⑦-1 神様を超えろ!
ハコは飛鳥のシーンが過ぎ、白のピアノシーンへと移る。青と空は白のコンサートに訪れるのだ。ハコでの催しとなっているピアノコンサートは市場の広場で行われていた。中心にあるピアノの周囲には人々が寄り集まり、開始時刻まで待っていた。舞台に伸ばされた人々の影は様々で、老夫婦であったり、子供連れであったり、それぞれの音響が鳴り響く。おそらくはどこかの舞台の開始前の音声をとって流しているのだろう。人々の影は伸びたり縮んだりを繰り返す。
僕の演技への埋没も深くなっていく。
物語は中盤に差し掛かっていた。
舞台『青空のハコ』で飛鳥という登場人物は白への好意があった。だからこそ飛鳥は白の態度の変化に気づいていた。機械義肢師である彼女だから、白に記憶が戻っていることにいちはやく勘づき悲しんだ。白はハコのカミサマで、記憶のない人間で、システムの監視下に置かれていたから。
システムが気づかないはずはない。
青と空は、広場に飛鳥をみとめて近づく。
空の足取りは軽く、僕の歩みは重く。彼女の絢爛な演技に驚かされつつ、僕の演技を見失わない。
目の前の飛鳥は、悲哀の瞳で僕たちを見上げた。うるませた表情に湿度ある演技は大東飛鳥が『飛鳥』を演じるにあたり見つけ出した演技の一つ。このシーンでは完璧に近しい表情づくりだった。その上僕たちの演技を邪魔するものでもない。あくまでここに見合った動きをする。
だからこそ、僕は状況を整理できる。
ピアノと波の音色が舞台に充満する。背後のモニターはハコの景色が映し出されている。足元は黒いタイル。舞台の上もタイルが敷き詰められていて、シーンが変わるごとにタイルの色が変わる。モニターしかり、タイルしかり、この舞台は新島翔にとって特別であることが深く理解できる。どこまでお金をかけたんだろうか。
こん、こん、とタイルを叩きつつ、空が飛鳥の周囲を回る。
飛鳥と空は前のシーンで仲良くなっていた。空は飛鳥を慕っているからこそほんの少しだけ幼げなふるまいをする。無邪気さを見せる彼女に、本来の彼女の演技を見出すが、僕を避けている動きがあり、怒りを隠しきれていなかった。
飛鳥はそんな空の演技に怒りを収めるように、胸を張って母親がいなすように「奇遇だなあ、会えてうれしいよ」と嘲笑交じりにセリフをなぞる。本当は会いたくない、という気持ちがありありと捉えられる。
──上手い!
怒りが滲む空のふるまいを巻き込んで、現在の機械義肢、飛鳥の心情を物語った。悲哀と怒りが何も知らない空へ覆いかぶさる。だが覆いかぶさるからか知らないが、空の純真無垢な態度は際立っていく。飛鳥の演技が影に至る。
相手を思いやるばかりに飛鳥の演技は空に勝てない。
飛鳥は自己主張の激しい役者だが、空には敵わない。そして僕は天才的な彼女により敬意を示してしまう。
思えば、画面の向こうだった椎名空が僕の前にいるのだ。
妹に演技を見せたな。彼女が好きでたまらなくて、恋焦がれていたな。憧れた。大好きだった。彼女が今跳ねている、その演技が好きだ。ほんの少しだけこぼれる声が好きだ。演技をするしぐさが好きだ。彼女が紡ぐ言葉が好きだ。彼女の──
「ごめん、今はそんな気持ちになれない」
僕はようやく演技に熱が入った。
好きだからこそ、青は空に隠し事をしている事実が怖かったのだ。
彼は大きな秘密があった。空の父のこと、そして自分自身の役割のこと。
新たな解釈だ。パッチワークではない生の感情が押し寄せてくる。自分自身の感情で役の解釈ができるなんて思ってもみなかった。
飛鳥と空がこちらを振り向く。
僕の頬は泣きそうになりながら、苦しくもがいて泣くのをとどめていた。涙をこぼさぬよう瞼は閉じない。目を開いて、ありったけの言えない苦しみを表現する。
僕の今の気持ちを彼女に伝えたい。僕の気持ちに気づいてほしいが気づいてほしくない。気づいたら君は、きっと拒絶してしまうだろうから。
飛鳥は頷いた。白の最後の時間を悟っているかのように。
順調に物語は進んでいる。僕たちの演技も安定し、それぞれの役柄に溶け込んでいた。舞台は、セットも照明も全て揃っていた。
中心でピアノをかき鳴らす白、新島翔へみなの視線が集まる。
駅構内で出会ったときのように、観客の視線が一心に白演じる新島翔に寄せられる。コンサート会場として、場面は設置されていた。ピアノのコンサート場面であるので、そのピアノが有無を言わさず観客を引き連れていかなかければならない。
白へとスポットライトは移る。彼は明かりが自身のもとにやってきたのを確かめると周囲を見回した。
