第107話 考えすぎにゃ



「この街はニャルが思っていたよりも平和にゃー」


「そうだな……俺もこの街に来る前に抱いていた印象より遥かに穏やかな街だ」


 センとニャルサーナルがシアレンの街をのんびりと連れ立って歩いている。

 二人の言う通り、世界最大のダンジョンを有し探索者の街と呼ばれている割にシアレンの街は非常に治安が良く、センは犯罪どころか厄介事にすら遭遇した事は無かった。

 勿論、犯罪が一切起こっていないという訳ではない。

 どれだけレイフェットが治安維持に力を入れていても、人が群れを成している以上諍いが起こるのは避けられないし、犯罪が発生するのは仕方のない事だろう。

 犯罪の発生、そしてその温床となりやすい貧民街の存在は為政者にとって頭の痛い問題だ。

 残念ながらというよりも当然、シアレンの街にも貧民街というものはある。

 得てしてそう言った場所は犯罪者が紛れ込みやすい物だが……他の街のそれに比べるとそう言った側面は少なかった。


「良くも悪くも閉鎖的だからな……それに、立地の悪さが組織犯罪の介入を防げた理由なんだろうな」


「犯罪組織にゃ?そう言えばそういうわるそーな奴は見た事無いにゃー」


「犯罪組織が拠点にするには旨みがな……外から来た連中じゃ探索者相手に暴力で上を行くのは難しいしな」


 センの言う様に、シアレンの街で一番多くいる職業は探索者だ。

 探索者は例え新人であっても非常に戦闘能力が高い……他所の街から来た犯罪組織が幅を利かせるには厄介過ぎる強さなのだ。

 探索者の数が多いという事は、引退した探索者の数も多いということで、ただの肉屋の主人が数年前まではダンジョンで魔物を狩っていたというのは珍しくもなんともない話なのだ。


「そして街中には領主の目があちこちにあるからな。迂闊な事をしでかせばたちまちお縄になるのだろうよ」


 そう言ってセンが肩を竦めると、なるほどニャーと気のない返事をするニャルサーナル。


「ところで、今日のセンは随分のんびりしているのにゃ?」


 ニャルサーナルは普段センが何をしているのかは知らなかったが、それでもここ最近ずっと忙しそうにしている事は知っていた。

 そんなセンが今日は朝からのんびりと過ごしており、今は自分を伴って街をフラフラと散策中だ。


「何とか目途が立ったって所だが……今日はちょっと休憩だな」


 先日のハルカとの打ち合わせは、過ごした時間の半分以上を魔法開発のアレコレで費やしていたが、センとしては実りある打ち合わせだったと考えている。

 ナツキへの説明と自爆偽装魔法の開発は、ハルカに任せておけば問題はないだろう。

 そしてハルカたちの準備が完了次第、シアレンの街へ二人を移動させる予定だが、その為の家は既に用意してある。


(自炊は出来るよな……?まぁ、万が一食事を作れないようだったら、うちに呼んでやるか。イメージ的にはナツキは料理出を来なさそうだが……多分ハルカは出来るだろ)


 なんとなくイメージだけで姉妹の家事能力を予想するセン。

 恐らくナツキが聞いていれば大憤慨する事だろう。


「まぁ、休むのは良い事にゃ。ラーニャ達も心配していたのにゃ」


「……そうだったのか?」


「あの子達はずっとセンの事を見ているのにゃ。あんな子供たちを心配させるのは感心しないにゃ」


「……そうだな」


 三人に心配をかけていたことを指摘され、センは反省する。


(被保護者を心配させるのは本意じゃないが……難しいところだ。もう少し上手い事隠せるようにならないとな)


 心配させない様に無理を止めるのではなく、上手く隠す方法を模索するセンはあまり誠実とは言い難いが、センが目指す災厄の回避という目標の為には無理をするのも仕方ないというものだろう。


(ハルカ達の言っていた、トキトウって男と早めに合流したい所だが……ナツキの様に簡単には見つからないだろうな。相手の警戒具合にもよるが……玩具を目にしてコンタクト取って来る可能性はある。出来れば先制を取りたい所だが、ハルカ達の話を聞いた限りでは慎重な性格のようだし、難しいかもしれんな。そちらの対策も考える必要があるが……流石にナツキやハルカには任せられない……)


 結局思考の辿り着く先はいつもと同じ、やることが多く人手が足りない。セン本人もその結論に達することにうんざりしているのだが……現状では改善の目途が立たない。

 しかし、五年以内に三割という言葉がセンの焦燥感を募らせる。


「それにしてもいい天気にゃー。センも暗い顔をしていないで空を見上げてみるといいにゃ」


 能天気な声でありながら、センの事を心配するようにニャルサーナルが声を掛ける。


「あぁ、すまんな」


「センは色々考えすぎにゃ。何を悩んでいるのかは知らないけど……意外と何とかなるもんにゃ。それにいっしゅくいっぱんの恩があるからニャルも手を貸してやるにゃ。ん?いっしゃくいっすん?」


