第2話「死の教祖」

三番通りの酒屋の裏で

道理の通らぬモノたちへ

今日も死神が戸を叩く

――――――――――――――――――――――

「客人か。用件を話してくれ」


 俺は黒森 裂。

殺し屋だ。


 今回の依頼主は二人組で、

片方は酷く錯乱しているようだった。


「あ…ああああ…!

死が…すぐ側に!来ている!

死にたくない!助けて!」


…戸籍上、20代女性のはずだが妙にやつれていて、

老けこんでいるように見える。

もう一人の男性はその知人と言ったところか。

事務的な笑みを湛えていた。同業者の匂いがする。


「あの人の…!言葉を信じないで!!!

まやかしなの!詐欺なのよ!」


「男性の方。通訳を頼む」

騒ぐ女性を尻目に、要件を聞く。


「はい。要件というのは、こちらです」


 極めて簡潔にまとまった一枚の文書。

同封の写真に写っているのは…妙な…会社?


「こちらは新興宗教"死崇教"総本部です。

隣の彼女は被害者の一人です。

親族、"知人"全てが『解脱』したのです。」


 聞いたことがある。

自殺志願者などが集まるカルト教団だ。


「ここをどうしてほしい?

爆破か?抹消か?それとも…」


「死崇教の壊滅…上層部の暗殺です。」


…俺に頼んでくる、ということは。


「特化持ちは何人いる?」

「2人ほど。教祖と、司教の2人です。

それと幹部数名も殺害してください。

依頼金に糸目はつけませんよ。

10億です!どうです?」


「…標的の特化等級は?」

「教祖がD+。司教がC程度です」


 等級というのは、簡単な危険度の指標だ。


猛獣などと同等の力をもつのがD。

武装した一般人で対処できるのがC。

軍隊の物量で対処できるのがB。

特化でしか対抗できないのがA。

特化を持たない俺にはB+が倒せる限界だ。


 赤尽の『メルトダウン』は特化等級:Aだ。

だがアイツは俺の銃と相性が良かったのと、

慢心のお陰で奇跡的に倒せたんだ。

その事を考慮に入れ、今回の依頼を比べる。


「…そうか。CとDの2体の特化持ちと、

その上位幹部の暗殺か。

今回の依頼は楽そうだな。」


「おねがい…お願い!!殺して!!

今しかない!早く助けてぇ!!」

 女性の精神状態はかなり危ない。

狂ってしまう理由は、至極真っ当だが。


 男は笑みを浮かべて言った。

「ええ。ですとも。

内部には私が潜入して案内をします。

死崇教徒の名義を複製したのでね。

受けてくださいますよね?」


「ああ。勿論受けるとも。

要件は死崇教徒幹部の暗殺、だったな?



――なら、まずはお前からだ。」


「…は?」


 男は銃弾を数発腹に撃ち込まれ、出血した。

痛みにのたうち回っている。


「な…なぜ…私を撃つんだ…!」


 拳銃に弾丸を込めながら話す。

「とぼけるな。

さっきからずっと女性が言っていたぞ。

"側にいるお前は詐欺師だから、殺せ"とな。」


「な…んだ…と?こ…この恩知らず

が、という声は即座に悲鳴に変わる。

 両足の腱に弾丸を撃ち込み、

鈎付きロープで体を持ち上げて柱に固定した。


「そもそも。女に知人がいないのなら、

"なぜお前が依頼人代行になれるんだ"?

それに潜入技術があるんなら、

暗殺するくらい金を払わずともできるだろう」


 まだ抵抗が激しいので、関節を撃ち抜いておく。


「極めつけは、その依頼書と俺に払った金額だ。

報酬が高すぎる。何か裏があると疑うのは当然だ。

10憶もの大金、一般人の女が払えるわけないだろう。

相場と相手を選んで手段を取るんだな」


 急所は全て外してある。


「さて。喋って貰おうか。

何が目的で俺を殺そうとする?」


 すると、男は恍惚とした表情で呟いた。


「ああ…神よ…死が今私の元に至るのです…!

全ての苦痛と呪いに感謝を…」


「…ッ!まずい!」

 俺はすぐさま止めさせようとした。


「人の世に死あれ!人間に終わりあれェェ!」


 直後、男は舌を噛みちぎって死んだ。


「ひぃ…っ」

 女性がか細い声を上げる。

腰を抜かしているようだ。


「…クソッ」

 まぁいい。この様子なら、

たとえ拷問でも情報を吐かなかっただろう。


「あ…あの…」

女が恐る恐る話しかけてくる。


「ああ。情報感謝する。良く伝えてくれた。

お前もなにか依頼があるのか?」


「い…依頼はないです。

でも…お願いがあります…」


「死崇教徒は…悪魔の集団です!

