⑦-2 神様を越えろ!

 舞台が止まった。

 新島翔が、演技を止めて足下にあるナイフをじっと見つめていた。そのナイフで僕を刺せと言っているかのような相貌を一瞥する。

 役者は脚本の奴隷じゃない。だからこそ、この選択をとるのだ。僕は生きているから、青の役の解釈だって新たなものを指し示してしまう。

 この場面の直前、青は飛鳥に白を殺すのか、と言い詰められ、たじろいでいる。そして白を見て、殺さなければならないのかと、システムに派遣されたカミサマ殺しのカミサマとしての葛藤をしていた。青は明らかに、カミサマに疑問を抱いていた。

 だからこそ、この選択をしたって間違いではないのだ。 本番で僕は青としての状況証拠を集めて、嘘の演技をしないことに決めた。これが今の脚本ではない選択肢をとらせたあらましだ。

 僕は新島翔に即興を挑む。

 飛鳥のように、椎名空に言ってのけるために。

 僕が水杉彰だ。僕を見ろ。観客も、嘘をつかないありのままの水杉彰を見ろ。

「僕は君を殺さないことにした」

「待て、どうして」脚本を変えたんだって言いそうな顔だった。

 全ては、椎名空と渡り合うための前哨戦に過ぎない。僕はこの即興の演技で、彼女とわたりあうために役者として変わったのだ。

 もう空の父、椎名守の芸能界人生を追いやったことを隠す必要もない。彼女が好きだということも、この舞台がとんでもなく僕にとって光栄なことも、彼女が「忘れないで」と違う意味で言っていようと、僕はこの板に立てて良かったと思うのだ。それらにどこに嘘を吐く必要がある。

 僕は、水杉彰だ。

「飛鳥は白を大切にしていた。僕はそんなカミサマをみたことがない。君だけはなんとか逃がしたい」

「指令書に書いてたんじゃないのか」

 そうだよ、脚本にも書かれていたよ。

 舞台では破ってはいけないものがある。

 脚本だ。

 だが、僕はここで最高の演技をして、彼女とわたりあえたのならそれだけでいい。全部彼女に捧げるつもりだ。

 僕にとって演技や役者としての本分は彼女の傍にいることなのだから。彼女の他には何もいらない。ブラウン管テレビの中に入った今は、彼女に寄り添えていたらそれだけで良い。これが彼女に渡り合う演技で彼女の神様を超えることならば、何でもしてみせる。

 ありがとう、大東飛鳥。

 君のおかげで神様を超えられそうだ。

「その上で、僕はカミサマ殺しのカミサマとして、殺さないという選択肢をとることにしたんだ」

 新島は、ようやくここで僕の意図に気づいた。脚本を壊そうとする僕に、呆れたようにしかし安心したように、ほっと息を吐いた。一本に結んでいた髪の毛を、新島はするっとゴムをほどいて長い前髪を下ろした。

 いつもの白の姿になった彼は、大きな手を広げて、

「システムを揺るがすことになろうが、君は僕を殺さないのだな」

「ああ、僕はシステムを、神様をぶっ壊そうとかまわない」

「なんてカミサマだ」

 なんて役者だ、と意味が重なる。

 そうして新島は手で顔を覆うと、ふっ、ははは、と噴き出した。嘲笑と喝采を一心に弾けさせたような笑いに、舞台がびりびりとする。

 頭をフル回転させる。

 新島翔も、同時に会話のかけあいと展開の仕方を練っている。二人で会わせる。これは公園ではやったことのないものだが、舞台『青空のハコ』のために稽古場から抜け出して二人してやってきたことだ。

 合わせられるか、と僕は目線を送る。

 新島は、おう、とおしゃべりな口をにやりと横に引き延ばす。

「青はそれでいいのか」

 ああ、と僕は納得のいった表情でオーバーに見せる。観客にわかりやすく、状況を整理させる。

「私は生きていいのかい」

「僕は、そう思った」

「なら、私は、このままこのハコに居続けて良いのか」

「当然だ」

「姉さんの記憶と共に」

 新島は、そこで言いよどみ、彼の本心を垣間見せる。

 新島翔は、監督、演出家、脚本家、役者、ピアニスト、様々な面を持つ人物だ。その二つ名の多さは、世間様お墨付きで、役者一本でやっているものといったそれ専門でやっているものの内心はよくない印象を持たれやすい。

 ハコの脚本から、もしかしたら純粋でそれ一本でやっている役者に、彼は殺されたかったのかもしれない。賞賛や批評はどうでもいいと言ってはいたが、彼はそれぞれのの分野の者には敬意を示している。

