ミーティングルーム

「ちょっと来て」

 悠里からそう声をかけられたのは次の日の部活中だった。

 全身が凍りつく。と共に鼓動が早くなる。肺が押しつぶされて息がしにくいけど、それでも今、話をつけるしかないのだと思った。

「まだ本気でこの間の事やってるの?」

 ミーティングルームに入った途端、威圧的な雰囲気で悠里はそう尋ねてきた。

「してるよ」

「本当、そういう所馬鹿だと思うよ」

 絶句した。何を否定されているのか分からないからこそ、その言葉がどっと前進にのしかかる。ただ、この事に関しては何も否定してほしくない、そう思うと頭に血が昇り始める。

「何が? 美優があんな見た目だから? その子の話に乗って部活の方には出ないから? 何も分からないよ」

「全部だよ! おかしいよ。あんな子と一緒にいたら奈央だってそういう人だって思われる」

「何が駄目なの? 見た目で人を判断してる悠里の方がおかしいよ」

 悠里の顔から一瞬にして感情がなくなる。

「美華と桜井って元々友達なんでしょ? 雰囲気似てるよねーあの2人。だから美華の事ずっと嫌いなの。あの性格とかも全部。美華と桜井が2人揃ってるなら絶対そんな舞台、参加する気ないんだけど」

 あ、もう無理だ。そう感じた。

「もういい。悠里とは一緒にいれない」

 その後はもう一心不乱に走った。荷物を取って速攻で部室を出て、学校を飛び出し行く先もなく走った。その間、固く決めたものがあった。今はそれを目指すべきだと思った。


 次の日の朝、私の誕生日当日。いつもとは違う髪型で教室に入った。最初は違う髪型である事に驚いていたクラスメイトもそれとは違う部分に驚いてザワザワしている。1人がそれに気付くと次から次へと周りに伝わっていく。しかし、悠里は気がついていないようだった。そのザワザワとした雰囲気は先生が教室に来るまで続いた。いつもは静かな教室がザワついているのに先生も「どうした?」と心配していたが、皆の目線でその理由が私である事に気づいたらしい。初めは「寺崎、今日は髪型違うんだな」なんて言っていたけど、それに気がついた途端私の方にゆっくりと近づいてきた。

「どうしたんだ、それ」

 むしろ気付かせるために今日はポニーテールにしてきた。

「前からか」

 そこでようやく悠里も気がついたようだった。

「奈央、それなんで付けてんの」

 悠里ががっしりと肩を掴む。

「似合わない、そんなの! 奈央っぽくないんだから、早く外して」

 その腕を思い切り突き放し奈央を睨む。

「ぽくないって何? 私はずっとこういたかった。真面目とか思われるのが嫌だった。真面目だって思われる分だけ、苦しかった。……そうさせてたのは悠里だよ。勝手に"真面目な私"を作って、そうじゃない、真面目じゃない"本当の私"を否定してさ」

 遅れてきた美優が呑気に教室に入ってくる。教室の真ん中で声を荒らげている私を見て、その異様な雰囲気に気がついたらしい。

「奈央?」

 その声に私は振り返る。

「え、奈央、ピアス開けてくれたの?」

 私はもう何も考えられなかった。ストッパーが壊れて、思った事を次々に発してしまう。

「美優、私っぽくないって何? 本当の私が、否定されるのはなんで?」

 声が震えて足がすくむ。

「……ぽいとかぽくないとか、あんまり分からないけど、やっぱり奈央ピアス似合ってんじゃん」

 ニカッと笑う美優を見て、心がスーッと軽くなる感じがした。

「は? もしかして、桜井が奈央にピアスあげたの?」

「ん? そうだけど」

 悪気がない、という感じで悠里を見つめていた美優が私の耳元でこう囁いた。『逃げたい?』

 私は美優を見上げて、深く頷いた。


「こんな時間にここいるって罪悪感凄くね? しかも平日のこの時間」

 美優はあの後、私の手を引っ張って学校から離れた土手まで連れて来てくれた。空を流れる雲がやけに遅い。静止画像を見ているようだ。

「こんな事でさ、先生たちからの評判悪くなったって結局はそんな奴らだったって思えばいいよ」

「でも、文化祭出られなくなるかも」

「まぁ、その時は……仕方ないよ」

 草木が揺れてカサカサと音を立てる。この土の下にも眠っている生物がいる。準備が出来た時に、表に出てきて死ぬまで自由を楽しむ。きっと私はその時を迎えたのだろう。今ここにいる事が凄く怖い。明日からどうなるのだろう。居場所はあるのだろうか。もし全ての肩書きを失ったら。そんな不安が押し寄せる。

「おじさん! 久しぶりじゃん!」

 美優が土手の下を歩いていたおじさんに手を振る。おじさんも声の方に顔を向け、「おう」と目を見開いて手を挙げた。美優は傾斜を駆け下りていき、下から私を手招きして呼ぶ。