あの教徒共を皆殺しにして下さい…!」


 その声は弱々しかったが、

確かな意思があった。


 俺は少し微笑んで頷く。

「…わかった。」


 立ち去ろうとする女性に声をかける。

「ああそうだ。忘れていた」


「お釣りだ。黙って受け取れ」

 俺はそう言って1億円の小切手を投げ渡した。


「わ…私はお金を支払ってないですよ…!」

「10億円払ったろ?ささ、帰った帰った」


 女性は深々と頭を下げて、

路地裏から日の当たるほうへ出ていった。


 笑ったのは久しぶりだった。

――――――――――――――――――――――

 用具の整備をしておく。

・窒素化合物

・3Dプリンターで複製したコピー

・全身保護スーツ

・拳銃

・鈎付きワイヤーフック

 今回はこれだけで十分だ。

これらは、全て持っていてもバレにくく

懐に隠しやすいものである必要があった。

 あまり装備が仰々しいと乗り込んだときに警戒される。


 重要なことは、アイツらが

「俺を騙す計画が失敗した」ことに気づく前と、

気づいた瞬間の隙を狙うだけだ。

逆にそれが失敗したら…俺は死ぬ。


 いや…『解脱する』んだったか?

心底吐き気がする思考回路だな。

 堅気の人間は殺さない主義だが、死崇教徒は

自分の欲望のために命を捨てる異常者集団だ。


"取捨選択"の必要性がありそうだな。

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「…クソ…」

 俺は早速、死崇教の総本山に来た…が。

随分と来るまでが面倒臭い。

木々の生い茂った山の中にあるようだ。

 写真の通りだったが…交通の便が悪すぎる。

宗教施設は荘厳さの演出のために、

よくこういう参道の長い場所に作られるらしい。


 もっとも…やましいことが無いのなら堂々とするはずだがな。

本当に秘境と呼べるような場所だからこそ、

法律に触れることを平気でできる。

残念なことに今回はそれが裏目に回るだろう。

なぜなら…


 山の中の誰も知らない堂で何が起ころうと。

誰も気にしないし、

誰も逃げられないだろうからな。


「止まれ!」


門番か。律儀に居たものだな。


「私は多田野 京人だ。

例の死神を上手く騙せたので一度帰還する。」


「…多田野さんか。通行を許可する。」


 門が開く。潜入は上手くいった。

コイツの階級にもなると顔パスできるのか、

それとも単に警戒が緩いのか…


 コイツのカードキーに室番が書いてあった。

それに従って自室に入る。


「…ようやく落ち着ける。」


 覆面を外す。

この覆面は、毛穴の一つ一つまで、

3Dプリンターで複製したアイツの顔そのものの仮面だ。

2040年の今は便利な世の中になったなと思う。

 もっとも…作り方は知らない方がいいが。

様子を見に来たコピー屋の店員さんが吐いていたとだけ言う。


 しかしコイツの名前…多田野京人…ねぇ…


「はぁ…名前を考えた親の頭おかしいだろ…」

――――――――――――――――――――――

 潜入したのは理由が複数ある。


 まずは屋敷内の見取り図の確認。

自分のホームグラウンドに塗り替え得るように、

念入りに確認する。

敵に有利な状況で闘うのは愚の骨頂だ。


 礼拝堂は最上階の3階。

地下室は無く、晩餐堂は最上階の真下。

極めて密閉した空間であり、心変わりした教徒が

脱出できないようになっているらしい。

 火災対策もバッチリだ。

晩餐堂(キッチン)の"ガス"コンロや、

1階の僧堂…修行場の廊下にまで

非常用スプリンクラーがある。


 それと…通気性が極めて悪い。

いい空気を吸うには、自ずと

礼拝堂まで行かないといけないようだ。

実によく考えられた参拝システムだな。


 礼拝堂の隣…"啓蒙の間"?

