第6話 出会い
壁に背を預けながら薦は雑踏を眺めていた。
何処の世界も夕暮れ時というのは似たような光景のようで、薦は今はもう届かない郷愁のようなものを感じていた。
(ある程度基本的な知識を得ているものの、この街が大陸の何処に位置する何という街なのかも分からない。まぁ、現時点でそんな情報は必要ではないが。そのくらいはあの冊子に書いておけよな……)
冊子を作ったであろう女性への文句を秘めながら、薦は雑踏の中から何か自分が生き延びるために必要な情報が無いか聞き耳を立てている。
しかし、残念ながらそう言った有益な情報は道行く人からは得られそうになかった。
(流石に盗みをしたくはないが……このままだと明日か明後日には泥棒だな。直近を凌ぐために何か日銭を稼ぐ方法を探す必要がある……幸い水は井戸水が使えるようだが……衛生的に大丈夫だろうか?簡易ろ過装置を作った方が良さそうだが……)
「とりあえず、もう少しうろついてから帰るとするか。」
(幸い、元来あまり食べなくても平気な性質だしな。一日くらい食事を抜いても特にパフォーマンスは落ちない……二日ともなると頭が痛くなってくるが……ん?そういえばあの女が数日くらいなら食わなくても平気とか言っていたな。とは言え、今まで通り極力食事は毎日とるようにするか)
既に食事も水分も数日取っていないのだが、本人は気づいていない。
図らずも薦は魔力による生命維持の効果を味わっているのだが、薦がその事に気付くのはまだ先の事になりそうだ。
そして既に薦の思考は別の事……当初の目的の事へとシフトしていた。
(俺が想像していたよりも状況は酷くないかもしれないな)
薦はあの女性にあって以降、初めて心が軽くなるのを感じている。
薦が道行く人間のレベルを逐一確認し続けたところ、一般人と思しき服装の人間は大体レベル3から5といった所で、兵士の様な格好をしている者たちは7か8といったところだった。
(いや、良かった。俺の三倍から八倍くらいの保有魔力のやつが多い。ゲームのように20や30が当たり前、ってことはない様だ。まぁ、精鋭になったらもっと強いのかもしれないが……一般人と肩がぶつかって死ぬということは……恐らくない……よな?歩く速度も俺と大して変わらないようだし……最大出力が違うだけで、日常生活中にその身体能力をフルに使っているという事は無さそうだ)
薦は部屋の外に出る時、魔力によって強化された人間がその身体能力を生かして飛び回る……そんな人外魔境の様な世界である覚悟もしていたのだが、その想像に反し至って普通の街並みが広がっている。
道行く人の服装や建物は薦の知っているそれよりも、格段に質の劣るモノではあったが。
(魔力による身体能力の向上……この辺はもう少し詳しく調べる必要があるが……優先度は低い。差しあたっては数日を生きて行けるだけの金が必要だ。元の世界での俺の仕事はこの世界では役に立たない。ウェブシステムの開発をフロントもバックもしていたというのに、仕事がなくなるとは思わなかったな)
薦は日本で中小企業向けのウェブシステムを開発する会社に勤めていた。
仲間数人と立ち上げた小さな会社で、全員が開発以外にも複数種類の仕事をこなさなければ回らないという忙しい会社ではあったが、薦はその生活に満足していた。
(給料も結構貰っていたし、貯金もそれなりにあった。経費や手当を上手く使って税金対策もしていたってのに、全て水の泡だ。最悪、何か日雇いのバイト的な物を探さないといけないだろうが……この世界にそういう働き口ってあるのか?)
薦は目と耳を周囲の観察に向けながら、これからやるべきことを考える。
生命線である、召喚魔法の練習、実験、開発……そして情報収集。
特に右も左も分からず、あまり頼りたくない冊子に頼っている状況を何とかするためにも情報収集は念入りに行っておきたい所だろう。
そして生活していくだけの金銭……薦の中でいくつかお金を稼ぐ案の様な物はあるのだが、まずはそれを出来るようになるための生活費を得ない事には、いくら魔力で生命維持が出来ているとは言え、そう遠くない内に干からびるだろう。
「異世界に来ても結局は金か……金という概念は最高の発明にして最悪の発明だな」
薦の口元が皮肉気に釣り上がるが、顔を隠す様に撒かれているマフラーによって誰にも気づかれる事は無い。
そのまま周囲の観察を継続していると、薦の耳に何かが壊れる音、罵声、そして悲鳴が聞こえて来た。
(間違いなく厄介事だな)
薦はもたれかかっていた壁から身を起こし、近くの路地の先から聞こえて来た騒音に眉を顰める。
世界最弱を自負する薦が厄介事に自ら首を突っ込む必要は無い。寧ろ足早に離れるべきだろう。
(こういった事は才能と能力をしっかりと与えられた奴らがやるべきことで、俺には荷が重すぎる。何せこの世界には魔法とかいう不思議能力があるのだ。揉め事が起こっているであろう現場に興味本位で顔を出した瞬間、火の玉が飛んできてもおかしくは無い)
そんなことを考えながらも......騒音の発生源に向かって薦は歩き出した。
無謀とも取れる薦の行動だが……それなりに考えはあるのだろう。
(悲鳴が聞こえてきているってことは、少なくともいざこざが発生しているってわけだ……様子を窺って、行けそうなら被害者に恩を売りつけに行こう。必ずしも加害者が悪とは限らないが……まずは様子見だ)
なるべく音を立てない様にしながらも極力急いで移動していると、罵声が大きく聞こえてきた。
(この悲鳴は……子供か?)