 椎名空も、大東飛鳥も、そして僕にすら。

 彼は敬意を示すのをやめなかった。

 だから、僕は言ってのける。

「ここにいていいんだよ」

 それは僕からの新島という人物への祈りの言葉。

 青は、それまで空っぽだったがこれによって、強い色合いが濃くなった。

「また、明日このハコで会おう」

 また演じよう。

 監督であろうと、脚本家であろうと、演出家であろうと、ピアニストであろうと、同じ役者なのだから、またどこかで一緒に演じよう。

 僕はナイフを地面に放置して、背中を向ける。スポットライトは時間通りに作動する。

 本当なら刺された青は、血まみれになりながら、狂気に身を浸し罪悪感に溺れる。白のことなどどうでもいい、と事実に目を背けて、幻肢痛に悩まされながら、過去の記憶に苛まれながら、ハコでの日々をまた始める。そして反動として空を求める。空…空…と青は彼女の笑顔に空っぽの自分を埋めることを期待する。

 だが、僕はそうはしなかった。僕は生きているから。奴隷じゃないから。新島の祈りではない、僕の祈りを込めてしまった。僕は新島に祈っている。

 途中退場はせずに、これからも一緒に演じ続けようと。

 椎名空のために僕の演技があるように。

 新島も姉のためにこれからも演じ続ければ良い。

 脚本とは違う新たな解釈で青を演じているからか、物語冒頭の肩の重さは感じなかった。スポットライトが徐々に消えていく。幕間に入る。広げられた緞帳は落とされていった。

 ほのかに漂う、観客からの拍手。ぱちぱち、と弾けて、閉じて、また弾けてと拍手は徐々に大きくなる。僕は振り返った。

 観客の視線は一心に舞台へと注がれていた。湧き上がる拍手に、涙がにじみ出そうになった。

 幕間が閉じきった時、僕と新島に大東飛鳥と椎名空が慌てて近づいてきた。


「どうするんだよ」

 大東飛鳥が、脚本を握りしめながらそわそわと体を動かす。流石の椎名空もどうしたものか、と新島の傍にいって様子をうかがっていた。主要人物四人は幕間に集まり、新島を中心として、これからの物語の進め方を決めかねていた。

 脚本が変わってしまった今となっては、頼みの綱は新島翔だけだった。

「青の解釈を変えたのはなぜだ」

 新島が手早く僕に向き直る。

「飛鳥の思いと、青の葛藤からそうするのが一番いいと思ったからだ」

「私の祈りに、役者の祈りも重ねるなんてな」

「やっぱり、この追悼舞台で役者を降りようとしてたんだな」

 新島は答えず、他の二人に向き直った。話を遮り逸らしたということは、正解だったのだろう。

 大東飛鳥が持ってきていた脚本を新島は受けもらう。広げられた脚本を一周して、僕たちにぐるりと。

「建て直す。私の舞台だ。全ては私のここにある」

 脚本を頭にとん、とん、と当てた。余裕満々の笑みをたっぷり聞かせて、「ただ、」とうった。「ほとんどが即興になる。だができるよな。お前ら、みんなプロだろ」

 僕たちは役者だ。それは共通見解だった。

「ええ」と椎名空が先に新島翔に答える。

 清純で凜とした声に真実味が宿る。彼女もプロだ。

「もちろん」と大東飛鳥が自信たっぷりに笑って見せた。胸を張って、彼女は言ってのけるほどの努力家。彼女も、そして、僕も。

「僕がやってしまったことにごめんなさい。でも、こう言ってはなんなんだけど後悔はしてない」

 新島翔は僕の背を叩く。座長として、主役として、僕の背中にはいろいろのっている。でもそれ以前に、僕たちはプロの役者で、演技することに誇りを持つ、

──『創作者』なのだ。

 僕たちはほんの数言葉打ち合わせをして、幕間に引き下がった。

 次の場面がくる前に新島翔が僕に近づいた。

「一つ訂正させてくれ」脚本を開けて紙を握りしめて、くしゃくしゃになったページを一気に引き絞り、破り捨てる。

「役者は、脚本の奴隷じゃない。

 役者も生きている。

 役者だって創作者なんだな」

 僕は新島に歯を見せて笑った。

「だから、演劇は面白い」

 僕は青として埋没する。

「共に作ろう。

 素晴らしい舞台を」

 僕たち二人は、スポットライトのまぶしさに目を細めた。

「君が告白するのを手伝うよ」

 新島が再び僕の背を押した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る