第511話 恐るべき敵

 僕は、地獄の真っ只中に居た。


 目の前は真っ赤な空。

 地上の至る所に火の手が上がり、人々の断末魔の声がオーケストラのように響き渡っている。


 人間という種族は、魔物という圧倒的な脅威を前にしてなす術も無く蹂躙されていた。


 そんな光景を目にして、僕は動くことが出来なかった。


 勇者として持て囃された僕の力も魔物達に通じず、

 剣を折られ、脚を砕かれ、手は捥がれ、今の僕は虫けらのようだった。


 もう一人の勇者であるサクラちゃんも討ち死にし、

 平和の象徴だった王都も陥落し、この世界に生き残った人間にはもう絶望しかない。


 そんな光景の中、僕はずっと泣き続けていた。


「……ごめんなさい……ごめんなさい」


 ただひたすらに謝り続けた。

 こんなことになるとは思わなかった。


 僕の大好きだった人達は皆、殺された。


 レベッカも、エミリアも、カレンさんも、サクラちゃんも。


 ……そして姉さんも、最期は僕の盾になって死んでいってしまった。


 ……もう、何もかもどうでもいい。


 自分の足が潰れて肉片が飛び散っていようが、腕の先がもげてそこから得体の知れない液体が流れていようが、胴体が半分に引きちぎられて内臓が溢れ出ていようが、そんなことはどうでもいい。


 守るべき人も、帰る場所を失った今、僕に残されたものは何も無い。

 僕は地面に横たわり、虚ろな目で燃える街を見ながら呟く。



「……おか……あ……さ……ん…………」

 ……僕が最期に口にしたのは、僕を生んでくれた人の事だった。



 ◆



「――ッ!!」

 突然、目の前の場面が映り替わった。


 僕は暗い建物の中で横になっていた。

 今にも崩れそうでボロボロの屋敷で、僕が最初に見たのはその天井だった。

 そして、次の瞬間、僕を心配そうに覗き込む美しい女性の顔が見えた。


「……ねえ、さん……」

 その女性は、紛れもなく僕の義理の姉であり、

 一緒に異世界へ転移した女神ベルフラウ様その人だった。


「レイくん!!」

 姉さんが僕の名前を叫ぶ。

 そこで、ようやく今までの地獄こうけいが夢の中だったことに気付けた。


「―――っ!!」

 僕は、意識が完全に覚醒したと同時に上半身を起こす。

 どうやら僕は姉さんに膝枕をされていたようだ。


 そして、起き上がってから、他に二人の女の子が僕のすぐ傍に駆け寄ってきた。


「レイ様!!」

「良かった……無事でしたか、レイ!!」

 二人はスカートが捲れるのも気にせずに、その場でしゃがんで僕の手を握る。


「……レベッカ……エミリア……」


 彼女達は、見た感じ無傷のようだった。

 夢の中の彼女達は、口にしたくないほど酷い状態だった・


「……僕の身体は……」

 次に、僕は自身の状態を確認する。

 彼女達に握られてる手の感覚はしっかりある。脚も痺れてはいたけど、無傷で繋がってる。悪夢の中で内臓が飛び出していた僕の腹も傷一つ無く元通りになっている。


「……ああ、やっぱり夢か」

 僕はホッと息をつく。

 あんなのが現実だとしたら、あまりにも救いが無い。


「おい、大丈夫か?」

 僕の背後から二人とは違う女性の声が聞こえた。

 振り返ると、そこには長い金髪の魔法使いの少女が立っていた。


 彼女の名前は……確か……ルビーだ。

 寝覚めの悪い夢を見たせいで少し混乱してしまっている。


「……うん……ありがとう、ルビー」

 僕は彼女の名前を確認する様に、その名前を呼んだ。


 僕は三人に身体を支えられて、どうにか立ちあがる。


 そして、遠巻きに僕達を観察していた人物がこちらに歩いてきた。


 奴は僕を一瞥してから言った。


「……ふむ、<悪夢>に取り込まれて、

 僅か10分にも満たない時間で意識を取り戻すとは」


 奴はそう言って、感心するように顎に手を当てている。


「エメシス………いや、ナイアーラ!!!」

 僕は怒りを込めてその名を呼ぶ。

 すると、ナイアーラは僕の方を向くと、ニヤリと笑って口を開いた。


「おはよう、勇者レイよ。いい夢は見れたかな?」


「……今の悪夢はお前の仕業か!!」


「そうだとも。お前が思い描く中で最悪の展開を夢として見せてやった。その様子では、随分と嫌な思いをさせてやれたようだな」


「ふざけるな!! お前、一体何のつもりでこんな悪夢を――」


「ふむ……今のでも我の事を思い出せないか?

