北町の真ん中にある診療所【佐凪診療所】。診療所の主である佐凪陣内は、昼間の往診の合間に飲んだ酒がまだ抜けていないのか、ほんのり赭ら顔をしている。


「おんや?」

「御無沙汰しております」


 陣内は床にあぐらをかいて言った。


「海臨寺の坊主かい、どうしたェ?」

「少し……」

「あぁ、成る程な。待ってろ」


 やけに話が早い。巳之助は陣内に訊いた。


「頼まれたのは、拙僧だけではないのですか?」

「あ、あぁ、あのかんざし屋のおすいにな」


 巳之助は納得した。簪屋の職人で売り子のお翠なら誰より早く話を仕入れているに違いない。


「その面ァ、依頼か?」

「いや、まだそこまでは……」

「ほれ、見せてみろ。何か受け取ったんだろ?」


 巳之助から書状を掠め取ると、がっしりとした顎を撫でながら言った。


「昨日上がった土左衛門の娘だ、可哀想にな」

「名前は?」

「そこらへんはよ、簪屋に訊いてくれや。悪ぃがこれからまた患者が来やがるんだよ。物騒な話はできねぇよな?坊主」



 簪屋は賑わっていた。町娘があれこれと選び買っていったトンボ玉の簪は今音路町の市中で人気を博している。客足が途切れる隙を窺いつつ、巳之助は簪屋の暖簾を潜った。


「いらっしゃい、あら?お坊さん?」


 店の手伝いをしているのはお翠が妹のように可愛がっているお種だ。大人びた印象のお翠とは対照的に、にきびが浮いた円顔のニコニコした娘である。巳之助は合掌し頭を下げた。


「あら、海臨寺の。なんか好きな娘でもいんのかい?」

「いやっ、そんな訳では……」


 巳之助は顔を真っ赤に赤らめた。それを見てけらけらと笑うお翠。細身で手脚も長い、職人というより踊り子のそれに近い。


「あはは、いいんだよ。あ、お種ちゃん。少し外してくれるかい?」

「はい、かしこまりました」


 巳之助が口を開く前に、真顔になったお翠がにやりと口角を上げて言った。


「南町の長屋、魚屋の利助さんだよ」

「え?」

「こないだ上がった土左衛門だよ」


 話をする前に巳之助の顔を見てすぐに分かったようだ。お翠は続ける。


「可哀想なもんさ、男手ひとつで娘のおみつを育ててきたってのにさ」

「利助さんは、何で亡くなったと?」

「刃傷沙汰だとよ」

「え?」

「やられたんだと、やくざ者さ」


 うぅんと小さく唸る巳之助。


「下手人は判ってるんですよね?」

「中々お役人さんも、手出しできないでいるんじゃないの?だからほら……」


 お翠はにやりと笑う。


「それじゃ、おみつさんの書状だと?」

「そうじゃないかしらねぇ……」

「でも……」

「おっと、これ以上はやめときな。調べをつけてからね」


 蠱惑的な笑みを浮かべ、お翠はまた店に戻っていった。巳之助は立ち上がり、簪屋をあとにする。

 北町をぶらりと歩く巳之助。先程の話で気になったのは、やくざ者という話。調べを進めようと巳之助は北町の料理屋に向かった。


「いらっしゃい」


 中に入ると、夕刻だというのにそこそこの客入りがみられる。笠を取ると、巳之助は席についた。


「おや、誰かと思えば海臨寺の……」


 巳之助はぺこりと頭を下げた。店主はふわりと湯気を立てる鍋の前で魚を捌いていた。


「卵焼きを……」

「あいよ」

「近頃、なかなか物騒な話を聞きますね」

「あ、やっぱりお坊さんのとこにも話が?」

「まぁ、小耳に挟む程度ではありますが」

「……ひっどいもんですよ」


 店主は話し出した。


「うちに魚をおろしてくれた利助さんなんですがね?いちゃもんをつけてきたやくざに斬られて……」

「えぇ」

「五郎兵衛一味っつったら、悪名高いやくざ一味ですわ」

「五郎兵衛一味?」

「えぇ、町方もなかなか手を出せずにいるっていうからタチが悪い……」


 卵焼きを拵えながら、口も止まらない。


「おみっちゃんも、可哀想にね」

「娘さんで?」

「えぇ、そのおみっちゃんも、お父っつぁんが死んでから、五郎兵衛一味に目えつけられて、売られたとかなんか…器量良しの娘でしたからねぇ」

「売られたってのは……」

「おっと、仏の道を行くお坊さんにはお耳汚しな話でしたねぇ」


 巳之助は卵焼きをつまみながら、それとなく周囲に気を配った。話によれば五郎兵衛一味というやくざ者の仕業、どこかで聞かれているかもしれない。


「……売られた……かぁ」


 南町の長屋に一度足を運ぶ必要がありそうだ。一度出直すか。巳之助は卵焼きを平らげると、店をあとにした。

 もう空は闇に沈んでいる。




 



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