第12話「デレたエルフ」

「これ、どうしようか……」


 フレイヤさんのおもらしにより、僕の服はベタベタになっていた。

 あの後、力の抜けたフレイヤさんを退かして僕は立ち上がり、上着を脱いだ。もし、これをこのまま他の衣類と混ぜれば、大参事になるのは目に見えている。

 一度洗っておきたい所だけど、そう思って僕はフレイヤさんを見る。


「グスッ……」


 出来れば彼女に家庭用魔法で水を出してもらって、上着を洗わせてほしい所だけど……

 ペタンと座り込み、泣きじゃくるフレイヤさんに何と切り出していいか分からず、シャツを片手に固まっていた。


 だけど、ずっとこのままで居るわけにもいかない。フレイヤさんのスカートもびっしょり濡れているから、このままだとベタベタして気持ち悪いし、臭うだろうから洗った方が良い。

 

「あの……」


 意を決して話しかけた僕の言葉に、フレイヤさんは一瞬ビクッとしてから、目に涙をいっぱいに貯めたまま、僕を見ている。

 この表情、僕は知っている。今からイジメが始まるとわかった時の、怯えた表情だ。

 どんな拒絶や中傷の言葉が飛んでくるのか、今の彼女の頭は、そんな不安で一杯なのだろう。


「このままだと、僕のシャツもフレイヤさんのスカートもあれなので、洗いませんか?」


「あっ……うん。この近くに沢があるから、その……案内! 案内する!」


 やはり批判を予想していたのだろう。フレイヤさんは僕の提案に目を丸くして、何を言われたか、一瞬理解できなかったようだ。

 すぐにハッとなり、少々早口言葉で返事をしてくれた。

 本当は水魔法をお願いしようとしていたんだけど、まぁ沢があるなら沢で良いかな。


「はい。お願いします」


 怯える彼女のために、僕は出来る限り優しい声で返事をして、フレイヤさんと目が合った。

 

「あっ……」


 僕を見上げる形で目が合ったフレイヤさんの足元に、水滴が広がっていく。

 必死にスカートで水滴を抑えて隠そうとするが、足元から円状に広がって行くそれを隠しきれるわけもなく、それでも手やスカートが汚れるのも構わず必死に隠そうとしている。

 

「えっと……沢はどっちの方向にあるかな?」


 サッと背を向け、見えていない振りをする。

 

「あ、案内するからちょっとだけ待って、絶対こっち向いちゃダメだからね!」


「はい」


 返事をしてから数秒程待つ。やっと落ち着いたのか、フレイヤさんは「こっち」と言って僕の前を歩きだした。



 ☆ ☆ ☆



 しばらく歩いて沢に着いた。川と言うには幅が狭く、4,5歩あるいた程度で渡り切れる位の幅だ。

 僕は沢の近くで腰を下ろし、洗濯を始めた。洗濯といっても、道具が無いのでそのまま水の中に入れ、少し擦り合わせてから絞ってを繰り返すだけの作業だけど。

 洗った上着で一旦体を拭く。というのもフレイヤさんが盛大にぶちまけたオシッコで、僕の上半身がオシッコまみれで臭っていたからだ。これで臭いは消えたかどうか確認するために、腕をくんくんと嗅いでみたらまだ少し臭う。 

 髪にもついてるから、そのまま沢に飛び込みたい気分ではあるけど、そしたらズボンもパンツも水浸しになって、洗い物が余計に増えるだけなので自重しておく。

 しかし、水でもみ洗いした程度では上着に着いた臭いは中々消えない。ここで下手に妥協すると、他の衣類に臭いが移って大変な事になるから、出来るだけしっかり洗っておかないといけないな。

 そんな僕の隣で、フレイヤさんはスカートを脱いで、そのまま洗い始めた。脱いだのはスカートだけではなく、パンツも一緒だ……


 ちょっと待って、僕が隣で洗っているんだけど? フレイヤさん下半身丸出しなんだけど!?