薦が身を顰めながら曲がり角から先の路地を覗いてみると、太めの体型をした男が子供を踏みつける様に蹴りを入れている光景が飛び込んできた。
さらに傍にも怯えた子供が二人身を寄せ合っている。
(ちっ、流石に見過ごすのもきつい状況だ)
あまりの状況に薦は覚悟を決め路地に入り、今なお子供を踏みつけている男に声を掛ける。
「あー、すみません。そこの方、その子達が何かしましたか?」
「あぁん?」
突然声を掛けられた男が薦の方に振り返る。その足元は微妙にふらついていて赤ら顔……どうやら酒に酔っているらしい。
(レベルは4。まぁ、普通のおっさんだな……俺の四倍だが)
「なんだぁ?てめぇは?」
掴みかかられたりしない様に、距離を取ったまま薦は話を続ける。
「いえ、その子達が何かご迷惑をおかけしましたでしょうか?」
「あぁ!?てめぇの所のガキか?」
(とりあえず、身内を折檻しているとかではなさそうだな。まぁ、そうであったとしてもやり過ぎだが)
「えぇ、そのようなものです。」
薦が笑みを浮かべながらそう答えると、傍で怯えていた二人が薦の方に顔を向ける。
(何も言わずに黙っていてくれよ?)
子供が何も言わない様に祈りながら、薦は仕立てに出る様な笑顔を作る。しかし、笑みを浮かべたところでマフラーに隠されていて相手に見えはしないのだが、それに気づかない程度には薦も緊張しているらしい。
「そぉか……この小汚ねぇガキがよぉ、俺にぶつかって来やがったんだ!おかげでズボンが汚れちまっただろ!?どうしてくれんだよぉ!?」
「それは大変申し訳ございません。その……不躾ではありますが、こちらで許していただけないでしょうか」
そう言って薦は懐に手を伸ばし袋を取り出すと、中から十枚程の銀貨を取り出した。
先程薦が調べた感じでは、銀貨十枚もあれば酒代には十分過ぎる程ある。食事処で一食に銀貨二、三枚もあればかなり豪華な食事が出来ると言った感じだ。
薦の目論見通り、男の目の色が変わる。
「おい、それっぽっちでどうにかなると思ってんのか!?こちとら大事なズボンを汚されたんだぞ!?」
薦は微笑みを浮かべたまま懐に手を入れて、さらに三枚の銀貨を追加した。
「これで勘弁して頂けないでしょうか?流石にもう、後は銅貨くらいしか持ち合わせがないので……」
「ちっ、まぁいいだろ。貧乏人の精一杯の気持ちってことで受け取ってやる。おい、ガキ!次はねぇからな!てめぇらみたいなのは隅で丸まっとけ!」
「申し訳ございませんでした」
男が去っていくのを確認しながら薦は深く頭を下げる。
(手持ちの銀貨は十五枚しかなかったから……ギリギリだったな。まぁ、別に損をするわけでもないし、全部渡しても別に良かったが……とりあえず、今はこの子達に声を掛けるか)
薦は未だ怯えた様子の二人に笑いかけるが……若干後退られた。何度も言うが、薦の顔はマフラーで隠れていて表情は見えない。
(我ながら胡散臭いとは思うが、仮にも助けた相手なんだから少しくらいは信用して欲しいもんだ)
薦は軽く嘆息すると倒れている子供の方に近づく。
(あの女の言うことを信じるなら……大丈夫だと思うが)
「大丈夫か?」
「……は、はい」
倒れていた子供は少し顔を歪ませながら体を起こす。
大の大人にまだ小さな子供が踏みつける様に何度も蹴られては、下手をしなくても致命傷になりかねない。それにも関わらず、痛そうにはしているが大きな怪我を負った様子のないというのは、薦の常識ではありえないことだ。
(レベルは11……本日見た中で最強だな。あのおっさん事、殴っていたら勝っていたんじゃないのか?)
