第752話 兄妹ではいられない

「わたくしと婚姻を結んでくださいませ、レイ様」


 レベッカのその提案を聞いた瞬間、僕の脳内は真っ白になってしまった。


「(レベッカと……結婚)」


 混乱する頭の中で僕は必死に状況を整理する。だが混乱している状態では冷静に物事を考えられるはずもなく……そんな僕にレベッカはさらに言葉を続ける。


「レイ様、以前お話したことがございますよね?

 わたくしの故郷――ヒストリアは、訪れる旅人も殆どおらず限界集落に近い状態になっておりました。ですが、わたくし達は大地の女神ミリク様のお力によって生み出された存在……あのお方の力の一部を継承したわたくし達は血を絶やすわけにはいかないのでございます。……もぐもぐ……」


 レベッカはそこまで言って手に持っていたサンドイッチを頬張る。


「もぐもぐ……ヒストリアは、血を絶やさないために重婚が認められております。なので、わたくしの故郷でレイ様は全員と婚姻を結ぶことが可能でございます」


「……そ、それは」


 要するに、「皆で結婚しちゃえば解決!」という力技だ。


「レイ様、お気持ちは分かります。ですが、わたくしも生半可な気持ちでこのような提案をしたわけではございません」


 レベッカは手に持っていたサンドイッチを食べ終えた後、小さく息を吐いてから僕を見る。彼女の深い赤色の瞳がまっすぐに僕の瞳を見つめ、僕の手を握る。


「レイ様……わたくしの事、嫌いでございますか?」

「(いや、大好きだけどさ……!)」


 思わず口に出しそうになったところを抑えて心の中で叫ぶことで誤魔化す。レベッカに対する気持ちは僕の中で『妹』という形で集束させるつもりだった。


 レベッカも、僕を『兄』として接してくれることが多く、互いにそれを理解していたのだ。


 それは、兄妹の関係で収めないと感情のコントロールを抑えられなかったのが理由だ。


「……レベッカ。僕達は『兄妹』だよ? レベッカだってその意味を理解してくれたから、妹として接してくれてたんだよね?」


「……わたくしもレイ様のような兄に昔から憧れを抱いておりました。それは今でも変わりません。……ですが、ヒストリアは旅人が訪れず、ずっと血縁の間で婚姻を繰り返す……いわば近親婚を繰り返していたのでございます。

 なので兄だろうと婚姻を結ぶことに何ら躊躇いなどございません……どころか、むしろ兄妹だからこそ、他人よりも強い繋がりで結ばれている特別な存在だと思っています……」


「……それは」


 ……そうなのかもしれない。


「レイ様、もう一度お聞きします。わたくしの事、一人の女性としてどう思われますか?」


「……!」


 レベッカのその質問から、僕は逃げることは出来ない。


「レベッカは良い子だし、綺麗だし、僕の事を理解してくれてる……。そんな子を嫌いなわけないし……最初に会った時から気になってたよ……」


 僕が素直に感情を吐露すると、レベッカは安心したように胸を撫で下ろす。


「……ホッとしました。もし、嫌いと言われたらどうしようかと……」


「僕がレベッカの事嫌いなわけないじゃん……。ずっと前に告白された時から僕がレベッカに対する感情は殆ど変わってないんだから……」


 そう。詳細は違うものの、彼女とこのやり取りは二度目なのだ。エミリアやカレンさんに告白する……される前に、僕はレベッカの告白を受けていた。


「レイ様、今日のわたくしの話はゆっくり結論を出して貰っても構いません。ですがもし迷ってどうしようも無くなった時、わたくしが提示した案を思い出していただければ幸いです」


 そう告げた後、レベッカは再び僕の手を両手でギュッと握りしめる。


「レイ様はおそらく、そのような行為は不義理と判断するかもしれません。ですが、少し解釈を変えてみては如何でしょうか」


「解釈を?」


 僕はレベッカの言葉の意味が分からずに首を傾げる。すると、レベッカは僕に語り掛けるように告げる。


「はい、レイ様は女神様に選定された正真正銘の『勇者』でございます。

 勇者とは選ばれし者、過去の歴史において勇者となったものは、歴史に名を残すほどの英雄として称えられております。そのような歴戦の人物は、皆、一様に複数の女性と付き合っていたとか……」


「いや、絶対それ関係ないと思うんだけど……」


 だが、レベッカは僕の意見を無視して話をつづけた。


「それは勇者にとって子を成す事は宿命であると心得ているからです。ですから、勇者が複数の女性と結婚することは何らおかしいことではないのです」


「(絶対それ、違うと思うの)」


 僕は内心で何度もそう突っ込むが、レベッカの話を聞くしかない。


「レイ様……この理屈で考えると、一人の女性としか結婚しないというのはおかしいことなのではないでしょうか? わたくしは故郷と一般の常識の乖離があってそれが不自然に感じたくらいでございます」


