第596話 転生、そして

 次の日の朝。

 僕達はカエデに頼んで空を飛び、短時間の間に港町に到着した。


「カエデさんお疲れ様でした」

 僕達と一緒に港町に付いてきたウィンドさんはカエデにそうお礼を言った。


『ねぇねぇ桜井君、今回は何処に行くの?』

 ドラゴンのカエデにそう問われて、僕は彼女に答える。


「フォレス大陸って場所だよ」


『いいなぁ……私も桜井君と一緒に行きたい!』


「……僕も、カエデを連れていってあげたいんだけどね……」


 いかんせん、カエデで海を渡るのは遠すぎる。

 船で三日ほど西の航路を進まないとフォレス大陸に辿り着けないという話だ。

 流石に、カエデでもそこまで飛んでいくのは難しいだろう。


『うぅ……残念……』

 カエデはそう言って落ち込む。しかし、彼女が不憫過ぎるというのも事実だ。もう最終局面が近いというのに、大切な仲間であるカエデを置いてきぼりにしたくない。


 そう考えていたのは、僕だけでは無かった。


 エミリアは言った。

「……連れていってあげたいですね、カエデも」

 その言葉に、姉さんは頷く。


「そうね……何とか手段ないかしら? 例えば、大きな船を借りてカエデちゃんを運ぶとか?」


 いや、それだと目立ち過ぎるし、そもそもそんな大きな船を急遽用意できるとは思えない。現実的な手段で叶えようとするなら相当な準備が必要だろう。


 だけど、僕は一つだけ思い当たる手段があった。今、この場にはウィンドさんが居る。彼女に頼めば、その手段で可能かもしれない。


「ウィンドさん、変身魔法使えますよね。それをカエデに掛けてあげてもらえませんか?」


「……変身魔法……確かに使えますが……」


 ウィンドさんは、大きな体のカエデを眺める。


「……」

 ウィンドさんは、しばらく黙っていたが――。


「……分かりました。やってみましょう」


「本当ですか!?」


「はい。ですが、あくまで可能性の話です。成功しても失敗しても私は責任を負いませんよ?」

 ウィンドさんはそう念押ししてくる。


「カエデ……雷龍の力は簡単に制御できるものではありません。変身魔法は、単純に姿を変える魔法では無く、一時的にその力に制限を掛けて、本来の力をある程度抑え込んだ状態にするものです。当然、その姿は本来のカエデとはかけ離れた姿になるでしょう。それでも構いませんか?」


『うん! ありがとう!!』

 ウィンドさんは、僕に視線を向ける。


「……という事です。良いですね、レイさん」


「お願いします」


「……分かりました。……さて、私も他者に変身魔法を掛けるというのは初めてです」


 ウィンドさんはカエデに向かって手をかざす。


「……ではいきます」

 そして、詠唱を始めた。


「我が魔力を糧とし、偽りの姿へ変われ。<擬態変化>ミミカルチェンジ

 ウィンドさんの全身が光に包まれていく。しかし、その姿が安定しない。ドラゴンの姿になったり、あるいは異形のような姿に、あるいは人型、光の集束が起こらずにそれを何度も繰り返す。


「……これは……まさか、失敗?」

 少し焦ったようなエミリアの声。


「エミリアさん、もし変身魔法が失敗したらどうなるんですか?」


 サクラちゃんは不安そうに彼女に問う。


「もし失敗した場合、当然、変身魔法は成功しませんが……最悪の場合は……」


「その場合は?」


「……最悪の場合……カエデの身体が永遠に戻らない可能性もあります」

 ……カエデが元に戻らなかったら……。


 そう考えると、途端に怖くなった。しかし――。


「……カエデさん、聞こえますか」

 ウィンドさんが光の中に包まれるカエデに呼びかける。


『……』

 しかし、カエデからの返事が無い。

 変身魔法の途中から彼女の声が一切聞こえなくなってしまっている。

 おそらく、今の彼女は意識が無いのだ。


「……カエデさん、今のままでは変身魔法は失敗します。理由はおそらく貴女の中にある感情が今の姿を否定しているのが理由です。強く願ってください……カエデさん……貴女は、何になりたいのですか?」


