第三章 逆徒の風景
第11話 失格者・バーツ
何百人もの兵士と民とが、微動だにせず見守る中。
バーツの祖父将軍の危難の場面は、チタムが凶運を発揮して、救助に成功した。
アフも、ほかの敵も倒した。
「今のうちに降伏するがよいぞ。この国が取り戻されるのは、早いか遅いかの違いだけだ」
急所をかろうじて外し、血みどろで言ったアフの声は、ほとんどかき消されてしまった。
静寂が去って、どっと湧いた観衆。
皆が、ティリウも指揮官も兵もニンジンもホウレンソウもジャガイモもカーンもカクパスまでもが、バーツが感嘆し、チタムを信じると言い出すと予感。
どうだといわんばかりの顔で、今、振り向く。
王宮の百柱の間には、夜にも関わらず光が満ちていた。
無数の篝火の輝きだ。
賑やかに声が交わされ、豪壮な将兵の笑い声がわっと轟く。
すし詰めの人、人、人。繰り広げられる祝賀の宴は、夜通し続くかもしれない。
宮中の大炊事場では、メタテを引く女、大きな土器を並べて火を吹き、茹でる女、蒸している女。
かまどを背にして混ぜている女、突いている女、切っている女、包んでいる女もいる。
黒曜石の包丁がキラキラと灯火に踊り、メタテとマノは滑り、調味料の小壷は唐辛子も塩も香草もバニラも、ぐるぐると回る。
食器のかずかずが運び出されて、倉の棚が空になる。
彩りも絵もさまざま、堅さも形も出身地方もさまざまな大きな陶器に、料理がうず高く盛られて、大炊事場を出ていく。
しっくいの床にも土間にも、外の釜にも、井戸の周りにも、薪の倉庫にも、女が立ち働いていた。
夜は急激に下がる気温にもかかわらず、皆大汗をかいている。
吐く息のかたまりが白く、大きい。
命令がとんで、貴族の家からの応援も、数人ずつ、呼ばれている。
それでもまだ料理女も給仕女も足りず、どこの家の誰それも呼んできて!と声があがって、笑い声がたった。
百柱の広間でも、皆が、よかった、よかった、と笑顔だった。
大貴族のくせに年甲斐もなく踊り出す者もまでいる。
いわく、強敵を倒した、神聖王の復活をくじいた、勢いはこちらだ、ウルも、ラカンも、なにするものぞと沸くのだった。
女摂政が、報償を出した。
カクパスの隊全員が、今夜は英雄扱いだった。
「隊を、鷲団からハグアル団へ昇格しましょう。若王から、特別に装束も賜ります。ククウルカン神の紋章の武具の着用を、許可します!!」
どよめく、百柱の間に集った武人たち。
驚嘆と羨望が、そこでもここでも喚かれる。
「しかしあのバーツというのは、どうかしてるぞ」
「実に、強情」
「断じて、除隊だ!!」
「そうよね、ハグアル団に昇る栄誉を、あいつも受けるなんて、おかしいわよね!」
カーンの言葉に、資格がないよな、と、ニンジンたちも応じた。
チタムは、鼻歌でごちそうをつまんでいる。
カクパスは、思案げに、黙って料理を口に運んでいた。
バーツは、漂う香辛料のかぐわしさも甘酸っぱい臭いも、並ぶ百もの大皿の上のものの色も形も、意識に入らない。
「素直な坊主だったのにな!」
「あのエブ将軍の孫だというに」
「信じられん、馬鹿ものだ!!」
バーツは、青ざめ、その場を立ち去った。
カクパスは、渋っていたバーツを誘ったものの、ここらが限界か、とため息をついて見送った。
宴の最中ずっと、貴族たちはそれぞれの輪の中で、ある場面を何度も何度も再現して、繰り返しになじった。
『悪い、これでもなぜか、チタムを信じられぬ』と、頑なな態度を示し、皆を絶句させたバーツ。
さるぐつわをはずしてやったばかりのチタムが、
「さすがに怒るぞ、怒ってもいいか?!」
怒るチタムとは、珍しかった。