「美優ちゃん、この可愛らしいお嬢ちゃんをどこから連れ出してきたんだい」

「人聞きの悪い言い方だなー。こいつは奈央。私の学校の生徒会長なんだよ! 凄いだろ?」

 おじさんがまた目を見開き私を凝視してくる。

「息抜きも生きるための行為だからの」

 それ以上、おじさんは何も言わなかった。

 「千恵子さんが待ってるから」そう言っておじさんに別れを告げ、私たちは美優の家に向かった。

「なんか文化祭、出られる気がしてきたわ」

 家に着いて開口一番、美優はそう言い放った。

「私はめちゃくちゃ無理な気がしてきたよ」

 こういう所も私は正反対なのだろう。美優は1度底に落ちれば次は上がれると信じる。私は1度底に落ちればもう二度と上がれないような気がしてならない。

「今はさ! 書類提出までガムシャラに頑張ろ? 準備はどこまででもできるから。無駄になったら別の場所ですればいいし。ね?」

 信じるしかないのだと、そう信じるしか私たちには方法がないのだと感じた。

 それからの日々は早かった。

 次の日、学校に行った時も何も変わらず皆は接してくれた。悠里を除いて。理由は分からなかったが先生たちも私のピアスに関して何も言って来ようとはしなかった。生徒会長だって、演劇部の部長だって下ろされることはなかった。むしろ、ピアスの存在を知っているクラスメイトは周りのクラスに口外せず接してくれ、なおかつ「ピアス開けるの痛くなかった?」「このピアス奈央ちゃんに似合いそう!」などと話しかけてもくれた。そうなった事で美優に対する周りの反応も変わってくるようになった。「メイクの仕方教えて!」とか「おすすめのファンデとかある?」と周りが積極的に美優と関わるようになっていったのだ。それが私は凄く嬉しかった。

 私たちが文化祭で劇をすると聞きつけた、演劇部の後輩数人から「私も先輩の劇に参加したいです!」と頼まれる事もあった。その子たちにも役を振り分け、書類提出は完了し原稿合わせ、動き確認、全てを徹底的に練習した。後輩たちの指導をしたのは私ではなく美優だった。美優の指導は的確でみるみるうちに後輩たちの演技は成長していった。

 そしてついに明日、文化祭前出場者選抜を迎える。13時に体育館に集合となる。ここで発表するものは最初5分、中5分、最後5分程度、計15分のものを抜粋して見てもらう。審査には2年前演劇部の顧問だった武田先生もいる。今は顧問を外され書道部で副顧問をしているそうだ。

 前日の放課後、空き教室を借りてみんなで最後の合わせをした。誰一人として間違うことなく完璧だった。気合い入れの円陣を組んで掛け声は美優が担当した。「私みたいな人間が誰かに頼られて誰かに教えて、なんて一生ないと思ってた。でも奈央と出会って、本当に変わったなって感じて、ます。審査結果はどうであれ、最高の劇を見せてやろうぜ!」その言葉に皆が「おう!」と声を上げる。輪の中に悠里はいないけど、今はそれが普通なのだと思った。片付けが終わり皆がそれぞれに身支度を済ませ帰っていく。最後になったのは私と美華だった。

「美華、本当にありがとう」

「急にどうしたの」

 帰ろうとしていた美華の背中にそう呟いた。

「美華がいたから香苗が参加してくれるってなったし、美華がいたから原稿だってすぐに用意できたんだよ。本当に感謝してもしきれないよ」

「照れくさいからやめろって」

 照れくさそうに顔を背けて「じゃあ明日頑張ろうな」と言って帰っていく。誰もいなくなった部屋で深呼吸をする。

 それから10分後くらい経った頃だろうか遠くの方から男子の声が聞こえてきた。はっきりは聞こえなかったけど、その声が近づくにつれ、誰の声なのか、何を言っているのかというのがはっきりとわかった。

「マジであのブス、俺に告ってきてさ。ちょっと仲良くしてやったからって調子乗ってんじゃね?」

 ゲラゲラと笑うその声に心臓がバクンって脈打つ。顔を見なくても誰の声だかはっきりわかる。板東くんだ。バレないようにそっと様子を見る。やはり板東くんだった。他にも2人友達がいる。

「身の程を弁えろって感じだよ。家に鏡ないのかな? 斎藤、お前鏡買ってやれよ」

「嫌だよ。あいつにプレゼントとか絶対渡さないから。てか、なんて言って振ったの?」

「ん? 無理って」

「もっと優しく言ってやれよ」

 それ以上は聞いていられなかった。私が苦手だと思うタイプが板東くんだったとなれば次期部長候補が変わってくる。でもそれで変えたら、私も性格で人を判断する人となるんじゃないか? でももしあの性格のせいでこれから入ってくる後輩たちが裏であんな風に言われてしまったら、それは板東くんを推薦した私に責任があるのではないか。色んな想像が駆け巡る。

「あ」

 あの時、服部さんが言っていたのはこういう所が彼にあるとわかっていたからなのか。橘さんを推薦する同期を、心のどこかで浅はかだと思っていた私自身が、最も浅はかな存在だったのだと。そう思うと胸が締め付けられる。もしかしたら3人のうち誰かは、彼のあの性格を知っていたのかもしれない。

 声が聞こえなくなってから学校を出た。暗くなっていく道を踏みつけて、最近離れていた演劇部の事を考える。部室に行っても劇に参加してくれる子と打ち合わせをしたり、美優との打ち合わせのために部活に行かなかったり。適当なまねをして、それでも部長として部室に入ることが正しいことなのか。

 何故、分からないのだろう。

「今は信じるしかないんだよ」

 自分のそう言い聞かせ街灯が照らす黒いコンクリートを歩いた。

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