第五夜 1

 真はスパルタだった。


 早朝四時からたたき起こされ、朝食もそこそこに訓練が始まった。朝食の世話をしてくれた〝おばちゃん〟こと岩崎しずかは、「あーあ。真の訓練が始まった~」と、毎度の事に苦笑していた。


「スマンな。おばちゃん。いつも早起きになって」


 真は申し訳なさそうにポリポリと頭を掻く。だが、すでに目は鋭さを帯びていた。


 人猫は変化へんげのせいか、身体能力が高い。それも、人間以上である。跳べば、家の一階の屋根などやすやすと超える。走るのも速い。それは、覚醒したゆきも同様だった。

 軽くジャンプしたつもりなのに、木のてっぺんまで届きそうな勢いに、ゆきはいちいち叫び声を上げていた。


「よそ見したらアカン! 足、滑らすで!」

「んなこと! 言ったって! 勝手に……、わっ!」

「体、丸めるねん!」


 木の枝をつかみ損ねたゆきが、真っ逆さまに落ちる。銀次に言われたとおり、両手足を体に引き寄せる。すると、体が覚えているのか、くるりと向きを変え、そのままストンと足から着地した。


「う……わ~……」


 つかみ損ねた枝を見上げる。あまりの高さに、驚きがうまく声にならなかった。


「大丈夫? ケガ、ない?」

「うん。銀次君、体育の時間、大変じゃなかった?」

「三段跳びはやばかったなぁ。砂場、越えそうになるし」


 細い目に笑みが浮かぶ。だかすぐにキュッと引き締め直した。


 昼食を取ると戦闘訓練が始まった。


「まずは自分の身を守ることを覚えな。花蓮、手加減せんでエエで」


 うなずくと、花蓮は足を肩幅に開く。いつもの軽く、脳天気な花蓮ではない。スッと構えた指先から発する気迫が、ゆきをたじろがせた。

 おされ、ぴくりとも動けないゆきに業を煮やしたのか、花蓮がタッと走り寄る。気がつけば、背に痛み、目の前に森の木々が広がっていた。眉を寄せ、引き締めた表情の花蓮は、襟首をつかんでゆきを立たせると、さらにゆきを地面に叩きつけた。


 再び広がる森の木々。

 それを遮る花蓮の顔。


 助けを請おうと口を開くが、「花蓮」とかたどっただけで、また投げつけられる。

 もうつかまれたくないと、ゆきは痛みをこらえて背を起こし、後ろへいざる。だが、なおも花蓮は詰め寄ってくる。


「引くな! 引いたら死ぬで!」


 ゆきはまた、宙を舞った。


 容赦ない花蓮の攻撃。

 真の檄。

 幾度も叩きつけられる自分。

 顔についた土のにおいに、ふと、魔が差した。


 ――もう、いいじゃん。あの人達についていけば、全て丸く収まるんだからさ……。


 顔を背ける。だが、目に飛びこむ銀次の腕に巻かれた包帯に、ゆきはハッと目を見開いた。


 苦痛にねじ曲がった千秋の顔。

「捕まらないわよ」と言った花蓮の言葉。


 もしあの時、こんなに早く走れるのだと知っていれば、少なくとも、千秋にケガをさせずに済んだかも知れない。そう思うと、少し顔が引き締まった。ギシギシきしむ体を起こして花蓮を見据える。すると、花蓮の懐が一瞬、空くのが見えた。

 サッと滑り込む。

 思いのほか軽く、花蓮は宙を舞った。


「よっしゃ、一本」


 真がニヤリと笑った。


 次の瞬間、ガサッという音と共に何かが降ってきた。とっさに銀次がゆきを抱え、退く。落ちてきた物体は立ち上がると、苦虫をかみつぶしたような顔をして言葉を吐いた。


「甘ぁ。こんなんも、人にかばってもらわなアカンのか」


 そこには木刀を下げた平太が立っていた。


「平太君……」


 平太はゆきを見下ろすと、切っ先を突きつけた。

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