第585話 抗うために

「それ、本当……?」

「カレン様が……」

「……急に倒れてしまった……と……」


「はい……」

 僕がカレンさんの家を出て、宿の部屋に戻ると扉が開けっ放しの状態だった。近づくと声が聞こえたので、レイは入らずに部屋の中を覗き込むとサクラちゃんが泣きそうな声でレベッカ達に話していた。


「昨日の夜、急に気分が悪くなって倒れてしまったんです……それで今は、ずっと目を覚まさなくて……」


「そ、そんな……」

「理由は一体……?」

「……」


 レベッカとベルフラウはその理由に至れない。

 しかし、エミリアだけは複雑な表情で俯いていた。


「……」

 レイは開いたままのドアを軽くトントンとノックする。

 すると、音に気付いた彼女達がこちらを振り向く。


「……ただいま、みんな」


「レイ……」

「……レイ様、お帰りなさいませ」

「おかえり……様子、見に行ってたんだね、レイくん」


「うん……」


 レイは平静を装って静かに答え、部屋の中に入ると扉を静かに閉める。今はまだ夜明け前の時間だ。あまり騒々しくしてしまうと他のお客さんの迷惑になってしまう。


 扉を閉めると、サクラちゃんが僕の傍に駆けてきて僕の手を取りながら言った。


「せ、先輩は……? レイさん、先輩、起きてましたか……?」

「……」


 サクラの目は赤く腫れていたように見えた。おそらく一晩中泣いていたのだろう。


「ううん……今も眠ってるよ」

「そうですか……」


 サクラちゃんは僕の手を握ったまま、僕の顔を見上げる。その瞳は心配や不安、それに困惑……様々な感情が入り混じった目をしていた。


「……エミリア、倒れた理由、分かる?」

 レイは俯いて思いつめたような表情をしていたエミリアに声を掛ける。


「……」

「気付いてるなら言ってほしい。僕も、思い当たる節があるから、エミリアの話を聞きたいんだ」


 レイがエミリアにそう質問すると、他エミリアは顔を上げて僕達から背を向ける。


「……以前と同じです。化け物の攻撃を受けた時の呪いが再発したんですよ……」

「―――なっ」


 サクラちゃんは驚いて僕から手を離して、エミリアに掴みかかる。


「な、なんで……! あの時、エミリアさんの薬のお陰で先輩は完治したんじゃかったんですか!!」


「……確かに、カレンの身体に巣食っていた呪いは消滅していました。……でも、それはあくまで一時的に治まっていただけに過ぎなかったのです」


「え……」


「私の作った薬は、あくまでも『対症療法』でしかありません。呪いの効果を一時的に消し去って彼女の意識を強引に取り戻させてから、私は彼女に私が作った薬を定期的に渡していました。それで何とか彼女が日常生活を送れる程度に放っていたのですが……」


 エミリアはそこで言葉を区切る。そして、サクラちゃんの手を掴んでからこちらに振り向く。彼女の表情は暗く、悲痛な表情を浮かべていた。


「……それでも、やはり限界がありました。今までの彼女はおそらく無理して動いていたのだと思います。……私も薄々理解はしながらも、出来ることは彼女に薬を渡す以外に選択肢はありませんでした。……レイは、彼女の様子に気付いていたのですか?」


「……うん。普段から僕達に笑顔で接してくれていたけど、時々、無理しているような気がして、たまに身体が震えていたり、すごく不安そうな顔をしていたり……何より、カレンさんが意識を取り戻して時間が経っているはずなのに、彼女から感じるマナの量が……」


「そうですね……おそらく、私が作った薬が無ければ彼女はもう……」


「……先輩は、薬が無ければ死んでいたって事ですか? 」


「……はい。このままではいずれカレンの命は尽きてしまうでしょう」

「――ッ!!」


 サクラちゃんはエミリアの言葉を聞いて膝を床について項垂れて泣き始める。


「うぅ……先輩……うわあああん!!」

「サクラちゃん……」


 姉さんはサクラちゃんの傍に寄って彼女を後ろから抱きしめる。


「………」

 サクラはレイ達よりもずっとカレンさんとの繋がりが深かった。幼少の頃から家族ぐるみで本当の姉妹のように接していて、特に二人はとても仲良しでいつも一緒に行動していた。だから、余計にショックが大きかったのだろう。


「(………)」


 しかし、レイは考える。

 僕達も、サクラちゃんと同じ想いだ……と。


 エミリアも顔を伏せて帽子で目元を隠しているが今にも泣き出しそうだし、姉さんはサクラちゃんを抱きしめながら唇を噛み締めている。レベッカは、膝を付いて祈るように目を瞑り両手を胸の前に組んで俯いている。