 驚いて目を丸くしている僕に気付き、フレイヤさんは何事かとオロオロとしている。そういえば、ダンディさんの住むエルフの里では、大浴場で男女一緒に入ってたっけ。

 多分、フレイヤさんの住むエルフの里も、男女気にせず一緒にお風呂に入っているのだろう。だから別に裸を見られても何ともないのか。常識の違いなんだろうな。


「ど、どうかしたの?」


「いえ。キラーファングが居ると思って驚いたのですが、良く見たら木の枝でした」


 適当に「あはは」と言ってごまかしてみる。フレイヤさんは後ろを見て「あー、うん。確かにキラーファングに見えるよね」と上ずった声で同意してくれた。

 本当はどこをどう見てもキラーファングに見えないんだろうけど、僕に合わせてくれたんだろうな。だって僕自身がそう思わないし。

 しかし、僕の周りの女の子たちは肌の露出に対する羞恥心が無い子が多すぎて、何というか目のやり場に困る事が多い。

 でも見られても気にしないなら、ちょっとくらい見ても構わなよね?

 ついつい誘惑に負けてフレイヤさんの方向を向いた際に、目が合ってしまった。


「えっと……良ければ、拭くのに使いますか?」


 一瞬の沈黙。その沈黙に耐え切れず、洗ったばかりの上着をフレイヤさんに差し出す。


「あ、うん。ありがとう」


「そうだ。フレイヤさんそのままだと着る物無いでしょ? ちょっと取ってくるから待っててね」


 後ろからすがる様な声が聞こえてくるのに対し「すぐ戻るから待ってて」と返事をして僕は走って行く。


 ははっ、笑いたいなら笑えよ。僕自身が笑っちゃうくらいだからね。

 女の子の裸を見るチャンスだったのにな、このチキン野郎って。

 


 ☆ ☆ ☆



「エルクさん。あそこにある木は、美味しい果実がりますのよ。取ってきて差し上げますわ」


「いや。別にいいよ」


 あの後、サラ達が寝静まってるのを確認して、こっそり僕のズボンを取ってきて、フレイヤさんに貸してあげた。

 本当は女の子だから、サラの服の方が良いと思うのだけど、サラを怒らせたばかりだからサラの服は借りれそうにないし、リンの服はフレイヤさんには小さすぎる。逆にアリアのでは大き過ぎる。結局僕のズボンを貸す事になった。

 どこにでもある茶色のハーフパンツで、おしゃれさの欠片もないが、フレイヤさんは喜んで穿いてくれた。

 社交辞令で、喜んでいるように見せているだけだと思うけど。


「それなら、私の分も取ってきてくれ」


「私も」


「リンも欲しいです」


「それでしたら、皆さんの分を取ってきますわ」


 そのままぴょんと飛び上がると、器用に木の枝を足場にどんどんと上まで登って行き、そしてすぐに降りてきた。

 両手には赤い果実、リンゴを大量に抱えて。

 アリア達はフレイヤさんからリンゴを受け取るが、サラは不機嫌そうな顔で「いらない」と言っている。昨日の事でまだお怒りの様子だ。


「サラ。どうしたです?」


 そんなサラの様子に、リンが首を傾げる。


「べつにぃ。それよりもフレイヤがエルクのズボンを穿いてる事の方が、どうしてなのかしらねぇ?」 

 

