第667話 ナイトメアラビリンス

「うう……酷い目にあったわ……」


 カレンさんはそんな言葉を口にしながら正面に座って溜息を吐く。


 彼女の顔は今でも蒸気していて顔も赤く汗を掻いていた。ノルンは僕とカレンを交互に見ながらジト目で睨んでくる。居た堪れない気持ちになった僕は、この場の雰囲気を一新する気持ちで言った。


「それで、ノルン。カレンさんの呪いは?」

「心配しなくても、彼女に掛かってる呪いの大半は除去出来たわ」


 ノルンは言いづらそうに言葉を濁す。

 カレンさんも不安そうな顔でノルンを見ていた。


「大半……?」


 僕は思わず尋ねてしまった。すると、ノルンはゆっくりと口を開く。


「……完全とはいかない。まだ呪いの根が残ってる。おそらく、これは魔王を完全に消滅させないと消えないでしょうね」


「じゃあ、カレンさんはまだ……」


「レイが心配するほど酷い状態ではないわ。ただ、いつまた発芽するかは見当が付かないわ。……それと」


 ノルンは、呪いの発芽とは別の心配があるのか、キョロキョロを周囲を見渡す。


「どうしたの?」


「この夢の世界が残ったままなのが気になるわ。既に彼女の意識が目覚めてもおかしくないっていうのに」


「それは、呪いが少し残ってるからじゃ……」


「……違うわね。私の処置の甲斐あって、彼女の状態は正常に近い状態に戻ってるはず。だから意識は戻るはずなのに……これは、まだ何かあるわね」


 ノルンが真剣な表情で思案していると、僕の正面に座るカレンさんが、「あの……」と控えめに手を挙げて言った。


「多分……だけど。この空間自体が問題じゃないかと思うの」


「この空間っていうのは?」


「私達の今見ているこの夢の世界の事。私の記憶通りの世界のはずなのに、何故かイヤな予感が消えないの……それに、まだ私の身体に負荷が掛かってる気がする」


 カレンさんは不安そうな顔をする。


「負荷……おかしいわね。貴女の呪いは九割九分取り払って、ほぼ健康体と変わらないレベルのはずなのに……」


 ノルンが「おかしい」と思い悩む。


 ……さっきのエッチな呪いの解呪で疲れただけなんじゃ……?と一瞬思ったが、流石にこの雰囲気でそれを言う勇気は無かった。


 ふと、僕は背後の扉が気になり、そちらに視線を向けた。

 扉の様子は特に変わった様子は無いように見えたのだが………。


 ―――ギィィィィィ


「……!」

 どういうわけか、誰も触れてもいない扉が開き始めた。


「どういう事かしら?」

 ノルンは訝し気な表情で、その扉を睨み付ける。


「……カレンさん、この部屋を出たことある?」


「……いえ、レイ君達が訪れた時にその扉は開くのだけど……私は、この部屋から一度も出れたことが無かったわ……」


 カレンさんは僕の質問に答えながら首を横に振る。その扉は少しずつ開き、その向こう側の光景が露わになる。だが、その先の光景は、本来の屋敷の廊下の景色と違っていた。


 それは、まるで深淵のように真っ暗な空間……その先に、微かに見える別の扉があった。


「……あの先の扉からカレンから感じてた呪いと同じオーラを感じるわ」


「ってことは……」


 僕達三人はその場から立ち上がり、扉の先にある別の扉を睨む。


「……ええ、カレンに纏っていた呪いは全部じゃないみたいね。……おそらく、あの先にまだ大元が残ってるわ」


 ノルンは真剣な顔をして言った。


「……なら、行きましょう。私も、ずっとこんな夢の世界に幽閉されたままじゃ不愉快よ」


 カレンさんは弱気な表情を潜めて、凛とした表情で歩き出す。


 僕とノルンも頷いて、カレンさんと一緒に、この歪な夢の中から脱出するため、深淵の先に進み、呪いの大元がいるであろう扉を開いた。


 ◆◆◆


「………!!」

「これは……」

「……っ」


 深淵の通路の先の扉を開いた僕達三人は、目の前の光景を見て息を呑む。


 そこは、今まで見えていた屋敷の景色などではなく、大規模ダンジョンのような探索者を惑わす迷宮ラビリンスだった。


 周囲の至る所が空間が歪むように捻じれており、明らかに普通の空間ではない事が分かる。


「ここは迷宮……かしら。しかも外側のようね」


 カレンさんの言葉通り、僕達の居る場所は迷宮の外側だった。何故それが分かるかというと、僕達は迷宮を全貌を把握できる高所におり、迷宮の中心と思われるほぼ中央が低い位置に見えるからだ。


 中心の位置には巨大なクリスタルのような黒いキラキラとした物体が浮かんでおり、そこから迷宮全体に巨大な魔力の波動が放たれている。


「あの中心の物体は何でしょうね」


 カレンさんは、そのクリスタルを指差す。


「定番の流れだと、あれこそ呪いの大元って感じじゃないかな」


 僕は思った通りの素直な感想を口にする。


「私もレイと似た感想だわ」とノルン。彼女はそのクリスタルを睨み付けながら、「カレンの中にあった呪いと同じ気配を感じる」と言う。


「そう。……でもあれが大元だとすると、どうやってあそこまで行くの?」


 カレンさんは、勘弁してほしいと言わんばかりに美しい顔を歪ませて僕達に問いかける。


「……」

「……」


 質問するカレンさんだが、彼女も分かっているのだろう。


 僕達は何も答えず高所からその迷宮を見渡す。迷宮は迷い込んだ旅人を惑わすような飾り気のない迷路だらけであり、この迷宮を攻略するには、おそらく……。


「……気が重いけど、歩いて進む以外に方法が無いってわけね」


 カレンさんは深いため息をつきながら自分で答える。


 ……つまり、そういうこと。


 この巨大な迷路にギミックらしいものが見当たらない。要するに、迷宮を歩き回って進む以外の答えが提示されていない。

 

 ……まあ、迷宮といえば、そういうパターンが多いのだが。


「あそこから迷宮の内部に入れそうね」


 ノルンは、一つの場所を指差す。そこは急斜面に下に降る階段があり、どうやらここからしか内部に入れないようだ。


「外壁を伝って楽できないかしら?」


 カレンさんはそう提案する。僕は試しにと、高所の外壁部分を慎重に歩いて行こうとするのだが、途中から目に見えない壁に阻まれて先に進むことが出来なくなった。


「……ダメだね」

「なら、飛行魔法で空を飛んでショートカットするというのは」


 これはノルンの提案だ。

 結果は目に見えていたが、僕は飛行魔法を発動させてみる。


 ……が、やはり駄目。


「……発動しない」

「……まぁ、予想はしてたけどね」


 僕は大きな溜息を吐いて、ガクリと項垂れる。


「じゃあ、やっぱり……」

「ええ、そのまさかでしょうね」


 僕とノルンの二人の中で答えが出たところで、カレンさんも察したのか僕達と一緒に溜息を吐いた。


「つまりは……」

「……歩いて行くしかないみたいね」


 僕達三人は迷宮を攻略するために、仕方なく急斜面の下り階段に足を踏み入れた。

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