第十一夜 1
もう夕方だというのに、汗が額から頬を伝って流れ落ちる。だが、ゆきは暑さを感じていなかった。
うわべの温もりの中にある、冷たさの闇に手を入れるしかない状況を呪った。
「私の力が必要だということは、母を使って同じ事をしたということですか」
「なかなか勘のええ子ですね」
ゆきは顔を上げた。
「そうです。十五年前にも試してみたんですけど、うまくいかなくて……。吾郎が全部台無しにしてしまいました。残念やわぁ」
虚空に目を移し、不服そうに口をとがらせる無邪気な表情。まるで他人事のような口ぶりだった。
映る景色が崩れ去る。
張りつめた心に差し伸べられた温もりは、幻だった。
あるのは、壊れたおもちゃを放り投げ、また新しい物に手を伸ばす、童女のごとき奔放さ。高ぶる感情がにじむ。ゆきは、見開いた目を閉じることすら忘れていた。
「花蓮」
はい、と答えると、青白い炎が花蓮を三毛猫に変えた。
「――
花蓮がつぶやくと、ゆきの体が動かなくなる。――いや、自由を奪われていた。
右足がふわりと浮く。
地に着けようと力を入れると、引っ張られるように一歩前に出た。「何これ!?」と振り返ろうとした。すると、あごを握られた感触がしたかと思うと、グンと顔を前に向けられる。両手首もつかまれ、前へ後ろへと振られている。体は中庭の中央に連れて行かれようとしていた。
「すいませんねぇ。うちの子達、しつけがなってなくて」
無邪気に笑う梅子の顔がだんだん近づいてくる。小野はそれを聞いて涼しげな笑みを浮かべた。
「いや、元気なのは結構なことです。うちは男ばかりですし、数も少なくなりましたからなぁ」
小野はゆきをじっと見つめる。
「狼になることにあらがえず、人の世の片隅で潜むように生きてきた。理性をなくし、狼になってしまったことで、弔うことすらできなかった者が何人いたことか。これは最後の賭けです」
小野の手がぐっと握りしめられた。
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