 うっ、流石に「フレイヤさんがお漏らししたから」とは言いだせないしな。

 フレイヤさんもその事実を言われるのは困るのだろう、何と言い返せばいいか分からず、斜め上を向きながら「オホ、オホホホ」と言ってごまかしている。

 そんなサラとフレイヤさんを交互に見つめ、リンは又、首を傾げている。


「僕がフレイヤさんのスカートと下着を汚しちゃったから、代わりに貸しただけなんだ」


 うん。嘘は言っていないぞ。


「へぇ、スカートとパンツを汚すような事をしていたんだ」


「スカートとパンツを汚す事ってなんです?」


 ニヤァっとした笑いで、僕をからかおうとしたサラだが、リンの純粋な発言に「えっ」と顔を赤らめて必死に斜め上に目線を逸らしている。


「スカートとパンツを汚す事って何?」


 シャリシャリと2個目のリンゴをかじりながら、リンから目線を逸らしたサラの前に、いつも通りの無表情でアリアが立ちはだかる。

 ジーッと見つめるアリアから目をそらして「さぁ何かしらね?」と必死にごまかしているが、サラが目をそらした先にアリアが移動しての繰り返しだ。

 逃げ出そうにも、サラの左手はリンが掴んで「ねぇねぇ、なんでです?」と何度もしつこく聞いている。


「そ、それはエルクに聞きなさいよ。エルクが汚したって言ってるんだから」


 アリアとリンの視線が僕に注がれる。

 当然、良い言い訳なんて何も思いつかない。

 フレイヤさんがお漏らししたからなんて言えるわけがないし。どうしよう。


「私は何かわかったぞ」


 不敵に笑うダンディさん。

 お願いだから、バカな事は言わないでくれよ。


「ズバリ、筋トレだな!」


 ……バカで良かった。


「あ、はい。筋トレです」  



 ☆ ☆ ☆



「あの、フレイヤさん?」


「何かしら?」


「歩きづらいのですが」


 フレイヤさんが僕の左腕に両手を絡めて歩いている。正直凄く歩きづらい。


「こうすると、男の人は喜ぶと聞きましたわ」


 そう言って僕の腕にぎゅーっとして来るフレイヤさん。

 それで男の人が喜ぶのって胸が当たるからなんだろうけど、僕の腕に当たっているのは胸ではなくあばらだ。

 胸ならともかく、あばらが当たった位でドキドキなんてするわけが……あった。

 胸がどうとかよりも、くっつかれている時点でドキドキしているわけで。しかも腕をギュっとして来るたびに、フレイヤさんの首がこちらに傾き、その際に石鹸の香りがほのかに漂ってくるせいで、余計にドキドキしてしまう。

 平然を装ってみるが、心の中では気が気じゃない状況だ。


 しかし昨日までと違い、フレイヤさんの態度が明らかに変わっている事に、アリアとリンは疑問に思っているのだろう。時折僕をジーッと見つめてくる。


「……アリアさん?」


 思わずさん付け。ジーッと見てたかと思ったら、僕の右腕に、今度はアリアが絡みついてきたからだ。

 僕の問いかけに対し、頭に「?」を浮かべてジーッと無表情で見てくるあたり、フレイヤさんが僕に腕を絡めて歩いているのを見て、何も考えずにくっついて来ただけなのだろう。

 まぁそれは良いとしよう、問題は僕の右腕に当たる感触だ。フレイヤさんの物とは違い、圧倒的質量で僕の腕に押し付けてくるソレの感触。

 嬉しいか嬉しくないかで言えば、嬉しいに決まっている。だけどここでデレデレとした表情を見せればサラに何を言われるかわからないし、何よりもそんなマヌケ面を、彼女達の前ではあまり晒したくない。

 僕は顔中の筋肉を使い、出来る限りキリッとした表情を作る。


「鼻の下、伸びてるわよ」


 半眼になったサラが、そう言ってそっぽを向く。

 どうやら無駄な努力だったようだ。

 その後リンも僕の腕を掴もうとするけど、両腕が塞がっているので手を握って来たり、面白がって乱入してきたダンディさんに振り回された挙句、投げ飛ばされたりして、この日は殆ど進まなかった。



 ☆ ☆ ☆



「エルク君、起きて」


 小声で僕の名を呼びながら、ゆさゆさと揺らされ起こされた。

 辺りはまだ真っ暗だ。皆寝静まっていると言うのに誰だろうか?


「あの、エルク君。良いかな?」


 起こした主は、目を合わさないように横を向きながら、僕にボソボソと話しかけてくる。

 まだ寝起きで頭がよく回らない。何か言ってるけど、とりあえず「はい」と答えて肯定しておいた。

 そのまま手を引かれて起こされ、彼女の手を握り付いていった。


 一緒に歩いている途中でようやく頭が回り始めた。

 えっと、なんで僕はフレイヤさんの手を握って、仲良く夜の森を散歩しているんだ?

 僕の手を引いて前を歩くフレイヤさんに声をかけようと思ったが、何といって声をかければいいか思いつかない。

 夜の森の中を歩いていく、道らしい道は無く、まっすぐ、時に曲がったりしながら。

 気が付くと、昨日と同じような沢までたどり着いた。こんな場所に何か用なのだろうか?

 辺りを見渡してみるが、特に何もない。


「こんな所まで呼び出して、どうしたんです?」


 疑問を口に出してみたけど、フレイヤさんは何も言わず僕に近づいてくる。


「エルク君。そのまま動かないで」


 そのまま僕の顔を両手で抑え、僕の目を見て段々と顔を近づけてくる。

 鼻が当たりそうなくらいの至近距離で見つめ合う。

 振りほどこうと思えば簡単に振りほどけるはずだけど、まるで万力にでも抑えられたかのようにピクリとも顔を動かせない。

 彼女の瞳には僕が映っている。本当にこのままキスをしようと言うのか?

 まさか、エルフ族ではお漏らしを見られたら、その相手と結婚しなければいけないとかいう、変な掟があるわけじゃないよね?


 数秒? 数十秒? 数分?

 どれくらいの時間が経っただろうか?

