかった言葉を言ってあげるわ……」
そう言って、ノルンは僕の耳元でこう囁いた。
――あなたの事が、私も好きだった……と。
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