第717話 『先生』

 前回のあらすじ。

 塔の前の兵士が意地悪して入れてくれなかったので力づくで突破しました。

 あらすじ終わり。


 塔の内部に入ると、そこは一言で言えば図書館のようだった。

 壁一面に天井まで届く程の巨大な本棚があり膨大な量の書物が詰まっているように見える。また上に向かうための階段は螺旋状になっており、まるで天へ登るかのように上に上に伸びていた。


 その左右にもずっと本棚が並んでいて、この塔の中がこの魔法都市のあらゆる知識の宝庫となっていることが僕達にも分かった。


「おお、これは……」


「……大図書館……いえ、そんな言葉じゃ済まされませんね……一体、この塔に何十万冊の本があるのでしょう」


 レベッカとエミリアは感心したように塔を見渡す。


「わぁぁ……なんだか幻想的な雰囲気だね。サクライくん」


 彼女達と比べると子供のような反応だが、ルナも目を輝かせてはしゃいだ様子で僕に話し掛けてくる。


「うん、確かに凄い光景だけど……」


 外の景色はファンタジーと近代都市をごちゃまぜにしたような街並みでそれはそれで見ごたえあったけど、この塔の内部に関しては外とは完全に遮断され、本独特の匂いや空間を包み込む空気そのものがより幻想的に見えた。


 だが、今はこの光景に見惚れてる場合じゃない。外の兵士が応援を呼んで僕達を追いかけてくるか分からないし、早急に進まないと……。


「お姉ちゃんも、少し興味あるけど……」


「ちょーっとだけ、読んでみたい気もしますが……サクラは基本インドアとは正反対の人間なので!」


 姉さんとサクラちゃんも少し興味ありげな雰囲気だ。


 だが、ノルンは目の前の光景を見てフラフラと歩き始めた。その様子がまるで夢遊病のようで僕は心配になって彼女に声を掛ける。


「ノルン?」

「……良い場所ね、ここ。私も百年くらい住みたいくらいよ」


 ノルンは眠そうな目を細めて本棚の一つに寄り掛かり、下段の本を一冊手に取ってその場に尻餅を付いて本を開けて読み始める。


「……ノルンさん、私達がここに来た目的を忘れたんですか?」


 ウィンドさんが冷たい目で彼女を見下ろす。ウィンドさんの言う通り、僕達は本を読みに来たわけではなく、この頂の塔の頂上にいる『長老』とやらに会いに来たのだ。彼?と話し合い、この魔法都市の力を借りなければならない。


「ノルン、本を読むのは帰りでも良いでしょ? ほら、行こう?」


 僕は彼女の傍にしゃがんで、彼女の手を軽く引く。しかし、ノルンは小さな体重を後ろに掛けて僕に抵抗する。


「嫌よ、今の私は本を読みたい気分なの」

「……ええ?」


 この子、こんな我儘な子だったっけ?

 ちんちくりんな外見でも神様もびっくりなお年寄りなはずなんだけど。しかし、彼女が動こうとしないせいで、さっきから知識欲が反応して身体をソワソワ動かしていたエミリアも本棚に向かってフラフラと歩き出す。


「……うー、私も本を読みたくなってきました」


「エミリアさんまで!」


「ウィンドさん……この気持ちは抑えられません……。ウィンドさんも読んでみませんか?」


「いや、私は別に……」


 エミリアの突然の誘いに戸惑いつつも少し興味を示すウィンドさんだったが、彼女はすぐに首を横に振って答えた。


「それよりも今は目的を優先すべきですよ」


「……あ、駄目。私も読みたい……」


 ルナもエミリアとようにフラフラと本棚へと向かっていく。


「る、ルナまで……」


「……どういうわけかわたくしも本棚に身体が吸い寄せられてしまいます」


「レベッカも……?」


 どういうことだろう。確かに、四人共読書が好きな性格なのだけど、目の前の目的を放置してこんな事をし始める子じゃ……?