「今日はお集まりいただきありがとうございます」
背筋をまっすぐにしてお辞儀をする。
「さて、突然ですが、定期的に開催していますこのコンサートを、今日限りで終了しようと思っています。毎月来ていただき誠に恐縮ですが、一身上の都合ありまして。最後のコンサートになりますが、これまで以上に最高のものをお披露目させてもらえればと思います」
新島翔は意を決して台詞を舞台にとどろかせていた。普段は役者をしないはずなのに声が良く通る。それは新島の発声の努力と耳の良さが伺える。
「幼い頃より、ピアノが好きで好きでたまらなかった。カミサマだからなぜ好きか分からなかったけど、今は分かる。きっと誰かが喜んでくれるのが僕は嬉しかったんだ。僕が代わりに弾いて喜んでくれて、笑顔をもらっていた。
このハコに来てから、もう一度ピアノに触れてから、その感覚が蘇った。うすぼんやりとした記憶のない不安をピアノと、そして僕に笑顔をくれた人がいて、吹き飛ばしてくれた。
もう十分、僕は満たされました。
今日は僕に記憶と感情を気づかせてくれた人に捧げます」
それはこのハコに置いての白というカミサマの終焉、あるいは現実の彼の姉への追悼の意を唱えていた。
白は飛鳥にほどけた笑みを見せると、ピアノの椅子に座った。足下にあるペダルを踏みならす。黒いタイルに、とん、と音が落ちた。
彼の指が白い鍵盤を叩く。
──音が、弾んだ。
最初は音階をなでるようにあがり、これから始まりますと音が挨拶をした。そして徐々に音が落とされゆっくりとたゆむ。音はぼやけて朝の目覚めを語る。鳥がさえずる。光が窓辺から差す。葉っぱがかすかに揺らぐ。
これは白の郷愁風景であり、彼の姉への深い想いだった。
舞台でピアノをシーンに入れることは、物珍しかった。背景に音響をいれるだとか、本番当日の舞台で役者が行うのは練習が間に合わないことが多く、役者の負担を考えるとこういったシーンは避けられがちになる。
が、新島翔はピアニストでもあるので、ピアノの場面を入れることは何の抵抗もなかった。そういった避けられがちなこと、やらないこと、をなんの妥協もなく取り入れる。新島翔は枠にとらわれない発想を持ち合わせた監督でもあった。
だから、彼は賞をとれない。
ある日の公園にて、僕と新島翔は、青と白の中盤の要である山場の場面を語ることになった。監督の解釈を聞いて僕が取り入れるといったようなことであるので、ほとんど新島翔が主導だったが。
公園には親子連れの姿が見え、僕たちは子どもの背に目を追いつつ、
「この舞台は私の姉の追悼の舞台だって言ったのは覚えているかい」
新島翔は木枯らしの匂いをかいで、姉のことを思い出しているかのように目を細める。寒空は高くどこまでも広がっていた。雲一つないので星もよく見えた。昼だというのに月は白い顔をのぞかせて空にぼんやりと佇んでいる。
「姉はピアノと舞台が好きな子だった。交通事故であっというまに命を奪われて、知らない間に消えていた。当時の私は姉がいなくなったことに対し上手く向き合えなかった。姉のように前髪を長くして、姉の口調の真似をして。双子だったから、そうして真似をすれば一緒になれると思っていた。でも鏡に立ったときの私は別人だった」
ひょろりと長い体躯を起こし、僕の前に立った。電柱のように黒く長く。男性の肩幅があり、がたいがある。手足を広げると一層新島翔の四肢の長細さが映えた。
「信じられなかった。もう姉は存在しないんだって、ようやく理解した。
だけど、僕の中に姉はいる。
鏡の前に立った時、それは僕だけれど姉の魂も宿っていると気づいた。姉の好きなこと、役者に対しての視線、舞台や、服といった小さなこと、この姿も、椎名空という役者も。全部を愛していたことを私は知っていて、未だ私の中に存在し続けている。彼女の愛した郷愁や舞台、役者の心、そしてピアノを全て込めたい。それで、賞賛されなかろうが、かまわない」
「新島翔は、舞台に祈りを込める監督だと、ネットで称されていたのがようやくわかった」
崇高な祈りを込めた世界観重視の雰囲気舞台だと、ネットで揶揄もされていた。
「舞台に傾倒するその姿勢が観客は恐ろしいのかもしれない」
「僕たち創作者はそうだろ」
──『創作者』
そんな単語を繰り出したのは新島翔が初めてで、目を丸くしてしまう。
「私は込めるよ。創作者として、君に姉のことについて話すし、舞台のためならなんだってする。作り出しているんだから。役者はどうかはわからないが、私のような脚本家といった物書きはみなそうだ。人生をつぎ込まないとすまない人種なんだよ。感情や記憶なんてもの全て犠牲にして、私は作り出す。そのためならなんだってする」
