弐
「お芝居なんて、初めてじゃないかい?巳之助」
「えぇ、まだこんなちっちゃい頃、まだ親父とお袋が生きてた頃に一回……」
そうか、元々はいいとこの倅だったんだよな。と白くて華奢な横顔を見ながらお翠は思った。
巳之助は袈裟ではなく、着物を着ている。袈裟ではなければこの辺りによく居るような若い男と然程代わりはしないのに……
「あらっ、お翠さん!」
「おせいちゃんじゃないの?そっちのはあんたのいい人かい?」
「やだわぁお翠さんったら!なんか言ってよ伊作さん!」
ニコニコしていて爽やかな好青年の伊作は、旅籠屋の番頭の倅だという。不器用そうに笑うと項の辺りをぽりぽりと掻く。
「まぁ、そんなとこでありんす」
「お翠さんこそ!いい人じゃないですか?」
「誰だと思う?」
「あっ、海臨寺の……」
「左様で御座います」
目を円くするおせいと伊作。からからと笑うとお翠は言った。
「お芝居なんて知らない朴念仁だろうから、連れて来てやったんだよ」
「確かに……お坊さんとお芝居は繋がらないなぁ」
「あはは、それじゃお翠さん!」
おせいは手を振り、伊作は柔和な顔のまま頭を下げた。お翠は巳之助の手を引いて【音路座】に向かった。
†
「いやぁ、たまにはいいもんですね。お芝居も」
「だろ?天下の【雪乃丞一座】なんてなかなか見られないよ?」
「ですねぇ、ん?」
薬屋の入口に人だかりができている。その中に反物屋の宿良が腕を組んで立っていた。
「ちょいと、反物屋の若旦那」
「……おう」
言葉少なな宿良にどきっとしたお翠が訊いた。
「どうしたんだい?」
「押し込みだとよ」
「押し込みですか?」
「一族郎党皆殺しだとよ。ったくひっでぇ話だぜ」
筵をかけられた遺体からだらりと垂れた青白い腕が痛々しい。
「宿良さん、ひょっとして」
「あぁ、そのまさかさ」
「?」
「【地獄堂】に依頼がきたのと、同じ手口だ」
「下手人は」
「わかりゃしねぇや。でもなぁ……」
宿良は顎に手を当てて呟く。
「なんかおかしいんだよ。あんな雑な手口なのによ。皆殺しなんだけど、どうも中に内通してる奴が居るとしか……」
「ほぉ」
「ま、調べてみらぁ。にしても、坊主。似合ってるぜ、その格好」
「なっ……」
「へへ、まぁ、和尚様によろしくな」
着慣れない着物をひらひらさせながら、顔を朱くする巳之助を見て、お翠は言った。
「なかなかいかしてるよ。巳之助」
†
一方、お若はいつものように料理屋、【おとみち屋】で酒を食らいながら大根煮をつまむ。
「いらっしゃい」
入ってきたのは、派手な顔立ちの男に、背の高い女、うすらでかい大男に、鼠のような小男だ。
「毎度、わいな、江戸に来たらまずここやって決めてんねん」
「へぇ、うち、そないなもん訊いてへんよ?」
「江戸の料理は、いまいち俺の口には合わん」
「この店はな、言うたら上方の味に合わせてくれんねんて、なかなかないで?こないな店は。とりあえず冷や四つに、卵焼き、あとたぬきそばくれへん?」
「あいよ」
口調からすると、上方からの客らしい。ひょっとすると、これが旅芸人一座なのだろう。派手な顔立ちの男が一方的に捲し立てるように話す。
「お、あそこにべっぴんさんがおりまっせ」
「あ、ほんまや。姐さんや、こっちにけぇへん?」
「べっぴんさんだなんてそんな、正直なお人ね?」
「せやろ、わい生まれてから一度も嘘言わへんねんて」
「……それが嘘やろ」
「へへへ」
「やだわぁ…嘘なんですかぁ?」
しなを作りながら同席するお若に、料理屋の大将が笑う。
「お若姐さん、猫被ってらぁ」
「あははは、やだわぁ大将ったら、奢って貰おうかしら」
「そいつは御勘弁!はいたぬきそばお待ちどおさま!」
わいわいと騒がしい一座の隣に、陰気臭く焼き魚をちびちびと突く顔色の悪い男をお若は認めた。彼女の記憶では彼は確か……
「わいら、旅芸人をやっとりますねん。さっきもそこの【音路座】で芝居をやらさせて貰いましてん」
「あら、【雪乃丞一座】さんかい?」
「話が早うてよろしおますな!わいが天下の千両役者、雪乃丞。こちらのおなごがお柳。大男が銀次。小男が市松といいますねん」
「あらぁ、すいませんねぇ、あたしったらそんな事も知らず……」
話しながら、不意にお若は思い出した。何か思い詰めたような顔をして金を取り出す男を見て、お猪口をまた空にする。
――あいつは確か、家具屋の手代…
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