実際に行って確認するか。


 1階に貯水タンクがあるらしい。

スプリンクラーの水はここから使うようだ。

それら以外に部屋はない。簡素な造りだな。


 それと、ターゲット…司教と教祖の確認。

この段階ではまだ殺さない。

計画は入念にしなければならないからな。


…俺を案内する役は多田野のはずだから、

殺した分の整合性も取らなくては。


 内線電話以外に通信手段がない。

一応、全ての部屋に連絡できるのか。

司教に連絡して、病欠することにしよう。


 3,4コールの後、声が聞こえた。

「多田野か。何の用だ?」

 神経質な声。司教だ。

声色からして60、いや56,57歳の男。

身長は173~178cmといったところか。


 多田野の声を思い出して真似る。

「もしもし司教様。私めは少々暇を頂きます。

路地裏で疫病が流行っていたようでして」


「そうか。では代わりに川理を

"贋作"につけさせろ。必ず呼び込め」


「承知いたしました。人の世に死あれ。」


「…人間に終わりあれ」

ガチャ、という音と共に通話が切れた。


――よし。これで後は後釜に連絡をつけるだけだ。

――――――――――――――――――――――

 下層と中層の見回りと仕込みを済ませ、

礼拝堂と啓蒙の間を調べる。


 礼拝堂の扉の前に来た…が。


 扉からは、冷たい"鉄の臭い"がした。

固く閉められ、入れそうもない。


 いや。たとえ開いていたとしても入らない。

この扉…よく見ると"木製"だ。


 中で起きていることを考えると反吐が出る。

礼拝堂にだけ換気口があるのも納得だ。

踵を返し、俺は啓蒙の間に行くことにした。


 部屋の前に行き、扉を開く。

「…なんだ、ここは」


 図書室。小さな部屋だが、相当数の本がある。

全て辞典や辞書のようなものばかりだ…

小説や童話の類いは一切無い。


 それに、この部屋は異常に空気が澄んでいる。

ここは本当にカルト宗教の施設なのか?


 生き物がいるような感覚もない。

本を手に取ってみる。

「地学百科 第1版」「解体新書」「凍結学園」

「遺物(アーティファクト)と少女の伝記」「生命の神秘~魔人説について~」

「《不許可》」「脳科学的にみる夢」

「創造とは何か」「律動/旋律/和音」…


 無学の俺には表題だけで眩暈がするばかりだ。

だが唯一わかる本があった。


「円方摂理の起源と手引き」


 摂理武術。とても懐かしい響きだ。

あの時、色々教えてくれた人はもういない。


 時々、考える。

俺は何故こんなことをやっているんだろう。

無論、他の稼ぎ方を知らないからだ。

学校教育が不十分では誰も雇ってくれない。

 それに。特化で苦しめられる、

自分のような思いをする人間を

一人でも減らしたいのだ。


 だけれども。

優しい両親はそんなことを望むだろうか。

その結果俺が苦しむことを望むだろうか。


 今となってはもうわからない。

「…父さん…」


「どなた。」


 知らない囁き。

この部屋に生き物はいない筈だ。

 急いで振り向く。

俺の後ろに立っていたのは…


 黒のワンピースを身に纏った、

可憐な…まさに深窓の令嬢だった。

肌は新雪のように白く、腕は細かった。

その黒くボロボロの服は、同色で長い黒髪の

先を不明瞭にしていた。


 そんなことよりも眼を引いたのは、

黒い、黒い瞳だった。

 瞳孔が判らない程黒く、

一切の光を反射していなかった。


 仕事柄、死体をよく見るが、

死んだ人間ですら生に対しての渇望がある。


 少女はまるで人形のようだった。


 少女は首を傾げて、もう一度言った。

「どなた?」


「…多田野です。」

「そう。"時間"なの?」

「…? いえ。資料の確認でして」

「そう。」

「…」

「…」


 会話が絶望的に繋がらないが、

ボロが出ると困るのでむしろ都合がいい。

 年齢はおそらく13,14といったところか。

俺は18だから4歳下だな。


 この少女には殺気がない。

おそらく、引き取られた孤児だろう。

堅気の人間には手を出さない主義だ。

どうにかしてこの子を救出しなければ。


 だが、ふと思う。

――この子が、例えここから脱出できたとして

人生を満足に歩めるのか、と。


 一目で分かってしまった。

この子には"感情の起伏が存在しない"。

 人は感情で動く生き物だ。

それがどうも心がかりだった。


「…読書、お好きですか?」

 つい、話しかけてしまった。


 彼女は少しの間俺を見つめ、


「…それしかする事がない。

知っているでしょう?」とだけ囁いた。


 彼女の声は静かな部屋に残響した。


「え…ええ勿論知っていますとも。」

 何をやっているんだ俺は。

こんなことをしても怪しまれるだけだ。


 予想に反して、彼女から話しかけられた。


「私はここから出ることを許されていない。

だから…世界が美しいのか、よく知らない」


「…世界は」

「世界は美しいですよ。ただ、

定期的な掃除が必要なだけなんです。」


「…そう なの?」


 この子といると調子が狂う。


 彼女は少し歩いて、

「貴方は、外の世界を知っている。

少し、話をしましょうか。」

 そう言って、

深窓の令嬢は決して開かない窓に腰掛けた。


「貴方は知らないと思うけれど。

私は…この死崇教の禁忌である

教徒同士の情痴により生まれた。

戒律を破った両親は『解脱』した」


「…」


「忌み子である私は、ただ読書だけを赦されて外に出ることを禁じられた。

私はこの最上階から他の階に行った事はない」


 思わず問いかける。

「…嫌じゃ ないのか?」


「嫌…って 強い否定の意志のこと?

