第3話「停止の七支刀」(前編)

 地球のどこかで、"それ"は蠢いている。



「やあ。君を呼んだのは他でもない。

君の特化…『神錆』の力を借りたいんだ。」


「承認 快諾。 受け取り作業 お願いします」


「力を借りるってそういう意味じゃないよ!

君にお願いがあるんだ。というか…おつかい」


「作業 取り消し。申し訳ございません 

それで 要件は 何でしょうか?」


「いや…ちょっと最近第8大陸がおかしくてね?

変な特化持ちが居るらしいんだ。

 第8はあの筋肉の管轄だけど、私の言うこと聞く

タイプじゃないしねー。他の"神の指"は動きづらそうだし。

 うーん…えっと…現像の特化どれだっけ…

あったこれだ。はいパシャリ。そうそう、こんな感じの!」


「写真 人間が二名。青年と少女 特定完了」

「うんうん。ちょっと調べたいことがあって。

彼らの…特に青年の皮膚をちぎってきて。」


「承認。追加条件の確認 よろしいですか?」

「うん!何かな?」


「皮膚抽出作業 において 倫理的配慮は行いますか?」


「いや全然。殺してもいい」


「…全承認。作戦行動開始まで 1 分。

あの件については、前向きに頼みます」


「ああ。善処するよ」



「善処、か。勿論だとも。

少し遅めだがあと2,3年で再会できるさ。」


「我々の"新世界"でね。」

――――――――――――――――――――――――――――――

 僕は時折、自分が分からない。


 僕は誰なのだろうか。

黒森 裂は、一体何者だ?


 殺し屋だろうか。それとも家事をする人?

まさか、"年相応の少年"ということはないだろう。


 いずれにせよ、真っ当な人間ではない。


 …親を失ってから。

僕はどんどん人間性を失っている。

 我儘を言いたいのに、もう誰にも言えず。

 普通に暮らしたいのに、生活手段はこれしかなく。

 殺し屋なら手段は選べないはずなのに、非情になり切れない。

余りにも中途半端だ。


 母さんは主婦だった。父さんは…

殺し屋であることを僕たちに黙っていた。

知ったのは、僕が弟子入りを頼み込んだ殺し屋が、

死ぬ寸前に素性を明かしてからだった。

 父さんは色々教えてくれた。殺し屋として生きていくための術を。

…痛みの感覚を残しながら、痛みに耐える訓練は最悪だった。

アレは役に立っているが、未だにどうかと思うが。


 とにかく、もう僕には何も残っていない。

いつ死んだって、仕方ないと思っている。


 でも、死ねない。

父さんも母さんも、僕にそれを望まないことはわかっていた。


 ああ。わかっているんだ。

もういない。父さんも母さんも。

それでも。それでも、思うんだ。


――二人がいつもそばにいてくれる、と。

――――――――――――――――――――――

「…。」


 よくはない目覚めだが、よく眠れた。

今は…午前3時か。昨日寝たのはいつだ?

体が妙に冷たい。床で寝ていたのか。


「おはよう、黒森 裂。…随分早い時間だけど」

「うわっ!…なんだ、君か。」


 声の主はベッドの上で座っていた。

教祖の少女だ。昨日…ベッドに寝かせて、"私"は床で寝たのか。


「ああ。おはよう…というには少し早いか。

毛布はいらなかったかな?」


少女はゆっくりと口を開き、言った。


「私は…私の肉体は、特化の副作用で、睡眠・食事

その他新陳代謝に関わる作業を必要としない。

それらは全て、蓄積されずに消滅してしまう。

だから…私にあまり優しくする必要はない」


「…そうか。

ところで今から朝ごはんだが、食べるか?」


「…食事は」

いらない、と言われる前に。


「食べても体に問題はないんだろう?

どれだけ食べても痩せたまま、っていうのはかなり理想的な肉体だ。

特に料理する"私"にとってはね。味覚もあるんなら損はしないさ」


「…」


彼女を励ますつもりで言う。

「味の方を心配する必要はないよ!

こう見えて自炊は得意なのさ。自信あるよ!」


 少女は首を傾げ、言った。


「貴方…本当にあの"死神"?それとも別人?

あの時と随分と様子が違ってて…少し驚いた」


「あー…えっと…その…あれは…

そう!仕事モード!メリハリ大事だろう?」


「そうなの?まあ、分かった」


 彼女はベッドから立ち上がった。

食事は…無理だろうか。


 すると彼女は私から顔を背けて、

小さな声で言った。


「…喉は乾くの。お水、頂けると嬉しい…です」


「…分かった。

頼ってくれてありがとう」


 澄んだ、悪くはない寝覚めになった。

――――――――――――――――――――

「こんなものしか用意できないけど…

備蓄の天然水。市販のだから安全だよ!」


 キャップを開けてボトルを傾ける。

コップに水が注がれていく。

小気味いい音がリズミカルに響く。


 彼女が申し訳なさそうに言った。

「このコップでは…腐食する、と思う」


 そうか…彼女の特化。

「あー…そういう問題もあるのか…

手で触れたものが腐食するんだっけ?

じゃあそうだねぇ…あっ!」


 手に触れなければいいのだろう?ならいい策がある。

一瞬躊躇ったが、この子のためだ。


「その…じゃあ、顔を上にむけて?」

「…え?」


 あえて情景の描写はしない。

熱中症患者の手当てのようになってしまった、とだけ。

「…今後は貴金属のコップが必要だね…」


 しかしちょっと値段がかかるかな、

いやでもこの子のためだし、

でも要らないって言ってたしなぁ、など

思考回路が堂々巡りに陥っていく。


 彼女はもういい、とハンドサインをした後

目を開けて、落ち着いて言った。


「…おいしい」


 貴金属の食器も用意しよう、と思った。

――――――――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――

――――――――――


「クソッ!俺がなんでこんなカスと

組まなきゃなんねーんだよ!」

――富士 量(フジハカル)   特化等級B+


「…ひぃ…やめてください…」

――富士 操子(フシソウコ)  特化等級E


「仕方無いじゃろうて…若者は気が早い。」

――病葉 四郎(ワクラバシロウ) 特化等級A


「内在価のなかでも最底辺の!

