第四夜 1

 山道に終わりがあるのだろうか。


「真さーん、あとどれくらい……」

「もぉちょっとや! ほれ! これも修行じゃ!」


 ドン! と真がゆきの背中を押す。かれこれもう、一時間は歩いていた。



「明日からゴールデンウィークやな。予定あるか?」


 保健室でミルクたっぷりのコーヒーを飲んでいると、当たり前のように、真が窓から入ってきた。鼻筋の通った人なつこそうな顔を見せると、こう言ったのである。


「特にないですよ」

「よっしゃ。ほな、合宿や。京都いこ」


 いきなり京都と言われ、目を丸くしていると、横で〝藤子〟こと、藤助がまじめな顔をして口を開いた。


「連れてくの?」

「あそこが一番エエやろ」


 いつものように、ニヤリと嫌みにも見える笑みを浮かべる。花蓮は勝手にベッドを占領し、素知らぬ顔で雑誌のページを指でもてあそんでいる。保健室はすっかりゆき達のたまり場になっていた。


「おい、花蓮。お前も来るねんで」

「えー! あの道通るの嫌い! 疲れるもん」


 口をとがらせてぶぅぶぅ文句をいう花蓮に、銀次は細い目でニコニコ笑いながらたしなめた。


「ゆきを早ぅ鍛えるには、一人でも多い方がいい。それに、たまには顔、見せ」



 花蓮が文句を言う理由を、ゆきは今、噴き出す汗で感じ取っていた。


 新幹線を降り、そこからいくつか電車を乗り継いだ。最後に降りた駅からしばらく歩くと、だんだん家が大きく、少なくなっていく。その代わり、ひときわ大きい山がぐんと目の前に迫ってくる。近づくたびに感じる息苦しさは、初夏の熱い風のせいだろうか。あおあおとしたこの山が、授業中居眠りしながら小耳に挟んだ「比叡山」であると、花蓮の説明で知った。

 目の前にはうっそうとした森が始まろうとしている。その入り口に立つと、真がくるりと振り返った。


「覚えとけよ。これが目印や」


 真が指さす方向には、小さなほこらがあった。素朴ながらていねいに地蔵が祭られている。真は祠の左側を通り、まっすぐ進む。みな、几帳面に左側を通るので、ゆきの足も自然と丁寧に左側の下草を踏んでいた。

 すうっと顔を上げると、様々な木がこちらを見下ろしている。――お前は誰だ、そう、矢継ぎ早に投げかけてくる。ザワザワッ、と一陣風が通り抜けると、その揺れにめまいを覚え、ゆきは膝をつきかけた。


「お! 大丈夫? ほら、あと少しやし」


 すんでで銀次に脇を抱えられたゆきは、「ほら!」と、銀次が指した方に目をやった。急にパッと視界が開ける。そこにあるものに、ゆきは息をのんだ。

 天をひらりとかわす、しなやかに弧を描く屋根。中央に端座する寝殿から、整然と広がる渡り廊下。清らかな水をたたえた池には、ぴしゃり、と一匹、鯉がはねを上げる。そして、後ろにそびえるのは比叡の山。時代をさかのぼったかのような光景が、辺りの空気を引き締めていた。


「こんな山奥に……!?」

「お帰り、ゆき」


 銀次が優しく目を細めた。    

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る