⑤-2 新島翔

 彼女の言う『神様』とは、世界の構築者のことだと思っている。

 たとえば、脚本家。彼らは物語をつくることでひとつの世界を構築している。僕たち演者は世界の構築者の奴隷だ。彼らの思うままにふるまい、彼らの言葉にのっとって現実世界に虚構を築く。

 だからこそ、空は言った。

「私にとって脚本は神様みたいなものなんです」

 僕はその神様に向き合った。

 それは『青空のハコ』においての、脚本家新島翔、その人だった。

 新島翔は、会うまで知らない脚本家だったが、空に言わせれば「ありえない。なんで知らないの」と厳しめに言われるくらいには有名な監督・脚本家だった。インターネットで検索してみたら一発で引き当てられる。幾重にも連なった映画や劇、アニメと様々な分野で活躍していた。ただ彼は未だ賞をとっておらず、世間体で言えば無名の脚本家であった。

 音楽も嗜み、最近だと駅構内にあるストリートピアノに出没していた。そして俳優や監督、音楽も作るため各方面のファンがおり、駅構内で行われた突発的なストリートピアノコンサートも、気が付けば足を止める人が多い。YouTubeなどの動画サイト、TwitterなどのSNSで彼を見つけた、といって拡散され、彼自身はネットシーンにおいてのアイドルのようになっていた。

 そんな彼が、僕たちを見つけて取り上げた。


 駅構内。

 新島翔の背後はカメラのフラッシュや、シャッター音、黄色い声で塗られていた。

「椎名、ここであったのも何かの運命だ。どこか静かな場所で話さないか」

 彼は塗られた音に関して頓着せずに彼女を誘った。口を大きく開いて彼女に見せていたので、彼女も聞こえているだろう。正直空と僕は俳優として、表だって顔を公表しているので、彼の大きくでた態度には思うところがあった。特に空はメディアの露出を避けている節がある。

「待て」

 僕は新島翔と椎名空の間に割り込む。

「周りをよく見ろよ」

 彼は頭を傾げた。肩まである長い前髪が揺れる。鼻先が前髪から覗かせる。その鼻っ面が青白く、不気味に思えた。ふっと鼻で笑われてしまう。

「これはこれは水、」

 と、彼が僕の名前を言おうとしたところで空の前に立ち、彼の口を見えないように遮る。

「水杉彰。椎名空とデート? そういう関係だったのか」

「違う」

「とにかく僕は椎名空と話したいんだ。今君に要はない。そこをどいてくれ。彼女が芸能界から消えてから一か月探し続けていたんだ。ようやく見つけた」

「だったら、僕も一緒に話す」

「恋人ではないって言ってたじゃないか」

「それは……」そうだが。

「じゃあいいだろ。何がそんなに気に食わない」

 よくわからない男と椎名空が一緒にいることが、許せなかった。

 初めて会ったとき新島翔とは何の面識もなかった。彼は僕を知っていたが眼中になく、僕は新島翔を知らない。そして彼が椎名空を求めていることなど一目でわかる。椎名空が自殺未遂をしていたことなど僕しか知らないのだから。不安定な椎名空を置いてはいけない。

 言い訳が駆け巡って、

「私になにか要?」

 空が僕の前に踊りでた。

 黒いドレスがふわりと揺れて、黒い長い髪が頭を傾げたついでたわんだ。その水晶玉のような大きな瞳の中には好奇心の光がためこまれており、新島翔に目を細めて対応している。目じりは赤く、しかし先ほどよりは生気を取り戻していた。

 フラッシュが僕たち三人の間でたかれる。

「個人的に話さないか。仕事の話だ」

 そして彼は細い体から手を大きく振った。

「私の舞台に出てほしい」

 

 新島翔との出会いは、本当に偶然だった。あの時の駅構内でストリートピアノを弾いたのも突発的なものであったし、僕と空があそこに逃げ込んだことも、僕と空が一緒にいたことも、何もかも運命としか思えないほどの巡りあわせをしていた。これこそ神様が描いた設計図のようにぴたっとはまっていたとしか思えなくて、この舞台が始まる前、稽古の時、あるいは演技の話し合いをした公園、あらゆるところで僕たちは「まるで神様が本当にいるみたいだ。まさに神様の脚本の上に僕たちが載せられているみたい」と空のようなことを言っていた。

 この舞台は奇跡の上に成り立っている。

 出会いも、別れも、今の感情すら?