傀儡系のゴミの癖に!

たったE程度の特化が俺たちと共に戦うだぁ?

ちょっと夢見すぎてんじゃねぇか?」

「…ごめんなさい…ッ」

少女は青年に踏みつけられている。

かなり強い力で踏まれているようだ。


「そこまでにしとくんじゃな。妹じゃろ?

ちゃんと体の調子を整えんといかんぞ?

じゃが…内在価の改造・傀儡が気に食わんのは

実によく分かるぞ小童!」

「さっすがジジイ!よく分かってんじゃん!

こんなでき損ないの妹を持って恥ずかしいよ」


「んで…ターゲットはあの…"死神"

ダッセェ名前だぜ!俺の方が強いね。

話を聞くに特化を持ってないんだろ?」

「ああ。今回の依頼はお前一人で充分じゃろ」


「ゆ…油断しない方が…いいと…」

二人に睨み付けられ、押し黙る。


「んじゃジジイ、行ってくるぜ。

10秒で殺してやるよ。」

「おお!後方支援は儂に任せな!」


「…ひひ…」

――――――――――――――――――――

――――――――――

 朝食が終わり、暫く後。

床に大量の紙の札が散乱している。

その全てが呪文の様な禍々しさを放っていた。


「…何 ですか これは?」


 札を作っているのは、死神だ。

「え?そうそう。君の名前を決めようと

思ってね。名前がないと不便だろう?」


「…この…名前からですか?」


「そう!どうかな?

カッコいいと思うんだけど!

この《聞くに耐えないダサい名前》や、

こんな《見た人間が卒倒する名前》や、

それか《背筋が吹っ飛ぶ名前》とかは…」


「ごめんなさい」


極めて明確な意思表示。


「えっ」

聞き間違いだろうか。


「ごめんなさい」


 この子に反抗されたのは初めてのことだ。

彼女も少しづつ、心を持ち始めているのだろう。

「そうか。じゃあ好きに考えていいよ!」


 彼女はしばらく歩き回り、

「…これは…名字には向きませんが」

彼女はそう言って、

   『メイ』

と書かれた札を手に取った。


「私の名前は、"メイ"ということにしていただければ」


「うん。いい名前だね。苗字は親権で

黒森 メイになるけど、いいよね?」


「…それで構いません。ありがとうございます。

…。黒森…ですか。…黒森」


 彼女は…"メイ"は不自然に苗字を繰り返した。


「私の名前、ちょっと変わってるだろう?」


「い、いえ、そういうことではなくて。

ただ…家族がどういうものか、わからなくて」


「…そうか。

"僕"も、よくわからないよ」


 家族とは何だろう。

互いに愛し合うことか?

互いに助け合うことか?

過ちを許せる仲のことか?



「メイ。ちょっと」

「…何ですか?」


 言えることはただ一つ。


「僕のコートを持って外に逃げてくれ。

そしてしばらくここには戻らないで」


「裂さん。どうしたの?」

「いいから。早く」


「…わかった。裂さんも、できれば逃げて」


 家族とは、いつまでもそばにいられるモノではないということだ。



 メイが逃げたのを確認してすぐ、

コートの内側ポケットにあった、"アレ"を取り出す。


不愉快な植物の蔓とまぐわり、

のたうち回った色とりどりの造花が、

凄惨な戦争勲章の万国旗のように

悪趣味に連なっている。

――――――――――――――――――――――――――――――

これは、僕にとっての…不幸の引き金だ。


造花を見る。


"僕"はまた帰り、理解する。

両親の死んだあの日にまた還る。

殺してくれと願ったあの日にまた孵る。


"私"は特化を理解する。

"特化持ち"によって殺された。


"俺"は手段を理解する。

死体には花が咲いていたのだ。

色とりどりの鮮烈な花が。


そして、全ては繋がる。


花という名のトラウマに。

花という名のやさしさに。

花という名の手がかりに。


もう何も奪わせはしない。


"俺"の、出番だ。

――――――――――――――――――――――――――――――

 切り替えに成功した。

…だが、少し遅かったようだ。


 俺にはわかる。

一刻も早くこの路地裏小屋から出なければ…

死ぬ。


「…クソッ!」


 今まで使用した武器や装備のいくつかを取って

小屋の窓を破り、脱出する。

 防弾コートが所持できなかったのは痛いが、

それ以外のものは大方持った。


 振り返ると、俺のさっきまでいた小屋が

グシャグシャと音を立てながら潰れ、

跡形もなく破壊されていた。


「へぇ…出てくるか。

勘はなかなかいいじゃねぇか」


 向こうから背の高く痩身な、

性格の悪そうなスーツ姿の青年が歩いてくる。

俺から見えないところにも、もう一人いる。

…刺客か。


「おい。訪問なら呼び鈴を鳴らせ。

今回の依頼は俺の抹殺か?」


「話が早くて助かるぜ。

でも俺の方が利口だね。

"復楽園"につかないなんてな」


「…」

嫌な予感がする。

こいつらの特化等級はかなり高い。

そんな奴らが徒党を組んでいる。

 更に、家の破壊跡に"何も残っていなかったのだ"。

家を破壊した物体が見当たらない。

もし"そう"なら…俺は相手にならない。


 力が練り上げられるのを感じる。

路地裏の淀んだ空気が急に漲る。

…等級B以上はほぼ確定した。


「おあいにく様ながら時間がないんだ。

早いとこ家に帰って妹を叩きのめしたくてね。

だから…事前の宣言通り!10秒だ!!」


 次の瞬間。

奴の背後に黄金色に輝く天秤が出現した。

それには極めて細やかな装飾が施されており、

審判長のように荘厳だった。


「判決を下せ。

 『高慢裁帝』(Mt.マウント)!!」


 空中に大量の分銅が出現した。

俺の家を潰したのはこれか…!