そう…"嫌"に感じたことはない。だけど」


 彼女は窓の外を見て、小さく囁いた。


「私も…美しい世界をこの目で見たかった」


 その顔も瞳も多くは語らなかったが。

"僕"はその言葉の裏にある微かな感情を悟った。

彼女も気付かないほどの、

微かで、確かな寂しさがあった。


彼女はこちらに振り向いた。

「これで私の話は終わり。もう…」


「行きたいなら」

 言い終わるより早く、

彼女の手を取って言った。


「行きたいなら信じればいい。

叶えたいなら夢を見ればいい。

感じることは悪いことじゃないんだ。

一番大切なことは自分に嘘を吐かないことだ」


 彼女は驚いた顔をして、掴まれた手を離した。


 "僕"は我を忘れて、力強く伝える。


「叶わないと思っているかも知れない。

でも信じればいつか夢は叶うかも知れない。

君はどうする?信じるか?信じないか?」


「…し…」


 彼女は口ごもってしまった。


「…ごめんなさい。

そのたった一言なのに、言えない」


 俺はそっと言った。


「それでいい。言う意思があるだけで十分だ。

後は君自身が行動するだけだな」


 階段から靴の音が聞こえる。

下からこの部屋に誰かが来る。

この状況を見られたら不味い。


"俺"は部屋を後にする。


「…!あの!」


 呼び止められて正気に戻った。…しまった。

…おそらく、もう教徒と思われていない。

仕事中にしんみりするのは考えものだな…


「…何ですか?」

我ながら見苦しく取り繕う。


「ありがとう、黒森裂。

貴方は、もうここに来ない方がいい。」


「…ああ。忠告有り難う。

それと俺は多田野 京人だ。間違えるなよ」


 バタン、と扉が閉まる音がした。


「…それは無理があるでしょ。変な人」

その声は部屋に反響した。

――――――――――――――――――――――

 門の外で変装を解き、もう一度門の中へ。


「黒森 裂だ。依頼を遂行しに来た」


 神経質そうな初老の男性が出迎えている。


「どうも!御待ちしておりました!

担当の多田野が先程帰りましたので、

代わりに私めが勤めさせていただきます!」


 うまくいったようだ。

これで俺を殺そうとする隙をついて、

死崇教徒全員を死体にできるだろう。

 俺は手を握りしめた。


 嫌な感触がする。


…気づいたら両の手のひらが腐食している。

 既に始まっているのだ。

これは罠だ、ということを忘れるな。

――――――――――――――――――――――

 入り口に案内され、廊下で話し合う。


「…はい!事前の紙に記載してあった通り、

今日も総礼拝がありまして!

教祖と司教を拝む儀礼があるのです!」


 腐敗しているかのような響きがする声だ。

コイツらは心底信用ならない。


「そうか。そこで依頼をすれば…」


「はい!体制崩壊を目の当たりにさせて

見事依頼は完了でございます!」


 宗教団体のクーデター…まるで、

狸が自分の胃袋に消化されているようだ。


「礼拝堂の内部構造を教えろ」


「はい!礼拝堂はリモートで僧寮と

通話が繋がっていまして!

聖堂騎士により"教祖"が解脱を図ります!

そしてその姿を崇拝して…」


…聞き間違いか?

「…ちょっと待て。教祖だと?

何故教祖を殺害する?

そんなことをしていたら代替わりが…」


 その時。俺は実感した。

隣に居る物体が、まともな人間ではないことに。


「ええ。代替わりの必要がないんです。

なんでも教祖は首から下が不死身でしてね。」


「…なんだと?」

 身体中に悪寒が走る。

最悪の事態。"辻褄が合いすぎる"のだ。


 何故あの少女が感情を持っていないのか。

少女の発言…


"3階にしか行ったことはない"