 全てが緻密に組み立てられた舞台の上で僕たちは神様の駒として踊るように。

「冗談じゃない」

 僕のこの感情すら神様が描いたものなんて言わせない。

 彼女の言う神様に乗っ取られやしない。

 椎名空は、僕に期待しているのなら僕はまずこの脚本家を超えなければならない。脚本にはない、演者としての僕を彼女に示すのだ。

 舞台『青空のハコ』の幕間にいる向こう側の空にすっと目線を合わせる。彼女は凛とした顔で僕に目を合わせた。やはりその顔は、僕への執念をためこめている。頬は凍てつき、水晶玉の瞳に青い炎が宿る。燃え盛る彼女の復讐心に僕は真っ向から対面する。

 その燃え盛る炎に対して僕は同じように炎を示すため。

 彼女の傍にいるため。

「新島、僕は彼女の神様を超えるよ」

 次の出番を待っていた新島に、目線を上げる。

 黒い電柱のようなほそっこい彼の肢体の先っぽまで目線をなぞった。彼はけらけら笑って、「そっちの方が面白そうだ」と僕にこぼした。

 先ほどまでの情けない自分はいない。


 新島翔と出会った駅構内の後、僕らは黄色い声援を引き連れて個室のある場所を探した。背後のフラッシュから紛れて「しょうー!こっち向いてー!」と言っている子がいたり、「あれって、椎名空じゃね?」と男の声もあって、僕の肩身は狭かった。これまで、僕も俳優業として仕事をしてきたほうだったが、彼らの知名度に比べれば自分がどれほど矮小か分かる。僕がとった賞だと椎名守を打ち負かしてしまった、あのドラマだとか。自身の性格が派手でもなければ記号化されるものがあるわけでもない。見た目が良いかと言われれば俳優の中では中くらいだろうか。演技もパッチワークであるので、主役級を張るような目立つものでもない。場を支配する才能だとか、空のような空気を作れる天才ではない。

そういった鬱屈したものをしょいこみつつ、僕らはようやく新島翔が紹介した店に到着した。洋風の黒いシックな店は、新島翔の黒いコートや黒いズボンといった趣味と似通っていた。中に入ると、店の雰囲気にあった細い脚をした机に、折れてしまいそうなほど薄い机や椅子が置いてあった。一つ一つの部屋が黒い垂れ幕で区切られており、幕間を思い出す。

裏話のように、僕たち三人は個室で集まった。

「椎名空、あんたが主演の舞台をしようと思っている」

新島翔は、先ほどまでの派手なそぶりは見せず僕たちに告げた。

「その前に名乗ってくれ。僕はあんたを知らない」

二人の共通言語である人の名前が出てこないものだから、僕は痺れをきらしてまたしても邪魔をしてしまっていた。

「なんで知らないの?」

 意外にも叱咤したのは空だった。

「新島翔。監督、俳優、脚本家、ピアニスト……その脚本は演者優先の世界観特化であり、演者に喜ばれている。でも、新島翔の脚本は世界観特化型だからキャラが弱い。演出がきらびやか、美しく、モニターなどの物を活かし見るもの全員が見とれる舞台を作り上げる。一方で俳優としても活躍し、他の追随を許さない演技力を誇る。ピアノは双子のお姉さんからの影響で、お姉さんは、」

「一年前に交通事故で亡くなっている。椎名空に知ってもらえてるなんてこれまた光栄だ」

「知らない方が珍しい」

 二人が僕をちらりと見て、なぜだか恥ずかしくなる。

「そんなわけで、私は今度天国にいる姉の追悼のための舞台をしようと思ってね。あれから一年。突然のトラックの暴走で亡くなったわけだが、ようやくこの気持ちを創作に落とし込むことができる。

 ──脚本は、神様だ。

 あんたのこの言葉が私にとって救いだったんだ。私の脚本は得てして世界が先行する。私の中の美しい世界を作りだすための役者さえいればいい。役者なんてどうでもいい、が僕の世界を作り出せるやつがほしい。姉を追悼するための、役者がほしいんだ。

──役者は、脚本の奴隷だ。

私はそう思っている。俳優業もしているからよくわかるが、脚本を読み込み自身の中に落とし込む。解釈の幅は脚本に全て詰まっており、監督にゆだねられている。それ以上でも以下でもない。だから、僕の舞台を演じきることができる、椎名空、あんたがほしい」

「お断りします」

 空はよどみなく言った。

 僕も新島も、いったん空気を吸うのをやめて彼女に向き直った。彼女の言う限り、新島翔は売れ出してきている監督だ。先ほどの人気も見れば絶頂期だろう。俳優としておいしい話であるのに。

 でも、僕は彼女なら、と考える。

「私はそういったことで演技をしていないの」

 彼女は確かにそういうだろう。

 彼女の演技はその無垢さにあった。脚本の奴隷であっても、演技の中では何も感じず子供のように演じ切る。まるで演技で遊んでいるかのように。

 僕は変わらぬ彼女の根本に安心してしまう。

 が、それは演技をしていないだけであって、彼女がしない理由にならない。

「なぜだ」と新島翔は前髪を耳にかけて、歯を剝き出しに食い掛る。

 空は背筋を伸ばして彼に悲哀の視線を落とした。

「今は演じる気にはなれない」

 それは、彼女が今現在舞台に出るまでメディア露出していなかった理由だった。新島翔はそれでもあの手この手で言いつのった。主演として抜擢されることが彼女は多いし、引く手あまただろう。その際に引き抜かれた口上を厚かましく連ねる。しかし、彼女はなびかない。