躱せる速度では…なさそうだ。なら弾けるかどうかだ。

分銅は小型だ。試してみる価値はある。


 落下する分銅をマシンガンで打つ。

自分の頭上に落ちたものは全て当たった…


…にも関わらず、

分銅は軌道を一切変えずに

4発ほど俺の体に当たった。


「…ガハッ」

分銅は俺に当たると消滅した。


 出血する。

まずい。

最悪の事態だ。

これだけは駄目だ。

――――――――――――――――――――――――――――――

 特化には5種類の系統が存在する。

改造・傀儡と創造・現象・探知の5種だ。


赤尽の特化は改造の系統で、

司教の特化は探知の系統だ。

傀儡は拠り代を必要とし、操作する系統だ。

現象は自然現象を操るため、この名がついた。

創造は武器や道具を作り、それを操る系統だ。


改造は手で発動する為射程有利を取れる。

傀儡は本体が弱い為暗殺できる。

現象は…威力減衰はするが殺せるだろう。

探知は戦闘能力が少ない為勝てるだろう。


 だが、創造系だけには、俺は勝てない。


 創造系で産み出した特化生成物は、

特化でしか傷つけることができない。


 つまり。

戦闘に有用な特化を所持していない俺は、

決して創造系に勝つことができないのだ。

――――――――――――――――――――――――――――――

「ん?事前情報と違うな。

アイツ一応見えるのか。ケケケ!

んでもまぁ、防げなきゃ意味ねーけどな」

 男はせせら笑いながら首を傾げる。

完全に舐められているのだ。


 だが今は、そんなことよりも

一刻も早く逃げなければ。

創造系特化持ちと闘うのは時間の無駄だ。


 すぐにロープを射出する。

ここの地形はよく知っている。

すぐに脱出できるだろう。


「んん…!?待て!逃げんじゃねぇ!」


 知ったことではない。

次の壁に狙いをつけ、射出したとき。

 大規模なライフルの発砲音と共に、

飛翔中だった鉤爪が撃ち抜かれた。

空中での態勢が突然変わり、地面に叩きつけられる。


「ぐうッ…!」

受け身は取れた。あの窓か。

人影が見えた。小柄な少女だろうか。

すぐさま回り込んで射線を外す。これでしばらくは射撃が来ない。


 敵は恐らく3人。うち一人は狙撃銃、もう一人はまだ姿が見えない。


「おい!操子テメェ何してる!

もっとよく狙って撃ちやがれ!」


 どうやら奴らの仲はあまり良くないらしい。

これなら比較的うまくいくだろう、

 武器は、武器はあるんだ、だから、

い…今は攻勢に…出れる筈だ。

いや、何を考えている…違う…退却だ…


 弾丸…銃…狙撃…

錘…分銅…男…もう一人…

妙に…妙に思考がまとまらない。


「お、どうした?二日酔いか?」


 頭が…ぐるぐるする…

上手く立ち上がれないし、妙にふらつく。

視界がぼやけて焦点が定まらない!

耳鳴りで聴力まで落ちる…これは…!!


 奴らのほうを振り向く。


「全く最近の若いもんは軟弱で困るわい!

儂が若い頃はずっと健康だったもんじゃ!

第一最近の若いもんは…」


 分銅野郎の隣に、背骨の曲がった

いかにも老人というような姿の男がいる。


「おじーちゃん、今俺の番。わかる?邪魔しないで?」

「ひっひっひっ。そう逸るな若造。年功序列を知らんのか?」


これは…病気の幻覚か?

いや違う。実際に体温も上がっている!幻覚ではない。

この弱体化は特化によるものか…!


「おい…ジジイ。テメェ。

現象系の特化だな…?病気に関連した特化だろ」


「おいじーちゃん。バレちゃったよ?どうすんの?」

「おお黒崎君!その通りじゃ!

儂の名前は病葉 四郎!

特化は現象系の『病を操る特化』!

等級は聞いて驚け…なんとAぢゃ!」


 心底どうでもいい。答えてくれてありがとよ。


「遠距離の創造系に、範囲型の現象系…そして狙撃銃。

お前ら遠距離系が多すぎるだろ…バランス悪いぞ」


天秤の男は笑って言った。

「誤魔化すんじゃねぇ!

改造系のA倒したのは知ってるんだぜ!

爆発がメインウェポンの奴に

近づくわけねぇだろ!」


「よく知ってるな…俺のファンか?」

会話で油断を生み、襲撃する。

怯んだ隙に脱出する。


「サイン代わりにくれてやる!」


 隠していたたマシンガンを

振り向きざまに乱射する。

だが全弾弾かれたようだ…

いや…当たらなかった のか ?


「おいおい…ちゃんとよく見て当てろよな!!

もう平衡感覚も怪しいくらいにヘロヘロだ!」

「お主、あやつにあんまり近寄りすぎてはならん。

あやつの周りの空気は全て感染源になるからの。

儂の現象系等級Aの特化…『残花の柳』(フォールンフェイル)の前に

勝てる奴なんておらんのじゃからなぁ!」


 視覚の異常まで来るか…!

このザマじゃ、ライフルで狙撃なんて到底できない。

ジジイが能力を解除するまで狙撃はお預けだ。

それに、さっき撃ち抜かれてしまったからもう

フックは使えない。となると、手段は一つ。


「…逃げられないなら話は早い。

真っ正面から全員殺すだけだろう…!」


「おお!俺と同じ結論じゃん!

仲良くしよう、ぜ!!」


 スーツの男…富士はまっすぐ立って、

そのまま分銅をこちらに機関銃のように乱射した。

だが、速度は弾丸のそれより遥かに遅い!


「舐めるな…!」


 鉤爪が無くなってもロープはそのままだ。

電柱や照明灯、配管などに括り付け、思いっきり引っ張る。

予測通り、射出された分銅全ては壁面に穴を開けただけになった。


「おほー!すばしっこいのおー!

