⑯ I Love You

<This text>

 <i love you>


 システムに汽車の予約をとり数日。汽車が到着したのを遠目に確認した。蒸気を発さない汽車は物静かに駅に滞在する。駅舎は今にも吹き飛びそうで、大きながたいの汽車が来ると同時にその存在感を薄める。

 僕は最後の数日を海の砂浜で空と歩き過ごした。散歩をしたり、時には海の中を入ったり、砂浜の上で雑魚寝して、天井を見上げた。空の耳は聞こえないから、二人の時間は静かで穏やかに流れていった。汽車に気づいたのは、そうした中の一幕だった。遠目に黒く大きな塊が、白い壁から浮いていたのですぐに気がついた。音はしないので空は気づかなかったが、僕がすっと遠くへみやるのに空は袖を引っ張って、僕の顔を手で挟む。

 帰るよ、と言っても空は聞かない。耳が聞こえないとばかりに、ちょいちょい、と最初会ったときのようなジェスチャーをする。ちょいちょい、ううん、と僕は彼女の手を取り下ろす。

「決めたんだ」

 これは空が気づかせてくれたことだろう。

 僕は空の家にある荷物をまとめて、駅舎へ急ぐ。道中には、紫と飛鳥もいて、隣には空がいた。

 違うハコに行ったとしても、ここにいたことは忘れないよ、とお決まりの台詞を紫に言ってやった。すると、彼はらしくない冗談だ、とたははと笑ってしまう。僕は、すぐ忘れるし、すぐに戻ってきたりして、そのたびに機械の部分が増えていたりしたんだから当たり前か、と。

 最初とは真逆の方向に歩いて行く。赤いタイルを下る。白い積木のような家々の間を通る。こつこつ、と僕の革靴と、こんこん、と空のヒールの音が混じって会話が波に流れていく。

 潮風を受けて彼女の黒髪がなびいた。

 持っている皮鞄が重く、機械の足は上手く動いてはくれない。金属疲労を起こしているのか、すり足でのそのそと四人で歩む。

 駅舎に着くと、うら錆びたベンチに腰を下ろした。時間までまだあったので、とりとめのない話をする。

 最初、ここで白と会ったのだ、と飛鳥に告げた。飛鳥は興味心身に聞いてきたので、クラシックの鼻歌を刻んだ。すると、なぜか空が聞こえないのに楽しげに体を揺らす。黒いスカートと、百合のコサージュが同時に跳ねる。

 言い知れない感情がまた湧き起こる。何か言わなければならないのに、言いたくなくて。このままでは最後になってしまうと自分に言い聞かせる。

 口を開く、

「喪服姿は、いつ解くんだ?」

 が、これは僕が言いたいことではなかった。

『私の記憶の悲しみが海になるまで』

 なんて、彼女は詩的にメモで諳んじる。

 理解はできないけれど、この姿が彼女の一種の祈りだと言うことは知っていたので、「なんだそれ」とようやく僕は笑った。

 と、同時に焦燥感を抱く。

 言わなければならない。

 そわそわ、と居心地の悪さを抱く。

 彼女の手を取ること、彼女の言葉を拾うこと、いろいろ考えたが、どれも僕の思いとは裏腹だ。

「青、こっちのハコは任せろ」

 あ、ああ、と紫に、意識半ばに応える。

「カミサマとして、治安を維持するのは初めてだが、なんとかしてみる。気候も人も穏やかだし、なにより彼女がいるから大丈夫だろ」

 飛鳥が腰に手をあてて胸を張った。

「心配なことは追ってだな」

「それも、僕が失敗しているから。飛鳥の推測が正しければ、カミサマシステムの真意は感情や記憶を取り戻すことだから、順当に取り戻した過程を踏んでいる僕がいるということは、しばらくは大丈夫だと思う。僕はこう見えて、桜のハコに何度も帰っても、殺されていない」