倒れていた子供を見ながらそんなことを考えていると、傍にいた二人が近づいて来た。
「ニコル!大丈夫!?」
三人の中で一番体の大きな子共が、しゃがみ込みながら声を掛ける。
もう一人の子も心配そうにしているが声を掛けた子の影から出てこない。
「大丈夫だよ、ラーニャ。二人は怪我してない?」
そう言って優しく笑う子供に薦が驚く。
(凄いなこのニコルって呼ばれた子は。この状況で他人を気遣えるか……人として負けた気がする)
数分前に上手く立ち回って恩を売りつけようと画策していた自分と、この子供との徳の差に衝撃を受ける薦。しかし、衝撃を受けただけで自分の考え方を改める気は微塵もないのだが。
「うん、私もトリスも大丈夫だよ。いつもごめんね、ニコル」
「大丈夫だよ。僕は頑丈だからね。それよりも……」
ニコルと呼ばれた子が薦の方に視線を向けると、ラーニャと呼ばれた子が飛び上がるように立ち上がり薦に向かって頭を下げる。
「助けてくれてありがとうございます!でも、あの……」
「あぁ、成り行きで助けただけだから気にしなくていいよ」
薦はいつもの営業スマイルよりも若干温かみのある……と自分では思っている笑みを浮かべながら応える。
「ですが……あの、私達お金はありません!さっきみたいな大金、どうやってお返しすればいいか……」
「それも気にしなくていいよ。でもそうだね……お礼にってわけじゃないけど、君達さえ良ければ少し話がしたいんだ。勿論断ってくれても構わない」
完全に不審者の台詞である。
「えっと……」
戸惑っているラーニャだがそれは無理もない。今、薦はマフラーで顔を隠していてその笑顔は一欠けらも相手に見えていない。
もし顔を隠した人間が子供に声を掛けているのを見られたら、元の世界なら即通報だろう。
未成年者略取誘拐……勘違いであっても絶対言われたくない罪状である。
(そう言えば、俺は顔を隠していたな……あまり危険は冒したくないが……ここは仕方ないだろう)
余裕が出来たのか、ようやくその事に思い至った薦は、フードの下でそっとマフラーを顎の下まで下げる。
「俺の名前はセン。君達に危害は絶対に加えないと約束する。どうかな?」
ラーニャと目の高さを合わせ、薦は微笑みながら自己紹介をする。
「え、えっと……ラーニャです。そ、その……」
自己紹介はしたものの、薦から目線を外して気まずそうにするラーニャ。
(まぁ、仕方ないか。ある程度情報源になるかと思ったが……もう一つの目的は果たせたから良しとしよう)
「うん、怯えさせてごめんね。じゃぁ、俺は行くけど、さっきのおじさんが戻ってこないとも限らないから、君達も早めにここを離れた方が良いよ。」
ラーニャに目線を合わせるために中腰になっていた薦は立ち上がり、そのまま立ち去ろうとする。
「……おねえちゃん」
今まで一言も喋らず、ラーニャの陰に隠れていた子供がラーニャに話しかける。薦が離れたことで安心したのだろう。
(まぁ、話は聞けなかったが、危険に首を突っ込んだ価値は十分にあった)
薦はマフラーで顔を隠しなおした後、懐にある袋の感触を確かめながらほくそ笑む。
(これでさっき悩んでいた、当面の生活費はとりあえずクリアだ。あのおっさんに顔は見せていないし、数日はなんとかなりそうだな)
薦がそんなことを考えながら歩いていると、後ろから走り寄る音が聞こえて来た。
(ば、バレたか!?)
薦が内心冷や汗をかきまくりながら振り返ると、近寄って来た者の姿が見えた。
それは先程別れたばかりの三人の子供。
薦は心の底からホッとしたため息を吐くと三人に向き直る。
「どうした?」
「あ、あの……お話……」
「ん?」
先頭にいたラーニャの言葉をよく聞き取れなかった薦は、再びラーニャに目線を合わせる様に中腰になる。
「あの、お話だけで、いいんですか?」
「あ、あぁ。話をしてくれるだけで助かるが、良いのか?正直自分で言うのもなんだが、俺は相当怪しいぞ?」
「……大丈夫です」
「……そっか。ありがとう。じゃぁお言葉に甘えるとするか。その前に少し買い物がしたいから付き合ってもらってもいいかな?」
マフラーを下げた薦が微笑むとラーニャも嬉しそうに笑った。
「はい!」
(情けは人の為ならずって本当にいい言葉だよな)
薦は三人を連れて大通りに戻ると、色々と食料を買い込む。
(それにしても、お金があるっていいもんだな……さっきのおっさんには感謝だ)
何故か先程の男に感謝する薦だが……勿論、理由はある。
(見た感じ、この三人はあまりちゃんと食事をとっていない様だし、消化に良さそうなものを買いたいところだが……流石にこの世界の食材はよくわからん。まぁ、パンとかスープとかオートミールっぽい物を適当に買っとくか。多くなっても……別に一回で食べつくす必要は無いしな。他にも食材は安いからかなり買えるが……あの部屋、調理とかできるか?)
そんなことを考えながら大量の食材を買い込んだ薦は、荷物を三人にも持ってもらうことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます