あおむけ

『仰向け』という言葉を『青向け』だと思っていた頃は、いつの頃だったか、もう覚えていなかった。

 青空の方を向くから『青向け』なのだと、自分を勝手に納得させていた気がする。

 しかし、そんな言葉も夜中では意味がない。

 真っ青な青空の中でならその言葉でもよかっただろう。けれど、真っ暗な中でなら、それは、なんというのだろうか。

 昔の私はこの質問に答えられただろうか。

 星空の海になっている夜空を見ながら、そんなことを思う。

 学校の屋上なんてところに寝転がっている所為で、背中が痛い。

 頭を上に向けると、ここに連れてきた張本人である菘(すずな)が、イヤフォンで音楽を聴いているところだった。

 彼女のセーラー服の襟を引っ張ると、片方だけイヤフォンを外してくれた。

「ねえ、これからどうするの?」

 私がそう聞くと、彼女は上を向いたまま笑う。

「なーんにも、考えてない」

「やっぱりね」

「でも、長居してると見つかるかもしんないし、でも聴いてるアルバムが終わるまで、待ってて」

「それまで、私に何もせずに星空を見ておけってこと?」

「なんなら、聴く?」

「片方で聴いても意味ないんじゃなかったっけ?菘さん」

 菘はいつも、大音量で音楽を聴く癖があった。

 彼女が言うには、音を自分の中に満たすことでどこか別の世界、曲の物語に浸れるという事だった。

 だから、音楽を聴いている最中は基本的に両方のイヤフォンを外そうとしなかった。

「うーん、でも、何もしないで待つのは苦痛でしょ?それに、このバンドはオススメだよ」

「はいはい、また菘のマイナー語りが始まりそうですね」

「まあまあ、そう言わずに聴いてよ」

「だから、どうやって両耳に……」

 そう言いかけるやいなや、菘は起き上がり、私の上に乗っかる。

「え、ちょ」

 何をされるのかわからず、されるがままでいると彼女は私を起こして、右のイヤフォンを私の耳に入れた。

 そして、自分の右耳を私の左耳にピタリと付けて、抱きしめた。

 胸の柔らか感触と、耳から流れてくる微かなメロディーが心地よかった。

「こうやってやれば、両耳が塞がってるし、いいんじゃない?」

「はいはい、そうですね」

「この曲、オススメなんだよ」

 奏でられるギターの音は、月の光を音に落とし込んだようで、今日、私達の上で微笑んでる満月みたいに思えた。

「本当だ、綺麗な曲。なんて名前なの?」

「涙の月っていうの」

「そっか、ねえ、今度これ貸してくれる?」

「勿論、いいよ」

「ありがと」

 こうしていられる時間は短い。

 だから、今度から少し寂しくなったら、この曲を聴こう。

 そして、曲に貼り付いている菘との今日の出来事を思い出していこう。

 私が少し強めに彼女を抱きしめると、それに答えるかのように彼女も私を強めに抱きしめてくれた。

 それを、月だけが見ていた。


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