第七夜 2

 ゆきが「補習の途中だぞ! 」と教師に呼び戻される。それを合図に、それぞれバラバラに帰って行き、保健室には藤助と真だけを残した。藤助は残った書類の整理をし、真は窓からグランドを眺めていた。


 ふと、真が口を開いた。


「なぁ……。最近、変わったこと、ないか?」

 

 書類から目を離さず、藤助は答える。


「ん? ないけど。ここのところ、向こうも動いてないようだし。いいじゃない。平和なのは」

「そうか。そんならいいけど……」


 真は外に目を向けたままだった。誰かを目で追っているようにも見えた。


「気になることでもあるの?」


 真は窓を背にすると、考え込むように腕を組んだ。

 時計の針が沈黙を刻む。

 藤助は焦らず、真の言葉を待った。


「銀次がな、変やねん」


 視線を落としたまま、真はポツリポツリと言葉を続けた。


「最近、アパートに戻ってないみたいやねん。戻っても遅いっつーか……」

「彼女でもできたんじゃないの~?」

「そんなんやったらええわい! ……なんか、隠し事してるみたいやねん」


 何をするにもいつも一緒で、だいたいのことは言われなくても分かる。でも今回のは、どうも得体が知れないのだとか。


「あの子は元々、斥候せっこうとしての役目もある。何か思うところがあるんじゃない」

「斥候か……。しかし、後でゆきから聞いたとき、オレ倒れそうになったワ」


 藤助もその時を思い出し、笑いがこらえきれなくなった。


 例の〝実家男〟事件である。

 顛末てんまつを聞いた真から「お前はアホか!」とこづかれた銀次は、耳まで真っ赤になってボソボソとこう言った。


「だって、ボク、交渉まですることないし……」


 要は、どう話しかけたらいいか、分からなかったのである。


「オレは人選をあやまったかと思うたわ」


 がっくり肩を落とす真に、今だ治まらないおかしさをかみ殺しながら、まあまあ、と藤助はなだめた。


「不器用なところはあるけど、あの子の目は確かだから。しばらく様子を見ましょ」


 そう言いつつ、コーヒーを一口含んだ藤助は、少し目をきつく光らせていた。




 満月に近い月が夜を照らす。その明かりを避けるように、一匹の猫が歩いていた。シルバーグレーの毛並みをもつその猫は、一度振り返り、あたりをうかがう。誰にも後をつけられていないのを確認すると、建物の中に入っていった。


「お帰り。遅かったなぁ」


 そろりと銀次が鼻先で窓を開けると、真が暗闇の中で片膝を抱えていた。


「どうしたん? こんな夜中に?」

「それはこっちが聞きたいわ。今までどこ行っててん」


 静かだが凄みのある声で問いかける。銀次は言葉を選んだ。


「どこって、散歩やん」

「その格好でか? 何の為に?」


 真は目を合わさない。銀次は元の姿に戻り、いつものクタっとしたTシャツとジャージを着こむと、その場に座った。


「猫の姿で行くのがおかしいか?」

「お前、何隠してるねん?」


 初めて真が目を合わせる。怒るような、すがるような目を向けられ、ついと銀次は細い目をそらした。


「別に……。何も隠してないよ」


 真はギリ……と唇を噛みしめると、背を丸め立ち上がった。

 重い扉の音が聞こえる。


 銀次を包む月光の冴え冴えとした明るさが、やけに冷たく感じられた。 

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