第十一夜 5

 よどんだ空気が少し乱れ始めた。

 花蓮は元の姿に戻ると、両手を組み、指を絡めて印をつくった。


「たぶん、安倍晴明はこの人の性格を見抜いていたんでしょうね。もし、自分一人人間に戻りたいと思ったときに手を打てるよう、ヒントを残してくれていたのよ」


 藤助がポケットから一切れの紙を出した。


「よくオレがあの本を読み返すってわかったな」

「さすが、藤助さん」


 花蓮がニッと笑うと、藤助も笑いかえす。それを見、花蓮は細く、しなやかな指を組み替えた。


「里の結界内東北・東南・南西・北西にくさびを打ち、結界内にいる全てのじんびょうじんろうを置く。私がゆきの力を発動させることで、梅子の目的は達成する」


 そこまで一気に話し終えると、また指を組み替える。――広がっていた重苦しい空気が、中庭の中央に集まり始めた。


「人猫・人狼を結界から出して、ギリギリまで気を集めたところで、ゆきが自分で力を発動すれば、この術は崩壊する。……どうしても、あの人に悟られるわけにはいかなかった」

「だから、人狼を使って里を制圧したんか。……昔みたいに」


 悲しげにポツリとつぶやく銀次に、花蓮は頷いた。


「あとはあなた次第なのよ、ゆき」

「なんで……なんで……!言ってくれれば……!」


 涙声のゆきに、花蓮はいつもの笑みを見せてやった。


 保健室で久しぶりに見たあの日から、うすうす覚悟はしていた。罪を、あがなう日が来ることを。


 ――「のおばちゃんにタッチしておいで。『お母さんとあそぼ』って、思うてな」


 逃れようとしていたゆきの抵抗が、ふとなくなった。花蓮が術をゆるめようとしたとき、ブン! という音とともに、花蓮の術が切られた。


「な……!?」


 それとともに、地鳴りのような音が響き渡る。ゆきの回りに集まるよどんだ気が、竜巻のように舞い上がり始めた。せんを描くたびに、よどみが、無に変わっていく。まるで、ゆきに清められているような感触を、花蓮は指先に覚えた。


「あなたが受けた呪いは、確かにあなたのせいじゃないとは思う。だけど、みんなだって、生まれたときから定められた運命と向き合って、受け入れて生きてきたんだよ」


 里の空気が次々と生まれ変わる。巻き上がり、浄化されゆく風に押されながら、梅子は叫んだ。


「だから、これ以上猫になる人間をださんよう、全て猫にしてしまうんじゃ! どうせ、遅かれ早かれ、猫になる。妾のけんぞくを妾が自由にして何が悪い!」


 ぴくりとひげを動かすと、ゆきは、汚れなきその白い顔をゆっくり上げ、梅子をまっすぐ見返す。知らず、梅子は後ずさりした。


「私達はあなたのおもちゃじゃない。――自分の生き方は、自分で決める!」

「呪いなんてものはね、そう簡単に解けるもんじゃないわよ!」


 すばやく印を切る花蓮を見て、梅子が足を動かそうとする。が、足に力は届かない。凜としたたたずまいは、見るもおぞましい形相へと変わり果てた。


「花蓮……お前は!」

「逃がしませんよ、大婆様」


 火の付いたような花蓮の目は、梅子に息をのませた。


「ふせろ!」


 激しい風を避け、体を伏せる藤助の声が聞こえる。花蓮は次代の〝長〟に全てを託した。

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