第8話 女摂政・ハーナル
周囲の皆をそのとき見渡していたのは、バーツだけではなかった。
都の中心、大ピラミッドの麓の王宮。
まだ若いこの国の王も、玉座において、臣下の大貴族達を見渡していた。
暗い百柱の奥に、会議する重臣。
対面する若王は、立てた襟の中に隠れるようにして、ボソボソと声を濁す。
頭上に広がっている
そんな王から御言葉を耳打ちされて、横に立つ女摂政が、臣下達への応答を伝える。
若い王は、政治に尻込みし、よきに計らえ、と言っているだけだ、という噂はある。
女摂政がすべてを決めているのだ、と非難する者もいる。
だが、重臣たちはそれでよかった。
この女傑の見識には、一目どころか二目も三目も置いている。
今のこの国にこの体制をもたらすため、戦ってきた同志だった。
「こたびの事件の犯人は、今の中枢に不満持つ勢力であろ。廃王の残党。今は新たな時代を拓くべき時節とわきまえられもせず、古い時代の統治方法にしがみつく、怨霊ども」
昼なお暗い広間に、しゃがれていて深い女摂政の声が達る。
よく達るようにとこのような声を発しているうちに、地になった。
実年齢はまだ若い女摂政だった。
「分からぬのか、もう、かつてのような君主に統治できる世ではなく、民の数ではない、ということが……!!」
ティリウ将軍が、部下からの報告を受けて奏上して、
「ハーナル様、ならびに若王様と直接話をしたいと言っているそうでございます」
聞いた女摂政・ハーナルは、皆を驚かせた。
「出ましょう。ただしわらわのみ。半分は、ここで我が子・王を守護してください。半分はわらわと来て下さい」
「な!? 危険です!!」
「顔を見せて戦う姿を見せねば、民はついてきません」
「話が違う。ハーナル様は今しがたまさにおっしゃったのではなかったか。そんな時代は終わろうとしているはずでは!」
「いいえ? いつの世も、民とはそういうものです。率いる者の『顔』は、なくてはなりません」
「危険です!!」
「おどきなさい!!」
「どうするのです、今、万が一にも、あなた様がいなくなったら……!!」
錚々たる武人貴族に囲まれて、唇を噛みしめ、返事ができない。女摂政は、しかし、ひとつ深呼吸すると、
「若王が親政してくれる、きっかけになってよいやも、知れません」
微笑し、凛として出口へ向かう。彼女を先頭にして、おたおたとついて行く側近や兵や、重臣たち。
「お待ち下さい!」
立ちはだかったのは、ティリウ将軍。
「わたくしが出ます」
「そんな、そなたほどの将軍が御自ら? 馬鹿な」
と女摂政。クッと失笑してしまう重臣たち。
「おかしな方ですな、あなたは」
「であるからこそ、皆、あなたについていく」
将軍たちに、共感の視線が見交わされた。
ティリウは剣を確認し、毅然ときびすを返す。
出口で槍筒を携えた部下が待っていた。
彫刻の施された扉を開き、石の長押をくぐって、闇のわだかまる議場から、まぶしい青空の下へ。
ひろびろとした、ピラミッドの前庭へ。
ホラ貝が、鳴り響いた。
と、
「このようなときですが、報告が入りました。西部の村で、暴動が起こったと」
今来た彼の家中の者が、伝えたらしい。
なんと、と、後ろから、女摂政ハーナルが早足に来る。
「暴動とは?! ホル将軍!!」
「いえ、もう鎮圧しました。わしの部下が」
ガリガリで子供のように背が低く、瞼などないかのように眼球が大きく剥かれている老人・ホル。その部下が報告した。
ある密林の村の土の広場、木造の役所へ、村々が鋤や鍬、棍棒を持って殴り込んだ。
雄叫びを上げ、王の来臨と、かつてこの一帯を治めていた貴族ホルの復帰を求めた。
仕方なく、槍を持った兵隊が威圧したが、乱闘になった。
役所に配置されていた小貴族の若者は重傷を負い、役人たちも十数、殺害された。農民も多数死傷。
当分、人々は心が荒んで、今年の収穫は望めそうもない。
惨劇を聞いた女摂政は、青ざめて、大貴族の将軍たちと視線を見交わす。
ホルが、眼をおどおどと泳がせながら、
「お耳が痛いやもしれませぬが、摂政どののやり方は、よくないのではないですかな」
「悪い、とは」
「やはり法や律など必要ないのでは……。王から我々臣下の手に、諸々をお委ね願って細々と決めごとを始めて以来、何もうまくいかなくなった。この四年間の天の怒り、天の罰の、暴動なのではありますまいか?」
このホル将軍は、慎重なのが取り柄であり、小心者で仕方がない、とも語れる老人だった。がたがた歯の音が鳴り始めている。
「もともとわしは、一抹不安じゃった……だが、是非にと言われて……」
「まずは、原因です。その暴動の、原因は。原因をよく聞き込んだという報告はないのですか?」
「申し上げとう存じます」
控えていたホルの家来が、再び語りだした。
「不満は、このようなことでございました」
たとえば……渡される筈のトウモロコシが分配されない。貯水の使用について、日時が決められて通達されるはずが、通達されてこない。皆が勝手に仕事を進めようとして、ケンカ沙汰になった。そのために収穫ができない。よくよく調べると、そのまた原因は、今まで居た役人がよそに行って、来た新米が、使えない人物だったということだったようでございます。人は悪くないのですが、まだ知識がなかった。都との連携もできない。よって、村では農民たちが、畑作に不安や不便を募らせたと。
聞いた将軍たちは、まずい、失態だという表情を一様に浮かべた。
ただ一人、女摂政はホッとし、ならば、ことは簡単です、と静かに言った。
人が育てば、大丈夫という証拠でしょうと。
「いえいえ、まだあるのです。法律が実情とそぐわない。暦に従って、年に一度も畑地を分配決定する、しかもその時期が悪い。と」
「ならば三年に一度でよかろうといたしましょう。時期も変えます。そぐわぬ法を、作ってしまったわらわたちが悪いのですわ」
「いや、たいした判断力です。さすが、賢明だ……」
聞いたホル将軍がぎょっと、ティリウ将軍をその大眼で見上げた。
「何を褒める! つまり、女摂政どのは、失敗をお認めになるといっておるのではないですか!」
「認めずして、どうしますの?」
と女摂政。
「認めるとは、やはり、旧態に戻すということでしょう! 本来の姿に戻すのが、民の動揺がもっとも早くに収まるやりかたです」
「拙速な。それは本末転倒というもの。少しやってみて駄目だと、前がよかったとすぐ翻す。それではいつまでも、わらわたちの国は育ってゆかぬ。たとえ復古して一時的にうまくいっても、また、国力の衰えが、始まる。今このときも、我が国だけではなく、他の国々もまた、隆盛しておりますのよ。大国には大国の国の営み方があり、小さかった時代のやりかたでは、隆盛に歯止めがかかるのみ……競り負けてしまいます。忘れましたか。現に、我が国はその営み方の差からくる力の差で、先のティカルとの戦で、大敗したのではなかったでしょうか」
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