 多分そんなに時間は経っていないのだろうけど、時間が長く感じる。

 至近距離で見つめるフレイヤさんが動かないのは、もしかして僕を待っているからなのだろうか?

 ゴクリと生唾を飲み込む。このまま流れに身を任せてキスをしてしまって良いのだろうか? いや、ダメに決まっている。

 パーティに色恋沙汰を持ち込んだらどうなるか散々聞かされたじゃないか。だから僕はローズさんの気持ちにも応えなかったんだし。

 フレイヤさんが僕の事をどれくらい想ってくれているのか分からないけど、サラ達とパーティを続けていくつもりだから応えるわけにはいかない。

 断ろう。


「ごめ」

「うん。やっぱりエルク君とは目が合っても、もう大丈夫みたい」


 はっ?

 思わず間抜けな声が出た。

 僕の顔を抑えていた両手を離し、フレイヤさんは満足そうに頷いている。

 鼻歌を歌いながら歩き回っては、僕の目を見ている。


「エルク君」


「はい?」


「エルク君」


「はい??」


「エルク君」


「えっと、なんでしょうか?」


 よくわからないけど、嬉しそうに僕の名前を何度も呼ぶフレイヤさん。

 

「だって、これでエルク君と目を見て、ちゃんとお話し出来るんだもん」


「昨日も洗っている時とかに目が合いましたけど、その時はもう大丈夫だったんじゃないですか?」


 確か昨日、僕の上着を拭くもの代わりに使うように渡した時は、目が合っても何ともなかった気がしたけど。

 その後も、何度か僕を見てきて、フレイヤさんとは何度も目が合っている。


「その時はほら……いっぱいした後だから」


 確かに、そんなに何度も出る物じゃないしね。


「だから頑張って慣れてみたけど、もしまだダメだったらすぐ洗えるように、ここを選んだの」


 もし漏らしてしまってもすぐ洗えるように、という事か。

 備えあればなんとやらか。そんな備えしたくないけど。

 まぁこれでフレイヤさんの要件は終わりだろうし、戻って寝ようかな。


「それじゃあ」


「うん。次はサラちゃん達と友達になる練習だね」


 聞いてないんだけど?

 いや、多分聞いてはいると思う。寝ぼけて適当に頷いていたから、覚えていないだけで。うーん、どうやって断ろうか。

 その場でしゃがみこみ、荷物を漁っているフレイヤさん。彼女が荷物の中から何かを取り出し、ドヤ顔で僕を見上げる。

 お互いに目が合い「えへへ」と笑いかけてくるので、僕も「えへへ」といった感じで笑い返す。もう断る事が出来ないやつだ。仕方がない付き合おう。


「じゃーん」


 そう言ってフレイヤさんは、3枚の紙を僕に渡してきた。 

 紙には似顔絵が描かれていた。昨日と一緒の絵で、これはアリア達なんだろうな。

 そして、それを僕に渡してきたという事は……


「エルク君。話し相手の練習をしたいから、それを顔に付けて話しかけてみて」


 予想通り。

 仕方ない。効果は無いと思うけど、やるしかないか。適当に手前の紙を取り、顔の前に持って話しかける。

 でも何を話せばいいんだろう? とりあえず挨拶かな?


「フレイヤさん、こんばんわ」


「違う! リンちゃんはそんな喋り方しないよ!」


 どうやら僕が今持っているのは、リンの似顔絵のようだ。

 紙が目の前にあるから、フレイヤさんの表情こそ見えないものの、声からしてご立腹のようだ。ちゃんとやるか。


「フレイヤ。こんばんわです(裏声)」


「うん。リンちゃんこんばんわ」


「フレイヤは目が合うと緊張してしまうと聞いたです。今はリンとお話しても大丈夫です?(裏声)」


「うんうん。全然大丈夫だよ。リンちゃんはどんな事されたら嬉しいか教えて欲しいな!」


 リンがどんな事されたら嬉しいかって、そんなの僕が聞きたいくらいなんだけど……。

 う~ん。頭を撫でてもらって舌打ちしてる時は照れ隠しだから、つまりそれは嬉しいって事であってるかな? 


「リンは頭を撫でてもらえると嬉しいです。恥ずかしくて、たまに舌打ちしちゃうです(裏声)」


「そうなんだ! じゃあいっぱい撫でてあげるからね! よしよし」


 上機嫌に僕の頭を撫でまわすフレイヤさん。

 はぁ……何やってるんだろ、僕。

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