第636話 夢の中のゆうしゃさま

「―――っ!!」

 僕は急速に覚醒して身体を起こす。


「ここは……!?」

 僕は周囲を見渡す。

 しかし、そこは森の中でもなんでもなく何処かの部屋の中だった。


「……あ、あれ、ここは……?」

 自分が想像してた場所と全く違う光景に僕は混乱する。


「あ、目覚めたの、レイ君?」

 聞き覚えのある僕を呼ぶ女性の声が聞こえる。そちらの方を振り向くと、ティーカップ片手に丸いテーブルで寛いでる女性……カレンさんの姿があった。


「……か、カレンさん……!!」

 僕はベッドから弾かれるように飛び起きてカレンさんへと駆け寄る。しかし、その前にカレンさんは慌てたように手を前に突き出しながら僕に言った。


「ちょ、ちょっと待ってレイ君。そのリアクションこれで三度目だから! 私に会えて感激してくれるのは私も嬉しいけど、その度に押し倒される私の身にもなって!?」


「あ、ご、ゴメン……」

 僕はカレンさんに言われて冷静さを取り戻す。

 そして自分が何をしようとしていたか気付いて謝罪する。


「だ、大丈夫……もう落ち着いたから……」

 そんな僕に彼女は苦笑して答える。カレンさんはホッとしたように息を吐いて、空いていたテーブルの席を引いて空のティーカップに紅茶を注ぎ、僕に勧めてくれる。


「はい、どうぞ」「……ありがとう」

 僕は勧められた席に座ると、彼女から淹れてくれた紅茶に口を付ける。すると口の中に優しい香りが広がっていき、僕を落ち着かせるには十分だった。


 そんな僕にカレンさんは尋ねる。


「ここにレイ君が居るって事は、貴方は眠ってるって事なのかしら?」


「多分そうだと思う。さっきまで夢を見てた気がするし」


「……夢中夢ってやつかしら? 珍しいこともあるものねぇ」


 カレンさんは笑いながら僕の言葉に相槌を打つ。


 ……そう、ここは夢の中だ。


 カレンさんは今、魔王の呪いで目を醒まさず眠ったままの状態になっている。僕とカレンさんが過ごしているこの空間も、カレンさんの記憶の中で構成された彼女の記憶の光景なのだ。


 そして、こうして彼女が淹れてくれたこの紅茶の味は……。

 僕は彼女の淹れてくれた紅茶を啜る。


「……うん、美味しい」

 この紅茶の味は僕の記憶から呼び覚まされているのだろう。


「えへへ、そうでしょ♪」

 彼女は嬉しそうに微笑む。その笑顔は僕が知っているカレンさんの笑顔……日常の象徴である優しい微笑みだった。そんな彼女の笑みを見て僕は夢なのにホッとしてしまう。


 それと同時に、先程まで見ていたあの声の事を思い出す。

 あの子は……もしかして……。


「(……いや、まさかそんな……)」

 僕は遠い昔、お父さんに聞いたことが脳裏に浮かぶ。


『レイ、ここだけの話だが、お前が生まれるまで○○だとお母さんは思ってたみたいなんだ。なんでかって言うと、妊娠が発覚した時に看護師さんに「おめでとうございます、○○の赤ちゃんですよ。」……って言われてたらしいんだよ。

 でもいざ出産した時はレイ△△だけでお医者さんも困惑してたんだよ。……まぁその時のお父さんは無事にお母さんが出産できた事に安堵してすっかり忘れてたんだけどな……。』


 ……当時、この話を聞かされたときは、お父さんはお酒に酔ってたから適当な事を言ってると思ってた……だけど、さっきの『声』の事を考えるなら……。


「……」

「どうしたの、レイ君。何か悩み事……?」

 僕が考え事をしてると、カレンさんが心配そうな目で僕を覗き込んでいた。


「あ、いや……不思議な夢だったなって思っただけだよ」

 僕は誤魔化すように、妙に流れてくる汗を拭いながら彼女の淹れてくれた紅茶を飲み干す。


「そう?」

「う、うん……それにしてもここ暑いね……紅茶のせいかな……」


 僕はそう言いながら上着を脱ぐ。

 理由は分からないが、先程から妙に身体が暑苦しい。

 夢の中だというのに、変な話だ。


「え……そう? 私は快適っていうか……ここで熱さを感じたことないんだけど……」

「あれ、そうなの?」


 僕はカレンさんの言葉に違和感を抱く。紅茶を飲んだ時は記憶の整合性の為、僕達は味覚と温かさまでシンクロする。だけど、部屋の気候や温度までは感じ取れていないという話だった。