「オレだって、戦場に何度も出て、体張って戦ってきたんだ! この国のために!! 今の王と将軍たちとこの軍団のために!!」
「だが、吾はお前を〈存知〉したのでござる!!」
バーツは、瞳が異様に輝いてさえいた。
「でも次があったら、オレに頼むよな?」
「次があっても頼まないでござる!! 信じぬ!!」
ああまで言ったのは大人げなかったでござろうか……と、バーツは、昼間の場面を思い返す。
みんな就寝してしまった、しんとした屋敷。
バーツはエブの屋敷へ帰ってきていた。
月明かりの池からの反射だけが、ほのかに漆喰の室内を青白く染めている。
横たわった祖父の看病をしていて、バーツは、呟く。
「確かに吾は、おかしいでござる。まのあたりに祖父殿を助けたのを見て、心を動かされないなんて。吾は、考えを変えなければならないのか? でござるよ……」
祖父は、朦朧として、何も答えない。
当たり前だ。
傷が膿んで、高熱を発し、うなされているのだ。
だが、次の瞬間、バーツは雷に打たれたようになった。
「自慢の孫だったのに。なぜ人を信じられないのだ。そんなのでは、親友などできるわけがない……」
「そ、祖父殿……」
かたぶとりの老将軍は、痛みと困憊でみじろぎもできず、仰向きで横たわったまま、どうにか唇を動かしている。
他に動いているのは、その目尻から流れるものだけだ。
「バーツとチタムとで、将来、ククウルカンとハグアルの戦士団二団からなる新たな精鋭部隊へ改変するつもりだったというのに……!」
ハグアルと鷲から、ククウルカンとハグアルへ。
バーツは、絶句した。
そんなに想っていてくれたと今さら知って、震えがきた。
「男らしくない。男の風上にも置けん!」
バーツは震えて、言葉が出ない。
祖父の期待に応えたい。
だが、チタムを信じることは、吾を騙すことでござる。
吾は誠実に、彼を疑わしいと思うのでござる。
信じてほしい。
信じて欲しいのに……、
祖父殿に落胆されるのも、死ぬほど辛いのでござる。
「遂に、第一印象を捨てる努力をなさろうというおつもりに?」
月光が囁いたような清涼の声に、びっくりしてバーツは振り向いた。
音もなく中庭に屋根から飛び降りたは、カクパス。
中庭から入室してくる。
「寮に帰らず外泊する際は、申し出る規則がありますが? それとももう、自主退団したのですか?」
「い、い、いいや、家に残してきたコンゴウインコや吼え猿が気になって!! 決して弱気になって帰ってきたわけではないでござるよ!!」
カクパスは、穏やかに微笑して見せた。
「ご冗談を。出撃前に訓練所の寮に入れていたものたちはなんですか? なんて意地悪は申しません。あなたへの処分が決定されました。ブルク将軍の訓練が、受けられません」
「は? もともと受けていないでござる」
「それが、受けられるようになったのです。ご存じのように、他国へ旅に出ているブルク将軍。彼が帰還したら、ボクらは。なんという報償なのでしょうね」
ぽかんと、バーツは、口を開けた。
語り草になっているブルクの勇姿は、数限りない。
だのに、ブルクは技を『教えない』。
『見せる』から『盗め』と言う男だった。
彼が、自ら『見せる』のみならず『教える』とは。
「カーンなど、胸が高まるあまりに気を失ってしまいました。信じられない、と、なんてすばらしいの、いいの?田舎の村で畑を耕し、雑草をとっていたあたしが……と、震えて」
バーツも、頭に血が上った。悔しかった。
「受けたい、吾は受けたいでござるよ!!」
「残念ながら、受けられません」
「くそっ! それで、吾がチタムを信じる、と言うと皆、思っているのか!」
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