こんな狭い裏路地で大したもんじゃ!」


 右の壁面、左の壁面を交互に移動して距離を詰める。

そして、三角飛びの要領で壁を蹴…


「…そろそろだな」


 蹴る前に、1秒ほどこの態勢を維持してから、すぐさま壁から降りる。


 すかさず発砲音が聞こえた。

良い狙撃手だ。隙をしっかり狙っていた。

あのまま男の前に着地していたら、その瞬間撃たれていただろう。

これで少女の場所もわかった。


「妹の射線に俺を入れやがったな、黒森。これじゃ撃てねえな。

全く使えないヤツだよ。そう思うだろ?」


「話す余裕はないんでね」


「まあ安心しろよ。

俺の特化は…奥の手があるとはいえ、

ちょっとコントロールが悪くてよ。

直接ぶつけたほうがより効果的なんだよ」


 奴はそういって両の拳を握りしめた。

拳が輝き、分銅が変形していく。

さながら金属で覆われたボクシンググローブだ。


「まー平たく言うと、サンドバッグになれってことで!」


 先ほどの発言から、こいつの能力は先がある。

この拳に触れるわけにはいかない。


「避けんじゃねーぞ!!」


 強烈なパンチのラッシュが空を切る。

病気の特化で弱っている今、躱すのが精いっぱいだ。


 ロープを見る。もう少しであの場所へ行ける。

あの場所まで後退すれば、と思った直後。


――先刻まで十分に動いていた右足が、踏み込みの瞬間に

突然鉛になったかのように動かなくなった。


「、は」


 気づけば俺は、態勢を大きく崩してしまった。

そして、当然その隙は見抜かれていた。


「…そぅらよォッ!」


 腹部に一撃、そして右頬にさらに強烈な一撃を受け、

受け身も取れないほど勢いよく吹っ飛んだ。


 ごぷっ、と少し血か何かを吐く。

軽い脳震盪が起きたようで、意識がおぼつかない。


 きいーん、という甲高い音が常に耳に入ってくる。

耳鳴りがさらにひどくなってきた。

足の親指の爪を勢い良く剥がして、無理矢理意識を戻す。

だが、立ち上がれない。右足に力が入らない。

左手も上げられない。


「お目覚めかい?じゃあまず手と足を見なよ」


 奴の声が聞こえる。すぐさま自分の四肢を見る。


「…これは!」


 右足と左腕に、枷と鉄球が結びついていた。

手錠のような腕輪に、鎖で鉄球が付けられていた。


「見えたか?それは罪人の枷だ。

俺から受けた攻撃の回数ごとに、1個ずつ増える。

お前はまず一番最初に分銅を受けただろ?

だから殴り合いの最中に足枷をかけてやったの、さ!!」


 もう一度殴りつけられ、吹っ飛ばされる。


「審判だ!これで左足も貰ったぜ!」


 自分の肉体の内側から魂のようなものが抜け出す。

そして、あの男の背後にある天秤が傾くと同時に、

一部ちぎれて、自分の腕を重く縛り付ける。


「あと一個で判決だぜ。最後に懺悔の時間くらいはくれてやる」


 コツ、コツとゆっくりした歩みの音が路地裏に響き渡る。


 体はもう、右腕しか動かない。

だが、これで十分だ。"場所は既に来ている"。


「ありがたいことだ。罪を悔いる時間をくれるとは情け深い。

じゃあたっぷり神に懺悔させてもらうぜ…」


「俺にはテメェにそんな時間すら与えてやれないことをよ」


「…何だと テメェ」


 そう。引き金をロープに結びつけておいたのだ。

マシンガンは移動中に固定して、銃口は一点を狙い続けていた。

それがこの地点だ。油断するこの一瞬を待っていた。

俺はロープを思いっきり引っ張った。


「!?後ろか!」


 富士はとっさに防御態勢をとる。


「この程度の小細工でどうにかなると思うなや!!」


 腕のグローブを変形させ、盾にして防御する。


「これで特化でも何でもないただの機関銃の弾丸は全て防げる!

たった1mmすらない薄っぺらなアルミホイル程度の厚みの盾でもな!

ざまあみろ、お前の最後の悪あがきはこれで…」


 突如として、全弾を打たずに射撃が止んだ。

弾丸を防ぐ富士の後ろに、黒森が立っていた。

最後の力を振り絞り、立ち上がっていた。


「特化なら防げないんだよな?」


「じゃあ、この鉄球なら…お前の作った

枷の鉄球なら…どうだァッ!!!」


 俺は左腕に鎖を握りしめ、富士の顔面に向けて

鉄球を思いっきり振り回し、殴りつけた。


ゴシャアッ、といい音が鳴る。


「ご!?おおおっ!!?」


 "創造系同士"だから、防げない!

アルミホイル程度の厚みしかないから、顔面にそのまま鉄球が当たる!

このまま…富士の意識が吹っ飛ぶまで、振り回し続ける!


「これで…終わりだッ!」


 最後の一撃を振りぬこうとした、その時。


 タァン、という破裂音とともに、

俺の下腹部は撃ち抜かれた。


「…ごふっ」


――狙撃手。


「ひぃ、ひぃ。ようやく…狙え、ました、兄さん」


「ほっほっほっ、随分苦戦しとるんじゃのう、若造?

10秒は何処へ行ったんじゃ、ほっほっほ

なんじゃお主はちょっとあっちで倒れとれ」


 老人の杖で殴打され、倒れこむ。


 体についた枷は、まだ外れない。

「…クソッ」


 奴は意識がある。立場が完全に逆転した。


「こ、の!!ク・ソ・カ・ス・野郎が!!!

俺の!!この俺様の顔にィイイイ!!

テメェだけは許さねえぞ!!

薄汚い路地裏で惨めったらしく蹲って

審判すら下されずに叩き殺されろ!!!」


 周囲の建物から、分銅が空中に次々と浮き上がる。

ああ、そうか。ここは俺が移動した場所だから、

あの時撃ち込まれた分銅はまだ残っている。


「完ッ全にイイイイ、捉えたぜ!!!クソがァアア!!!」


 四方八方。天地上下全ての方向に、分銅が浮かび上がる。

俺は完全に包囲されてしまったようだ。


「あの…私、射撃支援を、しましょう、か?」

恐る恐る意見した操子を、思いっきりぶん殴る。


「やかましいぞ!!お前の出番は終わりだ!!

病葉ァ!てめえもだ!手出しするんじゃあねー!!