 相変わらず自分の台詞に首を傾げるニャルサーナルを見て、センは苦笑する。


「まぁ、そんな感じだから任せるにゃ。お金と恋愛の話以外だったら何とかしてやるにゃ」


「……俺はお前の雇い主だからな。拒否してもこき使ってやるつもりだから安心しろ」


「一欠けらも安心できねーにゃ!」


 不満の声を上げるニャルサーナルを尻目に、センは空を見上げる。

 日本に比べ、背の高い建築物がほとんど存在しないシアレンの街の空は、何処までも広く青かった。


「空が広いな……」


「当たり前にゃ。狭い空とか聞いたこともないにゃ」


 何を言っているんだコイツはといった様子で、ニャルサーナルがかぶりを振りながら言う。


「……そうか?例えば、森の中から見上げる空は狭くか細いものじゃないか?」


「空の広さは変わらないにゃ。狭くなっているのは森の中に居る奴の視界にゃ」


 ニャルサーナルの言葉に、センは目を丸くして隣を歩く猫耳少女の顔を見る。


「そこにあるものは変わらないにゃ。それを見る奴によって見え方が変わるだけでしかないにゃ。空は何処から見ても……例え見えなくても空は空、変わらないにゃ」


「……確かにその通りだな。雨が降ろうが雷が落ちようが空の広さは変わらない」


「ふー、そんなことも知らなかったなんて、センは相当お馬鹿さんにゃ。雇い主がお馬鹿さんだと苦労するにゃ」


 邪気の無い笑顔を見せながらニャルサーナルが言う。頭の上の耳も、腰から生える尻尾も楽しげに動いている所を見るに、本当に機嫌が良いのだろう。


「……苦労を掛けるな」


「まったくにゃ」


 ドヤ顔をしながら鼻を鳴らすニャルを見て、センは少しだけ気分が軽くなったことを自覚しながら口を開く。


「そんな賢いニャルに一つ話を聞いて貰いたいんだが……」


「ふふん、何でも聞くが良いにゃ」


「ニャルはこの街が魔物に襲われたどうする?」


「……?そんなの当然戦うにゃ」


「その魔物がニャルではとても勝てない強さだったり、物凄い数だったりしたら?」


「それでも戦うにゃ。街が襲われている以上、他に方法はないにゃ」


 迷いなく言い放つニャルサーナルにセンは問いかける。


「なんでだ?ニャルは別にこの街の為に戦う必要はないだろ?」


「何を言っているにゃ?この街に暮らしているのだから必要あるにゃ。それにこの街にはラーニャやトリス、それに弟子がいるにゃ。ニャルはあの子達を守らないといけないにゃ……後、ついでにセンも」


「俺達がいなかったら?」


「弟子の友達がいるにゃ。ラーニャとトリスの友達もいるにゃ。多分その家族もいるにゃ。ニャルは戦える人だから大事な人の代わりに戦うにゃ」


「……お前はその為に命を賭けるのか?」


「当然にゃ。ニャルは悲しいことが嫌いにゃ。あの三人が怪我をしたら悲しいし、三人の友達が怪我をしたら三人が悲しい。友達の家族が怪我をしたら友達が悲しいから三人も悲しくなるにゃ。だったらニャルが全部守るにゃ」


 見上げた空よりも晴れやかな笑顔でニャルサーナルが語る。


「……だが、お前が怪我をすればあの三人はとても悲しむぞ?お前が戦うという事は、あの子達を悲しませることにならないか?」


「にゃはは!心配ごむよーにゃ!ニャルはサイキョ―無敵だからにゃ。魔物なんか一瞬でけちょんけちょんにゃ!」


 ニャルサーナルが口でしゅっしゅっと言いながら、その場でシャドーボクシングをするように拳を繰り出す。

 冗談めかしているが……横で見ているセンの目にはその拳は全く捉えられない。


「ニャルは皆が大好きだし、とても大切にゃ。人の繋がりはサイキョ―にゃ。昔聞いたことがあるにゃ、血は水よりも濃い、縁は水よりも切れないって。切れないものならば、何処までも大切にしたいと思うのにゃ」


「……」


「だから、センもニャルを一杯頼るといいにゃ。何を悩んでいるのか知らないけど、あの子達の次くらいには助けてやるにゃ」


「……それは頼もしいな。存分にこき使わせてもらおう」


 センが皮肉気に笑うと、ニャルは嫌そうにしながら嬉しそうに笑うという不思議な笑顔を見せた。


(少し早い気もするが、一人で悩むのは終わりにするべきなのかもな……今夜は丁度いい機会だ。踏み出してみるか)


 先程よりも更に心が軽くなった気がしたセンは、もう一度空を見上げてみた。


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