「…ちょうどよかったんですよ。

解脱を崇拝する偶像がわりにね。

そういえば…」


 やめろ。もう喋るな。


「"禁忌の子"を処刑する際に、

不死身の特化に気づいたんですがね」


 その言葉を口にした男の顔は、

俺には到底人間の顔に見えなかった。


 走り出す。脇目も振らなかった。

体裁や体面などどうでもよかった。

もう何も考えられなかった。


 階段を駆け上がり、

歪んだ鉄の匂いがするドアを蹴破る。


 そこで俺が見たものは。

――――――――――――――――――――――

無数の色に光輝くステンドグラスの下で、

聖歌と共に何者かが切り裂かれていた。


両腕を繋がれ、黒いぼろ切れを纏った少女。


両腕には傷んだ樹木のようであった。

指はあらぬ方向に折れ曲がっており、

腰から下は左側が削ぎ落とされていた。


ヤスリ、鋸切、楔、錐、鋏、バーナー。

傷口は多種多様で、どれも

もう血が出ないほど時間が経っていた。


映像から教徒の声が聞こえる。

この状況を称え、跪いている様子だ。

讃美歌を歌い、涙するものもいる。


執行官は血肉にまみれ恍惚とした表情で、

淡々と溢れ出るモノを処理していた。


そしてそんな中、少女はまだ生きていた。

虚ろな目で、こちらを見ていたのだ。

――――――――――――――――――――――

「そこまでだ。黒森裂」

 後ろから声をかけられる。

俺をここまで案内したヤツだ。


 即座に銃を抜こうとした…が。


「お探しはこの矮小な玩具かな」


 拳銃が盗られている。

この男が俺より俊敏とは思えない。

おそらく認識阻害の特化…

"探知系"特化によるものだ。


 そして。教祖以外に特化を持つ者は。

「お前が…司教か」


 言い終わるとほぼ同時に、執行官がこちらに

振り返って機関銃を構えた。


「…なるほど。詰みと言うわけか。

手をあげた方がいいか?」


 この状況を打破する方法はない。


 司教は笑顔で、神に捧げるように言った。


「親愛なる教徒よ!

これより我らが神への冒涜を行った、

贋作;黒森裂を我らが偶像の前に解脱させる!」


 歓声が上がる。

相当の信徒がいるようだな。


 司教が俺に振り返って言った。


「我が探知系特化は、既に貴様が

武器を持たず無力であることを知っている!

貴様が攻撃の意図を持って所持する武器を

探知し、認識を阻害することができるのだ!」


「ショボい能力だ。

よくそれで大見得を切れたものだな」


「ふふふ…取り繕うな!

貴様は怒りに満ち溢れているな!

やはりこんな奴は…我が光輝かつ神聖かつ清廉かつ

僥倖かつ完成存在たる死神様と程遠い!」


 怒りが収まらない。

「まさかお前ら…

『俺が"死神"の名を使っているから』

殺しに来たのか?」


「その通りだ!無駄話は以上!

これより儀式を始める!


 奴は戦闘手段を一切所持していない!

"聖堂騎士"よ!執行の時間だ!」


 執行官…聖堂騎士はこちらへの距離を詰める。


 背後で黒い少女がこちらに視線を送っている。


(逃げられた筈なのに…

本当に、変な人)


 確かに、寂しそうな姿が、見えた。


 聖堂騎士は合図を待っている。

司教は手を上げて、

今にも振り下ろさんとしている。


 司教は高笑いをしながら言った。

「これで終わりだ…我が神の贋作め…!!

神の御前で解脱することを光栄に…」


「こ…こう えい に…」



 俺の心の内は怒り狂っていた。


依頼主の女が言っていたように、

この集団は全員が悪魔だとわかった。

まともな心を持ったものが一人もいない。

自らの快楽のために人の心を平気で奪える。


 遂に怒りが頂点に達した時。

"この手段"を取るのに

何の躊躇いも無くなったことに気が付いた。


 そして、ただ安堵した。


『よかった』

――――――――――――――――――――――

突如。

空間に走った異様な空気。

凄惨に刺さった過剰な狂気。


瞬間、人は獣の記憶を思い出した。

牙を剥き出しにした笑顔の意味を。

今から殺す、という威嚇の意味を。


生物の原初の感情は悦びではない。


恐怖だ。


そして。

その場の獣は否応なくその存在を昇華させた。


人間だけが知っている。

本当の恐怖は死ぬことではないということを。


敵に回したのは死神ではなかったことを、

教徒たちはようやく気がついてしまった。


気がついた時には全てが遅かった。


「死んだ程度で勝ち逃げできると思うなよ」


黒森 裂は笑顔のまま、こう言った。

――――――――――――――――――――――

 司教は上げた手を必死に振り下ろし、言った。

「う…撃て!撃つんだ!」


 機関銃を持った兵士が一斉に銃を構え、

引き金を引こうとした。


「おっと。やめておけ。撃つな。

撲殺とかをおすすめするぞ?もっと近づけ」


 司教が上ずった声で叫ぶ。


「罠だ!奴に近づくな!

