「ふふふ……あはははっ」


 旅籠屋の最上階で、ちびちびと酒を傾ける伊作。全ては順調だ。あとはあのおせいの土左衛門と会った時の演技さえすれば良い。女なら、掃いて棄てるほどいる。


「失礼します」

「はい……っ?」

「あら、伊作さんじゃないかい?」


 そこにいたのはお翠だった。お翠の姿を認めると、伊作は柔らかい笑顔を浮かべた。


「簪屋さん……」

「お酒かい?あたしにも、ちょいとくんないかい?」

「あ、あぁ……どうぞ」


 お翠は窓際の桟に腰を掛けて言った。


「そうだ、あんたに渡したいもんがあんだよ」

「と、言いますと?」

「これさ」


 お翠は伊作の肩に手を置いて、目の前にトンボ玉の簪を差し出した。


「これを、あんたに返したくてね」

「何を……言って……!」


 伊作は立てない。肩を押さえられて立てないのだ。


「手前ェ?」

「あの世できっちり、みそいできな」


 お翠は伊作の延髄に簪を突き刺した。声も出せないまま、伊作はかっと目を見開いて絶命した。


「……南無三」



「うわぁ!あの伊作さんが?」

「旅籠屋の最上階で亡くなってたってよ」

「米屋の手代が皆吐きやがったぜ」

「でも、誰がやったんだろうな……」


 街は押し込みの下手人が悉く死んだ話題で持ちきりだった。巳之助はいつものように街道で托鉢をしている。

 隣に立っていたのはお翠だ。真っ青な顔をしている。


「……巳之助」

「……」

「人は、皆信用しちゃいけないのかね」

「……拙僧には……でも……」

「?」

「信じることは、決して悪ではない」

「……巳之助」


「あ~、楽しかったわぁ、また来たいわ江戸!」

「せやな。おや、見てみ。あそこに坊さんがおるで」


 旅芸人の雪乃丞が言った。


「こないだ、芝居観てくれてた人や」

「何故……それを」

「この稼業長いねん。わいら。どないな格好してようが客の顔は見てる」


 雪乃丞はにやりと濃い顔を歪めて言った。


「また、来るで」


 旅芸人は街道を去って行った。巳之助はそれをいつまでも眺めていた。

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