「そ、そうなのかな……そうかも……」


 レベッカの話を聞いていて徐々に自分の常識を疑い始めてきた。色んな意味で彼女の言葉は僕に様々な影響を及ぼす。


「レイ様、わたくしの目を見てくださいまし」

「え、あ、うん」


 ヌッと顔を突き出してきたレベッカの顔を僕は驚きながらも見つめる。


 一瞬、レベッカの目が赤く輝いた気がした。


「レイ様、わたくしはこう思うのです……。

 世間一般の常識とはあくまで世俗に囚われた一つの認識でございます。ですが、そのような常識は間違いだと判断されればいずれ淘汰される……故に、結婚相手は一人などという認識は、必要ないと思うのでございます」


「……うん」


 ――僕の愛しいレベッカの言う事ならきっと正しい。

 ――彼女がそういうのであれば、それは世界の常識だ。疑う必要はない。


 ……あれ、今、自分の思考がおかしかったような……?


 今の間、僕の思考が何かに操作されたように捻じ曲がっていた感覚があった。そこで、僕はとあることに気付く。


「(……これ、レベッカの魔眼の力だ……)」


 魅了の魔眼。レベッカが得意とする<魔眼>と言われる特殊な魔法系統の一つだ。

 効果は使用者に好意を寄せる男性を対象に、使用者の思うように誘導させる効果がある。つまりレベッカは今、僕にそれを使用して無理矢理従わせようとしているのだ。


 しかしこの魔法は効果が長続きしない。仮にこの場でレベッカが僕を無理矢理納得させたところで時間が経てば通常通りの思考に戻る。


 当然、彼女もそれは理解しているだろう。こんなことをしても意味は無いと。それでもレベッカがこんな強引な手段に出たのは、それほどに必死に僕を説得しようとしているのだ。


「……レイ様、わたくしめの提案、受けてくださいませんか……」


 僅かに目元に涙を溜めたレベッカの懇願。そんな顔を見せられては……。


 ……この考えは、決して魔法による誘導じゃない。僕自身が理解して決断したものだ。


「レベッカの話、少し考えてみようと思う」

「!!」


 レベッカの目が一気に輝く。


「ほ、本当でございますか!?」


「うん……あ、一つ言っておくと、レベッカの魔法の影響じゃないよ。ちゃんと自分で考えて言ってる」


「……!! 気付かれていたのですか……?」


「そりゃあね。僕はレベッカのお兄ちゃんだよ。それくらい分かるよ」


 僕がそう言うと、レベッカは顔を赤らめて恥じるように目を伏せる。


「も、申し訳ございません……」


 僕は黙って彼女の頭に手の平を当てる。そして、軽くグリグリと動かす。


「あう……」


「怒ったりしないよ。それだけレベッカは必死だったんだ。元はといえば僕が優柔不断なのが理由だし謝る必要はないよ」


「ですが……」


 尚も申し訳無さそうにするレベッカに、僕は笑顔で告げる。


「レベッカ、ありがとう。……もう、無理しなくていいんだよ」


「……う、うぅ……」


 僕がそう言って彼女の頭を撫でると、レベッカは僕の胸に顔を寄せて静かに肩を震わせた。


「うぅ……ひぐぅ……」


「大丈夫だよ、泣かないで」


「うぅぅ……レイ様ぁ……」


 こうして僕はレベッカの涙が止まるまでずっと彼女の頭を撫で続けた。


「(きっと、レベッカは本当は自分だけを見てもらいたかったんだね……)」


 でも、それを僕に強要することはしたくなかった。だから彼女は多くの女性と一緒に僕と結婚するという提案をしたのだ。そして、その提案を僕が呑めば、自身も僕に選んでもらえるかもしれないという望みもあったのだと思う。


「……」


 思えば、いつも彼女は僕に寄り添ってくれていた。


 僕が他の誰かに惹かれている時も自己主張せず、自身の感情を抑えて、僕に献身的に支えてくれた。

 きっとエミリアやカレンさんが僕に告白をしたという事を知って、今まで抑えてきた感情を静かに爆発させたのだと思う。


 僕はレベッカの頭を撫でながら、彼女の優しさと献身に心打たれていた。


「(レベッカも、エミリアも、カレンさんも、姉さんも……そして、僕も……皆が傷付かずにいられる方法……)」


 そんな方法、何処にもないのかもしれない。

 それでも皆で幸せになれる道はないのか、と僕は心の底から願う。

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