安全地帯から一方的に処刑しろ!

例え私の特化による観測で、

"武器を持っていない"と表示されても

奴への警戒は足りんことがない!」


 忠告はしてやった。

雷管が起動し、薬莢が飲み込まれていく。

多数の火薬が発火した瞬間。


 轟音と共に、礼拝堂の中心が爆発した。


 爆発により"礼拝堂の床が"崩落。

"聖堂騎士"の大多数が晩餐堂に落下した。

残りの兵士は炎に包まれている。


 壁面に拘束されている…少女と、

俺の近くで特化を用いて"観測"していた司教は…

奇跡的に軽傷で済んだようだ。


「…え?」


 司教は何が起きたかわかっていない様子だ。

当然だろう。俺はもう武装していない。


「バカな…なぜ見えなかった!

私の特化は爆破の指令すら見えるんだぞ!

それなのになぜ爆弾が使えるんだ…!!」


「爆弾なんか使ってねぇよ。

血生臭さのせいで気づかなかったか?」


 突如、堂内に機械音声が鳴り響く。


『火事です!火事です!

2F晩餐堂付近で火災発生!繰り返す!

2F晩餐堂付近で火災発生!避難経路は…』


 司教が叫ぶ。

「…"ガスコンロ"!!」


「ああ。人数が多いとキッチンのコンロも

多いよな。そこで侵入時に細工をした。

俺がもう一度屋敷に入った時に、

可燃性ガスだけが出るようにしていたのさ。

通気孔は礼拝堂にしかないんだろ?

充満するのに時間はかからない。


…で?俺をどうするって?」


「く…クソったれ…!」

「おっと。神の面前だぞ。

キレイな言葉を使わないと信者を失うぞ?」


 下から焼け焦げた匂いがする。

もうすぐ"時間"だろうな。


「信者…そうだ!聞こえるだろう!

教徒諸君!こいつを殺しに来い!

取り囲め!今すぐ急いで来い!」


「…状況がわかってないんじゃないか?

火の手は上がった。ここの階段もじき焼ける。

お前を助ける信者など、どこにも…」


 司教は…急に顔色を変えた。


「お前だ。状況がわかっていないのは」


 機械音声の警報音が鳴り響く。


『スプリンクラー、正常に作動!

スプリンクラー、正常に作動!

鎮火を確認まで作動する!』


「ハハハハハハ!奮発した甲斐があった!

下の聖堂騎士もきっと無事だろう!

これで正真正銘お前は終わりだ!はははは!」


 俺は…


「火の手が止まったか。まあ、それでもいいだろう」


 即座に踵を返し、少女の方へ向かう。


「お…おい!待て!

と…止まれ!止まらんと撃つぞ!」


「…はぁ。お前それでも指導者か?

お前の判断ミスだ。

信者は一人残らず死ぬぞ。」


「…なに?」


「…"貯水タンクが一ヶ所しかない"のは

お前の大失敗だ、と言っておくよ。」

――――――――――――――――――――――

 地獄のような音が下の階から鳴り始めた。


 贋作…黒森が何故笑ったのか。

理由がようやくわかった。


 私たちはそもそも死んでいた。

コイツは罠を仕掛けていた。

コイツが一回目の潜入で全ての手筈を

整えない訳がなかったのだ。


 コイツは私たちを"死んでもいい存在だ"と

判断したから笑ったのだ!


 教徒たちの断末魔が聞こえる。

それらは全て言葉を成していない。

喉の筋肉の痙攣で声が出せずに、

ゆっくり死んでいる。

 解脱に至る祝詞すら声に出せずに…!


「き…貴様!これが狙いか!

おのれ…何を仕込んだ!言え!

…なんだ、このアーモンド臭い異臭は!!」


 背後から声がする。

教祖のガキの声だ。


「青酸カリ。"窒素化合物"。

極めて水溶性が高い、毒物。

推理小説でよく使われる」


 こ…コイツ!毒を!

何の躊躇いもなく、水源に流し込んだのか?

人間の心が無いのか…!?


 奴は笑顔で言った。

「ああ。勿論。」


 その笑みが語っていた。


――"死ぬよりそっちの方が苦しむだろ"?

死んだ程度で勝ち逃げできると思うなよ…!


 全身に悪寒が走る。

逃げろ。逃げなければ。

コイツは死神ではない!化け物だ!