このドブ野郎は俺の獲物だ!!触るなや!!」


「ごっ、ごめんなさい!!許してくださいお願いですぅ…」


 この状況はさながら、詰将棋だと言わざるを得ない。

俺に打つ手はもうない。やれるだけのことはやった。

流石に全てを躱すことは絶対にできない。


「テメェには!!魂の審判すら下してやらねぇ!!

蜂の巣になって死にやがれ…!!」


 あとは。

 アイツが"手を打ち間違える"のを待つ。


「食らえ!」


 全ての分銅が一斉にこちらを向き、収束する。

そして…。


 それらのほとんどが、こちらに辿り着く前に掠れて消えた。

残ったものはあらぬ方向に飛んで行ったりして、

当たったのは勢いを無くした数発のみだった。


「うっ…あ れ ?」


 当たり前だ。至近距離でもないのに、そんな長時間

発現させた特化を持続させることは極めて困難だ…


"それが弱体化している状態なら、なおさら"。


「うぷっ…さ さっきから!おかしいぞ!

耳鳴りが…!!頭痛と吐き気が止まらねぇ…

! ま まさか そんなことが!!!」


 富士はふらついた腕で、怒りゆえか震えながら病葉に掴みかかった。


「テメェどういうことだ!!ふざけるな!

俺を巻き込んで攻撃するんじゃねー!」


「はぁーあ。じゃから言うとったじゃろうが。

奴に接近戦を仕掛けたら感染するぞ、と。

それにお主がグローブで殴り掛かった時点で感染は避けられん。

お主が悪い!儂は悪いことなどしておらん!」


…随分酷い味方をあてがわれたものだな。

敵ながら同情を覚える。


「…いい加減にしやがれ!!ふざけてんじゃねーぞ!!

こういう状況なら普通お前が支援するのは当然だろうが!!」


「ふざけてるのはお主じゃ!!

特化等級を見んか!儂はA!お主はBじゃ!

儂が一番強いんじゃ!お主が儂を支援しろ!」


 いい休憩時間だ。ダメージが多い肉体を少しでも休ませる。

騒ぐ奴らを尻目に、狙撃手のほうを見る。

どういうわけか、静観している。

俺に狙いを定めるでもなく、不和を仲裁するでもなく。


(なるほど。"戦闘の意思はない"、ということか)


 作戦を練る。

今、再び距離を取られて俺のほうが不利。

加えて俺の枷は4つ。既に"審判"とやらの条件を満たしている。

また病気の特化による視界不良と三半規管の不調は今だ深刻。

この距離での遠距離攻撃は依然不可能。


 状況は悪いが、長期戦になれば悪化は必然だ。

アイツらの特化は、長期戦になるほど状況が悪化する。

逆説的に、"今が絶好のチャンス"である。


「おい。そこのジジイ。」


「なんじゃクソガキ。今忙しいんじゃそこで倒れとれ。

儂ら経験豊かな老人の時間を浅学な若造が奪うでない!」


 富士は杖でバシバシ頭を叩かれて、

今にも吐きそうに地面にうずくまっている。


「お前もそうじゃ!若造が儂に意見するな!

儂は等級Aじゃ!強いんじゃ!儂一人で十分だったんじゃ!」


 体は痛むが、声を張り上げて、

遠い耳でもよーく聞こえるように言った。


「お前じゃ無理だぞクソジジイ!!」


 老人の動きが止まる。

こめかみのあたりを震わせながら、ゆっくり振り向いて。

同じ人間とは思いたくない表情をしながら、呟いた。


「…なんじゃと?もう一度言ってみろ、ガキ。

この儂の現象系等級Aの特化である

残花の柳(フォールンフェイル)が弱いとでも言うのか!?」


「そこだよ。ちょっと疑問だったんだけどよ!

現象系の"等級A"って所だよ!」


「それがどうかしたか!若造が!!」


 大きく息を吸って。

「それ嘘だろ?」


「等級Aってあの赤尽と同じだろ?

本当なら俺もその男ももうとっくに死んでるだろ。

Aにしては弱すぎる」



「たっ」


「たったっっっ」


「たわけたことをほざくなあぁあああぁあああ!!!

ケツの青いガキの癖にイイイイイイイイ!!!!!」


 流石に挑発が効きすぎだろう。


 病葉は首を絞められているかのように顔が赤黒くなり、

病人のように浮き出ていた血管がさらによく見えるようになった。


「おい…嘘だろジジイ…お前、Aじゃなかった、のか?」


「黙りゃ!!儂のこの特化認定記録を疑うか!!!

儂は40年前に特化Aに認定された凄腕の殺し屋じゃ!!!」


 特化は精神の表れである。

精神が強くなればなるほど、より強力な特化になる。

逆に、精神が劣化すれば、特化のスペックは落ちる。


 特化等級の更新は原則として、強くなった時のみだ。

なぜなら、いつ元の精神状態に戻るかわからないからだ。

どんなことが起きても警戒を怠らないよう、制定された合理的なシステムだ。


「う…うそだ…なんでよりによってこんなカスどもと俺が組まされたんだ…!」


…冥福を祈る。


「儂の!!儂の特化を舐めるな!!!!

儂の特化が与えられるのは病気による感覚の麻痺だけではない!!」


 とはいえ、やはり元等級A。

何をしてくるかはわからない。故にこれは賭けだ。

持ってきたものを確認する。

――よし。アレは"ちゃんと2発"持ってきた。


「儂の特化は!!標的がその力だけで死を選ぶ程に

強力なのだああああ!!!真価をここに見せてやる!!」


 病葉の背中に柳が浮かび上がる。

現象系の攻撃は躱せない。

十中八九死ぬだろう。


「咲き誇れ残花の柳!!」


 だが、一瞬のスキは生まれる! 


 浮かび上がった柳が、禍々しく気を放ち…


「その病を"痛み"に植え替えろ!!!」


富士が叫ぶ。

「やめろジジイ!!それだけはやめろ!!!