僕には到底できないことを軽々しく新島翔は言ってのける。
「祈りを込めていようが、願いを込めていようが、呪いであろうが、舞台は動き出せば終わりまでジェットコースターのように続く。終わりまで一気に駆け抜けるしかない。そこに賞賛や非難がつきまとおうがこっちは知らない」
自分勝手なやつだ。自身の創作を優先するからこそ、彼の舞台はアクが強いんだ。誰に対しても優しくなく、役者を脚本の奴隷としか見ていない。
しかし、そんな彼の考えは、今は違うと思ってしまう。
飛鳥の言葉が思い起こされる。
──あたしを、見てって思うよ。
役者は生きている。
それこそ、彼の言った『創作者』であること他ならない。
僕たち役者もまた『創作者』であるのだ。
そして役もまた生きている。
物語に込められたキャラだって心があるのだ。
彼の勝手な脚本に、心を奪われることなどあってはならない。
子どもがわきあいあいと鬼ごっこをして遊んでいた。僕の視界を子供が何度か遮る。すっと目線を上げると砂場前の何もない場所で、白の悲哀も上手く演技に出ていた。音をとらえる耳があるからか、空よりも声の質が良い。説得力があるように聞こえるのは、他のどの役者でも真似できないものだ。
「ああ、カミサマどうして姉さんを助けてくれなかったんだ」
絶望にひた走る白。手を抱え込むようにし、そこに姉を抱いているように演技をする。亡くなった姉を優しく抱きしめた後、強く抱きしめていたであろう姉が霧散する。
役に力がこもっているのは新島翔も同じだろうに。
スポットライトに当たる新島翔を見つめる。ここから白の独白が始まる。ピアノを弾きながら、彼の過去が解き明かされる。それは知っていてはいけないカミサマの禁忌。記憶をよみがえらせたカミサマは決まって処分されると知りながら。したがって、観客たちは先ほどの青と飛鳥の態度の変化の理由を悟る。これまで明かされなかった青がこのハコに来た意味は一つではないことを薄々気づいていくのだ。
新島翔の独白は力のあるものだった。姉が突然死んでしまったこと、代わりに自分がピアノを弾くため、記憶や感情をシステムに犠牲にし、カミサマになったことを、現実に即してあるからこその痛みを伴ったリアリティのあるものに昇華している。
新島翔は舞台裏で言っていた。
「姉は天才ピアニストだった。好きな色は黒で、舞台やピアノ以外のことはからっきしで、たまに私を殴ることもあった。言葉が不自由で来客に対しての態度もあんまりだった。服も食事も頓着しなかったのに、私が書いた脚本や私の演技、私の舞台は気に入ってくれた。唯一の理解者だった。
私もピアノを弾くから、劣等感に苛まれもした。
いなくなった今が、一番はっきりと理解できる。姉を忘れたいほどに愛おしいんだ。理解者がいなくなって、好きだと言ってくれた舞台が陳腐に思えて。だから姉のために、続けていくために、追悼を行いたい」
何度も居酒屋で酔ったとき言っていた。何度も何度も繰り返し、彼の舞台への意気込みや思い入れが人一倍強いことを。
そうした演技に感情移入しないはずはない。
僕は、青は少なくともそうだ。
僕は独白が終わった新島翔に近づいた。
新島翔は幕間から出てきた僕に横目で見やる。
「それでも、君はシステムの思し召し通り、僕を殺すのかい?」
システムから、青は白の殺害命令を抱いていた。
そう、青は、
「そうだよ。僕はカミサマ殺しのカミサマなんだから」
白を殺すためにハコに赴任してきたカミサマなんだから。
ハコが陰る。
視界がぼやける。
心が縮む。
役者は奴隷じゃない。
生きている。
生きているんだ。
僕は、公園でした演技が頭をよぎる。何度も何度もこの場面は新島翔としたはずなのに、青の選択が僕を締めつける。白を殺さなければならないのに。青はしたくなくて、僕はパッチワークではない、彼の本当の意志を口にしてしまう。
殺したくない。
殺さねばならない。
でも、
ここで白は殺されると脚本に書いてあるのだ。
──青は白を殺すのだと。
僕は機械義肢の装飾がされている腕からすかさずナイフを取り出し、切っ先を白へ向けた。
システムのために。
舞台のために。
新島翔のために。
「僕は君のことを殺さない」
だが、僕は嘘のナイフを落とし、脚本にはない選択をした。
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