『…………私は――』

 カエデは何かを呟いた。しかし、その言葉は小さくて僕の耳に届かない。


『…………私は――』

 もう一度、カエデはそう言う。

 すると、突然彼女の身体から眩い光が放たれる。そして――――


 彼女を包む光が徐々に集束していく。そこには、一人の裸の少女の姿があった。


 だけど、僕はその姿に覚えがあった……。


「カエデ……いや、もしかして……」

 その姿は、彼女がこの世界にドラゴンとして転生する前のその姿に酷似していた。


「……椿楓つばきかえでさん」


 彼女の光が完全に集束して表した姿は、僕は以前の姿で見た彼女そのものだった。


 名前は、『椿楓』

 特に目立つわけでは無い、ごく普通の日本人中学生の少女だ。


「……」

 しかし彼女は僕に反応せず、その場で膝を崩して倒れてしまう。


「椿さんっ!!」

 僕は彼女の傍に駆けよって彼女を抱き起こして彼女の身体を揺する。

 そこに、ウィンドさんが彼女の傍に寄って彼女の額に手を当てる。


「……大丈夫、ただ意識を失ってるだけですよ」

「……良かった……」


 ホッと胸を撫で下ろす僕。


「桜井君……私……」


 そこで、カエデ……いや、椿さんが口を開く。


 彼女の雰囲気が以前とまるで違う。ドラゴンとなった彼女はやや快活なイメージだったが、今の彼女は僕が元の世界で会った儚い少女だった。


「……信じられません。私の、変身魔法は間違いなく失敗したのに、これは……」


 ウィンドさんも驚きを隠せない様子だった。


「……師匠、どういう事ですか?」


「失敗って言ったわよね。でも、カエデちゃんの姿は間違いなく変わってるように見えるのだけど……」


 姉さんは彼女の姿をまじまじと見る。今のカエデ……椿さんの姿は以前のドラゴンの姿ではなく、ただの少女にしか見えないだろう。


「姉さん、推察は良いから彼女にシーツを被せてあげて」

「あ、そうね……!」


 姉さんは彼女が裸であることに気付いて、鞄から自身の衣類を取り出して彼女にかけてあげる。


「それで、ウィンドさん。これは一体どういう事なんですか? 今の魔法が失敗したのは私でも分かります。ですが、現実、彼女の姿は変わっている」


 エミリアも、今のこの光景が信じられないようで、彼女を見つめている。


「エミリアさんの言う通り、私の『擬態変化ミミカルチェンジ』は失敗しました。

 この魔法が失敗してしまうと、思い通りの姿になれず、場合によっては合成生物のように様々な生物が入り混じった姿に変化してしまうのも珍しくない。だから、私はなんとか魔法をキャンセルして、元の姿を再現しようとしました」


 ウィンドさんはそこで口を閉じる。彼女の唇は震えていた。


「ですが、それも失敗……だというのに……」

 ウィンドさんは彼女の額に手を当てる。


「……彼女の姿は変身魔法の失敗でこうなったのではありません。おそらく、彼女の想いが彼女の以前の姿に戻させたのでしょう………正に、これは奇跡……これを仮に、魔法として名付けるのであれば……」


 ウィンドさんは少し考えてから――。


「……『転生リンカーネーション』………彼女は、この場で再び転生したのです」


転生リンカーネーション……?」


「原理は分かりませんが彼女の肉体は幻想では無い。何故、こうなったのか私には分かりませんが、今の彼女は間違いなく人間です」


「……ウィンドさん」


 疑問に思うウィンドさんに、椿さんは反応を示した。


「……私、聞こえたんです。『ごめんなさい』って。私をこの世界に連れてきた神様の声だった……」


「神様の声?」


「うん……私、あの人を恨んでた。なんでドラゴンの姿になったの……折角、桜井君と再会できたのに、なんでこんな姿なのって……。

 いくら凄く強い伝説のドラゴンだからって私はこんなの全然望んでいなかった。普通の女の子で居たかったのにって……。それで、変身魔法が失敗しそうになって、ウィンドさんに『貴女は、何になりたいのですか?』って聞かれて、私は思ったんです」


 椿さんは、震える手を僕に向ける。僕はその彼女の手を握る。


「……私は、私で居たいって………そしたら、神様の声が言ったの。『……ごめんなさい。貴女に辛い思いをさせてしまって……。貴女の願いを叶えましょう。貴女はもう自由です』って……。そして、私はまた桜井君に会えた……」


 彼女は涙を流しながら、僕の顔を見る。


「ありがとう……桜井君……」

「椿さん……」


 僕は彼女を優しく抱きしめる。


「……神様……椿さん、その声の人って女の人だった?」

 姉さんは、何か気付いたのか椿さんに質問をした。


「……女の人です。ちょっと冷たい感じで、でも優しい声で……」


「やっぱり……」


「知ってるの? 姉さん……」


「……地球担当の神様ってね。私と、もう一人だけしか居なかったの……。そっか……フローネ様、お元気にしてらっしゃるかしら?」


 姉さんは懐かしむように目を細める。


「ねぇ、姉さん……椿さんはこれからどうなるの?」

「それは……」


 姉さんは言葉に詰まる。


「分からない……本来の転生と手順がまるで違うもの……。だけど、フローネ様だって考えがあって彼女を元の姿に戻したのだと思う。しばらく、彼女の様子を見ましょう」


「そうだね……」

 僕が納得すると、椿さんは安心したように目を瞑り、再び目を閉じた。


「椿さん……」

「少し、休ませてあげましょう……。彼女が心配ですし、私も疲れてしまいました」


 ウィンドさんは疲れた様子で言った。僕達は彼女の言葉に頷き、その日は船に乗らずに、港町の宿を取ることにした。


 ―――そして、その日の夜。


「………あ」

「……椿さん」

 宿のベッドで寝ていた彼女がようやく目を醒まし、僕は彼女に声を掛ける。


「……桜井君」

「良かった……」


 彼女は僕の顔を見ると、少し照れくさそうな表情を見せた。


「……桜井君、さっきはごめんなさい。それに、皆にも迷惑かけちゃって……」


「ううん。……それより、具合は大丈夫?」


「うん……でも、変な感じ……。朝まで、私は桜井君達が小さく見えて、翼もあって、魔物も動物も丸飲みに出来てしまう口と、何でも砕いちゃう牙があったのに……今は、こんな普通の女の子だなんて……」


