第219話 炎の悪魔(前編)

 馬車を出てから、僕達は緩やかに登る山道を進んでいく。

 この先に炎を纏った正体不明の魔物が突然現れ、登山に来た旅人さんや冒険者さんが襲われているそうな。


「レイ様。さっきベルフラウ様に何か頂いていませんでしたか?」

 レベッカに問われて、僕は頷いてポケットから姉さんに貰った小瓶を取り出す。


「これのこと?」

「はい。それは何なのでしょうか?」

「お守りだって」

 小瓶を自分の頭辺りの高さに掲げて中身を手で軽く振ってみる。

 見た感じ、本当にただの水のように思える。


「……その中身、気になるわね。<鑑定>してみてもいいかしら?」


 カレンさんがそう提案してきた。

 僕は別に構わないよと答えてから、カレンさんに小瓶を渡す。

 カレンさんはじっとその小瓶を見つめた後、僕に返しながら口を開いた。


「どうもありがとう。

 これは、聖水ね。しかも一切の濁りの無い純水から生まれた聖水よ」


「へぇー……」

 確かに、綺麗な透き通った色をしている。


「普通の水とはどう違うの? サレンさん」

「そうね……<聖水>は水に<聖女>とか<巫女>のような神職の人に魔法を付与してもらうんだけど、水の質で異物が混じっているほどその効果は激減する。だけど、この水は……」


 サレンさんは小瓶の中の水を指差す。


「不純物が無い。つまり、完全な聖水と言えるわね」

 姉さんは冒険者ギルドでは<聖女>の職業として認識されている。

 その気になればいくらでも聖水を作り出すことは可能なんだろう。多分。


「ここまで綺麗な水ってそうそうないのよね。ベルフラウさんは何処で見つけたのかしら」


「んー……分からないけど、多分姉さんが自分で作ったんじゃないかな?」


「そうかもしれないですね」

 エミリアが相槌を打つ。


「ベルフラウ、植物の操作とか浄化の魔法はお手の物ですからね。もしかしたら水の不純物を取り除いたりするのも得意なのかもしれません。ただ、何で今のタイミングで渡したのかは疑問です」


「……そうだね」

 僕もそれは思った。

 姉さんは僕に何かを託した。

 それが今の状況に関係しているとしたら……。


「まぁ、今は考えていても仕方がないわね。さ、行きましょうか」


 カレンさんの言葉に従って、僕達は山を登っていく。

 山といっても、そこまで急斜面な道はなくなだらかな坂道が続く程度だ。


 それでも馬車が通るには少々キツイため、今回は山の麓で待機してもらっている。登った景色が綺麗で、登山の中でも比較的難易度が低いため、この辺りでは人気のスポットだったらしい。


 だけど、正体不明の魔物が出没してからは、誰も近づかなくなったみたい。


「うー……やっぱり疲れます……」

 登り始めて一時間ぐらい経つと、エミリアの息が上がっていた。

 職業柄こういった体力を使うのは苦手な方なのだろう。


「大丈夫? エミリア」

「はぁ……何とか……」


 『魔法使い』の職業は、研究や魔法の研究をするイメージが強い。

 その中ではエミリアはまだアクティブで活動的な方ではあるし、今だってなんとか遅れずに付いて来てはいる。それでも、ちょっと遅れがちなのではぐれないように僕が隣に付いている。


 僕も元引き籠りで体力は無かった方だけど、異世界の生活の中で剣の修行や魔物との戦闘に慣れたおかげで体力も付いたおかげで今のところは平気だ。


 先頭を歩くのはカレンさん、それにレベッカだ。

 カレンさんはイメージ通りだけど、隣を歩くレベッカは僕達よりも旅慣れしているようで見た目以上に体力がある。この子、まだ十三歳の幼女……いや、少女なんですけど。

 