アイツの事前情報聞いてなかったのかぁあ!!」


 柳が赤黒く染まった時。

体中の鈍い泥が、鋭い針に変わったかのように。

全身から針が飛び出したかのように痛みに代わる。


 頭を鈍らせていた泥が、

鋭敏に、冷徹に、変わっていく。


 今、俺の眼は、ハッキリと二人の像を結んだ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――

 まずい。狙撃される。

このジジイ、あとで殺してやるからな…!!

だがこんなゴミでも戦力は戦力だ!

俺が一番強い以上、俺が守るしかねえ!!


「無駄だってのが分かんねーのか!!!

テメエの射撃は全部!俺の盾で防げるんだぞ!!!」


 奴の射撃動作に移るまでの速度が異常に早かったとはいえ、

今度は盾に5mmほどの厚みを持たせることが出来た。

これなら絶対に大丈夫だ。


 創造系特化で出来たものは、"特化でしか"傷つけられない。

たとえ火炎放射器だろうが徹甲弾だろうが核ミサイルだろうが関係ない。

硬い壁にマシュマロを高速でぶつけるようなもんだ。


 当然壁は傷つくはずがない…が、一度破られた以上。

警戒は怠れない。これは強い奴の責任だ!

――――――――――――――――――――

「儂の等級Aの特化で苦しめ!!儂は強いんじゃ!!」


 コイツ、怒りで周りが見えてないな。

俺の狙撃銃に目もくれていない。

こんな老人にだけはなりたくないものだ。


 屈んだ勢いで、背中の狙撃銃を体の正面に回す。

動きづらい腕の代わりに、肩で銃身を支える。

腕は動かないわけではない。全力で、一瞬だけでも添える。


「無駄だってのが分かんねーのか!!!

テメエの射撃は全部!俺の盾で防げるんだぞ!!!」


 盾を展開された。先ほどより厚みがある。

当然、特化でもない狙撃銃の弾丸では撃ち抜けない。


 だが、俺は弾丸を2発、連続で発射した。


「ああ。予想通り過ぎる。」


 弾丸が空を切る。

ぷしゅっ、という気の抜けた発砲音がサイレンサーから漏れ出る。

一秒が何分にも感じられる、この刹那。


 二発の弾丸は障壁に触れ…


「お前たちは持つ力が俺より圧倒的に強い。

だから、それに頼りすぎるんだ。

俺の左腕は動かないから、十分躱す時間はあったはずだ」


――創造系特化で出来た障壁を突き破り、

内側にいる老人の脳天と、青年の右腕を過たずに命中した。


「…なん、で?」


――赤尽の時に使った、狙撃銃と"遺物"(レリック)弾丸2発。

この弾丸はとある改造系の人間の特化で出来ている。

第三大陸から仕入れたものだが、"遺物"の割にはかなり安かった。

第三大陸では素材が簡単に手に入るのだろう。


「この"遺物"が、か。簡素な作りだが、こんなものが容易に手に入る大陸か。

絶対に足を踏み入れたくないものだな。」


 青年は持っていた天秤を手落とし、倒れこんだ。

柳の木は崩壊し、綺麗な朝方の夜空が広がる。

天秤が崩れると同時に、手の枷が消えてなくなる。


「全く…痕になったらどうしてくれる。

…ッ。やはり体中が痛むな。」


 あと10秒でも長く痛みを受けていたら、

痛みに耐えられるとはいえ心臓発作で死んでいただろう。

人間の体は痛みに弱い。奴が昔強かったのは、事実だ。


 3人とも異常に強かった。今までに出された刺客でも

ここまで強い敵はいなかったし、徒党を組まれたのも初めてだ。


「とにかく…とにかく今は…彼女を。

一刻も早く、メイと合流して…彼女を安心させなければ」


 アイツらの死亡を確認するのも後だ。

もう狙撃銃の弾も残っていないし、この体では

仮に奴らが生きていた時に、勝つことはできない。


「必ず幸せにして見せる」と。

彼女と約束した以上、それを守らなくては。



 ふと。

鐘の音が鳴り響いた、かのように感じた。


 裏路地の辺りは人がほとんどいない。

こんなに銃声を鳴り響かせても、誰も気にしないほどには。


 だから、鐘の音が鳴り響くのは、異質だ。


 これは幻覚ではない。確かに鳴っている。

荘厳な祝福の鐘の音が。


 次々と鳴り響く。天使の吹く様な、軽快なラッパの音が。

そこら中に転がっていた分銅が、光の塵になって空に昇る。

空を見上げる。そこにあったのは。


――金色に輝く、雄大で厳格な大天秤だった。


「認めるよ、黒森」


「俺はお前を見くびっていた。簡単な仕事だと思っていたとも。

我が神の元において、罪をここに悔いる」


「――ッ」


 油断していた。俺の判断ミスだ…!


「いや。それも違う。人間は油断する生き物だ。

俺がここまで油断したように、お前も油断しない筈はない。

俺はそれを決して責めることはしない」


「裁判は何時でも、公正だ。魂の重さのみを量る」


 明確に雰囲気が変わっている。

奴の体は空に浮かび上がり、後光を放ち始めている。


「人の魂も、老若男女貴賤上下問わず、天上天下まで平等だ」


 鐘の音が響き渡る。

それと同時に、富士の体から魂が引き出される。


「だが、残念なことに、君の魂は既に裁きを受けている。

君の犯した罪の数だけ、魂は君の枷となっている」


 なるほど、そうか。奴らしい特化だ。

どこが公正な審判だ、ふざけやがって。

どうあがいても裁き側が必ず上回る仕様じゃねーか。


「それが私の特化。私の名は裁帝。

それこそがMt.マウントの力」


 "僕"の魂も、抜き取られ始めた。

もうほとんど残っていない、小さな魂。


「お前は自らの罪の重さに、骨を軋み折る。

死ぬまで、自らの重さを耐え続けるのだ」


 天秤にゆっくりと載せられ、天秤が傾き始めた。


「さあ。」


 これで終わり、か。

随分あっけなかったなぁ。


「貴様の死をもって判決としよう!!

