弍
がっしりとした顎を撫でながら、和尚は御堂の前で険しい顔をしている。鬼気迫るようなその雰囲気を感じながらも、瑠璃谷巳之助は足音をそっと立てないように近づく。木の盆の上には一膳の玄米飯と坦庵、そして巳之助の拵えたけんちん汁が載せられている。
「和尚様、出来まして御座います」
「巳之助や、すまなんだな。ほら、座れ」
「左様でありますか。それでは…」
巳之助は背筋を伸ばしたまま、和尚の前に正座した。
「これを、見てみなさい」
「はい」
巳之助は和尚から手渡された号外の瓦版に目を落とす。
「ここ最近、かのような話を市井でよく聞きます。胡乱な輩は後を断ちません」
「左様。しかもいずれも、年端もゆかぬ子供だというから始末が悪い」
「子供でありますからな。それに事実、誰も怪我をしてはおりませぬ。迷惑なだけで」
「しかしのぉ、今回の一件では手打ちがあったそうなのじゃ」
「ほぉ…」
和尚は話しながらも器用に箸を動かし、玄米飯とけんちんを美味そうに食べる。
「子供相手に…一体誰が…」
「油問屋、鍋島屋の用心棒だそうじゃよ」
「しかし、この一件、事件があったのは薬屋でありましょう?何故に、油問屋の用心棒が…」
「そこじゃよ。それに、もう一つ気になるのじゃが…」
「この瓦版を書いた者でしょう?」
「鋭いな、巳之助」
何れも瓦版を書いたのは、絵師、猫柳となっている。
「瓦版には、普通名前を記さない筈…」
「そうじゃろう。この瓦版の絵を描いたのが、この猫柳たる絵師じゃろうが…」
「裏が、ありそうですな」
「左様。それでは参ります」
「話が早いのぅ、では行って参れ」
†
翌日、音路町の大通りに号外!号外だぁの声が響いた。白昼の通りに人集りができている。托鉢の椀を足下に置いたまま、ちりんと法鈴を鳴らし、巳之助はそちらをちらと見る。
「今回は料理屋、おとみち屋の鰻が盗まれた!下手人はまたまた丁稚奉公の子供というから驚きだ!後を断たない悪戯に終わりはあるのか?今宵もすっぱ抜いたのは凄腕絵師の猫柳!」
(…猫柳?)
「気になる?坊さん」
隣にはいつの間にか琴弾きのお若が立っていた。軽く白粉の香りがする。ほどなく仕事なのだろう。
「何か、裏がありそうで」
「謎の絵師、猫柳。そして…また丁稚奉公。ねぇ坊さん。ここ最近すっぱ抜かれた丁稚奉公。いずれも何処の丁稚奉公か、わかるかい?」
「え?それは?」
「油問屋の鍋島屋さ」
「今回も?」
「そ、妙じゃないかい?」
「……えぇ」
お若と巳之助は、橋桁から向かいにある鍋島屋の看板に目を向けた。
「そっち、調べとこうかねぇ」
「えっ?お若さんが?」
「駄目かい?」
「いやっ、そういう訳では…」
「なぁに、あたしを誰だと思ってんだい?この辺の商家にゃ、ちょっとだけ顔が効くのさ」
お若はしなを作り、下から巳之助を見上げる。巳之助は忽ち顔を赤らめた。
「可愛い坊さんだこと」
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