「(言われてみれば……カレンさんの夢には何度かお邪魔してたけど、部屋の熱さまでは感じなかった……)」


 なのに何故だろう。今回に限って言えば異様に身体が暑く感じる。

 どころか……ヒリヒリして身体が痛いというか……。


「……な、なんか全身痛いんだけど……?」

「え、大丈夫なの!?」


 僕は自分の身体の変調を訴えるようにカレンさんに視線を向ける。彼女は僕を心配して、僕の額に手を当ててくれた。手を当ててくれた彼女の手がひんやりしてて気持ちいい。


「熱は……って滅茶苦茶熱いわよ、大丈夫なの!?」


「か、風邪でも引いたのかな……?」


「……もしかして、現実のレイ君に何か起こってるんじゃないの!?」


「現実の僕…………あ」


 それを聞いて僕は思い出す。


「(……今まで忘れてた……僕、多分今、死に掛けてる……)」

 それまで記憶が飛んでたけど、僕敵と戦ってて途中で意識を失ってしまった。


「レイ君、顔が青ざめてるんだけど……本当に大丈夫?」

「い、いやぁ……その……」


 僕は、事情を彼女に現実の事情を話した。


「……レイ君」

「……はい」

「お茶してる場合じゃないでしょーーーーー!?」

「で、ですよねー!!」


 全力で突っ込まれてしまった。


 ―――一方、現実の方では……。


「あ、レイ様が今、身じろぎをしたような!?」

「本当……!? それなら少しずつ意識が浮上し始めているわね!!」


 レイに癒しの魔法を掛けていたベルフラウは、レベッカの言葉に少しだけ希望を持ち始めていた。

 だが、まだ状況は芳しくない。彼の受けた怪我はベルフラウの魔法を以ってしても完全回復には届いておらず、至る所に火傷の痕跡が残っている。


「……心なしかレイ様が痛がっているように思えますね」


「本当ね……顔を顰めたり、苦しそうな顔をしたり…………」


「ごめんね、レイくん……私の力が足りなくて……」


 そう言いながらベルフラウは更に魔力を込めて回復魔法を続ける。

 すると、レイの口が動いて寝言を言い始めた。


「………で、ですよねー……!!」


「へ?」

「え?」

 レイの謎の寝言に、ベルフラウとレベッカが困惑する。

 しかし、レイの寝言はまだ続く。


「……いたい、痛いよ……………を引っ張らないで……………………さん」


「……?」

「……?」


 レイの寝言を聞き取れなかった二人は、顔を見合わせる。


「……今、レイ様は何を仰っているのでしょうか?」

「さ、さぁ……?」


 2人は首を傾げる。二人は知る由もないが、彼の夢の中では、彼を目覚めさそうとカレンが彼のほっぺを引っ張ったり頭を小突いたりしていた。


 ―――夢の中にて。


「……はぁ……はぁ……目覚めないわね……」

「カレンさん、いい加減頬を引っ張るの止めて……夢の中なのにヒリヒリしてきたよ」


「じゃあ、次は頭を小突いてみるわ」

 そう宣言して、カレンさんは僕の頭にチョップを叩き込む。そして次の瞬間――。


「痛ッ!? い、痛い! 頭が割れるように痛い!?」

「えぇっ……!? そんなに強く叩いたつもりはないのに……」

 僕は悲鳴を上げて飛び上がるように体を起こした。同時に全身から痛みを感じる。


「……そっか、肉体の方が傷付いてるせいで夢の世界にも影響が出ているのね……レイ君がすぐに目覚めないのもそれが理由かしら……」

 カレンさんの説明に僕は納得する。


「でも、死に掛けていたなら意識が奥底に眠ってるはず。今、こうして夢を見れているって事は意識が覚醒に近付いてる……つまり、レイ君の肉体が回復しつつあるって事ね」


「それじゃあ、僕はもうすぐ目を覚ますって事かな?」


「……多分、ベルフラウさん達が貴方を助けようとしているのね……でも、それでも目覚めないってのは、よっぽど重症なのか……あるいは……」


 カレンさんはそこで言葉を区切る。


「あるいは、何……?」


「貴方自身が、目覚めることを拒否してる……という可能性も無くはないかもね」


「……僕が?」


 僕はカレンさんの言葉に眉を顰める。


「何か、心当たりはない?」


「……ない訳じゃ、ないけど……」


 僕がそう言葉を濁すと、彼女は察したように神妙な表情を浮かべて「ごめんね」と呟いた。


「……カレンさんのせいじゃないんだ……どっちかというと、僕の問題で……」


「何か、自覚してることがあるの?」

「……」


 カレンさんに質問されて僕はすぐに答えられなかった。

 意識が覚醒してるのもあって、意識を失う前の記憶を思い出してきた。


 ……僕は、人間相手だから傷付けるのが怖くて負けてしまった。

 ……自分が情けないと、そう思う。


「……カレンさん、僕は弱い人間なんだよ」

「レイ君……」


 彼女から見たら、僕の言葉はとても弱音のように聞こえたかもしれない。


 だけど、これは偽りのない本心だ。


「……結局、僕はずっと弱いままなんだよ。

 いくら強い魔物を倒せても、相手が人間ってだけで傷付けるのを恐れてしまう。今まで、仲間が助けてくれてたからどうにかなったけど、頼れない場面だと、本当に何も出来ないんだ」