"瞑目の審判(ラスト・ジャッジメント)"」


 でも、それでもいいか。

僕、もう十分、頑張ったよね。


 ガタン、と天秤の音が響いた。

――――――――――――――――――――――――――――――

「審判は終わった」


「審判での私の勝利は必然」


「魂は平等だ」


「一人の人間が持ちうる魂は、一つのみ」


「ゆえに、少しでもそぎ落とせば」


「私が雲の上に立つ」



『ん~楽しそうな所悪いんだけど~…』

『それはどうかな』


「!?」


『初めましてー!

私、黒森 咲(サキ)です!』


『俺は黒森 断(タツ)。

息子が迷惑かけたな』


「どういうことだ!?

なぜ審判に部外者がいるんだ!?」


『"部外者"ねー。うーん…どっちだろ。

部外者だし、本人っていうか…』


『俺たちは息子"本人"ではない。だが、確かに

俺たちは息子の一部として存在している』


「なんだって…!?そんな馬鹿な!

そんなことはあり得ない!

黒森裂は特化を持たない無能力者の…はず…!!」


「ま…まさか…

黒森裂の特化は…!」


『私たちは、元々死んだあとはすぐ消える魂だった。

だけど、私の愛する人の、微かな呼び声が聞こえた』


『俺たちは死後、生前最も得意だった特技を引き出すためにここにいる。

俺は狙撃の腕を引き出されている。

もっとも、生前の俺ではここまで狙撃の腕が高くなかった。

アイツの特化で、どんどん力が研ぎ澄まされていくのを感じる』


『私は料理の腕だよ。残念なことに、

他の生活スキルは受け継がれなかったけどね。

それさえあれば…殺しをしなくても済んだのに。

せめて、料理で少しでも負担を減らしてあげないと』


「"多重人格"…!?いや、それよりも、

遥か上の技術…!己の最も得意とする力!」


『裂の…殺し屋としての別名があるんだ。

不幸を振りまく銃口、死神』


『だが、そうじゃない。裂の特化の発動条件はただ一つ。

"己の家族の死と、向き合ったとき"。』



『それが、不幸の引き金。』


『"トリガー・アンハッピー"』

――――――――――――――――――――――――――――――

 …ダメだ。

僕は、ここでは死ねない。


 母さんも父さんも、それを望まない。

いや、それだけじゃない。それだけじゃないんだ。


 約束なんだ。

あの約束を守り通す。

それが僕に残された、最後の生きがい。


 僕とメイは、家族なんだから。

――――――――――――――――――――――――――――――

「…!!」


 視界が急に開く。


 何が起こったんだ。

僕は、今起こったことが決してわからない。

いや、決して理解できないのだろう。


 だけど、今。

そばに、確かにいたような気がした。


「…ありがとう。父さん、母さん」


 

 金色の天秤の裁定は、平等だ。

魂の数に基づいて、公正に判断された。


 2.5/1.0


――「富士 量;有罪」


「う」


 グシャッ、という音がここまで聞こえるほど、

大きな音を立てて富士の体が捻じ曲がっていく。


「うおおおおお!!!!!

何故だ!!なんで俺が地面にいる!!

何故俺が地べたに這いつくばってるんだ!!」


 かなりの量の骨が折れているようだ。

蠅叩きで潰された虫のように蠢いている。


「こ…こんなのは認めないぞ…!!

さ、再審を!再審を要求する!!

裁帝!マウントマウント!これを止めろ!!!

能力を解除しろ!!」


 確かに、その声と同時に、

富士の体は重圧から逃れた…が。


 俺の四肢についていた枷も、なくなった。


 俺は、ゆっくりと歩を進める。


「…俺が何で勝てたかは、俺もわからない。

だが、言えることはたった一つだけ、確かなことがある」


 富士は、蹲りながら、ゆっくり立ち上がった。


「な…なに…が…だ!!

俺のほうが…特化は…俺のほうが強いのに…!」


 両者、殴り合える距離まで近づいた。


「上に立つのも責任が要るということさ。

"裁帝"は、ずっと前から気づいていたようだが」


 富士は、力の限り捻じ曲がった腕を振りぬいた。

さっき俺を殴りつけた時よりも、ずっと遅い速度だった。


 音が響き渡る。

顛末は、語るまでもない。


「家族を踏みにじったお前は、俺に勝てるはずがなかったんだ」


 ただ、他者を踏みにじった者が、

当然の報いとして地面に這いつくばっているだけだ。



 これで、正真正銘終わりだ。

だが油断はしない。早くあの少女と合流しなくては。

というか、どこにいるんだ?

待ち合わせ場所くらい決めておけばよかった…。



 駆け寄ってくる人影が1つ。


「…あ、あの!」


 …狙撃手の女だ。

クソ。下腹部の傷はまだ痛むぞ。


「…君は、こいつの妹か。」


「さっきは、お腹撃ち抜いちゃってごめんなさい…」


「謝ってどうにかなる事でもないと思うが…

まあ、そっちもいろいろあるんだろう。

医療費払ったらチャラにしてやる。

それにしても、いい狙撃の腕だ。

殺し屋をやめてアスリートにでもなるといい」


「はい…ありがとうございます。

兄さん。もう帰ろう。殺されなかっただけマシだよ」


「な…なに…言ってんだ…テメェ…」


「うん。本当に殺されなくてよかった。」



「俺が殺すからネ。

もう喋るんじゃないゼ、命の分際で」


 そう言って少女は、ナイフを持って

実の兄の頸動脈に突き刺した。



 富士は血を吐きながら叫ぶ。

「お…お前は…誰だ…!!」


 機械音声のようなガラガラした声が、

少女の口から漏れ出ている。

口の奥からは、小柄な何かの歯が見えた。


「あっそうだ。お前の妹ヤバいナ。

体は俺好みだけど、まさか超ドMとはネ。

俺が殺した時も超笑顔だったゼ。

お前ら実は仲いいじゃん。キショいわー」


 富士 量は、完全に絶命した。


「まーガワはいいから許すケド!!やっぱり少女の体は最高だ!

居心地サイコー!受肉するなら少女に限る!」


「…虫唾が走るな」


「やあやあドーモ黒森裂。

早速だが自己紹介するゼ。

俺の名前は不死 操次(フシ ソウジ)。特化等級はE+!