 もう既に、自分しか信者はいない。

その事に気が付いた。

――――――――――――――――――――――

 司教との距離を詰める。

「ひぃっ!や…やめろ!」


 爆発で空いた穴の縁まで追い込む。

「私は司教だ…!

私がこんな目にあっていい筈が…!」


 さらに距離を詰めようとした時、

か細いが、力強い声が聞こえた。


「…避けて!」

「…えっ」


 直後。

耳障りな音と共に、

俺の腹部は撃たれていた。


 視界が歪む。


「はは…これは貴様の武器だ!

言っただろう!認識を阻害すると!

拳銃の所持はあの女しか気付けない!

探知系こそが最強の特化なのだ!」


 全く…気付かなかった。

俺の拳銃…司教が…


「…」


「私の特化を甘く見たな!

死崇教は再び咲き誇るのだ!

…貴様の解脱によってな!!!」


 司教は再び弾丸を撃つ。


 俺は食らいながら距離を詰める。


 俺がまだ止まらないことに驚いている。

司教は必死で弾丸を撃つ。


俺は食らいながら距離を詰める。俺は食らいながら距離を詰める。俺は食らいながら距離を詰める。俺は食らいながら距離を詰める。


 司教がどんな顔をしたかは、よく見ていない。


「祈りな」


 その一言と共に、司教を穴に蹴り落とした。

――――――――――――――――――――――

――――――――――

――――

 引き裂かれた体はもう治った。

腕は元通り。痛覚はもう、

遥か昔から感じない。


 左脚がまだ、修復できていない。


 そんな私を、化け物として恐れるでもなく

崇拝するでもない、

自分の知らない感情で見る人がいた。


 黒森 裂。

 何故、わざわざ本部まで乗り込んだの?

貴方には何の特もない筈。

司教に撃たれてまで、何故。


 貴方ならこの堂をまるごと吹き飛ばせた。

わざわざ不利な状況で…

特化を用いずに、勝った。


「脚。取ってきたぞ。治るか?」


 貴方の傷こそ、治るのだろうか。

私は不死身だから、どんな重傷でも治るけど。


「…貴方の傷は?」


 彼はつらそうな顔で、微笑んで言った。

「君に比べればな」


…わからない。


「…貴金属製の腕かせ?…ああ、腐食防止。

手の腐食は君の特化の自動能力によるものか。

握手のとき、手を離してくれて助かったよ」


 そう言って、私の腕かせを破壊し、

私を床にそっと横たえた。

少しずつ脚が癒合していく。


 私は声を出す。

使っていない筋肉が動くのを感じる。


「私…言った。来ない方がいいって。

どうして、戻ってきたの」


 彼はきょとんとした顔で言った。


「当然、君を助けに来た。

その服はもうボロボロだ。これを着ろ」


 そう言って、黒色の大きなコートを投げた。


 彼が上を見る。

太陽の逆光で、彼の顔がよく見えない。

「へぇ…礼拝堂のガラス窓。ちょうどいい!」


 色あせたステンドグラスを、

ワイヤーフックで破壊する。

ガラスの破片が落ちてきて突き刺さる。


 私に覆い被さった、彼の背中に。


「怪我はないか?

これから外の世界に脱出する。準備はいいな」


「えっ…」


…今は、これくらいしかできないが。

私は精一杯頷いた。


「任せろ。しっかり捕まってろよ!」


 彼は私を、横たわった状態でそのまま

腰まで持ち上げて、両腕でしっかり

上下の半身を支えた。


 腕を伸ばして、彼の肩に添える。

振り落とされないように、しっかり捕まる。


 ワイヤーが巻き取られる音と共に、

物凄い速度で体が宙に投げ出されそうになる。


 彼の背に力強く捕まっていると、

掴んでいた彼の肩が腐食し始めた。

手の力を弱めなくては。


 直後、声が聞こえた。

「俺は腐食してもいい!手を離すな!」


 より強く捕まる。

この人の厚意を無駄に出来ない。

何よりも。


 少しだけでもいいから、外で生きていたい…!


 空気が変わった。


 ここは…空。鳥のように高く飛んでいる。


 辺りを見渡す。


 草木のざわめき。鳥のさえずり。

澄んだ空気。澄んだ空。


「…綺麗。」

不意に口をついた言葉。


 こんな世界があるとは、思わなかった。


「…そうだろう」

 彼は微笑んで、着地した。


「…俺は…少し休む…」

 そう言って彼は地面に倒れた。

どうやら気絶したようだ。


 彼の体を引き摺って木陰まで運ぶ。


 木漏れ日が心地いい。

今日はとても幸せな日だ。


改めて、彼に向けて。


「助けてくれて、ありがとう」


 今の私の、精一杯の感謝。

――――――――――――――――――――――

――――――――――

――

「ハァ…ハァ…クソったれが…」


 司教たる私がこんな目に逢うとは…!