 流石に十三歳で幼女扱いする自分もどうかと思った。

 最近レベッカの成長も著しく、身長も伸びて体つきも女性らしくなってきた。


 ……色々考えるとアレなのでこれ以上は深堀しない。


「……む、皆さま、ご注意を」

 カレンさんの隣を歩いていたレベッカの足が止まる。

 そして、レベッカが小さな声で警告を発した。


「……来たようね」

 <心眼>を僕達より使いこなすカレンさんも存在に気付いたようだ。

 最初にレベッカが気付いたのは弓使いの技能の<鷹の目>のおかげだろう。


 レベッカが、声を発してから数秒……。

 しばらく、全員が黙って周囲を警戒していると……。


 不意に、妙な熱気を感じ始めた。

 そして前方から、僕達にもようやくその魔物の姿を捉えることが出来た。

 いや、あれは魔物というより……まるで。


「……燃えてる」

「そうですね、もはや炎そのものって感じですけど、あれが魔物?」

「……多分」


 エミリアの言葉に僕は肯定を示した。

 話で聞いていた通りの姿ではある。魔物というよりも、その姿は実体を持たない炎そのものだ。そして、その炎の魔物は揺らめきながらこちらにじわじわと近寄ってくる。


「……来るわね、取り敢えず一発撃っときましょうか」

 カレンさんは、長剣を鞘から抜き放ち、右手のみでフェンシングのようなフォームで構える。


「聖剣解放35% <光波>フォトンレーザー!」

 カレンさんの聖剣が光り輝き、剣先から光のレーザーが放たれる。そして、レーザーは寸分違わず揺らめく炎の魔物の中心に直撃し、その姿を霧散させた。


「……倒した?」

 僕は、そう口にしたのだが……。


「いいえ、まだ終わってないわ」

 技を放ったカレンさん自身が、僕の言葉を否定する。するとどうだろう、カレンさんの攻撃を受けた炎の魔物は散ったはずの炎が再び集まりだし、再び形を作り始める。


「……厄介ね」

 カレンさんがそう呟くと、今度は僕の横にいたエミリアが杖を構える。


「……次は魔法を試してみましょうか。

 大地を凍りつかせる極寒の風よ! 彼のものを凍てつくせ! <上級氷魔法>コールドエンド!!」


 エミリアが魔法を唱えると、炎の魔物の周囲に極太の氷の塊が発生し、炎の魔物ごと凍らせる。しかし、分厚い氷の中に閉じ込められたというのに、中の炎の魔物の炎は消える気配が全く無い。

 むしろ、どんどん勢いを増していっているようにすら感じる。


「予想はしてましたけど、やっぱり駄目ですか。

 水魔法と違って氷魔法は炎の相手に案外有効じゃ無かったりするんですよね」


 氷魔法は周囲を冷却することにはめっぽう強いけど、火事などを鎮火する時などは水魔法の方が効率的らしい。おそらく、この敵の弱点も水魔法なのだろう。残念ながら僕達は誰も使えない。


 そうしている間に、炎の魔物は内側から氷を溶かしてしまいそうだ。


「今の間に対策を講じる必要がありますね……。

 カレン様、あの魔物に能力透視をお願いしてもよろしいでしょうか」

 レベッカの要望に、カレンさんが頷く。


「じゃあ使うわね……<能力透視>アナライズ


 そして、カレンさんが炎の魔物に対して能力透視を発動する。



 Lv72 <サラマンダー>

 <種族:炎族・悪魔>

 HP2200/2500 MP2450/2500

 攻撃力??? 物理防御??? 魔法防御???

 所持技能:炎Lv50、無詠唱、自己再生Lv40 存在秘匿Lv5

 所持魔法:火属性魔法Lv45


 耐性:状態異常無効、物理透過、水・光属性以外の攻撃魔法を半減

 弱点:水属性・光属性


 補足:古びた遺跡に封印されていた<封印の悪魔>の一体。

 人の形を成すこともあるが、炎が実体化したような存在。

 その力は現存している<地獄の悪魔>を上回っている。

 あらゆる物理攻撃が通用せず、並の攻撃魔法では即座に自己修復してしまう。

 強さの根源は自身が纏う炎であり、激しく燃え盛るほど能力が上昇する。


「封印の悪魔……?」

 それって、カレンさんが前に言ってた魔物だ。

 封印でもしなければ倒しきれないほど強力な存在らしい。


「……なるほどね。

 今まで出てこなかったのは最近まで封印されていたってことか」


 カレンさんは少し納得した顔をしながらも、緊迫した表情は崩さない。

 そして、確認するようにレベッカがカレンさんに問う。


「まさか、例の遺跡の呪いが関係しているのでしょうか」


「多分ね、おそらく呪いのアイテム自体が封印の役割があったんでしょう。それを持ち帰ってしまったものだから、遺跡に封じられていた悪魔の封印が解かれてしまった……のだと思う」