「……」


 カレンさんは何も言わずに僕の話を聞いてくれている。

 それが、凄くありがたかった。


「今回はまさにそうだった。相手は極悪人だってわかってるのに、いざ覚悟を決めて命を奪おうとすると手が震えてしまう。相手はもしかしたら僕よりもずっと強いかもしれないのに、自分の命よりも相手の命を取ることを怖がってしまうんだ……おかしいよね……」


 この世界に来て冒険者として頑張ってきた。中には自分よりもずっと大きくて強い相手と戦ってたのに、自分と同じ人間相手だとこんなにも情けなくなる。


「僕は、今までもずっとこうだったんだよ……魔王にだって勝てたって、それは皆の力が無かったら出来なかったことなんだ」


「レイ君……」


 カレンさんの辛そうな顔を見ると、僕は更に心が締め付けられる思いがした。


「……そっか、あなたをここまで追い詰めたのは……『人間』だったのね……」

「……うん」


 カレンさんの言葉に僕は、黙って頷く。


 ……そう、僕が一番恐れている相手は人間なんだ。魔物なら遠慮なく倒せる。だけど人間は違う。同じ人間だというのに、『戦い』になるだけでこうも躊躇ってしまうんだ。


「ごめんね、こんな話を聞かせて……」

「いいのよ」


 カレンさんは僕に優しく微笑みかけてくれる。


「……レイ君、貴方は人を傷付けたくないのよね?」


「……うん」


「……なら、『相手の命を奪う』事を考えずに、『相手を制圧』すればいいの」

「制圧……って、どうやって?」


 相手を殺さずに制圧する。それがどんなに困難なことか僕は知っている。そんなことが出来るなら誰も苦労はしない。


 しかし、カレンさんは僕の目をじっと見て、両手で僕の肩を掴む。


「……か、カレンさん……近い……!」


 僕は間近に迫ってきたカレンさんの綺麗な顔にドギマギする。


「レイ君……貴方は以前とは違う。少し前なら私の方が強かったと思う。

 でも、今の貴方は勇者の力を完全に覚醒させて、私以上に聖剣を使いこなしてる。剣の技術ならサクラより上よ。魔法の腕にしたってエミリアに見劣りしない。

 数多の奇跡を味方に付けたのもあったかもしれない。だけど、それだけの下地があったからこそあなたは魔王を倒せた。今の貴方は、この世界の誰よりも強い」


「だけど僕じゃ……」


「レイ君、貴方は自分の力を過小評価しすぎ……いえ、考え過ぎてるのね。もっとシンプルに考えましょう。先の事を考えずに、まず目の前の敵に自分の強さを思い知らせるの。敢えて必要以上に力を見せつけて萎縮させるという戦い方だってあるのよ?」


「そ、そうなの……?」


「そうよ。私が一人で戦ってた時は敢えてそうしてたもの。例えば、本当は自信が無い時も常に余裕の笑みを浮かべて自信満々で立ち向かうとかね。

 相手が弱ければ、それだけで勝手に降参しちゃうものよ。それでも向かって来たら、心が折れるまで死なない程度に倒し続けるの。実力差が分かれば相手も命が惜しければ向かってこれなくなるわ」


「そ、それは……ちょっと……」

 僕はその光景を想像して、苦笑いする。

 カレンさんが人間相手にそこまでやるとは思わない。

 だけど――。


「(……いや、カレンさんならそれくらいやるかも……)」

 普段はお淑やかで穏やかとした性格なのに、結構好戦的な所があるからね。

 この人は……。


 そんな僕を見てカレンさんは優しく言った。


「自信を持ちなさい。貴方は史上最強の良い子なんだから」

「し、しじょうさいきょう……」


 そこまで言われると逆に胡散臭いように思える。


「……期待してるわよ、レイ君」

「……あはは、そこまで言われたら……うん、僕もやる気出てきたよ」


 僕がそう答えると、カレンさんは笑顔で頷いて、僕の肩を軽く叩いて励ましてくれた。


「さ、そろそろ目覚める頃よ」


 その言葉に僕は頷く。心なしか、先程よりも心も体も軽い。

 彼女の言う通り、目覚めの時が近いようだ。


「……うん、そろそろ行ってくるよ」

「……頑張れ、優しい勇者様♪」


 カレンさんは輝く様な笑顔で僕にエールを送ってくれた。

 次の瞬間、僕の意識は現実へと帰還し、現実世界の僕へと戻っていった。

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