これは何かの間違いだ。


「し…しかし…

スプリンクラーの毒沼には触れずにすんだ!

聖堂騎士共の死体が下敷きになっている!」


「これも神の導き…!神のご意志!

おお死神様よ!感謝いたします!

必ずや信者を募り、死崇教を復興致します!」


 信者を集めるなど造作もない。

今の社会には死崇教徒の素質ある

自殺志願者の若者が星の数ほどいる。

 そしてそいつらを用いて、

黒森裂の事務所に自爆テロをさせる。

この方法なら贋作にも勝てるだろう…!


「ふふふ…!ハハハハハハ!

人間に…


"人間に死あれ"


 次の瞬間。

足下の聖堂騎士の体が蠢き、

無数の手が司教の全身を掴んだ。


「な…!貴様ら!生きて…」


"司教様、貴方が祝詞をあげてください"


 声を上げることが出来ないほど腐食した

聖堂騎士たちが痙攣しながら、

司教を青酸カリの沼に引き摺りこんだ。


「ぐ…ぐああああああ!

や…やめろ!こ…この…クズどもが!

私に従え!私の命令を聞けえ!」


 必死の抵抗もむなしく、

どんどん奥に引き摺られる。


「や…やめろ!やめろーー!!!

私はまだ…まだ…!!!」


「し…死にたくないーーーーーー!!」


――――

死崇教の司教

特化名…逃避の人身御供(エスケープ・ゴート)


…解脱に成功。

――――――――――――――――――

 意識が混濁している。

ここは何処だ。

どうやら意識を失ったようだ。

後で腹部の弾丸の摘出と、手術を…


 それにしても空が青い。

木漏れ日に包まれている。

ずいぶんと心地よい場所だ。


 あの世…天国ではなさそうだ。

こんな殺人鬼が天国に行けるわけがない。

人は人を殺せば、否応無く地獄に行くだろう。


 隣では、黒い少女がこちらを見ていた。


「…ハッ」

 思い出した。俺はコイツを助けたのだ。

死崇教の教祖…いや、"ただの少女"だ。


 少女に向かって言う。

「…助かってよかったな。

さ、何処へでも好きに行け。お前の人生だ」


 その場を立ち去ろうとした瞬間、

予想だにしない事態が起こった。


「黒森 裂…いや、

"不幸の死神"(トリガー・アンハッピー)。

…殺しの依頼がある。」


「…死崇教徒の残党か?」


 彼女は深く息を吸い込んで、言った。


「私を、殺して」


 即座に眉間に拳銃を突き付ける。


「そうか。いいことを教えてやる。

お前の首から上の傷は治りが遅い。

このまま引き金を引けば死ぬぞ」


「わかったらさっさと消えろ。

二度と死にたいなんて口に…」


 言い終わる前に。


 彼女は眉間に拳銃を突き付けられながら、

俺の剣幕に一切動じずに、頷いた。


 ほぼ同時に、思い出した。


――この子が、例え脱出できたとして

人生を満足に歩めるのか、と。


 俺はどうすればいい。

この少女を殺すか。

依頼という理由だけで、

無実の人間を撃ち殺すのか。


 彼女は口を開いた。


「これ以上私の人生が幸せになることはない。

生きていくうちに、色々な理不尽に合う。

貴方と違って弱い私は対抗する術を持たない。

だから、貴方に依頼する。」


「私が…一番幸せでいられるときに、殺して」


――――

「もう…できないって、わかったんです…

ぼくを…ころして、ください」

――――


 あの時の"僕"と同じ、諦感。

"僕"は手を差しのべてくれた人がいた。


 ならば、"僕"は。


「…わかった」

 拳銃を下ろす。


 驚いた表情でこちらを見る少女に言った。


「殺しの依頼は分かった。

"お前が一番幸せな瞬間"に、だな?」


「ならそれは今じゃない。」


 木陰から立ち上がり、

少女の手を取って言った。


「必ず幸せにするから、ついてこい」


 これは契約だ。

決して破ることの許されない、な。


 少女は立ち上がり、歩み寄る。

そして、俺に顔を向けた。


「…ありがとう」


 二人は木陰から日の当たるほうへ出ていく。


 笑った顔は、初めて見た。

――――――――――――――――――

~あとがき~

 2話です!引き続き読んで頂いて有難うございます!

今回はヒロイン登場回です!


 短編なので明日更新で最終回です!

感想などどしどしお寄せください!それでは!

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