「…………」

 僕は黙って彼女の話を聞く。


「でも、不思議と怖くないんだよね……なんだろう? 今までずっとドラゴンだったからかな? 自分の身体が小さくなっても、ドラゴンの時と同じ感覚がするっていうか……」


「……それは、一体どういう?」


「……なんでだろう、私、今でもあの姿になれる気がするの……」


「……え?」


 僕は彼女の言葉が理解できずに、首を傾げる。


「本当になんとなくなんだけど、今も、あの時みたいに大きなドラゴンになれそうっていうか……そんな感じがして」


「それって……」


「桜井君……お願いがあるの」


「何?」


「今から、町の外に行っても良い?」


「……それは、構わないけど」


 僕はベッドで横になる彼女の身体を優しく起こして、彼女をおぶさる。


「ごめんね、まだ身体が上手く動かなくて」


「少し前までドラゴンだったんだから、身体に慣れないのは仕方ないよ」


 僕はそう言いながら、部屋の窓を開ける。

 既に夜。空には眩い星空と、地球で見る様な満月の姿があった。


「……綺麗」

「うん。行こうか」


 僕は彼女を背負って窓から飛び出す。


「わっ!?……もう、驚かさないでよ」

「ごめん、ごめん……」


 僕は苦笑しながら、飛行魔法を発動させる。


「ふぅ……」


「凄いね、桜井君。翼もないのに空も飛べるなんて……」


「魔法の力だからね……僕もすっかり慣れたよ」


 僕は笑いながら飛行魔法で空を舞う。

 潮風の感じる港町は瞬く間に過ぎ去り、やがて町外れの草原に到着する。


「ここなら誰も来ないし、大丈夫だよ。椿さん」

「……ありがと、桜井君。私の我がままに付き合ってくれて……」


 彼女は、僕の手を借りてなんとか立ち上がる。

 僕と同じ二足歩行で歩くのは今の彼女にはまだ辛いのか、両脚が震えていた。


「……見てて、桜井君。これが、今の私……<転生>リンカーネーションした私の―――」

「……」


 ……その瞬間。彼女の身体が浮き上がった。


 それは、まるで輝く星のように。流れる流星のように。


 彼女の周囲に溢れんばかりのマナが輝き、それが彼女を今までとは全く別の姿に変異させていく。


 その大きさは、以前の雷龍の大きさよりは多少小さいが間違いなく竜の姿だった。


 だが、以前の雷龍の姿……ではない。


 雷龍は人を畏怖し恐怖させるような破壊の権化の姿だったのに対して、今の彼女は見るものを魅了し輝く満月を思わせる美しい光に照らされた竜の姿だった。


『……』

 彼女は、自身の変貌した姿をただ呆然と見つめているようだったが、その瞳からは涙が流れ出していた。


 彼女の今の姿に、新たな名前を付けるとしたら―――。


「……『月の竜』……ルナ……」

 僕は自然とその言葉を口にする。


『……ルナ……か……うん、良い響き……』


 彼女はそう口にする。

 そして、彼女は再び地上に降り立ち再び人間の姿へと戻った。


「……桜井君、私、決めた」

 僕に背を向けた彼女は静かに、そしてはっきりと言った。


「……何を?」

「……今の貴方が、桜井鈴じゃなくて、レイと名乗るように、私は椿楓じゃなくて……」


 彼女はこちらを振り向く。


「……私は、これから『ルナ』って名乗ることにする」


「椿さん……」


「椿楓は、もう本当は居ない。

 あの日、私が貴方を後追いした瞬間から……。

 だけど、私は生まれ変わった。新しい自分として……」


「……そうだね。君は、もう僕の知っている椿さんじゃないかもしれない」


 そして、僕も。

 この世界で二年生きた『サクライ・レイ』はもう『桜井鈴』じゃない。

 地球で生まれた『桜井鈴』とは呼べない別の存在なのだ。


 彼女は言った。


「……初めまして、サクライ・レイさん」

 それは、まるで初対面のように。


「……私は、ルナ。これからよろしくお願いします」

 彼女は、まるで天使のような笑顔で僕に手を差し伸べてきた。


「……あぁ、初めまして、ルナ」

 僕は彼女の手を握り返す。


 ――この瞬間、僕達は、本当の意味で転生を果たしたのかもしれない。

 ――それは、僕達の過去との決別の意味でもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る