⑥ 大東飛鳥

 その日、僕の家のインターフォンを鳴らしたのは空だった。僕は彼女に連れられて稽古場に駆り出される。

 舞台『青空のハコ』が開場する劇場へ。そこには新島と空と、そして大東飛鳥だいとうあすかの姿もあり、僕は自身の実力に見合わない場所に出てしまったと思った。

 どうやら新島と空はここ数日密談してい、脚本はそこで既に出来上がっていたらしい。おそらくはその時に彼女の口から、僕への期待の上乗せとして現実世界の話を吐き出したのだろう。「僕が演じやすいようにしてください」と。そんなことに気を回せず、この時僕は何も知らない世界へ迷い込んだ不思議の国のアリス状態だった。

 持ってこられた脚本を手に、新島が配役を指し示す。最初は新島自身だ。

「私が白をやる」

 パラパラと簡単に新島は脚本を捲った。心地よい音が響き、ある1ページが示される。

 飛鳥と書かれた脇役がいた。焦げ茶のぼさついた髪に、筋肉質な女性。典型的な姉御肌の、機械技師が大好きな女の子だ。

「飛鳥は大東飛鳥が」

 そして、

「助演、ヒロインの空は椎名空がやってくれ」

 僕は耳を疑った。

 てっきり彼女が主演をする脚本家と思っていたのだ。

「主演、青は水杉彰」

 肩の荷がどっと重くなった。どうして、僕が主演の方になったのか、呼ばれたとき空を見ても、彼女は目を逸らすばかりで。

 もらった脚本は思ったよりも分厚く、台詞量も多かった。空はアテレコで耳の聞こえない少女を演じ、飛鳥、白、僕の青とどの登場人物も現実に即していた。それは新島翔自体がキャラにこだわりがなく、現実に乗っ取ったものにしたがためだろう。背景のモニターに空の言葉が映し出される特殊演出もあり、今どきのものになっている上、観衆が目で見て楽しいものになっていた。

 世界観が変わっていて『ハコ』と呼ばれる幾千年先の地下空間という舞台。澄み切った海があり、システムが管理している。

 そして、振り返れば劇場は全て白い壁に模様替えされており、客席のクッションまでも白に統一されている。舞台の板も白いコーティングが済ませてある。

 ハコの中を頭で描きやすい。海、ぼろい駅舎、白の黒い電柱のような姿、カミサマ。一つ一つを取り上げて思い描くだけで、そそられた。

 この世界観は面白い。

 引きずり込まれる。

 新島翔という演出家、脚本家というのは世界を大事に取り上げるのだ。

 ──役者は脚本の奴隷。

 ただそこに役者は介入できない。

「私の姉の追悼舞台。美しい世界を捧げようと思う。私が演じ、演出し、監督する。これから一ヶ月ちょっとの間よろしくな」

 稽古が始まった。


 そこから苦労するだとか、思ったようにならない、なんてこともなかった。僕は器用な役者だから。しかも、アテレコだ。白が幕間で僕に告げたことが本当ならば、このストーリーのほとんどが僕と空の出会いからして全てひっくるめてアテレコなんだ。もしかしたらこの設定すらも。なら、器用貧乏な僕の演技とアテレコで上手くいかないことなんてなかった。

 全ての歯車がそろい、稽古は順調に進んだ。僕はある場面では年上俳優の顔を参考にして、ある場面では絶世の美女と謳われた過去の女優の艶めかしさをだし、ある場面では今売り出し中の子役の無邪気さをだした。

 これは稽古での一場面。

 「おう、カミサマ。また指の調子か」

 ハコでの生活がひと段落した後、青は空や白とともに機械義肢の調子を診るために、飛鳥のもとへ訪ねる場面がある。白は指を、青は四肢が機械であるので時折こうしてハコの中で機械義肢師のもとへ訪ねて調整する必要がある。その機械義肢師が飛鳥だった。

「私はそう。近々コンサートがあるから、微調整したいと思っていたんだ。中指がうまく立たなくてね。あと親指の関節がもうちょっと開けばいいのだけど、それと薬指の第一関節なんだけど……」

 矢継ぎ早に言ってのける新島。白のおしゃべりな性格も、理屈っぽい本来の新島に即していた。コンサートへ向けて白は飛鳥を訪ねており、青の事情は何も知らない。

「で、こいつは」と飛鳥は苛つきつつ白に扮する新島に応える。

 白の事情を考えると飛鳥のこの対応はしっくりくるものがあった。白を大事にするあまり、飛鳥はこのとき情緒不安定気味であった。すぐに僕に殴りかかってきそうなほど、ぶつぶつと僕へ話しかける。声を潜めることにより一層むしゃくしゃしていそうになっているし、表情もいつもの小悪魔のような演技ではなく、堀の深い顔をより険しくさせることによって観客にも伝わりやすい。最後の後押しとしてぼさついた自身の髪をがしがしとかくことによって、演技のまとまりもいい。