 皆、同じ気持ちなんだ。カレンさんは僕達の大切な仲間で家族だと思っているし、彼女と過ごした時間は僕にとってかけがえのないものだった。彼女も、きっと僕達が居なくなってしまえば寂しいと思ってくれるはずだ。


 レイの目元から僅かに涙が零れて視界が歪む。

 しかし、レイはすぐに腕で涙を拭う。


「(……だけど、泣いていてもカレンさんは助からない)」


 レイは本当ならサクラと同じように、カレンさんの事を想いながら泣き叫びたい。

 ベルフラウのようにサクラちゃんを慰めてあげたい。エミリアのように、自分の無力さを噛みしめて、レベッカのように奇跡を祈りたい。

 

 ……なら、その役目は彼女達に任せよう。


「……」

 レイは背を向けて部屋を出る。

 自分が泣くのは、やれることを全てやってからだ……。

 彼の背中は、そう語っていた。


 レイが部屋を出ていく時――――


「……レイ様?」

 唯一、レベッカだけはレイの様子が自分達と違う事に気付いた。レベッカは、悲しみの胸中にいる三人の様子を気にしながらも、レイの後を追った。



 ◆◆◆



 レイは宿の外に出るなり、その場で立ち止まって空を見上げた。

 先程まで暗かった周囲だが、ようやく朝日が昇ってきて徐々に明るくなってきている。


「……」

 レイは、今自分がどんな表情をしているのか分からなかった。


 ただ、目の前に広がる青空を見て、綺麗だと思った。

 この世界に来てまだ二年くらいしか経っていないが本当に色々な事があった。


 楽しい事も、辛い事もあった。

 だけど、この世界で出会った仲間達にレイはずっと支えられてきた。


「……カレンさん」

 街を出る前に、彼女にもう一度会いに行こう。

 レイはそう考え、再び彼女の家に向かった。


 ◆


【視点:レイ】

 カレンさんの家に入ると、今度は気配があった。一瞬、カレンさんが目を醒ましたのかと期待したが、すぐにカレンさんじゃないと気付く。


「……レイ様」

 僕を迎えてくれたのは、カレンさんのお付きのリーサさんだった。


「リーサさん……カレンさんの様子は……」

 僕はそう質問するが、リーサさんは黙って首を横に振る。


 ……分かっていたことだ。


 今の彼女は簡単に目を醒ます様な状況じゃない。


「アテがあってボクは少し街を離れます。でも、その前にカレンさんにもう一度会いたくて来ました」


「そうでしたか……では、こちらへ」

 リーサさんはそう言って、僕を部屋に案内してくれた。


 カレンさんの部屋に入ると、僕がさっき見た時と違いカレンさんの寝姿が変わっていた。

 僕が見た時はパジャマ姿だったけど、今はネグリジェに着替えさせられていて、ベッドの上に仰向けに横たわっていた。


「………」

 眠っているカレンさんの顔を見る。今は辛そうな表情はしておらず、今すぐ目を醒ましそうなほど穏やかな顔つきをしていた。

 僕はベッドの横に置いてあった椅子に腰掛けて、カレンさんの様子をまじまじと見る。


「……」

 無意識に、僕の右手がカレンさんの左手を握る。

 彼女の身体にはまだ温かみがある。まだ生きている証拠だ。

 そして、顔を彼女の耳元に近付けて言った。


「……カレンさん、ちょっとだけ待っててね……」

 そう言うと、僕は彼女の青い髪を掬いあげて髪を綺麗に整える。そして椅子から立ちあがり、後ろ髪を引かれる想いで部屋を出た。


「……レイ様、もう行かれるのですか?」

 気を利かせてくれたのだろう。僕が部屋を出ると、リーサさんが部屋の外で静かに立っていた。


「はい、リーサさん。後はお願いします」


 僕はそれだけ言って頭を下げて、カレンさんの家を出た。

 そして、僕は右手の指に装着している<契約の指輪>に言葉を発する。


「―――カエデ、聞こえる?」


 ……それから数分後、王都の上空に青い大きなドラゴンが迫ってくる。


 僕はその影に手を振るとドラゴンはゆっくりと大きな翼を羽ばたかせながら地上に下りて来た。


『桜井君! お待たせ!』

「ありがとう、カエデ。……じゃあ、行こうか」


 僕達はそう言い合って、ドラゴンの背に乗った。

 そこに、後ろから声が掛かる。


「レイ様!!」

 僕が振り返ると、そこには旅支度を整えたレベッカの姿があった。


「レベッカ……」


「わたくしも一緒に行かせてくださいまし」


「……分かった、おいで」


 僕が了承するとレベッカはこちらに走って、カエデの尻尾を伝ってドラゴンの背に乗る。


『それじゃあ、出発するよ!!』


「お願い!」

「カエデ様、よろしくお願い致します!」


 僕達の言葉を聞くと同時に、カエデは勢いよく飛び立った。

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