 なら、更にもっと深い絶望をお前に与えなければならないが……」


 ナイアーラはそう言いながら、触手に巻かれた左手をこちらに向ける。


「……っ!!」

 僕はさっきまでの悪夢を思い出し、思わず身構えてしまう。

 しかし……その瞬間、僕は以前似た様な光景を見たことを思い出した。


 あれは今から1年近く前の事だ。

 僕達はとある森の中で、幻覚に囚われてしまった。

 その時に、僕達に幻覚を見せた魔物は……。


「――ま、まさか……!!」

 僕は仲間本能のように、鞘から剣を抜いて即座に構える。

 すると、目の前の人物は楽しそうに笑い出す。


「……ふふふふふ」

「な、なんでお前が……お前は、神じゃないのか……!?」


 全身に冷や汗が流れる。

 この場に居るのは、あの時、僕達が遭遇した魔物。

 それと全く同じ存在だ。


 僕がその事実に唖然としていると、

 仲間達が僕を守るようにナイアーラの前に立ち塞がる。


 しかし、彼女達も顔が強張っている。

 奴の正体に薄々勘付いていたのかもしれない。

 あるいは、敵の強さを感じ取れたのか。


 姉さんが剣を握る僕の手を自身の手で握って、僕に質問する。

「レイくん、こいつ……って」


 僕はその質問に、生唾をごくりと飲み込んで、言った。


「……魔王だよ」

「え……?」


 僕の言葉を聞いて、姉さんは呆けた顔をしていた。


「そ……そんな……う、嘘よね?」

 姉さんは、震えた声で僕に確認を取る。


「残念だけど本当なんだ。こいつは……僕達の敵だ!!」

 僕は剣を強く握りしめて、そのまま奴に斬り掛かる。


「おっと!」

 しかし、ナイアーラは涼し気な表情で、

 僕の剣技をいとも簡単に躱し、後ろにふわりと飛んで距離を取った。


 そして楽しそうな笑みを浮かべて言った。


「いきなりやる気だねぇ、勇者くん。

 しかしだな……魔王と勇者が対峙する時は、大層な前口上が必要と思わないか?

 そうだな、例えば……『よくぞ来た、勇者よ!!』みたいな感じのセリフとか、それに対して勇者は『世界の平和を守るため、魔王、貴様を倒す!!』……というのはどうだろうか?」


「黙れ!!」

 僕は激昂して再び攻撃を仕掛けるが、またも奴はひらりとその攻撃を避ける。

 

「……レイ様、今の話は本当なのですか?」

「つまり、魔王の影の本体……という事ですよね」


 エミリアとレベッカに質問されて、僕は頷く。


「……僕が掛けられた<悪夢>の魔法。あれは、前に僕達が<魔王の影>から受けた魔法と全く同じだ……それと全く同じ力を使えるこいつは……!」


 僕は剣を構え直す。


「――魔王ナイアーラだ!!」

 僕の叫び声が周囲に響き渡る。

 すると、魔王ナイアーラは嬉しそうに手を叩き始めた。


「おお、素晴らしい! 実に感動的な名付けだ!!

 そうとも、今の我は数百年前に世界を治めていた【創造神ナイアーラ】とは違う。

 拒絶され憎悪が形となって現世へと復活した【魔王ナイアーラ】だ!」


 そう言って奴は両手を大きく広げた。


「ようこそ勇者よ。歓迎しよう、我が居城へ!!」

 奴は満面の笑顔でそう宣言した。


「……」

 僕は奴の言っている事が理解できずに言葉を失う。

 ……何を言ってるんだこいつは。


「……こんなボロボロの屋敷で我が居城と言われましても」

 レベッカが、冷や汗を掻きながらそう呟いた。その通りだ。


「……なんだ、ジョークのつもりだったのだがな」

 ナイアーラはつまらなそうに言った。


 それを見たエミリアと姉さんは、戦いの気を削がれたのか、

「威圧感は魔王そのものですが、演技掛かってるのが鼻に付きますね」

「なんか……小物っぽいわね」


 と、中々に辛辣な反応をしている。

 しかしルビーは、二人とは正反対に、怯えた様な表情をしていた。


「魔王……エメシスが呼び出そうとしたのは神では無かったのか……?」


 彼女はそう言って杖を構えたまま後ずさる。

 ルビーの呟きが聞こえたのか、ナイアーラは顎に手を当てて口を開く。


「ふむ、良い質問だな、そこの娘。エメシスが現世に蘇らそうとしたのは神は我で間違いない。だが、エメシスが呼び出そうとした我は、魔王として魂のみ転生を果たしていたというだけだ。もっとも、そのお陰で我は奴の肉体によって受肉を果たせたことになる」


「そ、そんな……なら、願いを叶えるというのは……?」


「神として召喚されたならば、人間の願いを叶える程度造作もない。だが、魔王として転生した我に、そのような力はない……我に出来るのは……」


 ナイアーラは上を見上げて、手を上にかざす。


「……世界を破壊するこの力よ」

 すると、ナイアーラの掌から黒い波動が迸る。ナイアーラの放った波動は、屋敷の天井を貫き、轟音を立てながら空の彼方まで消えていった。


「……な、なんて威力なの……」

「あ、あんなの喰らったら、ひとたまりもありませんね」

 姉さんとエミリアが戦慄した表情をしている。


 しかし、ナイアーラは自身が放った技の威力に渋い顔をしていた。


「やはりこの程度が限界か……」

「……なに?」


「生贄に必要なのは数ではなく質だ。それに気付いたエメシスは貴族の人間の子供達を浚い、嗅ぎつけた兵士や騎士達を閉じ込めて生贄にするつもりだったのだろう。しかし結局、お前たちを直前で逃がしてしまったせいで、我の能力に制限が掛かってしまっている」


 忌々しい話だ、とナイアーラは吐き捨てるように言った。


「……だが、不完全であったとしても、魔王と勇者が邂逅してこのまま何事もなく帰すわけにはいかないな……さて、勇者レイよ。我の誘いを受けてくれるかな?」


「……!」


「今期において、初めての勇者と魔王の激突だ。

 我もまだ完全体とはいかないが……それはお前も同じだろう?

 この場でお前を始末出来れば、これ以上無い戦果となる」


「断る!!」

 僕は即答する。


「……我としてはもう少し好戦的な勇者の方が都合が良かったのだが……。

 まあ、良い。力づくというのも魔王らしくて良いだろう」


「くっ……!!」

 僕は剣を強く握りしめ、戦闘態勢を取る。


「レイくん、私達も戦うわ!!」

 姉さん達も僕の横に並んで、目の前の敵と対峙する。


 それを見た魔王ナイアーラは、


「ふふ、そうこなくてはな――――!!」


 愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。


「……さぁ、始めようではないか! 我らの世界を賭けた戦いを!」

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