第二夜 5

 銀次を抱えた真がたどり着いた先に、ゆきは目を丸くした。そこは通い慣れた保健室の窓である。周囲に目を光らせながら、真が窓を叩いた。


とうすけ、オレや。開けてくれ。ケガしよった」


 ゆきが聞き慣れない名前に首をかしげていると、窓の向こうから聞こえてきたのは、聞き慣れた声だった。


「今は『藤子』って呼んでよ」

「何が『藤子』やねん。『藤助』のくせに。ゴチャゴチャ言うてんと入れてくれ」

「勤務中は『藤子』なの」


 やはり出てきたのは、あでやかな唇の藤子である。狐につままれたようなゆきをよそに、藤子が千秋と銀次を受け取る。そのままひょいと身を乗り入れる真にならい、ゆきも窓から入ることにした。今一度辺りをうかがうと、真は厳重に窓に鍵をかけ、カーテンを閉めた。

 銀次と千秋をベッドに寝かすと、藤子は保健室のドアに「外出中」の札を下げる。ガチャリとこちらも厳重に鍵をかけ、手を洗い始めた。「猫の姿って診づらいのよね」などと言いながら、真に経過を説明させ、二人の状態をを代わる代わる確かめる。赤く腫れたところを冷やしながら、藤子はブツブツとつぶやいていた。


「脳しんとうと打撲……かな。折れてなきゃいいけど……」


 固唾をのんで見守っているゆきの肩を、真がポンと叩いた。鼻筋の通った表情が固い。それに気がついたのか、少し笑みを浮かべて見せた。


「藤助のところに連れてきたら、おおかたなんとかなるで。大丈夫や」

「真さん、あの『藤助』って……?」

「本名、烏丸藤助。コイツ、男やんか」


 思わず、穴があくくらいジロジロと眺め回した。


 確かに、百八十センチはあろうかと思われる身長で、広めの肩幅ではある。でも、そんな女性は珍しくはない。なにより、男子生徒を虜にするあの艶ぼくろが、全てをヴェールに包み込む。こんなに美人なのに……。透き通るような白い顔を真っ赤にし、目を白黒させているゆきを見て、真がケラケラ笑う。


「静かにしなさい。ケガ人がいるのよ」


 藤助の一喝もお構いなしに、真の笑い声は止まらなかった。



「意識が戻ったら人間に戻れるから、起きたら病院に行きましょう」


 藤助はコーヒーを飲みながら、銀次と千秋を見守っている。ゆきはカップを両手で包みながら、ゆらゆら揺れる焦げ茶の波を見つめていた。


「真名井さん?」


 声をかけられてはっとする。


「無理ないわよね。一度にいろいろな事が起こりすぎてるものね」

「お前が男や、っつーのがショックなんちゃうか?」


 ゴン! と響くかなりゴツい音。真の頭がめり込むかと思われた。


「真、この間何したの? この子、電話で泣いてたんだから」


 ついたての向こうからまた、聞き慣れた、脳天気な声がする。 真がスン、と鼻を利かせた。


「変なにおいすると思うた。またサボリか?」

「もう放課後よ」


 真があきれた声をかけると、しなやかな指先がさっとカーテンを開く。――花蓮だった。


「花蓮。知り合いなの……?」


 胸がバクバク音を立て、ゆるくぼやけた景色の真ん中で、花蓮はゆきの顔を優しく見つめ返した。


「驚かせるつもりはなかったんだけど……。藤助さん、今がいいタイミングだと思うよ」


 そうね、と言いながら藤助は足を組み直す。当惑し、寄る辺ないゆきを包むために、あでやかな口元が動き始めた。


「いきなり話さなきゃいけなくなってごめんね。時期を待とうと思ってたんだけど、この様子じゃ、そうも言ってられないようだし」


 千秋がケガをしてしまった。それも自分をかばって。


 理由が自分にあるらしいが、何も分からないのが歯がゆかった。否応なく降りかかる事のけじめをつけるように、ゆきは千秋を見、覚悟を決めた目で藤助を見た。

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