第三夜 5

 藤助の部屋で寝ているという事を理解するのに、少し時間がかかった。


 あくびをしそうになるのを、おっと、とかみ殺す。見慣れぬ天井から少し顔を傾けると、腰高の出窓には藤助が座り、一人グラスを傾けていた。

 周りには、くるりと丸まるように花蓮、大の字で銀次、両手を胸の上に乗せて真が寝ている。意外と几帳面そうな真の寝相に、クスリと笑みが漏れる。皆、毛布がかけられていた。


「目、覚めたか」

「藤子さん」

「今は藤助」


 含み笑いをしながら一口呑む。


「ややこしいよ、もう」


 体を起こしながら、ゆきも笑った。


「藤助さん。みんな家族は?」

「ゆきと一緒。みんな一人暮らし」


 片方を闇に隠した月の明かりが、光を落とした部屋に差し込み、皆を照らす。まるで、一人一人がまゆに包まれ、浮かび上がっているように見えた。


人猫じんびょうは二十歳から三十歳を過ぎると、だんだん人間でいられる時間が少なくなる。だから、早いうちに親元を離れるんだ。猫でいる時間が長くなると、里に戻る。そこで一生を終えるのさ。……猫の姿でな」


 遠くを見つめながらつぶやく藤助に、冷たい月明かりが寂しげな影を添えた。

 ゆきは膝の上に置いた自分の手に視線を落とした。初めてこの両手に白い毛並みが調った日を思い出す。少し顔を上げると、銀次が目に留まった。大の字に寝っ転がっている姿に、保健室で痛々しく横たわっていたシルバーグレーの猫姿が重なる。

 いずれ、あのまま戻れなくなるのだ。ゆきは抱えるように両腕を握りしめた。


「私もそうなんだね」

「お前は、違う」

「え?」

「お前は新月生まれの子だ。新月生まれの子は一生、人の姿を保てる」


 目を丸くするゆきをチラリと見ると、一口グラスを傾けた藤助は、鋭さを帯びた目を月に投げかけた。


「真や銀次が里から来たのには、理由が二つある。一つは〝おさ〟候補であるお前を守るため。もう一つはその力をじんろう達に悪用されないよう、……守るためだ」

「〝長〟? 力?」


 混乱しているゆきを見て優しくほほえむと、藤助の体が青白い炎に包まれる。するすると小さくなると、そこには漆黒の闇をまとった猫がいた。


「藤助、さん?」


 うなずくと、藤助はつんと黒い前足でグラスの中身に触れた。


「――ていしん


 グラスが青白く光る。


「飲んでみろ」


 ゆきがおそるおそる口に含むと、柑橘類の味が口に広がった。


「オレンジジュースだ!」


 青白い炎を放ちながら元の姿に戻ると、藤助は残りをあおった。


「オレは口に入れられるものなら、何でも自分の思うものに変えられる。――こんなふうに、みんな力を一つ持ってる。新月生まれは、新月の日しか発動できないけどな。ただ、その力は通常の何倍もある。人狼じんろう達はそれをねらってる」


 なりたいときに猫になれるように。以前、銀次に言われたことがようやくに落ちた。


「ゆきは異例中の異例だからな。どんな力になるかは、正直誰にもわからない」


 そこまで聞いて、ゆきは一人一人を見渡した。最後に、腕に巻いた銀次の包帯が目に入ると、胸に痛みがつぶやきに変わった。


「私、ここにいていいのかな?」


 カラン、と藤助のグラスが音を立てる。


「いきなり猫に変われるようになって、『特別だ』って言われて、みんなに守られて……。私……。藤子さんだって知ってるじゃん。授業はサボるし、適当だし……」


 藤助は寄ってくると、ゆきの頭をポンポンと優しくたたいた。


「それでいいんじゃねぇの? 『特別だ』って言われて、有頂天になるようなヤツの方が信じられねぇ」

「……ありがとう」

「今日はもう寝な」


 藤助はやさしく笑うと、ゆきに毛布をかけてくれた。とんとんと刻まれるリズムがなぜか懐かしく、ゆきはそのまま暖かい眠りに落ちていった。



 ゆきが寝入ったのを見届けると、藤助はまた出窓に戻り、グラスをあおった。


「大変な仕事を、押しつけてくれましたねぇ。」


 悲しみと懐かしさがない交ぜになった目を、藤助は月に投げかけた。

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