 やはり、飛鳥は椎名空の後釜として採用されるだけある。

 自分の使い方をわかっている。

「僕は青。一応カミサマだ」

 青は僕。空っぽのカミサマ。記憶もなく、機械の四肢を持つ少年。キャラが薄いのは記憶や感情を抑えているから。カミサマの『普通』にのっとっている。システムからの使い。まさに脚本を通り歩くだけのモノ、だけど劇中たびたび記憶が揺らぎ、自身の空への好意と自分の記憶への扱いに戸惑う。

 カミサマ、と飛鳥は数秒固まる。険しい表情のまま、体の呼吸を止めて本当に死体になったように止まった。体幹も鍛えているのか。

 飛鳥はカミサマを二人見たことがあった。空の父と白。だが二人はどちらも当てはまらないから、若いカミサマの僕に物珍しさと青がハコへ来た意味を考えて踏みとどまる。固まる体、イラつき、険しい表情、体の使い方、何から何まで青への疑念と彼女が何かを知っていることを示している。

 なにより、飛鳥はわかりやすい演技をする女優なのだ。

 小悪魔のようなはっきりとした悪女を演じることに長けていたりするのはそのせいだ。ただはっきりする中で繊細さもある。細かい動作、息遣い、それを熟す体幹。普段から鍛え上げられた筋肉質の体は、彼女の努力が垣間見える。

 僕のストックの中に彼女の演技もある。今いる著名な演者を僕は演技のストックとしてためている。一本の映画に何千人という演技のパッチワークをし続けるのだから、彼女の演技も取り入れたことがあった。ただ僕は彼女のように堀が深くなければ、体幹もない。下位互換で自分ができる範囲でとりいれるだけ。

 彼女との掛け合いはやりやすい。わかりやすいからこそ対応できる。他に気を配れる。空のように引きずり込まれ、掌の上でもてあそぶくらいの器量は彼女にはないが、周りとの親和性がある。他人との息遣いを協調するからこそ飛鳥はここまで成り立ってきた。

 僕は彼女に引きずりこれず、ハコの状況を整理できる。

 世界観が肝の舞台だ。それ相応の演出に新島も金をかけている。なら、一番大事なのは入り込むこと。パッチワークだと言われ続けていた僕は、状況を視て監督が欲しいものを宛がうことができる、そんな役者だ。

 彼女にカミサマだと気づかれない青は、ここで自身の服を脱ぎ、両腕の機械義肢を見せる。

 が、ここでは彼女は良く見えない。

 飛鳥は、シャッターの中にいるからだ。

 飛鳥の店は半分シャッターが下り、外界から避けられている。彼女の姉御肌な気質とは裏腹に隠し事がある演出。

 だから、彼女がよく見えるよう僕がシャッター中に入る必要がある。一回屈み、ふと周囲の状況を計算づくでいれる。ここの動作は、この前ドキュメンタリードラマで見た義足を持つ男性の動きを取り入れる。

 ただ、僕だけ(・・・)が入るのもおかしな話だ。

 背後には空がいる。空に振り返り手を伸ばす。すぐに彼女は了解して手を添えて。やわらかな掌が僕の手に圧し掛かる。その手を引っ張り、僕がシャッターをくぐる。続いて空もかがみ、中へ。空の長い艶のある髪がひらりと舞って、彼女の香りがたちこめる。この一瞬でも彼女の空気で場が支配された。

 そうして、徐に飛鳥へ向き直る。

 飛鳥は言葉を失い、呆然自失といったふうに傷ついた顔をしていた。

「なんで、今シャッターがあるって気づいたの?」

 飛鳥の役がはじけ飛んでいた。

「それに空がいるって」

「きみが、周囲の状況と合わせて演技していたおかげで状況が見えたんだよ」

 唾をのんで飛鳥が目を開ける。傍にいた新島が、へぇと感嘆していた。飛鳥は信じられないものを見たように、脚本を握りしめて「ごめんなさい、お手洗いに行かせて」と駆け出してしまう。何か言いたげな口元が僕の視界に残っていた。震える口元、堀の深い顔がより濃く深刻そうに影が差していた。

 ただ一人、椎名空だけは僕に何か物言いたげであった。

「水杉、お前も天才なんだな」

 新島が僕に肩を置いた。

 だが、僕は彼女にしか目がいかない。彼女が先ほどから僕を睨みつけていた。飛鳥や新島に賞賛をほのめかされた一方で、彼女は気に食わず空から演技が解けた今となっては、憎しみすら感じられる視線を注ぐ。僕の憎しみの容器はいっぱいになってしまって、空に「僕の演技、どこか問題があったのなら教えてくれ」と言ってしまった。

「あなたの演技って何? どこにあなたがいるの?