女の肉体だから操子(ソーコ)チャンでよろシク!」


 不死は人形劇の操り人形のように、

虚ろな笑顔でケタケタ笑っている。


「お前…刺客か。なぜ今の今まで仕掛けてこなかった?

俺を殺すタイミングなんていくらでもあったはずだろ」


「ハッハッハ。そりゃもちろん確実性の為さ!

我が主は、お前があのゴミ二人を殺せるダロー

ってこともお分かりになってたからネ!」


「で?お前は何ができるんだ?

特化等級はE+とか言ってなかったか…?」


 等級Eが切り札…というのは妙だ。

かなり怪しい。おそらく限定的能力…。


「オー。辛辣ネ。確かに俺はクソザコナメクジ。

傀儡系は単体だとマジで何もできないのネ…

俺は特に弱いから、銃弾の軌道をちょっと変えるくらいしかできネェのサ。

というわけで、手加減してくれると…」


 突如、富士 量が立ち上がった。

首の血は黒く固まっており、瞳孔は虚ろなまま叫んだ。


「「嬉しいゼ!!

『判決を下せ!

「高慢裁帝」(Mt.マウント)!!!』」」


 体に再び、四つの枷が付けられる。


「ぐあっ…!?」


 不意を突かれ、バランスを崩した。

再び起き上がろうと力を入れた瞬間。


 頭を打ち抜いたはずの老人…病葉も立ち上がる。


「もういっちょ行くゼ!

『咲き誇れ「残花の柳」(フォールンフェイル)!!!』」


 強烈な吐き気とめまいの感覚が体中を駆け巡る。


 既に死んだはずの二人が立ち上がり、能力を行使している。

だが、富士は自らの重さに耐えられず、グシャグシャと軋んでいる。

それどころか、病葉すら人形のような動きになっている。


「お…お前の特化!

死んだ人間の肉体を操るのか…!」


「あいや!実にご名答!

俺は傀儡系なのに死体しか操れネェ!

そりゃあ普段は等級Eですヨ?ヨですE?

でもまーコーユー状況なら?」


「軽くA~A+、ですかネ!ハッハッハ!!」


 逃げなければ。

この状況は、悪すぎる。


「くっ!ワイヤーを使うしかないか!!」


 俺はロープを街灯めがけて投げ、結ぼうとした…が。


 ロープは街灯に触れた瞬間、"熔けた"。


「ひ…っ!!まさか!」


 焼け焦げた死体が、力なく動いている。


「ギャハハハハハ!どんどん行くぜェ!

『死に晒せ!「メルトダウン」!!』」


 最悪の状況だ。

ビルが一瞬にして熔解し、路地裏の出口と入り口を完全に塞いだ。

逃げる手段はもうない。

早く銃を持ってこなければ…!!


 すると、奴が手を上げ、握っていた。

奴が…メイを痛めつけた、アイツが…!!


「『お探しの銃はこちらで?』

…うーんイマイチだネ。コイツの口調知ってるカイ?

クソみたいな臭いのする洋館で腐ってたんだケド」


「…っ!武器までも…!」


「完全にチェックメイトだネ。

まあでも油断しないケド…僕の特化弱いシネ!」


 アイツの「死体を操る」特化の脅威は

ただ能力を扱えるという点じゃない!


 自らの強さに決してあぐらをかかない、"油断しない"。

アイツが操作するという点が、一番危険なんだ!


「メルトダウン」は、本体の赤尽が

極めて油断しがちな性格だっただけだ。

もしフルスペックなら、俺は一瞬で死ぬ!


「おっと。長話は終わりデス。

一瞬でカタを付けるのが一番。貴方もよく知ってるデショ?

来世はアスリートだといいですネ!ハッハッハ!!」


「…ッ」


 ビルの壁面が熔け始め、俺の体を包み込み…


「…?」


 突如、熔解が止まった。


 振り向くと、アイツの操っている赤尽の死体が崩れ落ちている。


「あちゃー。心臓が炭化しちゃいましたカ。全く。

死んだ後にも人の役に立たないですネ、アイツ」


「…今"心臓"って言ったか?」


「え…ット 言ってませン」


「言ったんだな」


「言ってないデス」


「そもそも心臓関係ないなら

誤魔化す必要ないだろ」


「あッ」


「…」


「…俺は生きてる命を見るだけでイラつくんだヨ!!

兎に角死ネー!今すぐ死ネー!!」


 一見おどけた状況だが、依然状況は最悪だ。

四肢は地面に張り付き、吐き気と疲労でまともに立ち上がれない。


 だから。

今構えられている分銅の一斉射撃も、もう躱せない。


 だが、今の俺の懸念はただ一つだった。


 死体は血の流れが遅れているからか?

あの"遺物"の発動条件がわからない。

頼む…間に合ってくれ!


 分銅が一気に飛来してくる。

だが、何故か"死ぬ"という心地はしなかった。


 "どこからともなく投げ込まれた"防弾コートが、

体が蜂の巣になるのを防いでくれたからだ。

投げ込まれた方向に振り向くと、小さな人影が見える。


「あのバカ…逃げろって言っただろ…」


 だが今は構っている暇はない。早々に向き直る。

 不死は焦った様子でこちらを見ているが、

俺と同様に直ぐに冷静な判断を下した。


「!?…まあ、黒森裂なら計算してるダロ。

ケッ。それにしても凌いだのカ。

"多少はやる"じゃネーカ…」


 無慈悲にも、分銅は再展開される。


「んじゃ二発目だ!今度はぐるっと全方位!」


 一斉に向きを変え、取り囲まれる。


「一日のうちに二度も包囲されるなど、不愉快極まる」


「ハハハ!今回は病葉の操作ミスも絶対に起きネーぜ!」


 不死は人形がそうするように

少女の手を上げさせ、一斉に号令を出す。


「さあコートで防げるもんなら、防いでミロ!!」



 それとほぼ同時に。


 病葉・富士の死体と、不死の体に繋がっている糸。


――その糸が、突如"切れた"。




               …後編へ続く。

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