「ね、姉さん達は別に読みたくないよね……?」


 僕は心配になって他の仲間にも声を掛けるが……。


「あ、あのね、レイくん。不思議なの。本を無視して階段を登ろうとすると足が固まっちゃって……」


「わ、わたしも……頭が痛くなりそうな場所だから走り出そうとすると身体がいきなり重くなって……」


「え……嘘……!?」


 姉さんとサクラちゃんは階段を登ろうとするのだが、まるで床に足がくっついたように動こうとしない。


「……サクラ、ベルフラウさん。一度、階段から足を降ろしてもらえますか?」


 何かに気付いたのか、ウィンドさんは彼女達にそう指示を出す。


「え、でも身体が全然……あれ?」


 サクラちゃんは指示通り、階段から足を降ろすと、不思議なことに足は普通に動くようになり、身体を自由に動かせるようになっていた。


「身体が軽くなった……どうして?」


 姉さんも同じように足を戻すと身体が自由に動くようになった……が、


「あら……今度は何故か本棚の方に視線が向いちゃうんだけど……」


「わ、わたしも……」


 姉さんとサクラちゃんの二人は何故か本の方へ視線を向けたまま動こうとしない。他の仲間もすっかり本棚の方で本を読み始めてしまった。


「カレンさんは平気なの?」


「私は平気……なのだけど、何故か目的意識を忘れて『本を読みたい』って気持ちになっちゃうのよね……まるで思考を誘導されているような……」


「……ふむ、これは何かありますね……」


 ウィンドさんは細い腕を組んで静かにそう呟く。


「あくまで推測の話ですが、もしこれが誰かの魔法だとするなら……?」


「あり得るわ……さっきの兵士は私達を敵視してたみたいだし、この塔の中に潜んでいる誰かが、私達を妨害しようとしているって可能性が高いわ」


「え……それって、つまり……」


 僕達は敵の魔法にまんまと嵌ってしまっているという事なのだろうか?


「さて、どうすればこの状況を打開できるのか……?」


 ウィンドさんがそう言って思案し始めた。

 しかし、先程から固まっていた姉さんとサクラちゃんの様子がおかしい。


「あの……なるべく早く解決してほしいのだけど……」

「あ、無理です……わたし、本棚の方に足が動いてしまいそう……」


 二人はそう言いながら視線だけなく体の方も、本棚の方に少しずつ吸い寄せられてしまっている。このままじゃまずい、早くなんとかしないと……!


「……でも、なんで僕達三人は平気なんだろ?」


「言われてみればそうね……私も意識が阻害されてる気がするけど、それでも何とか動けない事もないわ」

 カレンさんはそう言いながら階段に足を付けて二、三歩進む。足取りは少し重そうに見えるが、姉さん達のように足が固まるというほどでも無さそうだ。試しに僕も上がってみるが、身体が少し重くなるが進めなくは無さそうだ。


「……私達が無事な理由……なるほど」


 ウィンドさんは姉さん達を順番に見てから何かに気が付いたように呟く。


「何か分かったの?」


「私達と、彼女達の違い……それはおそらく、最初にこの塔の内部を見て強く関心を示したかどうかだと思います」


「え……まさかそんな理由で?」


 あまりにも単純な推測で、僕は拍子抜けしてしまう。


「レイさん、よく思い出してください。今、本を読み耽ってしまっている彼女達、この塔の中に入って最初に何を言ってました?」


「どんなことって……えっと……」


 確かレベッカとエミリアとルナは、この塔の中の光景を見て目を奪われていた。ノルンは百年はこの塔の中で過ごしていたいと絶賛してた。

 姉さんとサクラちゃんはちゃんと仕事優先しようとしてたけど、この大図書館の無数の本に興味を引かれていた様子だった。


 対して、僕達は……。


「……そっか、僕は使命を優先することを考えてたから……」


「私もそうね……面倒な仕事は早く終わらせたいと思ってた」


「ふむ、やはりそうですか……」


 ウィンドさんはそう言って頷く。


「おそらくそれが魔法のトリガーになってたのだと思います。

 私はこの塔に入ったことは何度かあったので、特に魅了されずに済みましたが……さて、困りましたね……どうやって魔法を解除すればいいのやら……」


「こうなったら、無理矢理動かして連れてってみる?」


 そう言ってカレンさんは、本棚の近くに腰掛けて本の中身を熟読しているレベッカを後ろから持ち上げようとするのだが……。


「―――止めてくださいまし、今、良いところなのでございます!!」


 レベッカはそう言ってカレンさんの手から逃れようともがき始める。


「ちょっと、レベッカちゃん!!」


「うう、頭では本を読まずにこの塔から脱出すべきだと分かってるのに……身体が受け付けてくれないのでございます! もう少し、もう少しで何か掴めそうな気がするので!」


 レベッカはそう叫びながらも本を読むことを止めようとしない。


「こ、困ったわね……どうしようかしら……」


「……こうなれば、魔法を掛けた犯人を見つけ出して、魔法を解かせるしかありませんね……」


 ウィンドさんはそう決意して歩き出そうとする。


 そこで、僕達よりも高所から声が響き渡る。男性の声だった。


「―――さて、ウィンド君、キミにこの私を倒すことが出来ますかね?」

「!?」


 僕らは声の聞こえた方に視線を向ける。そこには、ローブに身を包み、大きな杖を手にした男性が宙に浮かんでいた。僕達が視線を彼に集中させると、その男性はこちらを見てニコッと笑う。


「やぁ、久しぶりだね……ウィンド君」

「……コーリン先生」


 ウィンドさんは驚いた表情で男性を見て、彼を『先生』と呼んだ。

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