 あなたは青にも、自分自身にもなっていない」

 手厳しい一言に頬をはたかれたような気分になる。

 僕は、おそらくこのハコにもいない。

 役者は嘘で塗り固められたものだと思っていたけれど、実際のところそうではない。嘘を限りなく真実に寄せる。嘘のままでは演じることなど不可能なのだ。空は知っていた。僕が嘘を嘘で塗り固めて、人形のように脚本と演者に操られているだけだってことを。

 僕から吐き出される言葉は、だから嘘っぽいのだ。


 幕間からこぼれる観客の視線を気にする。舞台で空と僕は出ずっぱりだ。モニターに映される彼女の言葉、海のさざ波の音。ハコでの日々が空と青で紡がれていく。舞台は前半の山場である青と空の会話の掛け合いが終わり、彼らの仲直りまで紡がれていった。

 次は飛鳥の出番だ。

 機械義肢師の店に、僕たち三人が訪れる。四人が出るので会話の掛け合い、息遣いが重要になる、あの稽古で何回かしたシーン。

 僕は空の厳しい言葉が刺さっている。

 この舞台は、白にとっては追悼。空にとっては復讐のものと化している。

 ここで彼女という協調性の役者がいたら、ようやく締まりのあるものになる。

 ハコの派手な演出もようやく見慣れてきた。彼女の厳しい言葉も、復讐心も、今では受け取れる。

 だが一向に彼女の脚本(神様)に対抗する手段を思いつかない。

「ようやくあたしの出番だ」

 飛鳥は胸を張って伸びをしていた。

「よろしく」と、僕に励ましの言を添えた。さきほどの空と僕の掛け合いを受けての言葉など分かっていた。

 飛鳥はここにきて、何かをふと思い立ち、

「この舞台が成功しようが、失敗しようが、あたしにはどうでもいいけれど、やっぱ悔しいな」

「飛鳥ほどの役者でも悔しいって思うのか」

 当たり前じゃん、とけなげに唇を突き出す。

「だって、あの椎名空の後釜って言われてんだよ。悔しい。あたしを見ろーって思うよ。新島もあんたも、あたしをぜんっぜん見ないし。これでもあの子がいなくなった後、ほとんどの番組をかっさらったのに。それでも椎名空には追いつけない。あの子とあたしの演技じゃ、また違うし」

 大東飛鳥は、典型的な秀才だった。それが花を咲かせたのは、同世代の椎名空が落ちこぼれてからだった。全ての出演を断った空。そのあとについた大東飛鳥。彼女の木漏れ日を見て、モニターの前で空はうずくまり泣いていたのは、彼女を見てのことだったのか今にして思えばわからない。ただ飛鳥は努力家だった。繊細な演技も、自分を大胆に演出して見せることも全て計算づくだ。イメージ戦略も人気の取り方も、空よりはわかっているはずだった。

 それでも演技の場において、同世代随一とされるのは空だった。

「あんたも、それなりに天才だよ。でも、それ以上に努力してるのがわかる。さっきの場面だと、昔のあの映画……モノクロの……忘れちゃったけどそれ使ったんでしょ。日常場面はモノクロ映画時代の動きの方が面白い動きするから。でもあたしはそんなことできない。椎名空のように感情を動かせない。あんたのように他の演技を取り入れることも。

 あたしはあたしにしかなれない。

 だから、あたしを見て!

 って演技をしているときはいつも思ってる。

 嘘偽りないあたしを。

 あたしだけを。

 そこだけはあんたに勝ってる。勝ち負けじゃないけど。あたしは、あたしを演じられる。空っぽなんかじゃない。空にも、誰にもできないよ。あたしの演技。椎名空なんか比じゃない。あたしは、誰にもできない嘘をつかない役者なんだから。あたしは、あたしのまま誰にも嘘をつかず素直に舞台に立つよ」

 飛鳥は小物であるドライバーを握りしめて、

「あんたも、嘘をつかずやってみなよ。

 好きなんでしょ、椎名空のことが」

 僕の本心を見透かす。

 ああ、と言えずに目線をたじろがせた。だが、なぜかすとんと、飛鳥の言葉が落ちていく。嘘をつかずにいれる場所がもしかしたら板の上なのかもしれないのに、僕はなぜかそこで嘘をついている。

「じゃあ、先に行ってるね」

 ひらひらと手を振り、飛鳥は舞台に上がる。その背中は大きくて。ようやく見出した活路に感謝する。

 飛鳥のようにはなれないように。

 空も僕にはなれない。

 もっと前から空は見ていたのだ。

「『あなたはどこ?』か」

 呟いてみて初めて、演技をする難しさを感じた。

 できるかな。青になれるか。僕は僕として彼と同じようにふるまえるか。

 舞台に上がる足どりはまだ震えている。

 でも、僕は飛鳥に続く。

 神様を超えるために、僕はもう嘘はつかない。

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