 どれだけ言っても、

「私はもう演じない」

 と告げるだけだ。

 最後に、彼女はしっかりと立ち上がり、足を持ち上げる。黒い垂れ幕を上げて、幕間の外へ。現実世界へ戻っていく。僕も慌てて立ちあがると、

「それでいいのか。椎名空。あんたはこっち側だろ」

 新島の言葉が迫りくる。彼女は背を向けているから見えないし、反応ができない。新島は僕を払いのけて空の肩をつかんで振り向かせる。口を大きく開けて、空へ必死になって、新島は叫んだ。

「なあ、椎名空、あんたはそれでいいのか。あんたは、演技をし続けなければ生きていけない人間だろ。いくら綺麗な言葉を見繕ったって、あんたはそれがなきゃ現実世界で生きられない。演技なしのこの世界で呼吸ができるのか。あれほどまでに演技に心酔していたあんたが、それでも生きていけるのか」

 肩をつかまれ揺さぶられる。空は彼の言葉に唇を噛み締めていた。何も見たくないと瞼を閉じる。二度と開くことはないように目が固く閉ざされていた。

 彼女の意思を見て新島は、彼女の肩からするっと力を抜き、落とした。空の体ごとその場にうずくまっていく。落ちた体を空は抱きしめて、喉に手をまわし次には嗚咽を吐いた。大きく呼吸を数回。空気が動き、彼女は呼吸を整える。

 とどろきのような一言が繰り出される。

「水杉彰」

 彼女の瞼が開く。

「一つ条件があります。水杉彰と舞台に上がらせてください。それで、私の演技の最後にさせてください」

 僕は知らず知らずのうちに後ろに下がっていた。新島と椎名がいるそこから後ずさり、目を疑う。ゆぅらりと立ち上がる、彼女は幽霊から立ち上る霧のようで今まさに魂が無理やり現世に引きずりだされていく。新島は散りゆく魂を拾った。

「水杉?」と僕の方を見る。

「父の演技を奪った、水杉彰を」

「なんだ、じゃあちょうど良かったじゃないか」

 彼女の瞳が、つやりと閃いた。どういったことかわからないといった風に新島をくりくりとした双眸で覗き込む。大きな眼はより大きくなり、新島の口にする言葉を読み取っていた。一音一音確かに。胸にとどめて。

 そうして新島は僕へと手を伸ばす。

「水杉彰は、ここにいる」


 幕間から開けて、僕は演技に戻った。

 指令書に書かれていた、ハコ内の家の掃除を行うシーン。ハコの家々を洗い、最後に指令書に書かれていない空の家をぴかぴかにして彼女の帰りを待つ。

 きれいさっぱりと白くなった空の家の前で、僕は彼女に笑いかける。

 空は目を見開いて自身の新品同然の家を見上げた。

 灰色の壁は澄み切っていて、最初の落ち込んだ顔色をしていた家は、嬉々とした表情を見せている。空の顔は先ほどから変わらずに瞼だけぱちぱちと瞬いた。その瞬間夜行が閃く。彼女の顔を見ただけで僕の瞳がきらめいた。

「おかえり」

 それは、僕から役者の世界へ帰ってきた彼女へ向けての言葉。

 そして、僕が舞台を下りない、椎名空を安心させる言葉でもあった。

「た・だ・い・ま」

 覚束ない声色に優しさをにじませる。現実の彼女は怒りで殺したくてしかたないのに、演技で全て裏返る。脚本通りの演出に身を任せ、世界観に身を浸す。

「よかった」

 空がとびきりの笑顔を僕に向けた。

 ──あなたが水杉彰?

「よかった、いた」

 ──こんなところで会えるなんて。

 本当は知っていたんだろうな、とすら思っていたけれど。確信して初めて笑顔を見せることができたんだと思う。彼女の笑みは復讐に駆られていたとしても、素敵なことに変わりはなかった。

「僕たちの家に帰ろう」

 劇中の空に手を伸ばす。

 二人で同じハコへ戻ろう。

 一緒に演技を続けよう。

 これが君の最後だとしても。

 君が僕の復讐心を抱いて演技を続けていたとしても。

「好き」と言いかけて、まだそのセリフの場所ではないことを飲み込んだ。

「おかえり」と代わりに何度だって言った。

 役者の世界へ戻ってきた彼女を祝福したい。

 彼女の期待する自分になりたい。

 君が僕に何をしたって何度も立ち上がって。

 演技を続けよう。

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