第9話 隊長・カクパスと姉の見立て

「だが」

 とまだホルが言うのへ、割り込むように、ティリウの大音声が響いた。

「裏切りに、注意せねばなりませんな」

 ティリウ将軍は、内心、舌打ちしていた。

 女摂政と信念をともにし、この陣営に集って神聖王を廃位し、側室の息子である王子をたった十二才で即位させた盟友たちだったが、四年もたつと、なんとも頼りない。

 ささいな要素で瓦解しかねないではないか。

 廃王こと前神聖王、つまり前々神聖王の正室の息子である王は、ティリウやエブらと戦して完全敗走し、絶えて消息を聞かなかった。

 そのような王の最後の誇りとして、自刃したはずだったが、万が一今まで潜伏して、復権の力を蓄えていたなら。

 今、廃王が挙兵でもしたら。

 そうしたら、今の陣営の有様では。

「今こそ、結束を強めなければ。具体的な手が、反乱者を警戒する工夫が、必要か。各部隊に、廃王の動きを警戒せよという命令を。訓練もだが、パトロールも回数、人数ともに増。特に、そう、なんといってもあやつらを警戒、探索し、逮捕せねば。アフだけでは、ない」

 あっと皆が息を呑んだ。

「敵に三軍神あり、とあの時代、恐れたものでしたね。一人で一軍に匹敵する戦力を誇った冷刃エツナブの超人、ウルとラカンとアフ。アフより勝るという、ウルやラカンまでもが、万が一、アフと同じく生存していたとしたら」

 脅威に寒気が走り、一同の一体感は、回復された。

 ティリウ将軍がひとまず肩を下ろし、神域の外の都の屋敷街へ降りると、すぐに部下の指揮官が飛んできた。

「状況は」

 先触れを受けて、将軍の臨時の指令所として、前線から四百歩後方の安全な通りに、帷が巡らせてあった。

「二十人もの冷刃の戦士が、殺されました」

「ど、どこまで射程内なのか、百八十歩まで!!」

「一発と外さず、正確に!!」

 皆が、震えもとまらず報告する。

「投石兵も、数を頼んで展開し、物陰に隠れて接近しましたが、たちどころに、数十!!」

 帰らぬ者となった仲間に、頬を濡らす男。

「精鋭ハグアル団からの援軍は、まだなのか!」

「来ました。十隊も。しかし……」

 指揮官が、震えてがっくりと首を垂れる。ティリウ将軍は、震えず、苛苛と、

「敵とこれから交渉する。情報を引き出すため、話はするだけするが、だが、誰かおらんのか。敵より長射程の者は。この軍には……」

「恐れながら将軍、長射程なだけでは不可能なのでございます。長射程で、かつ一点のみを射抜く正確無比な投擲でなければ」

「なにより度胸が、要ることです」

 ティリウ将軍は、ため息をついた。

「要るのは度胸か、もしくは、神も恐れるほどの強運が、あったなら」

 ふっと、皆、一様に黙った。

「おりますな」

「ああ、おったな。彼に、働いて貰う!!」

 使いのため、兵士が八人も出された。

「鷲十七隊!! カクパス隊!! カクパス隊長はおらぬか!! カクパス隊を、ティリウ将軍がお呼びだ!!」



 呼ばれているとも知らず、隊長の少年・カクパスは、大辻の避難所を訪れていた。

 エブ将軍の屋敷から半径五百歩の住人が、緊急避難させられている。

 事件が収束するまで家に帰ることはできない。

 仮の居場所とされた大通りに接した屋敷の貴族に、特別に賓客として保護された家族を、見舞うカクパス。

 とくに、擦り傷や痣を負い、衝撃と不安で冷えきっていく体を毛布に包まれて、放心している貴族の姫をいたわった。

 が、カクパスの目的は、冷酷なようだが、見舞いだけではなかった。

「『吾、存知せり』って言葉、お聞き覚えがありますか?」

 びっくりして、バーツの姉は、放心から醒めた。

「あなたこそ、どこでお聞きになったの? バーツの口癖ね。いいえ、特別なときにしか出ないはずの、稀な言葉……」

 カクパスは聞き上手に徹した。

 聞き手に語りは促され、

「あの子は今までの半生で、ああ見えて過酷な目にあってきているのです。初見で、瞬時に、しなくては生きてこられなかった。信頼できるかどうかという、人物判断を」

「なるほど、あのような大人物の屋敷だけあって、人の出入りが多かった、と……」

「あの子を狙う危険人物の出入りが。決して幸運からではありません、あの子が今日まで生きてこられたのは」

「ではそのように眼力を鍛えられたという彼、故に、吾存知せりと彼が告げたなら、その相手を信頼しては、いけませんか?」

 いけません、とは姉は告げなかった。

「排斥しようと決意します。わたくしなら」

 カクパスは考え、頭を垂れた。

「決めました。あなたの弟さんに、小さな書物を贈ろうと思います」

「それで弟に、何をさせようというのです?」

 謎めいた笑みが返って、姉は、心配そうにした。



 カクパスが隊に戻るまでの間、隊の少年たちは、ハグアル団のかめかつぎの補佐をしていた。

 猫目の少女カーンは、チタムと組んで、空の水瓶をになって貯水池へ向かう。

 標高が上のエブの屋敷の裏の貯水池のほかに、この都には、中の貯水池と下の貯水池が二つずつある。

「お、おい!! それはまずいでござる!!」

 猫目の少女は、バーツの背中にかばわれた。

「この男は信用できないでござる、カーンとやら。はっきり申すが、チタムと二人きりで行動させたくないでござる。危険でござる。水汲みには、吾が同行するでござる!」

 カーンは、呆れて、

「あんた、不愉快だわ、バーツ。あたしもはっきり言うけど、あたしはあんたの方と二人きりで行動したくない。不信で

「とにかく、いけないでござるよ!」

「あっそ。じゃ、こうしましょ。チタムとあんたで行ってきて」

 ずい、と瓶を押しつけた。

「……なるほど。これならまだしも、安心でござるが」

 瓶を既に抱えていたチタムとともに、背中にひょいと瓶を担って、歩き出すバーツ。

 担い網は、常に帯状にして体のどこかに巻いておくのが、冷刃エツナブの戦士の心得だ。


 二人が行ってしまってから、カクパスが戻った。


「そうですか。バーツに渡すものがあったのですが、まあ、待つことに」

「鷲十七隊!! カクパス隊はここと聞いたが!!」

 使いの兵が、その路地へ飛び込んできた。

 カーンとカクパスは、まもなく、バーツとチタムを探して駆け出した。

「中の一の貯水池へ行ったのですね?!」

「そうよ!!」

 走った走った。貯水池から戻る途中で、重くなった水瓶を石畳に置いて、不届きにも寄り道をしている二人を、見つけた。

 塀の日陰に、負傷兵のゴザが敷かれている。

 看護する兵と女たちとともにその場を席巻しているのは、濃厚な血の臭い。

 しゃがみこんだチタムが、一人の青年兵の空を掴む震える手を、両手で包むように握った。

 長身の結い髪が、突っ立ったまま、おろおろしている。バーツだ。

 包帯を真っ赤に染めて、命そのものが、流出していく。

 腹部と胸部の境目に開けられた風穴。聞くのも哀しい昂り声。

 目を堅くつぶり、喚いていないとたまらないのだ。

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