鴉が葬りし黒い欲

 瀬戸物のトンボ玉の簪を作り、お翠は店先に並べた。お翠の簪屋の簪はお翠が作っている。音路町の市井で人気のある店であるお翠の店は毎日のように人だかりが出来ている。


「あら、お翠姉さん、今度の新作は可愛いですねぇ」


 花街近くの旅籠屋の看板娘のおせいが小さな花をあしらった手提げを持ってやって来た。お翠が簪屋を始めた当初から足繁く通ってくれている客だ。


「おせいちゃん、いつもありがとうね。うちの簪を気に入って貰ってほんとに」

「いいえ、お翠さんの簪、ほんとに可愛くて好きなんですよ」

「あら、嬉しい事言ってくれるじゃないの。どう?旅籠屋の客の入りは」

「お陰様で、とっても上々なんです。最近は上方からとっても有名な旅芸人さんが暫くうちに泊まっていらして……」

「あら、それは知らなかったわ」

「明日、音路座で公演をなさるみたいですよ、よかったらお翠さんも如何ですか?」


 お翠は少し考えて言った。


「面白そうじゃないかい、で、何て一座なんだい?」

「【雪乃丞一座】って名前です」

「そうかい、ありがとうねおせいちゃん」


 おせいは簪を一本買って帰った。お翠はその背中を見送りながらぼそりと呟いた。


「お芝居かぁ」



「あ?旅芸人?」


 料理屋【おとみち屋】で昼間から冷や酒を食らうがお若が言った。お翠はその少し大きな声にびくりとして言う。


「お若姐さん、興味は」

「まぁこっちも芸事をやってるから、興味はなくはないんだけどねぇ」

「ちょっと、あたしだけじゃ心細くてねぇ」

「旅籠屋の看板娘も行くんだろ?」

「だめだよおせいちゃんは、いい仲の人がいるんだ。邪魔しちゃいけないよ」

「へぇ~、さては旅籠屋の番頭さんの倅だね」

「何で分かったんだい?」

「そりゃあ、あたいんとこにゃそんな話はすぐ入ってくんのさ」


 お若はお猪口を空にすると、思いついたように言った。


「あの若い坊主はどうだい?」

「巳之助かい?」

「そうだよ、あいつも毎日写経と托鉢ばっかじゃ頭が石になっちまわぁ」


 お翠は巳之助の顔を思い浮かべた。あまり意識してはいなかったが、よく考えると育ちがよさそうな上品で端整なな顔をしているかもしれない。

――少し男らしさには欠けるが。


「和尚さんに訊いてみるよ」

「だめなら…まぁ反物屋の若旦那か?」


 宿良もさっぱりした端整な顔ではあるし、黙っていれば問題はないのだが、喋り出すとこれがなかなか幻滅してしまう。秤にかけたら、やはり巳之助に分がある。


「…巳之助か」

「陣内先生もいるよ」

「あれはいい」

「おい、簪屋の姉ちゃんよ、そりゃねぇぜそりゃさ」

「なんだ、居たのかい。暇なのかい?」


 坊主頭を撫でながら陣内がやって来た。


「生憎、俺は芝居にゃ興味ねぇんだ」

「ちゃっかり聞いてるのかい、やらしいねぇ」

「姐さんや、やたら冷たくねぇかい?」


 お翠は勘定を済ませ、料理屋を出た。やはり巳之助しかいないか……そのまま巳之助が托鉢をしている南町に向かうことにした。



しゃん


 錫杖を鳴らし、足下に古びた茶碗を置くと、目を閉じて微動だにせず巳之助は立っている。托鉢をしている間は完全に頭を空っぽにしている。

 今手にしている錫杖には、仕込みはない。海臨寺に伝わる檜の錫杖。巳之助を弟のように面倒を見てくれた兄弟子の形見の品……

 視界の隅には先日亡くしてしまった父娘の墓が目に入る。仇は討ったが、少しも晴れない哀しみ。裏の稼業をしていても拭い去る事が出来ない。非情になれない巳之助の一面だ。


ちゃりん


 頭を下げる巳之助。顔を上げるとそこにいたのは簪屋のお翠だ。


「明日、空いてるかい?」

「と、申しますと?」

「芝居なんて、興味はないよねぇ」


 考えたこともなかった。今まで修行の日々、俗世からかけ離れたような生活。


「と申しますと?」

「やだねぇ、それしか知らないのかい?このお翠さんが誘ってんだよ?」


 顔を斜めにし、上目遣いで巳之助を見る。顔をほんのり赤らめて巳之助は言った。


「……と……申しますれば?」

「上方からの旅芸人さんの芝居さ。どうだい?」

「……和尚様に、訊いてみないことには……」

「はっきりしない男だねぇあんたは。いいや、あたしが訊いてあげるよ」

「あっ、ちょっ……」

「あんたからじゃ言い出せないだろ?」


 

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