第106話 本題
議論に熱の入っていたセンだったが、ふとナツキが部屋にいないことに気付いた。
「ん?ナツキは出て行ったのか?」
「え……?あ、あれ?お姉ちゃん何も言わずに出て行ったのかな?」
センの言葉に我に返ったハルカが、部屋の中を見渡し驚いた表情になる。
「どうだろうな……俺達が気付かなかった可能性は否定できないな……少し熱中し過ぎたかもしれない」
ナツキはちゃんと部屋を出る時に二人に話しかけていたのだが、二人の耳には全く届いていなかった。若干気まずげにしている二人だったが、今回はナツキに落ち度はなかった。
「まぁ……気付かなかったものは仕方ない。戻ってきたら謝ろう……それで、今日の本題だが……」
一度咳払いをしたセンが話を切り出すと、ハルカが居住まいを正す。
「やっぱりそうですよね……お姉ちゃんには聞かせたくない話があるのかなって……」
「あぁ、勿論後で話はするつもりだが、先にハルカに話してナツキがどんな反応をするかを確認しておきたかったんだ」
「それは……エンリケさんのことですよね?」
「あぁ、昨日は言葉を濁したが……君にもあまり面白い話とは言えない。それでも聞いて貰えるだろうか?」
ナツキに話すには不安の多い内容ではあるが……大人しいタイプのハルカに聞かせるのもセンは抵抗があった。
しかし、注意喚起という意味もあり、話さない訳にもいかず……センは一先ず様子を見ながらどこまで話すかを調整していこうと考えている。
「……はい。大丈夫です」
「分かった。君達の後ろ盾となっているエンリケだが、ここまで警戒をしていればある程度分かると思うが……かなり黒い。金や貴族としての権力で平民を脅すのは序の口、暴力をちらつかせ、時には行使することも厭わない。意味のない暴力ということではなく、必ず利権が絡んだりしているので、分かりやすくはあるのだが……襲われる方からしてみれば理不尽な事この上ないだろうな」
「……そうですか」
「貴族として横の繋がりも大事にしているようだから、正面切って敵対するのは……あまり良くない相手だ」
「……敵対するつもりはありませんが……」
「あぁ、俺もそのつもりは無い。だが……相手の性格的に難しいかもしれない。どうも奴は全てを自分の想い通りにしたいと考えるタイプらしい、特に自分より立場の低い相手にはどこまでも傲慢になるようだ」
センの言葉にハルカの表情が暗くなる。
「そういった方には見えませんでしたが……」
「貴族だからな、腹芸はお手の物なんだろう。君たちくらいの年の子を騙すくらいお手の物だったんじゃないか?」
「……」
センはまだ相手の貴族がしてきたことをハルカには伝えていない。
軽く調べて貰っただけでも、エンリケに関わって命を落とした人物は一人や二人では済まない。勿論、ライオネル商会を通じて手に入れられた情報はその貴族の全てではないだろう。しかし、得られることが出来た情報だけでも相当悍ましい内容ではあった。
(そんな噂のある貴族が平然と大手を振って王城に詰めているのだから……この国の未来は暗いな)
センは表情を変えない様に気を付けながら言葉を続ける。
「まぁ、手に入れた情報だけでも……俺の価値観からすれば、エンリケって貴族は相当頭がおかしい。はっきり言って、ナツキが言っていたように正面から学府を辞めることを伝えに行けば……確実にロクでもないことになるだろう」
「……性格を聞いている限り、危険そうですね」
「ハルカは自分の実力を殆ど隠しているから……相手にとって重要度が高いのはナツキだな。そして、ナツキに言う事を聞かせるために……ハルカが狙われる可能性が高い」
「……そこまでですか?」
ハルカが驚いたように目を丸くする。そんなハルカに重々しくセンは頷いて見せた。
「そこまでだ。正直、この貴族の事は一切信用するな。調べた限り相当危険だ」
「人質……ですか?でもそれでお姉ちゃんに言う事を聞かせるのは……かなり危険な賭けじゃないですか?」
「ただの人質ならな……だが……例えば、薬を使ったりだな」
「く、薬ですか?」
「所謂……麻薬ってやつだ。強引にそれをハルカに摂取させて……依存させればってな」
「……」
ハルカが顔を真っ青にしながら体を強張らせる。
「すまん……だが、そういう危険のある相手なんだ。俺としては義理だなんだと言わずに行動して貰いたい所だな」