「案外、システムのお気に入りなのかもしれないな」

 からっからに乾いた紫の笑い声がとどろいた。駅舎を揺るがして、壊す勢いだったが。案外そうなのかもしれないな、と本気で思ってしまうところはある。

 システムの中にアーカイブされているカミサマの記憶もあるらしいとは以前噂に聞いたことがある。いつの日か、カミサマの記憶を見いだし、何かにつなげていけるように。それはもしかしたら、カミサマシステムの中に組み込まれたものだったのかもしれない。古びた記憶は、永遠に読まれることはないかもしれないが。

 祈りとしてアーカイブされるのは、悪くはない。

「そろそろ汽車に乗れ。これを逃したらまた汽車の予約をとるのに時間がかかるし、ハコの移動は徒歩じゃ地獄だ」

 紫という経験者は語る。

 僕は後ろ髪引かれながら革鞄を持った。

 汽車は二両編成で、黒い蒸気機関車の様相を呈している。先頭車両には練炭のようなものが積まれており、中はベージュのクッションのレトロチックな座席がそなえられている。行き先は、僕の故郷である桜のハコ〈Pink_15〉。汽車の扉を開く。足下は木造の板で、踏みしめるとぎしりと、軋んだ。

「あんたを一生許さない」飛鳥の声が飛んでくる。「システムのためだからといって許せるはずはない」

 振り返ると、飛鳥は足を踏ん張って僕に涙ながらに訴える。「でも、」と「青の中の白の音は生きているんだ。それだけは確かだから。また聞かせろよ」

 飛鳥の憎しみ混じりの透き通った声が僕を突き刺す。

 ああ、と僕は強く強く飛鳥に向きなおる。

「飛鳥のものを全部受け止めるって決めたから」

 全部、まるごと、と、僕はしっかりと僕へ突き刺さる痛みを噛みしめる。僕は僕の感情をつぶさに感じ取り受け止める。このハコで起きたことも、これからも。他人の感情全てを抱きしめる。

 そうしてようやく僕は受け止めるべき自分の感情がこぼれ落ちた。

 空の黒い影が遠くの方でたゆたっていたあの時。

 僕が彼女を救った時。

 彼女に僕の空っぽさとは違う何かを感じて、僕の代わりに彼女に何かしてあげたいと思った時。

 彼女の強さに触れた時。

 彼女に拒絶された時。

 彼女の神様になった時。

 彼女と一緒にいたいと思った。

 僕は一時たりとも彼女から離れたくないと。

 このまま続けばいいな、と。

 彼女の言葉や彼女の思想や彼女の痛みに、

 惚れていたんだ。

 汽車がゆるやかに動き出す。

 僕は振り返って空の手をひっつかむ。言いたいことを言うために。吐き出すために。これまで言えなかった、感謝ではない言葉を。

「空、好きだ」

 空は僕の口の動きを見て、泣き出しそうになりながら、こくん、と深く頷いた。

「わ・た・し・も」

 何もない空っぽのカミサマだけど、君の傍にいられたかな。

「約束を果たしたら、きっと帰ってくるよ。空に会いに。手紙も書く。君のことを向こうでも思い出す。絶対帰る。だから、君も忘れないでくれ」

 空は何度も何度も首が折れるのではないかというくらいに。何度も何度も。僕は彼女の手を離すのが惜しくなる。いつまでも握っていたくなるが、汽車は歩き出す。レールに沿って。大股に。

「また会おう」

 僕は大きな口を開けて、彼女へ告げた。

 手が離れる。

「や・く・そ・く」

 空の声が過ぎ去っていく。

 こびりついた彼女の声が、僕の記憶の中に浸透していく。じんわりにじんだ記憶や感情と、一香の潮風に揺らされながら、頭を車窓に預けた。

 瞼が重い。閉じた先に彼女の桜の匂いがちらつく。瞼の裏に彼女の姿があった。海に佇む彼女。

 僕は彼女の姿を見るために、瞼を閉じて夢の中へ落ちていった。


 <i love you>

 <end>

<link blue>

<kamisama system disconnection >


<i love you>

<i love you>

<i love you blue>


 <thank you>

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