「とすると、厄介な事をしてくれたものですね……」

 カレンさんの言葉を聞いて、エミリアは悪態をつく。


「三人共、今はそれどころじゃないよ」

 僕は剣を持って構える。物理攻撃が効かないとしても、僕は剣が無いと戦えない。

 三人も話を中断して武器を構えるが、カレンさんが一言、小さく言った。


「……ちょっと苦戦しそうね」

 カレンさんが、困ったようにそう言う。


「それって、カレンさんでも勝てないくらい強いってこと?」

 小さい声だったけど、カレンさんの声は僕達にはっきり聞こえてしまった。


「ん……どうかしらね。剣で斬れる相手なら誰にも負けないつもりではあるけど、私単独では倒しきれない可能性はありそう」


 情報によると、この魔物は物理攻撃が通用しない。つまり剣を主体とするカレンさんには相性が悪い。同時に、僕とレベッカも物理攻撃主体なので相性が良くない。


 ただ、このパーティでも奴の弱点を付ける攻撃が一つだけ存在する。

 それは水属性と一緒に記載されていた光魔法の存在だ。


「カレンさん、光魔法の浄化が使えるんだよね?」


「えぇ、一応ね……。

 ただベルフラウさんほどの効力は期待しないでね」


「分かった、じゃあ少し時間を稼ぐ。エミリア、レベッカ、援護よろしく」

 そうして僕は前に飛び出す。

 勿論、物理攻撃が通用しないのは分かってるけど、僕の武器は何も剣だけじゃない。


「―――氷よ、剣に纏え」

 炎の魔物に掛けながら自身の剣に氷の魔法を付与させる。

 さっき、エミリアの氷魔法は大きなダメージは与えてはいなかったけど、それでも動きを止めていた。ならこれでも時間稼ぎは可能なはず!!


「レイ様、援護します!! <全強化>あなたに全てを

 レベッカの強化魔法が付与されて、僕の身体に銀のオーラが纏われる。

 全ての能力が大きく向上した僕は、一気に加速して奴がエミリアの魔法で動きを止めている間に追撃を狙うが……。


 ――AAAAAAA!!!


 突然、炎の魔物は理解不能な奇声を上げ、残っていた僅かな氷を全て炎で溶かし、その身体を巨人の姿へと変貌させた。


 ――ゾクッ!


 !? 瞬間、僕の全身に凄まじい悪寒が走る。

 それはまるで、本能が危険を察知したかのような感覚だった。

 次の刹那、僕の目の前に突如として現れた炎の巨人が、拳を振り下ろしてくる。


「(はやっ!!!)」

 慌てて回避するが、それだけでは済まない。

 拳を中心とした広範囲に炎の波が押し寄せ、僕はその炎に巻き込まれてしまう!!


「ぐぁあああっ!!!」

 ……熱い! 痛い!! 燃える、燃える、燃える!!!

 炎の巨人の一撃を受けただけで、自身の体がチリになりそうなほどの熱量を感じる。

 しかも、この炎は僕自身を焼くだけでなく、周囲にいた他の仲間達にも襲い掛かっていた。


「きゃあああっ!」

「ぐうぅ……ッ!!」

 カレンさんの悲鳴と、レベッカ達のの苦しげな叫びが聞こえてきた。

 しかし、カレンさんは<浄化>の詠唱を中断して防御魔法を使用したお陰でダメージをいくらか緩和出来たようだ。

 今ので大きなダメージを受けた、いや継続して受けてしまっているのは僕だけだ。

 僕は、炎の余波で吹き飛ばされ、更に体の至る所にまだ炎で焼かれている。


「―――っ!!」

 身を焦がされる、という体験を現実ですることになるとは思わなかった。

 余りの激痛に耐えきれず、思わず膝をつく。

 このままではまずい、早く立て直さないと。


<上級氷魔法>コールドエンド!!」

 エミリアが、魔法を発動させ炎の魔物に向けて再び氷の魔法を発生させる。


 今の間に……!!


<初級氷魔法>アイス………! <中級回復>キュア……」

 時間の猶予がある内に、僕は自身に付いた炎を氷魔法で消火し、更に回復魔法で火傷をいくらか修復する。

 

「レイ、無事ですか!!」

 エミリアは杖を掲げて、魔力を放出しながらこちらを気遣う。どうやら、魔力を放出して氷魔法を放ち続けることで相手の動きを抑制しているようだ。


「大丈夫……! カレンさん、準備は!?」


「遅くなったわ! 行くわよ!! ―――目の前の悪しき存在に、浄化の光を!!」

 カレンさんが両手を前にかざすと、そこから光の奔流が生まれていく。

 そして、炎の巨人にその光が集まり、巨人の体が光り輝き、その身体を霧散させた……。

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