「……ですが、突然出奔しては今後この国で行動を取りにくくなりませんか?」
「そうだな……出来れば敵は作りたくない。だが、ハルカはともかく、ナツキが学府を辞めることに波風を立てないのは難しいだろうな」
「どうしたら……」
顔を青褪めさせながらも、ハルカは一生懸命良い方法が無いかを考える。
(エンリケさんとこれ以上関わるのは危険……?いや、でも……お姉ちゃんはエンリケさんにとって手放すには惜しい手札。どんな理由があっても絶対に自由にはしてくれない……かと言って出奔したとしたら……エンリケさんだけじゃなく、ハルキアという国すら敵に回す可能性が……)
「……八方塞がり」
「そうだな、正直かなり厳しい状況だ。」
思わず口に出たといった様子のハルカに、センも真剣な様子で答える
エンリケとは二人が旅をしている時に知り合った。王都近くの街道で馬車が襲われており、ナツキがそれを救出したのだ。
ナツキはその時に相手を一人も殺めてはいないが、捕縛された全員は二人のあずかり知らぬところでエンリケの手ずから拷問され、後に殺されている。
エンリケはそこから自分を殺そうとした相手の情報を得て、そちらも既に殺していた。
どんな理由がありエンリケが狙われたのかはセンも把握していない。流石にライオネル商会の雇った調査員も、この短い時間でそこまでは調べることは出来なかったのだ。
だが、少し調べただけで分かってしまうような報復殺人を犯しておきながらも、彼は現在、何不自由なく自由を謳歌している。
(それだけの戦力を保持していて、殺人を犯しても欠片も権力が揺らいだ様子がなく、その上加虐趣味……正直全力で関わりたくないが……そうも言ってられない)
「だがまぁ、手段は考えてきた」
センがそう言うと、ハルカが驚いたように目を丸くしながらセンの顔を見る。
「正面から学府を辞めるという話をするのは無理。ならば話を通さずに出奔する……とりあえずの安全は確保出来るだろうが……この場合、ハルカの言う様にエンリケだけじゃなくハルキアと言う国も敵になる。後腐れなくするには……死ぬしかないな」
「し……死ぬって!あ……死んだふりってことですか?」
「正解だ。ハルカにはこれから新しい魔法の開発をしてもらう……ナツキを中心に大爆発を起こす様な魔法だ。ナツキには新しい魔法の実験と称してそれを衆人環視の中使ってもらって……死んでもらおう」
「えっと……お姉ちゃんを中心に爆発させたら、死んだふりどころか本当に死んでしまうかと……」
ナツキが若干顔を引きつらせながら言うと、センは苦笑しながら肩を竦める。
「大丈夫だ、タイミングを合わせて俺が召喚魔法を使ってナツキを回収する」
「……タイミングを間違えたら召喚した先で大爆発する危険が……」
「あぁ、だから……火の玉を投げて爆発させるような魔法があるだろ?」
「はい」
「あれの応用というか……玉を作り出した時点で、その場にいる全員の目を潰せるくらいの強烈な光を発して欲しい。そしてその魔法を頭上に投げ、俺が召喚。遅れて玉が地面に接地して大爆発。作れそうか?」
「……恐らく、少し実験は必要ですが行けると思います」
「よし……ハルカの方は、その爆発に巻き込まれてもいいし……ナツキを失ったことで失意の中学府を辞めるというシナリオでも行けるだろう。俺はどちらでも構わない」
少しだけ考えるそぶりを見せたハルカが真剣な表情で頷く。
「分かりました。その辺は追々考えて行こうと思います」
「俺が今拠点としているのはこの国じゃないからな。ナツキは適当に変装が必要だが、国を出てしまえば不自由なく生活出来るだろう。家くらいは用意してやれるから安心してくれ」
「はい!ありがとうございます!」
ほっとした様子でハルカが頭を下げる。そんなハルカにセンは笑みを見せてから話を続ける。
「とりあえず、ナツキには武術大会優勝者として、国やエンリケから逃げることは難しいからそんな作戦を取るってことを伝えよう。エンリケ自身の危険性は……ハルカの判断で説明しておいてくれ」
「分かりました。ある程度の話は伝えておこうと思います」
「よし、じゃぁこの話はこれで終わりだ。ナツキが戻るまで……先程の話の続きをしようじゃないか」
おどけた様子で言うセンにハルカも楽しそうな笑みを浮かべて頷いた。
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