第4話 廃王の男・アフ
あの孫が屈強な敵兵に拘束され、剣をのど笛に突きつけられている姿が、明瞭に脳裡に浮かび、震える膝をこらえて、駆け抜けた。
いくつもの四角い中庭と四角い部屋とがもどかしい。
屋敷から飛び出すと、都の門へと下るゆるやかな坂道を、まろぶように行く。
こちらの屋敷の漆喰壁画とあちらの漆喰壁画との狭間の石畳に、河魚売りや野菜売りや兵隊たちが往来忙しく、エブはぶつかる。
この雅やかな都では、屋敷や通りを飾る漆喰にも岩石にも木柱にも、神話の美しい獣や羽毛ある
しかし平素のようには見る余裕もなく、なりふり構わず人を分けて進む大貴族の武人。
訓練所から駆けてきた使者の、波立つ長髪のあの青年武人は、付き従ってくれていた。
その部下の八名ほどの軽武装の兵士も待っていて、揃って腰から剣を抜き放った。
だが切っ先が迫った先は、エブ。
「おとなしくしていただきましょうか。わたくしは、アフ」
エブは、凝然と目を見開いて、波打つ長髪の青年武者を見上げた。
「アフといったか! あ、あり得ない!!! それでは貴様は、廃王の!!」
言った瞬間、アフがあごをしゃくり、美麗な巻き毛が肩にふわりとかぶさりなおすより早く、手下が襲った。
エブは、落ち着きはらって、剣を抜き打ち、一人を斬った。鮮やかな体裁きで二人めを踊らせ、三人めを見事な銅薙ぎに仕留めた。
「老体にしては、がんばりますこと。フフ。フフフフ」
アフは笑うと、瞬く間にエブの剣をかいくぐり、腕をねじり上げて背に回る。舞踊を舞うような身のこなしだった。
「フフ。フフフフ。折りますよ」
優雅なバリトンが予言して、エブは骨折一カ所の重傷を、利き腕に負った。
「ぬ、ぬぉおおおおおおおお!!!」
折られた痛みより、精神的なダメージの方が大きい。
久方ぶりの、この戦士には勝てない、という恐怖。
「なんたる……わしは、老いた……!!」
その頃になって、わっと通行人が割れた。
惨劇に気づいて悲鳴をあげ、入り乱れて退避。
空隙となった門前に、土埃だけが残されてたなびいた。
アフはエブに縄をかけ、エブの屋敷へと、逆戻りに押し込んだ。
召使いのフーンが喚き、即座に家中の私兵二十がダダッと飛び出してきたが、アフに命を握られているエブ老将軍を見るや、凝固する。次々に倒されていく。
血潮が伸びあがって、美しかった楽園の壁画や敷物に深紅の紋様を描いた。
着る者の嬉しさを想って織られていた
おっとりした孫娘も可愛い盛りの幼い孫たちも、弟たちの嫁もその子もさらに孫も、衝撃と混乱に泣き叫んで逃げ惑い、散り散りになった。
「骨折は、痛みますか、エブ将軍? 愛すべき我が神聖王を、廃王などとおっしゃるからですよ。フフフフ」
盟友の貴族将軍たちは助けてくれるだろうか、この強敵に勝てる戦士が、この都のどこかにいるだろうか?
この敵の真の目的は、一体。
老将軍エブは、激痛の中で思考した。
普段ならよく回る頭が、神経を焼き尽くす痛みで空転。遅い。遅すぎる。まとまった考えが出てこない。
わかっていることは、冷酷な敵ということ。この国の敵。おそらく、
「なんと、情けない!!」
口に出したのを最後に、エブは意識を失った。老いた身の耐えうる限界は超えていた。
なんと、脱出が成功し、召使いのフーンは、屋敷の屋根に上って猿のごとく走っていた。
通りへ、ありったけの度胸を奮って飛び降りる。
だがそこで、空気をビリビリと震わせて、
「どこへ行く!! 事情を聞かせて貰おう!」
ひっと反射的に首をひっこめたフーン。
「ティ、ティリウ将軍のとこの指揮官じゃありませんか!!」
フーンは顔をパッと明るくし、まくし立てた。
助けをぺこぺこと請い願った。
「証人として語って貰おう。ティリウ将軍の元へ連れていくぞ」
「な……!! 離して下さい旦那!! オレは急いでバーツ様に報せないと!!」
フーンの身分では待望の神域行きだったが、今は御免だった。
貴族でなければ、国をあげての祭礼の儀式の折以外、入場できない広場。
しかしフーンは、腕を引きずられ、結界の印の石を巡って入り、巨大ピラミッドの麓の王宮へ。荘厳華麗な横長の入り口を示され、なお嫌がると、恫喝された。
中には暗黒が詰まっていた。
目が慣れると、ぽつぽつと開いた天窓兼煙出しから拡散する光で、百本もの柱の立ち並ぶ空間。
生まれて初めて見る『百柱の間』だった。
広い広いその議場は、王の会議を待つ時刻のことで、名だたる重臣たちが座しており、フーンは怖くて首だけではなく四肢まで縮こめた。
連れてきた指揮官にせっつかれて、泣きそうにせかせか、どもりどもり語ると、
「なるほど、エブ将軍の屋敷が占拠され、犯人は正体不明、しかし希に見る強さの戦士。か!! すべきは兵の出動だな。隊長、都に駐屯の兵を率いて、エブ殿の屋敷へ向かえ!」
見事に五角形の顔かたち、秀でた額を出して直毛を背まで垂らした壮年の丈夫が、毅然と立ち上がり、命じた。応じて、
「は、ティリウ将軍の仰せの通りに!!」
ただちに隅から部下が立つや、駆け去った。
ほかの壮年貴族、老貴族からは、苛立ちの声。
「なんだと? アフという名が出たからには、精鋭に出動をかけるべきではないか」
続いてくちぐちに、
「いや、精鋭はいらぬ。何故なら、本当にあのアフか」
「でなければなぜあのエブ殿をやすやすと捕まえ得る!!」
「だが、平素の都の守りとて、我が軍の誇る投槍戦士団。早期に解決可能であるぞ」
「確かに、精鋭が駆けつける頃、全ては終わっていかねん。いたずらに精鋭総団長のアカブ将軍に嫌味を言わせるは、つまらぬことよ」
「な、な、なに言ってんです!!」
フーンは、顔中を口にした。本来ならば話すだけで手打ちにされるが、地団太踏んで、
「バーツ様に早く早く早く知らせないと!」
「少し黙れ。お前の心痛は察するが」
ティリウ将軍が言って肩を叩いたが、召し使いの少年は、身をしぼり、
「今頃バーツ様は、ああ、しっかり、お仲間とうまく始めてるんでしょうね! こういう大事が起こり得るんですから、ああ、だから!! よもや今まさに余計な喧嘩なんか、してないでしょうねえ!!」
フーンの想うそのバーツは、今しがた、意気揚々と訓練場に乗り込んだところだった。
「むお~~~、ひっろーーい、でござる!!」
腕を大きく広げ、目はキラキラしている。
カクパスが、思わず苦笑した。
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