第四夜 3

 寝殿の脇に作られた玄関から中へ入る。庭をめるように巡りながら、渡り廊下を歩いていると、池の鯉がまた、ぴしゃり、とはねをあげる。その音にゆきはびくっと肩をすくめてしまった。うつむき加減のゆきに気づいたのか、藤助がポンポンと頭をなでる。真はチラリとゆきを見ると、わずかばかり鋭さを帯びた目を伏せ、また歩き出した。

 一行が奥へ奥へと歩を進めると、屋敷の一番奥にある、小さなはなれに着いた。


「皆様、真達が帰って参りました」


 〝おっちゃん〟こと、いわさききちが障子の向こうに声をかけた。


「入り」


 中から凜と響く、老女の声。それを確認すると、真が障子に手をかけた。


おおばば様。ただいま戻りました」

「真も銀次もご苦労さん。藤助も花蓮も、お帰り」


 中の老女が声をかける。皆、いつもと違い、居住まいを正し端座する。その姿にゆきはぽかんと口を開けていた。


「そして、ゆき。ほんま、よぅお帰り」


 声をかけられるも、帯びる空気に喉が貼りつく。


「ゆき、挨拶」

「は……初めまして」


 蚊の鳴くような声が精一杯だった。


「私がここの〝おさ〟、たかうめです。よろしく」


 そおっとゆきが顔を上げると、名前の通りの顔をした、小さな老女が座っていた。左右には同年代と思われる男性が二人、脇を固めるように座っている。

 「高野梅子」という名前に、ゆきは心当たりがあった。毎月生活費が振り込まれる通帳に刻まれる名前が、「タカノウメコ」であった。


(この人だったんだ)


 慈愛と威厳に満ちた顔を、ゆきはしばらく眺めていた。


「とりあえず、今日は体を休めなさい。ここやったら、むこうさんも入ってこれへんから」


 はい、と答え、その場を後にする。


 藤助の背を追いながら、夢を見ているような現実感のなさを感じる。ぴしゃり、とはねる鯉だけが、はたとゆきを今に引き戻してくれた。



「はあぁぁぁー疲れたぁ?!」


 自由に使うように、と通された部屋で花蓮は大の字になって寝転んだ。


「私、ばーさま苦手なのよねぇ。顔がこっちゃう」


 いつも通りの花蓮に、ゆきもたまっていた緊張を吐き出した。


「びっくりした。あーんな真面目な花蓮、見たことなかったもん」


 顔をほころばせたゆきにほほえみかけると、花蓮は寝そべりながら、指で自分の頬をしわくちゃにつかんだ。


「ああ見えて、ばーさま、怒らせると怖いんだから」


 梅子をまねた顔が面白く、キャッキャと笑っていると、障子の向こうから、二人を呼ぶ真達の声がした。

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